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対価を得る目的の性交 ウィキペディアから
売春(ばいしゅん)とは、対価を得る目的で性交する行為である。「春(情愛の比喩)を売る」ためにそう呼ばれる。対価を得る側の男性・女性の性別は問わない。
この項目には性的な表現や記述が含まれます。 |
売春を仕事として従事する女性を娼婦、売春婦などという。男性については男娼の呼び名が使われることが多い。
なお、対義語の「買春」は「ばいしゅん」というのが元来の読みであるが、「売春」との区別が音韻上付かないので、音韻区別する為に湯桶読みで「かいしゅん」と読む[1][注釈 1]こともある。両方を含めて『売買春』(ばいばいしゅん)と呼ぶ。
職業としての売春は、古くから存在する。職業とは、ヒトのみが行う社会的かつ文化的営為であり、富・付加価値の交換により形作られる経済活動の手段としては、売春は人類最古の職業の一つでもある。
現代の売春とは取引契約に基づくものであり、売春の歴史とは売春仲介の歴史でもある[5]。また、売春という職業が成り立つ為には、貨幣経済の浸透と、家父長制や嫁取り婚が成立していないといけない[要出典]。ヨーロッパでは古代ギリシャ以降になる。
史上初めて管理売春すなわち売春を国家の登録制度のもとに管理し、公認したのはギリシャのソロンといわれ、国家によって女性の奴隷を「購入」し、「ディクテリオン」という売春施設へといれた[6]。ローマ帝国でも売春仲介業者は法的な認可をうけ、届出をするだけでなることができたため、売春は広く行われていた。しかしローマがキリスト教徒の迫害をやめ、それを国教としたことをうけて、売春を禁ずる法が登場する。ユスティニアヌス法典は、売春仲介業者の責任を問い、売春婦たちを「不幸な運命から救いだす」ことをうたう画期的なものであった[7]。
キリスト教が普及するにつれて、売春を含めた性の問題はすべて宗教の領域で扱われるようになる。キリスト教は売春はおろか婚姻生活以外での性交渉を禁止した。一方で国家は売春の禁止と公認を繰り返してきた。公序良俗を保つためであり、税収を確保するためであった。中世に入ってキリスト教の影響はさらに強まり、例えば、シャルルマーニュの勅令は売春の完全な禁止を謳っている。こちらは業者へは少量の罰金刑を課し、売春婦を「みだらな女」として広場で鞭打ちに処すなど重い罰を規定している。
このように近代まで、国家は売春を両義的なものとして扱っていた。登録制度という公認であっても女性を監視し縛り付けるものだとする「廃娼論」が出現するのは20世紀以降のことである[8]。そして「醜業ヲ行ハシムル爲ノ婦女賣買取締二關スル國際協定」が1904年に採択され、「醜業ヲ行ハシムル爲ノ婦女賣買禁止二關スル國際條約」が1910年に制定され、1921年に国際連盟によって「婦人及児童ノ売買禁止ニ関スル国際条約」、1933年に「成年婦女子ノ売買ノ禁止ニ関スル国際条約」がそれぞれ採択された。さらにそれらの協定や条約を統合する形で「人身売買及び他人の売春からの搾取の禁止に関する条約」が1949年に国際連合によって採択され、1951年に発効した。
現在、フランスの社会史学派、アナール学派の研究によれば、売春は逆にキリスト教によって誕生したと論じている。本来、男女は対等であったが、キリスト教の「弱者である女性は、保護を行う男性の支配を受けなければならない」という教義から家父長制が強力になり、支配される性としての女性が誕生した、という考えである。[要出典]
万葉集に掲載されている歌の解釈から、この時代から日本でも売春は行われていたと考えられる。ただし、古代の記録に見られる売春は、都周辺に限られており、地方における実態は不明である。日本において職業としての売春が成立するのは、中世後期の室町期以降である。平安時代に至っても、さらには鎌倉期においても、妻問婚がメインであり、貨幣経済と男性優位の家父長制や嫁取婚はいまだ浸透していなかった。平安時代と同じく母方の父が優位という執権政治の形態が続いていたことからも明らかである。座や町衆などによる市の支配の確立と、惣領制や嫁取婚が成立するまでは、職業としての売春は広がりを見せなかった。
