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日本の政治家 (1959-) ウィキペディアから
葉梨 康弘(はなし やすひろ、1959年(昭和34年)10月12日 - )は、日本の政治家、元警察官僚。自由民主党所属の衆議院議員(7期)、自由民主党国会対策委員会副委員長。パチンコチェーンストア協会政治分野アドバイザー、IR議連副幹事長、自民党パチンコ議連事務局次長。
葉梨 康弘 はなし やすひろ | |
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公式肖像写真(2016年撮影) | |
生年月日 | 1959年10月12日(65歳) |
出生地 | 日本 東京都三鷹市 |
出身校 | 東京大学法学部卒業 |
前職 | 警察庁刑事局少年課理事官、衆議院議員秘書 |
所属政党 | 自由民主党(岸田派→無派閥) |
称号 | 法学士 (東京大学) |
子女 | 葉梨彩子(長女) |
親族 |
義祖父・葉梨新五郎[1](衆議院議員) 義父・葉梨信行[2](第36代自治大臣、第45代国家公安委員会委員長、衆議院議員) |
公式サイト | はなし康弘のページ |
第106代 法務大臣 | |
内閣 | 第2次岸田第1次改造内閣 |
在任期間 | 2022年8月10日 - 2022年11月11日 |
選挙区 | 茨城3区 |
当選回数 | 7回 |
在任期間 |
2003年 - 2009年 2012年 - 現職 |
法務大臣(第106代)、農林水産副大臣(菅義偉内閣)、自民党総務部会長、法務副大臣兼内閣府副大臣(第2次安倍改造内閣・第3次安倍内閣、第3次安倍第3次改造内閣・第4次安倍内閣)、衆議院法務委員長を歴任した。
養父は自治大臣、国家公安委員会委員長、衆議院議員を歴任した葉梨信行(結婚時に信行と養子縁組した)[2]。養祖父は中央新聞、日本電報通信社(後の電通)の記者を経て衆議院議員を務めた葉梨新五郎[1][3]。旧姓は渡邉(わたなべ)。
東京都三鷹市出身(現住所は茨城県取手市新町1丁目[4])[5]。実父は医師の渡邉武治[6]。東京教育大学附属駒場高等学校(現・筑波大学附属駒場高等学校)、東京大学法学部卒。
1982年、警察庁入庁。警察庁刑事局防犯課、岩手県警察本部刑事部捜査第二課長、兵庫県警察本部刑事部捜査第二課長、外務省在インドネシア日本国大使館一等書記官を歴任。
1999年、警察庁を警視正で退職[7]。同年3月、葉梨信行の秘書になる[8]。
2003年の第43回衆議院議員総選挙に茨城3区から葉梨信行の後継として立候補し、初当選した。
2005年の第44回衆議院議員総選挙で再選。自由民主党畜産酪農対策小委員会委員長・農林部会部会長代理を歴任。
2009年8月、第45回衆議院議員総選挙に茨城3区から立候補したが、落選。
2012年12月、第46回衆議院議員総選挙に茨城3区から立候補し当選、国政に復帰。2013年9月、財務大臣政務官に就任。
2014年9月4日、第2次安倍改造内閣で法務副大臣に就任[9]、同月12日、兼ねて内閣府副大臣に就任した[10]。同年12月の第47回衆議院議員総選挙に茨城3区から出馬し4選。
2016年1月、衆議院法務委員長に就任。同年8月、自民党総務部会長に就任[11]。
2017年8月7日、第3次安倍第3次改造内閣で再び法務副大臣兼内閣府副大臣に就任[12]。同年10月の第48回衆議院議員総選挙に茨城3区から立候補し5選。
2021年10月31日、第49回衆議院議員総選挙で6選。
2022年8月10日に発足した第2次岸田第1次改造内閣において法務大臣として初入閣した[14]。
同年11月9日、武井俊輔の政治資金パーティーに出席した際、「法務大臣は死刑のはんこを押す地味な役職」「統一教会に抱きつかれてテレビに顔が出た」「法相になっても金にも票にも縁がない」と発言(後述)。これらの発言は即日報道されて社会問題となった[15][16]。2日後の11月11日、岸田文雄首相に法務大臣の辞表を提出し、受理された。事実上の更迭とされる。後任は元農林水産大臣の齋藤健が起用された[17][18][19]。在任中、1度も死刑執行命令を行わなかった[20]。
