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日本の政治家、ジャーナリスト、テレビコメンテーター (1952-) ウィキペディアから
有田 芳生(ありた よしふ、1952年〈昭和27年〉2月20日[1] - )は、日本の政治家、ジャーナリスト、テレビコメンテーター。立憲民主党所属の衆議院議員(1期)。
参議院議員(2期)、参議院経済産業委員長、同政治倫理の確立及び選挙制度に関する特別委員長を歴任。両親は日本共産党員で[2]、父は政治運動家・労働運動家の有田光雄。
山口県下関市で出会い、京都府北桑田郡周山町(現在の京都市右京区)に移り住んだ日本共産党員の両親から生まれ[3][2]、ヨシフ・スターリンから「よしふ」と名付けられた[4]。芳生は「スターリンから取ったと聞かされたのは、中学の時だったんじゃないかなぁ」と述べている[5]。
日本共産党入党・新日本出版社時代
京都府立乙訓高校在学中の1970年、18歳で上田耕一郎(後に日本共産党副委員長)らの論文に感動して、日本共産党に入党[6][7]、日本民主青年同盟の同盟員が多数いた立命館大学経済学部[2]を1977年に卒業する[8]。1977年から日本共産党系の出版社である新日本出版社に入社する。日本共産党党本部によく行き、上田副委員長の部屋へも通っていた[2]。
小田実を巡る党内批判・新日本出版社からの追放
1980年の「文化評論」に、事前に宮本顕治日本共産党委員長(当時)も了解した企画である上田日本共産党副委員長と作家の小田実の対談を掲載した。掲載号は完売した数か月後に、小田実が公の場で共産党を「市民運動などを自党に系列化する既成政党」と批判した。この日本共産党批判を受けて、共産党と小田実の関係が悪化した余波で党内で有田までも批判された。日本共産党から長時間の「査問」(追及)を受けた末に自己批判書を書かされ、1984年に党籍剥奪はされなかったものの日本共産党系出版社である新日本出版社から追放されている[2]。後の2005年に小田実と上田副委員長が再び対談し、雑誌掲載されたが、日本共産党による対立の総括・和解経緯説明は一切なかった。有田は「人生を変えられた者としては、どうしても解せなかった。」と語っている[2]。
新日本出版社から追放された後[2]、フリーランスのジャーナリストとなる。1986年に『朝日ジャーナル』の霊感商法批判キャンペーンに参加する。同誌休刊後は『週刊文春』で統一教会報道に携わる[9]。
『日本共産党への手紙』による日本共産党除名
事前に上田日本共産党副委員長に相談すると、「いい企画だ」と賛意をもらったため、党内外の自由かつ建設的な議論の種を蒔くつもりで共産党への提言を加藤周一ら文化人15人にもらった『日本共産党への手紙』(教育史料出版会)を1990年に出版した。この編集を手掛けたことで、小田実との対談記事掲載以来の査問が有田へ始まり、党規律違反として除籍処分を受ける。有田は2022年に小田実対談記事掲載の時よりも日本共産党の対応は硬直的だったとし、「赤旗」から3回連載で『日本共産党への手紙』を批判されたこと、賛同していたはずの上田副委員長が「だから(出版を)やめろと言っただろう!」と掌返ししたことで言葉を失ったとし、「これが、『政治的人間』というものか」と思ったと語っている[2]。また、提言を依頼したが断った人物として、作家の佐多稲子、哲学者の久野収らをあげ、「以前共産党に攻撃されたことなどを理由に寄稿を断る文化人は多かった。」とも述べている[7][2]。
オウム真理教・テレビコメンテーター
1990年代中盤からは、統一教会に加え、「オウム真理教に詳しいジャーナリスト」としてTVの報道番組に出演しだし、日本テレビ系列の『ザ・ワイド』ではレギュラーのコメンテーターを務めていた。しかし、本来有田はオウム事件発生以前からオウムを取材していたわけではなく、当時一緒に酒を飲むほど親しくしていた江川紹子にオウムの話ばかりを聞かされ、詳しくなった背景がある。1995年3月22日のオウム施設への強制捜査以降、しばらくの間平均睡眠時間が3-4時間になった[10]。
「赤旗」による呼び捨てでの批判コラム掲載
1995年5月の麻原彰晃元死刑囚が逮捕された翌朝の「赤旗」に、「反共を売り物にする」「有田芳生」と呼び捨てで批判するコラムが載った。有田は当時の心境について、「共産党は除名した人を反党分子だと攻撃する」と久野収が日本共産党を糾弾していたことを思い出したと語っている[2]。
新党日本
2007年、新党日本副代表に就任し、同年の第21回参議院議員通常選挙に同党の比例区から立候補したが落選[11]。2009年、新党日本公認、民主党推薦で、第45回衆議院議員総選挙に東京都第11区(比例区重複)から立候補したが、自民党の下村博文に約3500票差の僅差で敗れ、比例復活もならず、落選[12]。
民主党