売春は神道において、巫女によって行われたこともあった[9]。鎌倉時代には巫女を養っていた多くの神社や寺院が破綻し、生活の糧を求めて旅に出る巫女が現れ「歩き巫女」と呼ばれるようになった。巫女は主に宗教的なサービスを提供していたが、売春とも広く関係していた[9]。
安土桃山時代に豊臣秀吉が大坂道頓堀において、遊女を一箇所に集めた遊廓を作って以後、江戸時代でもこうした遊廓を設置した。特に吉原遊廓、島原遊廓、新町遊廓は三大遊廓と呼ばれるほどの隆盛を誇った。ただし、遊廓などではいまだ女性の「神」性視が行われ[独自研究?]、遊廓は非日常の空間であり、世俗の法律が通用しなかった。吉原の監督官としての武士も、武家出身者ではなく忍者出身者が行い、公儀とは距離を置いた[要出典]。江戸幕府は、江戸および関東八州については、公的に売春を認めつつ[注釈 3]、散在する遊女屋を特定地域に集合させ、1617年(元和3年)、日本橋葺屋町界隈に遊郭の設置を許可し、吉原遊廓とし、この他の地での売春を禁じた。この禁を破って売春がなされる場所を岡場所といい、その遊女らは、後任の吉原におけるものと異なり、私娼であって取り締まりの対象とされた。私娼は発覚・奉行所などに捕縛されると、新吉原で女郎として3ヵ年の年季奉公が科せられ(公事方御定書[11])、そのような女郎は「奴女郎」と呼ばれ最下級の扱いを受けた。このように、建前上は、吉原以外での売春は禁じられていたが、岡場所は江戸時代を通してところを変えながら存続し続けたし、特に、近郊の品川宿、内藤新宿、板橋宿、千住宿など、近郊の宿場町の宿屋では、泊り客に飯盛女と称した私娼の斡旋を行っていた。
明治維新以後もこのような遊廓は存在していたが、転換点となったのは1872年(明治5年)である。この年、マリア・ルーズ号事件が発生し、大日本帝国政府はペルー船籍の汽船船内における中国人(清国人)苦力に対する扱いを「虐待私刑事件」として日本の外務省管下で裁判を行ったが、この裁判において被告側より「日本が奴隷契約が無効であるというなら、日本においてもっとも酷い奴隷契約が有効に認められて、悲惨な生活をなしつつあるではないか。それは遊女の約定である」との主張が為された。
この主張に対して、特命裁判長を務めた神奈川県権令大江卓は「日本政府は近々公娼解放の準備中である」と公娼廃止の声明を発し、1872年10月2日、芸娼妓解放令が出された[12]。これにより、女衒による遊女の人身売買は規制されることになったが、娼婦が自由意思で営業しているという建前になっただけで、前借金に縛られた境遇という実態は変わらなかった。
また、この時期に数多くの女性が女衒の斡旋により、日本の農山漁村から東アジア・東南アジアに渡航し、遊廓で働いた。こうした海外渡航した女性たちは「からゆきさん」と呼ばれた。このように世界への渡航を手配した、女衒として有名な人物に村岡伊平治がいる。
第二次世界大戦後の1946年(昭和21年)、日本の統治を担当していたGHQは公娼廃止指令を出し、女給による売春を行う赤線を除いて遊廓は廃止されることになった[注釈 4]。
また、1955年(昭和32年)最高裁判所は、売春を前提とした前借金について『公序良俗に反するものであるとして無効』とする判例を確定させた[13]。さらに、上記「人身売買及び他人の売春からの搾取の禁止に関する条約」を批准するための国内法である売春防止法が1956年(昭和31年)5月に公布、1958年(昭和33年)4月1日に施行され、これによって赤線も廃止されることになった。
これら赤線地帯にあった店は、その後も小料理屋やトルコ風呂(現:ソープランド)などと名称を変え、管理売春や勧誘・斡旋などの売春助長行為ではなく、個人の自由意志での性行為の場所を提供する、という法令に抵触しない範囲で営業を行っている。なお、トルコ風呂の名称については、トルコ人留学生・ヌスレット・サンジャクリが厚生省(現:厚生労働省)に名称変更の訴えを起こし、名称がソープランドに変わった経緯がある[注釈 5]。