2024年9月12日、自民党総裁選挙が告示され、旧岸田派からは林芳正と上川陽子の2人が立候補した。投票日前日の9月26日22時半頃、産経新聞は、麻生太郎が1回目の投票から高市早苗を支援するよう自派閥の議員に指示を出したとスクープした[21]。9月27日朝、岸田文雄首相は高市が決選投票に残る可能性が高いと踏み、「決選は高市氏以外。党員票が多い方に投じてほしい」と旧岸田派のメンバーに一気に指示を下ろした[22]。高市は1回目の議員投票で、報道各社の事前調査での30~40票を大きく上回る72票を獲得した[23]。党員数と合わせた得票数は1位だったが、決選投票で石破茂に敗れた。葉梨は1回目の投票では林に投じ[24]、決選投票では高市に投じた[24]。
2024年10月27日、第50回衆議院議員総選挙で7選[25]。
2022年11月9日夜、外務副大臣の武井俊輔が「衆議院議員武井俊輔君と共に『正姿勢』で明るい『みらい』を創る会」と題する政治資金パーティーを開催[35][36]。このパーティーで葉梨が述べた以下の3つの発言が問題視された[15][16]。
「法務大臣というのは、朝、死刑のはんこを押して、昼のニュースのトップになるのはそういう時だけという地味な役職だ」
「今回は旧統一教会の問題に抱きつかれてしまい、一生懸命、その問題の解決に取り組まなければならず、私の顔もいくらかテレビで出ることになった」
「外務省と法務省は票とお金に縁がない。外務副大臣になっても、全然お金がもうからない。法相になってもお金は集まらない」
同日21時台、読売新聞や西日本新聞など大手メディアは葉梨の発言をすぐに報道[37][38]。日本共産党書記局長の小池晃は自身のツイッターに「言語道断の大暴言。岸田首相は即座に更迭すべき」と投稿した[39][40]。
11月10日8時30分頃、松野博一官房長官に呼ばれた葉梨は首相官邸に到着。松野は「軽率な言動がないようにしてほしい」と葉梨を注意した[41][42]。面会後、葉梨は記者団に対し、発言の撤回や辞任の考えはないと答えた。その際、9日の発言をまとめた紙を読み上げた。「一部切り取られたことがあったとしても、(自身の発言は)気をつけていかなければならない」と述べ、報道に不満をにじませた。記者がICレコーダーを差し出すと、「ちょっと、紙が読めないんだよ」と言って記者の手を払いのけた[41][43]。
葉梨の発言問題は、法務省が所管する法案の審議に影響を及ぼした。10日の参議院法務委員会は、当初の予定よりも質疑の開始時間が約50分遅れた。裁判官と検察官の給与を見直す2法案については10日だけで質疑が終わらず、15日以降に持ち越しとなった。「嫡出推定制度」の見直しなどを柱とする民法改正案は10日の衆議院本会議で採決が行われる予定であったが、先送りされた[44]。自民党の茂木敏充幹事長らから撤回の助言を受けた葉梨は、法務委員会の冒頭で、問題となった自身の発言のうち、「死刑のはんこ」は撤回すると述べた[41]。
同日13時10分頃、記者団の取材に応じ、「法相になってもお金は集まらない」については撤回しないと述べた[41][16][45][46]。
同日、立憲民主党政調会長の長妻昭は記者会見で「許されるものではない」と述べ、辞任を求めた[39]。各野党からの辞任要求に対し、岸田首相は葉梨を交代させない考えを示した[16]。
野党ばかりでなく、党内からも辞任要求の声は上がった。同日、岸田首相に近い閣僚経験者は「何を考えているのか。辞めさせないとダメだ」と批判した[47]。自民党総務会長の遠藤利明は党の会合で「岸田文雄政権を支えようと言っているときに、肝心の(首相が会長を務める)宏池会でそういう発言あるのは大変、不愉快だ」と述べた[48]。元裁判官の森炎弁護士は「法務省の職務を軽んじたあり得ない発言だ」と批判。また、確定から執行まで長い期間を取っている日本の死刑制度の特徴に触れて、「そこには死刑囚自身に死や罪と向き合ってもらう『贖罪』という重要な意味が込められている」と述べた。アムネスティ・インターナショナル日本の中川英明事務局長は「死刑のはんこを押すということは、人間の生存権を奪うことを意味する。究極の人権侵害のはずだが、そのことをどう考えているのか」と非難した[49]。
