加藤寛治 (政治家)

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加藤寛治 (政治家)

加藤 寛治(かとう かんじ、1946年4月24日 - )は、日本政治家自由民主党所属の元衆議院議員(3期)。

概要 生年月日, 出生地 ...
加藤 寛治
かとう かんじ
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2016年
生年月日 (1946-04-24) 1946年4月24日(78歳)
出生地 日本 長崎県島原市
出身校 日本大学理工学部
所属政党 自由民主党細田派
称号 旭日重光章
親族 父・加藤清則(元長崎県議会議員)
長男・加藤竜祥(衆議院議員)

選挙区 長崎2区
当選回数 3回
在任期間 2012年12月19日[1] - 2021年10月14日

選挙区 島原市選挙区
当選回数 8回
在任期間 1982年 - 2011年
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農林水産副大臣、自民党長崎県連会長、農林水産大臣政務官第3次安倍第1次改造内閣)、長崎県議会議員(8期)、同議長などを歴任した。

来歴

長崎県島原市出身。父親の加藤清則は株式会社三青の創業者で、長崎県議会議員を務めた。長崎県立島原高等学校日本大学理工学部をそれぞれ卒業する。

1982年に長崎県議会議員に初当選して以降8期務め、県議会議長、県連幹事長などを歴任した[2]

2012年第46回衆議院議員総選挙自由民主党公認で長崎2区から立候補する。久間章生の元秘書で雲仙市長の奥村慎太郎が無所属で立候補して保守分裂選挙[3]となるも、奥村や民主党川越孝洋らを破り加藤は初当選する。2014年第47回衆議院議員総選挙で民主党の大久保潔重を破り再選される。2015年に農林水産大臣政務官を任命される[4]2017年第48回衆議院議員総選挙で、希望の党の山口初實らを破り3選される。

2021年8月30日に健康の問題を理由として次期衆院選に出馬せずに引退を表明[5]する。同時に子息で私設秘書の加藤竜祥が後援組織と地盤を譲受し、10月の第49回衆議院議員総選挙で初当選する。

2023年に旭日重光章を受章[6]する。

政策・主張

人物

  • 県議会議員在任中の2012年、自民党が分裂していた長崎県議会において、社民民主系会派と一部自民系会派が連立していた議会主流派を野合と批判し、議会出席禁止の処分を受けた。県議会での出場停止処分の懲罰は1971年以来41年ぶり。この際加藤は、「加藤は死すとも、言論の自由は死せず」と述べて議場を去った[10]

問題発言

  • 2018年5月10日に行われた細田派の定例会合で、結婚披露宴に出席した際には「必ず3人以上の子供を産み育てていただきたい」「世の中には、いくら努力しても子どもに恵まれない方々もいます。無理を言うのは酷でありますから、そういう方々のために3人以上が必要なんですよ」「結婚しなければ、子供が生まれず、人様の子供の税金老人ホームに行くことになる」と呼び掛けていると述べ、出席者からセクハラで失言ではないかと非難された。会合の直後は「結婚式の時にお願いしたことを話しただけだ」として発言を撤回しない考えを示したが、数時間後に「誤解を与えたことに対し、おわびします」として発言を撤回した[11][12][13]

所属団体・議員連盟

脚注

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