近年、世界的に売春は合法化・解禁の流れがある。アジアでは、中華民国(台湾)で合法化され、タイ王国、中華人民共和国でも合法化が検討されている。
ヨーロッパでは、売春自体は合法である国家がほとんどである。ただ、斡旋を違法としている国家も多いが、2000年にオランダが、斡旋を含む売春行為を完全に合法化したのを皮切りに、デンマーク、フランス、スイス、ドイツ、オーストラリア、ニュージーランドなども斡旋合法化に踏み切った。
ギリシャ、ハンガリー、チェコなどにおいても合法で、オーストリア、オーストラリアなどでは、外国人が働くために売春査証で合法的に滞在許可を得ることが出来る。2015年には、国際人権団体アムネスティ・インターナショナルが、売買春の合法化(合意に基づく成人の性的労働や成人同士の間での合意に基づく性の売買)を支持する方針を決定した[14][15]。
アムネスティ・インターナショナルのイギリス支部を通じて包括的非犯罪化決議案を2008年の年次総会で初めて提案したのは、イギリスで大規模なエスコート売春会社を経営していたダグラス・フォックスという人物であると指摘されている[16][17]。 アムネスティ・インターナショナルのイギリス支部は、ダグラス・フォックスの直接的影響を否定している[18][19]。
以下、合法化を検討している諸国も含めて各国の状況を概説する。
合法化・解禁の理由としては、性病対策、性犯罪対策などがあげられる(各国の合法化については各節を参照)。タイ王国や中華人民共和国などアジアでは、現在でも、特に地方での貧困から、少女・少年が、都市部の闇で売春をするケースが多く、エイズなどの性感染症が蔓延し、大きな社会問題となっている。
一方で、ノルウェーは2009年、売り手である被買春女性を非犯罪化し、保護・支援の対象とし、他方で、買春者、ピンプ、業者などを処罰の対象にした。 アイスランド(2010年)も続いたことにより、北欧モデルと呼ばれる。 北欧モデル型立法の目的は、第一に、売買春を風俗犯罪や道徳的な悪とみなすのではなく、女性に対する搾取と暴力、性差別の一形態であるとの基本認識に立ち、その廃絶の一環としてこの法を立法し執行すること。 第二に、自己の性を買われる(売らされる)側の女性を被害者とみなして非犯罪化し、逆に、買い手を直接の加害者として処罰し、同じく斡旋業者、その他の便宜供与者などを搾取者ないし共犯者とみなして厳しく処罰すること。 第三に、売春従事者の離脱と転職を支援し、被買春女性が必要とする生活上・教育上・医療上・精神上のさまざまなサービスと支援を積極的に提供すること。したがって北欧モデルは、刑事的に取り締まるばかりではなく、福祉的・行政的役割をも担う法体系である。また、韓国では、加害者である買春者に対する再教育も行う。 第四に、女性を売春へと追いやり誘導するさまざまな差別構造、貧困、福祉の貧弱さ、児童虐待やネグレクト、性暴力の蔓延、女性を性的なモノへと還元するポルノなどの性差別文化などの諸原因に総合的に取り組み、それらの縮小と克服を公的機関と市民による努力によって徐々に実現することである[20]。
欧州連合評議会は2014年、北欧モデルを推奨する決議を採択し、国際人権団体イクオリティ・ナウやヨーロッパ・ウィメンズロビーも北欧モデルを支持する立場を表明している。 これに続き2014年にカナダ、2015年に北アイルランド、2016年にフランス、2017年にアイルランド共和国と北欧モデルが広がっていっている[21]。
1946年、GHQが出した『公娼廃止指令』により赤線を除く遊廓は廃止され、1958年に施行された売春防止法により、赤線も廃止されて、売春の斡旋や売春をさせる業を為すことは、刑罰の対象となっている。ただ、売春自体は禁止され管理売春や勧誘・斡旋などの売春助長行為は、売春防止法で刑罰の対象であるが、個人の自由意志で行う単純売春は、刑罰の対象にはなっていない。1999年(平成11年)には、18歳未満の児童と性交することなどを禁止する児童買春・児童ポルノ禁止法が施行された。これらとは別に、各地方公共団体が定める条例によって、法的規制がなされている場合もある。