葉梨の就任後、統一教会に関する政府の合同電話相談窓口が設置された。対応するのは関係省庁連絡会議で、会議の主宰は法務大臣が司ることとなった。被害者救済につなぐ重要な役割を担う組織とされる。「統一教会の問題に抱きつかれてしまい、私の顔もいくらかテレビに出るようになった」との発言に対し、全国霊感商法対策弁護士連絡会の井筒大介弁護士は「ひとごとのように聞こえる。やる気が感じられない」と批判した[50]。
同日、自民党関係者の証言により、葉梨は10月31日に東京都内で開かれた岸田派議員2人のパーティーに出席し、それぞれのパーティーの挨拶で、「法相がテレビに出るのはだいたい死刑執行のはんこを押した次の日の昼ニュース」「死刑のはんこを押した昼のNHKぐらい」と語っていたことが明らかとなった。会場からは笑い声が漏れたという[51][52]。
11月11日午前、葉梨は参議院法務委員会で、都内の政治資金パーティーであわせて4回、さらに地元の会合でも、前述の発言をしたことを明らかにした[53]。週刊誌を含む複数のメディアは「笑いをとるための『鉄板ネタ』だったのか」と揶揄した[54][55]。
同日午前、立憲民主党の川田龍平は参議院本会議で葉梨の進退について岸田首相に質問。岸田は「職責の重さを自覚し、説明責任を徹底的に果たしてもらわなければならない」と述べ、改めて更迭を否定した。ASEAN関連首脳会議出席のためカンボジアに向けて政府専用機で羽田空港を出発することになっていた岸田は、同日13時30分頃、自民党幹部に電話をかけ「葉梨さんを更迭することにしました」と言った[56]。葉梨更迭の意向を固めた岸田の外遊は、出発直前に12日に延期された[57]。
同日、葉梨は辞表を岸田に提出し、受理された。辞表提出後の記者団の囲み取材で葉梨は「死刑という文言を軽率にも扱い、国民に不快な思いをさせた。昨晩、出処進退を含めて岸田総理大臣と相談し、きょう辞表を提出した」「国民、法務省職員に不快な思いをさせた。国会日程にも影響を与え、内閣にも迷惑をかけた」と釈明した[58]。また、岸田も「法務行政の根幹に関わる制度についての軽率な発言によって、法務行政に対する国民の信頼を損ねたこと、また旧統一協会による被害者救済に政府をあげて取り組む中、その重責の一端を担う法務大臣の発言によって重要政策の審議などに遅滞が生じることを考慮し、辞任の申し出を認めました」と事実上の更迭であることを認めた[59]。
当落 | 選挙 | 執行日 | 年齢 | 選挙区 | 政党 | 得票数 | 得票率 | 定数 | 得票順位 /候補者数 | 政党内比例順位 /政党当選者数 |
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当 | 第43回衆議院議員総選挙 | 2003年11月 9日 | 44 | 茨城3区 | 自由民主党 | 10万2315票 | 48.92% | 1 | 1/3 | / |
当 | 第44回衆議院議員総選挙 | 2005年 9月11日 | 45 | 茨城3区 | 自由民主党 | 11万3977票 | 46.82% | 1 | 1/5 | / |
落 | 第45回衆議院議員総選挙 | 2009年 8月30日 | 49 | 茨城3区 | 自由民主党 | 10万3228票 | 40.13% | 1 | 2/3 | / |
当 | 第46回衆議院議員総選挙 | 2012年12月16日 | 53 | 茨城3区 | 自由民主党 | 11万3158票 | 50.86% | 1 | 1/4 | / |
当 | 第47回衆議院議員総選挙 | 2014年12月14日 | 55 | 茨城3区 | 自由民主党 | 12万500票 | 57.64% | 1 | 1/3 | / |
当 | 第48回衆議院議員総選挙 | 2017年10月22日 | 58 | 茨城3区 | 自由民主党 | 11万3068票 | 57.04% | 1 | 1/3 | / |
当 | 第49回衆議院議員総選挙 | 2021年10月31日 | 62 | 茨城3区 | 自由民主党 | 10万9448票 | 53.59% | 1 | 1/3 | / |
当 | 第50回衆議院議員総選挙 | 2024年10月27日 | 65 | 茨城3区 | 自由民主党 | 8万3667票 | 42.11% | 1 | 1/5 | / |
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