その後民主党に移籍し[13]、2010年の第22回参議院議員通常選挙に比例区から立候補し、37万票獲得し初当選した[14]。民主党の比例区当選者としては、トップ当選であった。
2014年12月14日の第47回衆議院議員総選挙で民主党代表の海江田万里が落選。海江田の辞任に伴い2015年1月18日に行われた代表選挙では、長妻昭の推薦人に名を連ねた[15]。
民進党
2016年3月24日に「民進党」の政調会長が山尾志桜里となると報道された際に、「視線が低く安定しているのは生活感が基本にあるからでしょう。」「大歓迎です」と賛意を示している[16]。
2016年5月22日に都内のライブハウスで、参院選で野党候補に投票してもらえるように呼びかけたトークセッションでSEALDsと日本共産党の各代表者と共に、民進党の代表者の一人として登壇した。かつて除名された日本共産党機関紙しんぶん赤旗で翌日に1面記事として報道されたが、そこに有田芳生も写っている写真が掲載されたがキャプションで「トークセッションをするSEALDsのメンバーと(右から)山添拓参院議員予定候補、田村智子副委員長、(1人おいて)民進党の山尾志桜里政調会長=22日、東京都渋谷区」と名前を出してはいけない人扱いされた。そのため、有田は「そこに人がいるのに『1人おく』のは、『いる』けれど『いないことにする』との明確な意思だ」と激怒して批判した[17]。
2016年7月の第24回参議院議員通常選挙に比例区から立候補し、2選(20万票、比例4位)[18]。第191回国会では参議院政治倫理の確立及び選挙制度に関する特別委員会委員長を務める。
2017年7月27日、民進党代表の蓮舫が、同月の東京都議会議員選挙の結果を受けて辞任を表明[19]。蓮舫の辞任に伴う代表選挙(9月1日実施)では枝野幸男の推薦人に名を連ねた[20][21]。
立憲民主党
同年12月11日、民進党を離党し立憲民主党への入党を申請[22]。26日承認された。
2018年8月29日、立憲民主党沖縄県連代表に就任[23]。2020年9月15日、旧立憲民主党、旧国民民主党などが合流し、新「立憲民主党」が結成される[24]。有田も新党に参加。
2021年10月31日の第49回衆議院議員総選挙で立憲民主党は議席を「109」から「96」に減らし、11月2日、枝野幸男代表は引責辞任を表明[25]。枝野の辞任に伴う代表選挙(11月30日実施)では逢坂誠二の推薦人に名を連ねた[26]。
2022年7月10日の第26回参議院議員通常選挙で、立憲民主党は比例代表で7議席を獲得。有田は党内候補者20人中、10番目の得票数で落選した[27]。同年、日本国から旭日重光章受章を打診されたが辞退した[28]。
同年8月18日に開かれた立憲民主党「旧統一教会被害対策本部」(本部長:西村智奈美衆院議員)の会合で、脱会運動に携わっていた宮村峻から話を聞く際に、同本部特別参与として同席した。
2023年3月2日、安倍晋三の死去による欠員補充に伴う衆議院山口4区の補欠選挙(4月23日執行予定)に、立憲民主党公認候補として擁立する方向で調整されていることが明らかになり[29]、3月12日、立憲民主党山口県連は有田の擁立を正式に発表した[30]。投開票の結果、自民党公認の吉田真次に敗れ落選した[31]。
2024年10月2日、立憲民主党は同年の第50回衆議院議員総選挙で東京24区に有田を擁立すると発表した[32]。
同年10月9日、自民党は次期衆院選の第1次公認候補として、小選挙区265人、比例代表14人の計279人の擁立を発表した。政治資金パーティーをめぐる裏金事件に関係した現職と元職のうち12人を非公認とし、その中に萩生田光一も含まれた[33][34]。
同年10月15日、衆院選が公示され、東京24区からは立憲民主党の有田、無所属の萩生田、国民民主党の弁護士の浦川祐輔、日本維新の会の元都議の佐藤由美、参政党の與倉さゆりなど計6人が立候補した[35]。「10増10減」の区割り改正により、八王子市からは南大沢駅・京王堀之内駅周辺など多摩ニュータウンを中心とするエリア[36][37]が東京21区に移り、新東京24区は「八王子市(おおむね旧由木村域を除いた地域)」となった[38][39][注 1]。自民党は裏金問題や統一教会問題、10月23日に発覚した非公認候補への2000万円支給問題などで逆風が吹き荒れた[41][42][43][44]。10月27日の投開票の結果、萩生田が7期目の当選を果たした[35]。立憲民主党は比例東京ブロックで5議席を獲得した。3番目の惜敗率(90.490%)だった有田は比例復活で当選した[45][46]。
1993年からオウム真理教の取材を始め、1995年にはオウムウォッチャーとしてテレビに出演した。 レギュラーコメンテーターを務めていた『ザ・ワイド』では、 統一教会の合同結婚式騒動およびオウム真理教による地下鉄サリン事件の際のコメンテーターとして出演していた。2018年7月6日、麻原彰晃ら7人が死刑執行された際、ツイッターで「常識的に判断してありえません。麻原彰晃の裁判資料だけでも部屋ひとつが一杯になります。「中略」政治判断です」と発言している[47]。