アメリカ合衆国国務省の2016年『人身売買に関する年次報告書』によると、日本では組織的な売春ネットワークが地下鉄、若者のたまり場、学校、インターネットなどの公共の場で、脆弱な日本人女性および少女を標的にしている。日本人、特に家出した10代の少女や、外国人と日本人の間に生まれて日本国籍を取得した児童、およびその外国人の母親も、性的搾取の人身取引の被害にさらされ、「援助交際」や「JKビジネス」(どちらも18歳は合法、成人年齢引き下げ後は虞犯の対象から外れたので女性側も合法)が、日本人児童の性的搾取を目的とする人身取引を、依然として助長していると指摘した[22]。
日本国政府は、2016年に児童買春の捜査を728件行ったと報告しており、売春に関与させられたとして警察が認知した児童は518人であった。また日本は、性的搾取の人身取引の被害者である男女および児童が送られる国家であり、被害者の供給・ 通過国で、強制売春の被害者は契約開始時点で借金を負っている場合もある。売春宿の運営者は、素行が悪いとして罰金を被害者の当初からある借金に加算することがある。また日本にある複数の組織は、日本人の父親とフィリピン人の母親との間に生まれた児童とその母親が、日本国籍を取得し日本へ移住するために、手数料を取って支援すべく接触し、日本入国後、これらの組織の役務を受けたことにより負った借金を返済するため、性的搾取の人身取引の被害者となる母親と児童もいることなどが報告された[22]。
2016年に、日本人男性は依然として、アジアにおける児童買春旅行への需要の大きな源泉の一つであり、アメリカの人身取引報告書が「日本への勧告」として、海外で児童買春旅行に参加する日本人の捜査、訴追、有罪判決、処罰を積極的に行うことを挙げている。また日本人男性は他のアジア諸国、特にタイ、インドネシア、カンボジア、フィリピン、および頻度は低いもののモンゴルへ渡航し、児童の商業的性的搾取を行っている。警察庁は、東南アジアにおける児童の商業的性的搾取に関する事案の詳細を、タイ、カンボジア、フィリピンおよびインドネシアの警察と共有している[22]。
売春は違法である。一方で合法化も検討されている。しかし、新華社の発表によると、国内の売春婦の数は200万人に上るといわれており、彼女達の総収入額は8兆円に上るといわれる。その多くは、貧しい農村の出身である。農村での生活よりも都市部での売春に従事する方が豊かな生活を送ることができるため、都市部に出稼ぎに来て売春に従事する女性が多いとされ、近年では売春の組織的斡旋には死刑が適用されるほど重い罪となることもある[37]。しかし、貧富の格差が原因となっていることから、売春の根絶は困難となっている。
2011年に各都市の「風俗エリア」の内部における売春が合法化された。ただし風俗エリアは2021年5月時点で設置されていない。
その前年の2003年に、売買春業の規模が24兆ウォン(約2兆4000億円)でGDP比で約4%、20代以上の女性25人のうち1人が売春行為をしている、という調査結果を刑事政策研究院は公表している[38][39]。2007年に行われた実態調査では、韓国の風俗産業の経済規模はGDP比で約6%で、約27万人が従事しているという結果が出ている[40]。ワールド・アトラス・ドットコムによると、韓国1人当りの性売買支出は世界3位[41]。
売春行為を厳しく取り締る性売買特別法の施行にあたり、約3000人の売春女性が集まり「生存権を保証せよ」とのデモ活動が行われ[42]、2008年にも、生活が苦しくなった売春女性達約300人のデモ活動が発生している。なお、2004年に施行されたこの規制により、最盛期に300軒あった風俗店は、2008年には100軒余りに減ったという[43]。
また2011年には、売春婦たちによって規制撤廃を求める大規模なデモ活動が首都ソウルで行われ、裸になった売春婦たちは、町に火を付けたり自らガソリンをかぶるなどの示威行動を、外国メディアの前で行った[44]。2015年9月には4000人の女性が集まり、売春の合法化を求めるデモ活動を行った[45]。
2013年には、2010年に女性家族部への国政監査で金玉伊議員(女性家族委員会所属)が韓国外で売春をする韓国女性は日本に約5万人、オーストラリアに約2,500人、グアムに約250人とみられ、全世界では10万人余りと主張していたと報じられた[49]。また同記事では、ソウル大学国際大学院のチョン・ジェウォン博士による報告における、韓国外での韓国人客に対する韓国式風俗店の広がりや、米国における外国人売春婦の割合も掲載されており、1位は韓国人で23.5%、2位はタイ人で11.7%という結果も掲載している。
売春は違法であるが、目立たずに行われているとされる。
『1996年売春防止・禁止法』により、経済的もしくはその他の利益を得る目的で売春を行うことは、性別を問わず禁止されている。 ただし、刑事処罰はないので事実上黙認されている状態となっている。
買春は相手が18歳以上の場合に限り、合法である。18歳未満を買春したものは、1年以上3年以下の懲役刑および6万バーツ以下の罰金刑、15歳以下は2年以上、6年以下の懲役刑および12万バーツ以下の罰金刑となる。
周旋・誘引者は、18歳以上の周旋は1年から10年の懲役刑、18歳未満の場合さらに厳しい罰則になっている。客引き、客待ち、印刷物配布行為も罰金刑に処される。
売春は刑法では禁止されている。なお、結婚証明書をもたない独身男女が、ホテルの同室に2人だけで宿泊すること自体が違法である。売春の現場であるホテル等へ警察が乗り込んできて、売春をしたもの、客および斡旋業者まで全て検挙し、罰金・懲役刑等直罰が下される。外国人が客の場合は、検挙されるとパスポートを保管され、処分が決定されるまで出国できなくなるほか、事件が新聞に実名入りで掲載される場合も多い。ホーチミン市などの大都市部では、夜10時頃を過ぎると、バイクに乗った娼婦が町を徘徊するようになる。彼女らは、現地でホンダガール(HONDA GIRL)と呼ばれている。また、娼婦を装い、ホテルの部屋で客がシャワーを浴びている隙に、金品を奪って逃げる例が多数ある。現地で「ミニ・ホテル」と呼ばれるホテルが、売春に使われることが多い。なお石原慎太郎は、1960年代に南ベトナムを訪れた際、自らの児童買春について、著書に記述している[65]。
売春に対する扱いは曖昧である。しかし2009年1月26日、首都プノンペンのルッセイ=カエウ区チローイ=チョンヴァー町刑事警察のユアン=チャンター副署長は、男性がお金で性交を買うことは非合法ではないとの見解を示した。オーストラリア人男性が金銭の支払いで売春婦ともめていたところ、警察が調停に入った。この調停は非合法なのではないのかとの議論が起きたときに、警察関係者が売春が合法であるとコメントした[66]。ソマリー・マム (en:Somaly Mam)は人身売買、児童買春に反対する活動を行い世界的に有名である。
売春は違法である。しかし売春宿等はあり、ミャンマー人女性はタイなど外国への売春婦の主要な供給源にもなっており、売春は女性と子供に影響を及ぼす社会問題ともなっている。
売春自体は禁止されていない。しかし客引きは違法とされ、売春に関しては曖昧な扱いがなされている。売春に従事する女性達は法的な保護を十分に受けられない環境にあり、過酷な環境下で労働しているとされる。ネパールなどの貧困地域から騙され連れられてきて売春を強要されている女性も多い。2007年にインド最大の売春婦支援団体インド売春婦会議(Committee for Indomitable Women)が売春婦を法律上の「接待業者」として扱うように政府に要求する集会を開き、約5万の個人や団体が参加して「売春婦を接待業者として合法化すれば、彼女らは売春婦の名に恥じる必要がなくなる。より多くの権利を享受することができる」と訴えた。インド売春婦会議によると、インド国内には約1000万人の売春婦がいる[67]。