統一教会(現:世界平和統一家庭連合)が拉致監禁と呼んでいる教会信徒に対する脱会説得工作について、有田は「霊感商法など反社会的問題を起してきた統一教会から脱会させようと努力するのは、家族として当然の行為だ」と主張している[48]。有田は統一教会の批判記事を書くために拉致監禁され当時偽装脱会で軟禁中だったとされる豊島区の統一協会系病院の医師、小出浩久に文春の記者とともにインタビューした。そこから得た情報は後日週刊文春に掲載された。この時、有田は「一年間も閉じこめられていて、よく耐えられましたね」と小出が監禁状態であった事を事前に知っていた発言をしたと小出は証言している[49]。これに対して有田は小出に会った事は認めたが発言は否定し、監禁されているようには見えなかったと弁明している[50]。また、月刊タイムスの座談会記事[51] においても有田は改宗拉致について「一部では確かに行き過ぎもありました。」と拉致監禁の要素も一部あった旨の認識を示している。
神戸連続児童殺傷事件の事件の犯人がオウム真理教で使われていた言葉の日本語訳を犯行ノートに記していたことを元にオウム真理教事件が影響していると推測している。また犯人の精神鑑定を担当した精神科医も同様の見解を示しているという[52]。有田は、神戸連続児童殺傷事件の犯人である元少年Aが匿名で2015年に出版した本『絶歌』について、「まさに飛ぶように売れています。」「事件の社会的教訓はまだまだです。」とツイートした[53][54][55]。また、種々の批判を「感情的批判は「外在」にすぎない。」と、「週刊文春」に寄せられた関川夏央の「『正義』を自称する『集合的悪意』は野放図に肥大化するだろう」という言説を引用した[56]。
在日特権を許さない市民の会などといった行動する保守が行っている活動への批判を行っている。しばき隊構成員らとともに、頻繁にカウンターと称するデモに参加している[114]。路上に寝転ぶなどして在特会等のデモの妨害をし、警察が安全性を考慮してデモ主催者にデモ中止を要請する事態となったこともある[114]。
2013年2月9日に新社会運動が主催する「不逞鮮人追放!韓流撲滅 デモ in 新大久保[115]」という活動を見た後、「異常なデモ」「国会でも問題にしたい」などとtwitterに書き込み、それを実現する形で2013年3月14日に参議院議員会館で排外主義・レイシズム反対集会を実施した[116]。
韓国メディアの聯合ニュースで、2014年の東京大行進に、のりこえねっとらとともに参加していることが写真つきで報じられている[117]。
しばき隊構成員らが主催している2015年の東京大行進に、ヒトラーの扮装をした安倍晋三のマスクをかぶり、「武器輸出始めました」と発言しているコスプレをしてデモ参加している[118]。
反レイシズム(反人種差別主義)をうたい、反韓デモ(嫌韓デモ)に対して抗議活動を繰り広げる「レイシストをしばき隊(現・対レイシスト行動集団)」や「男組」などを支持する発言を自身のTwitterでしており[119][120][121]、これらの集団が主催するヘイトスピーチへの「カウンターデモ」への参加も確認されている。
しばき隊と男組に対して「ぎりぎりまでやってくれる」と賞賛し、既存の市民運動について「既存の運動や政党は合法主義のあまり、闘わなくなった。きれい事と口先だけの人権派ばかりだ」と批判している[122]。これについて、ニューズウィーク日本版は、「法をないがしろにすると受け止められかねない発言」であり、「『良識の府』である参議院の議員とは思えない言葉だ」と批判している[122]。
2017年7月16日、瀬戸弘幸らが川崎市中原区でおこなったデモに対し、有田やしばき隊など約400人の反対派が集結し、デモ隊に向かって「神奈川県警はデモをさせるな」「ヘイトをやめろ」などと声をあげた。数十人からなるデモ隊は約400m程行進した後撤収した。有田は「コソコソ。あいつらに見つからないうちに早く、早く、うわっ、見つかった。バスに逃げ込め、痴的でシュール。カウンターの勝利」などと「勝利宣言」し、瀬戸は「正式に許可されたデモで、その集合場所に向かう人たち達の足を止めるなどと平然と言い放ち、それが不法行為であり犯罪であることを隠していません」などと有田らの行為を批判した[123][124]。
政界進出前は、オウム真理教や旧統一教会(現・世界平和統一家庭連合)などのカルト宗教問題を専門として、『週刊文春』『朝日ジャーナル』などに寄稿していた[126]。
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