売買春は合法である。組織・施設・勧誘行為の規制は、州により異なる。売春が合法化されている州では、株式市場に上場している売春宿企業もある。合法化を推進したのがキャンベラの女性市長である。売春を違法にしたところで、貧しい人達がいる限り売春は無くならないし、「モラルを押し付けておきながら、福祉を充実させずに貧しい生活を甘受せよというのは、金持ちの身勝手である」との反発もあり、合法化した。
売買春合法化したことで、売春に従事する女性達は社会保障を受けることができ、賃金を踏み倒されることもなくなり、性感染症の衛生管理も向上する。そういった点で、女性議員達の支持を受けたのが、合法化に成功した理由といわれる。
オーストラリアと同様の理由で合法化された。ただし、合法で売春するには、免許を受ける必要がある。
1999年、売り手である被買春女性を非犯罪化し、保護・支援の対象とし、他方で、買春者、ピンプ、業者などを処罰の対象にした。この法体系はノルウェー(2009年)、アイスランド(2010年)も続いたことにより、北欧モデルと呼ばれる[68]。
1999年の刑法改正により、18歳以上の売春は完全に合法化された。それ以前も事実上黙認されていたといわれる。いわゆる街娼は少ないとされ、多くはサロンやマッサージ店のような場所で売春が行われている。売春婦は約6000人おり、3割が外国人であるといわれている。
2000年に16歳以上の売春が完全に合法化され、一般の企業と同様の活動が可能となった。アムステルダムなどの主要都市に売春宿(隠語で「飾り窓」と呼ばれる)や街娼(隠語で「立ちんぼ」と呼ばれる)が多数存在し、毎日朝から深夜まで料金等の交渉が行われている。詐欺や迫などにより売春を強要される女性がいると指摘されている[69]ことから、近年売春強制の罰則が強化されている。これに対し、移民は仕事を確保することが困難であり、自らの意思で売春に従事する人が多いといわれる[70]。
売買春は合法で、自治体と保健所に登録し定期検診を受けることで営業が可能となる[71]。EUの自由化により、外国人売春婦が増えているとされる[72]。売春合意年齢は16歳であることから、現在18歳未満であっても売春が可能である。ただ、18歳未満がブランド品を買うために体を売る「ブランドセックス」が問題視されており、売春合意年齢を18歳に引き上げるべきとの議論がなされている。なお、イタリアやフランスの売春合意年齢は18歳、ドイツは21歳であり、スイスは特に若いことが指摘されている[73]。アジアからの出稼ぎ売春婦もおり、スイス初の終身刑は2008年に起きたタイ人売春婦の殺人事件の犯人によるものだった[71]。
チューリヒは一部から「セックスの都」とも呼ばれているが、チューリヒ観光局はこの評判を否定している[71]。市街地から売買春の場を隔離する目的で、2013年に市郊外にスイス初の売春専用ドライブイン(警備付きの市営売春施設)を設けた[74]。施設は柵で囲われており、自動車でのみ入れる[74]。施設内には性産業従事者らが自分たちを売り込むための場所があり、そこで顧客と価格の交渉が行われ、合意に至れば、9つある通称「セックスボックス」に車を停めて性交渉を行う[74]。ドイツでの取り組みを参考にしたもので、これによりチューリヒ中心部での路上売春は禁止になった[75]。金融街であるチューリヒでは高収入のビジネスマンが多いため、これらを相手にする高級売春婦(エスコートガール)や専門の斡旋業者が存在する[71]。
2002年に売春が合法化された。売春合意年齢は21歳とされている。ベルリンだけでも700もの売春宿があり、売春婦の数はドイツ全土で40万人といわれる[76]。売春合法化したことにより、「セックス税」が得られるようになった。また、2006 FIFAワールドカップの時には大きな売り上げをあげた[77]。ただ、2000年代後半(リーマンショック以降)の経済不況の波はドイツの売春産業にも大きな影響を与えており、価格が低下しているといわれ、近年では多様化により、外国に支部を持つオーナーも多くいる[78]。2018年の統計によると、約32,800人の売春婦が登録され(上記のとおり総数は40万人程度と言われており9割以上は登録されていない)、そのうち8割以上に当たる約26,600人は外国籍である[79]。
2016年、売春婦の保護強化のため、コンドームの着用義務、前科ある売春宿経営者に対する調査、売春部屋で売春婦が生活することの禁止、売春婦とカウンセラーとの定期面談の義務などを盛り込んだ法案がまとめられた[80]。議会で承認されれば2017年7月に施行される。
売春は合法で、路上や店舗で活動するためには営業免許証が必要とされる。海外からの移住性労働者のための滞在ビザ、つまり売春ビザもある。売春ビザで働いている場合、売春以外の職種(ダンスショーなど)に従事することも裁判で認められた。
売春・売春宿の経営は合法である。チェコのEU加盟により、従来最大で24時間近く待たされた国境通過が容易になったとされる。そのため、トラックドライバーを主な顧客とする、オーストリア国境地帯の売春宿の多くが廃業したといわれる。
ドイツ、オランダの合法化に伴いベルギーにおいても斡旋行為や売春宿の経営等も合法化された。それ以前は売春自体は合法だったが、斡旋行為等は違法とされていた。ベルギーでは一部の都市で売春宿経営は認められており、売春婦は個人労働者として登録することになっている[81]。
1958年に売春防止法が施行された。ただ、売春の斡旋や売り込みなどは違法とされているが、売春行為自体は適法であり、売春合意年齢は18歳である。イタリア政府は政府公認の売春公認地域の設置や売春合法化を検討しており、8割の国民が賛成しているとの世論調査結果が出ている[82]。現在、イタリアの売春婦は7万人で、多くが外国人とされる。
法的には、街娼、売春宿及び売春組織の形成は違法である。しかし売春すなわち「性的なサービスの代価に金銭を受け取る」こと自体は合法であるという判例がある。従って、個人が新聞やインターネットで広告を出し売春をすること (Independent Escort) は完全に合法である。これに対し、Escort を派遣するいわゆる Escort Agency や、日本のソープランドのようにマッサージと称して売春するマッサージパーラー(Massage Parlour)は、組織的なため違法ではないかとの指摘があるが黙認されている。[要出典]
2016年4月6日フランス国会元老院は買春行為に対して、1,500ユーロの罰金を科す法案を可決し、買春は違法となった。なお、それまでも、売春宿の経営や斡旋、公道での勧誘の禁止といった売春者側への規制は存在し、18歳に満たない者の買春は違法であった。
2008年、フランス在住のジャーナリストの鎌田聡江によると、女子大生が生活費を稼ぐために売春するケースが増えているとされ、その数は4万人に上るといわれる。彼女達の多くは貧しい家庭の出身であり、社会的な成功を夢見て勉学に励んでいるが、労働法令により労働者の解雇が困難なフランスでは、労務者の数を少なく抑えようとする傾向があり、アルバイトを探すことが困難となっているため、彼女達が勉学を続けながら収入を得ることは難しい上、パリでの生活費は一般的に高いといわれ、それがインターネットを利用した売春が、女子大生の間で流行している原因であるとされる[83]。
売春は合法である。ただ、売春宿の経営については規制が設けられており、新規出店は難しいため、マッサージ店に偽装する店が多いとされる。多くは、貧しい移民達が生活費を稼ぐために売春に従事している。
売春自体は合法であるが、街頭での客引き等の行為は違法で、規制も厳しいといわれる。売春宿を経営するためには、市の許可が必要となる。アテネ五輪の際に、五輪特需を見込んで、アテネ市が230件の売春宿の新規許可を出したことに対して、北欧諸国から五輪の精神に悖るとして非難が起きた[84]。
法規制があるが合法である。国営のgenel evlerと呼ばれる公娼館が設置され、無認可の営業は禁止されている[85]。
最初の売春宿は、第二次世界大戦中の1884年にオスマン帝国皇帝アブデュルハミト2世の認可を受けてガラタとベイオール(旧称Pera)に設立された[86]。公娼館の楼主として6度も高額納税者として表彰されたマティルド・マヌクヤンが著名。
いわゆる人身売買が一部で盛んに行われているが、2013年5月にイモ州にある基は孤児院や妊婦の保護施設だとされていた家屋で人身売買を目的にしたいわゆる「赤ちゃん工場」が摘発される事件が発生した。この事件において、14-17歳の少女に対して妊娠行為を行ったことを認めた23歳の男と、この家屋を警備する55歳の男が逮捕されたほか、少女たちと乳幼児11人が保護された。少女らが妊娠・出産した乳幼児は売買目的で第三者に譲渡しようとした可能性もある[87]。
連邦政府レベルでの全面禁止はされず、州政府の裁量に任されているが、ネバダ州以外では禁じられている(ネバダ州でも一部の許可地域以外では禁じられている)。とは言うものの、レンタカーで輪姦事件を起こした兵士に対して、「レンタカーを借りる金があれば売春婦を買えば良い」と発言したアメリカ軍の高官が更迭された(詳細は沖縄米兵少女暴行事件)のが国家の姿勢である。サンフランシスコ市では、売春取締りにかかる費用が莫大な額に上るため、費用節約の観点から、女性の意思に基づく売春であれば、事実上黙認するとの運用が検討されている。
売春は合法である。しかし売春禁止法により、斡旋行為や売春宿の経営、売春で生計をたてることは違法とされているため、成人女性がアルバイトで単発的に行う売春のみが合法とされる。ただ実際は、斡旋行為は広く行われている。カナダのHIV/AIDSの法律家ネットワーク Legal Network は2005年12月13日、この法律がセックスワーカーの健康と生命を脅かしており、廃止するべきだとする報告書を発表し、下院議員リビー・デーヴィス Libby Daviesを中心に、この問題についての議論が継続されている[88]。
売春は合法である。実際には、目立たない形で広く行われている。性風俗業はいくつかの形態で存在している。一種の高級バー(ホステスを連れ出しセックスする。ラス・コンデスやビタクラといったサンチアゴの振興地区にあり、主に外国人観光客を相手としている。チリ人が利用することは少ないといわれる。)、アパートの1室で売春を行うSAUNAといわれるもの(一流紙にも目立たないような内容の広告が出されるほどメジャーなものであり、外国人のみならず一般のチリ人も利用する。)、街娼などの形態がある。売春婦の多くは、売春しか生活の糧を稼ぐ手段がない貧しい層の女性であるといわれている。2007年には売春婦であるマリア・カロリナがチャリティーのために「27時間の性行為」をオークションに出品し話題となった[89]。
売春は合法である。売春の広告を出すことは違法とされるが、一般新聞の広告欄には堂々と掲載されている。売春婦はプータ(蔑称であるため放送禁止用語)と呼ばれ、貧民層出身の女性が生活費を稼ぐために仕方なく売春を行っているケースが多い。しかし現実には、予期しない妊娠によって男に捨てられ、子供を育てるため売春業に参入する場合も多い。国内ではマフィアによる組織売春や奴隷売春なく、原則として自由業である。このことは、ブラジルにおける売春の利益が他国と比べて小さいことによる。
売春は違法である。しかし放置されており、事実上黙認されている。メキシコ国境付近の町ティフアナでは、条例により売春婦に保険証を交付したり、売春宿の衛生管理に市が介入することを認めた。メキシコではこうした例が多いため、事実上売春は合法であると指摘される[90]。
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