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日本の野球指導者、元プロ選手 (1974-) ウィキペディアから
井口 資仁(いぐち ただひと、本名:井口 忠仁〈読み同じ〉、1974年〈昭和49年〉12月4日 - )は、東京都田無市(現:西東京市)出身の元プロ野球選手(内野手、右投右打)[3]・監督、解説者・評論家。
千葉ロッテマリーンズ監督時代 (2019年4月2日、東京ドームにて) | |
基本情報 | |
---|---|
国籍 | 日本 |
出身地 |
東京都田無市 (現:西東京市) |
生年月日 | 1974年12月4日(49歳) |
身長 体重 |
178[注釈 1] cm 91[注釈 2] kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 二塁手、遊撃手、一塁手 |
プロ入り | 1996年 ドラフト1位(逆指名) |
初出場 |
NPB / 1997年5月3日 MLB / 2005年4月4日 |
最終出場 |
MLB / 2008年9月28日 NPB / 2017年9月24日(引退試合) |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
選手歴 | |
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監督歴 | |
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国際大会 | |
代表チーム | 日本 |
五輪 | 1996年 |
この表について
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福岡ダイエーホークス・千葉ロッテマリーンズ時代に日本シリーズ優勝を3度、シカゴ・ホワイトソックス・フィラデルフィア・フィリーズ時代にワールドシリーズ優勝を2度、それぞれ経験している。
東京都田無市(現:西東京市)で生まれる。軟式野球チーム「ビクトリー」で捕手として野球を始め、小学6年時に硬式野球チームの「保谷リトルリーグ」に移り、内野手に転向。小学校と中学校では最高学年で主将を務める。中学3年時には全国大会に出場した。野球を本格的に始めた中学時代にはPL学園高校の甲子園春夏連覇を見ており、特にその中心選手だった立浪和義に憧れていた[5]。
國學院久我山高等学校でも遊撃手としてプレー。1991年、2年の夏に3番・遊撃手として全国大会に出場。2年の秋から主将を務めたが、翌1992年の春と夏の甲子園全国大会出場を逃した。
1993年に青山学院大学へ進学後も遊撃手として同大学野球部でプレー。1年からリーグ戦に出場し春のリーグ戦では優勝がかかった5月19日の駒澤大学戦にて、1点リードされた8回に走者2人を置いて(この時の走者の1人はプロでもチームメイトになる小久保裕紀)井口が逆転決勝点となる二点適時打を放ちそのまま勝利。青山学院大学としては7季ぶり3度目のリーグ優勝を果たした。1996年、4年の春から秋まで主将を務める。同年にはアトランタオリンピックで野球日本代表に選ばれ、銀メダル獲得に貢献した。オリンピックにてキューバ代表のプレーに衝撃を受けたことが、後のメジャー挑戦を意識するきっかけになった[6]。
大学時代は、同期のチームメイトである澤崎俊和、清水将海、倉野信次などと一緒に全日本大学野球選手権大会の優勝を始め、多くの輝かしい実績を残した。個人としても、1番・遊撃手の「青い核弾頭」として活躍した。大学2年次の1994年秋には東都大学リーグ史上2人目となる三冠王(1972年秋に中大藤波行雄が達成)となり、同94年秋にリーグ記録となる1シーズン8本塁打を記録[注釈 3]。翌1995年にマークした年間最多本塁打記録の12本(1995年春7本・秋5本)は、通算最多本塁打記録の24本と共に2023年現在まで破られていない[注釈 4]。大学通算成績は101試合出場、366打数、103安打、打率.281、24本塁打、61打点、32盗塁。また、最高殊勲選手2回、ベストナイン4回の受賞の経験がある。
同年のNPBドラフト会議前には読売ジャイアンツ(巨人)や中日ドラゴンズ、ヤクルトスワローズ、横浜ベイスターズ、福岡ダイエーホークス、西武ライオンズなどが井口に関心を示していたが、井口は中学時代から当時中日に所属していた立浪の熱烈なファンだったことや、中日が遊撃手のポジションを空けており、入団1年目から即レギュラー起用を確約していたことから、一時は中日有利と伝えられていた[7]。また井口は関東出身であることから九州本拠地のダイエーに難色を示しており、巨人が有利とする見方もあった[5]。しかしダイエーも青山学院大学の先輩である小久保に続く福岡ドームの目玉選手として井口獲得に全力を尽くし[7]、井口本人はドラフト会議直前の11月になってダイエーを逆指名し[8]、同会議当日にダイエーから1位で指名された。契約金1億円、出来高払い5000万円、年俸1300万円(金額は推定)で入団した[9]。背番号は「7」に決まった。
大学のチームメイトでは澤崎が広島東洋カープ1位(逆指名)、清水が千葉ロッテマリーンズ1位(逆指名)でそれぞれ入団し、同一大学から同時に3人の逆指名選手・ドラフト1位選手を輩出している。
2007年7月27日には右手を骨折したチェイス・アトリーの代役として、マイケル・ダビーとのトレードでフィラデルフィア・フィリーズへ移籍した。
フィリーズではアトリーの復帰までは先発で二塁手を務めたが、アトリーの復帰後は監督のチャーリー・マニエルから三塁手への転向を勧められたが、これを固辞。そのため、主に代打での出場となり、フィリーズ移籍後は打率.304を残した。ポストシーズン終了後には「現在は永住権を申請中であり、来季は二塁手のレギュラーとして起用してもらえるチームを中心に移籍先を探す。」と言う発言をした。
2007年12月18日にサンディエゴ・パドレスと1年385万ドルで契約を結んだ。
2008年9月5日に前年に所属したフィリーズと契約。その後フィリーズはポストシーズンに進出。井口の入団はポストシーズン出場選手登録期限後のため出場資格はなかったが、同年にフィリーズに所属していた田口壮と一緒に2個目のチャンピオンリングを手にすることになった。
2017年10月12日、2018年シーズンからロッテの一軍監督を務めることが球団から発表された。メジャーリーグ経験の日本人選手はコーチや二軍監督もあるが一軍監督になるのは初めてとなる[43][44]。井口は球団のオフィシャルサイトで「これから始まる新たな挑戦に今はとてもワクワクしています。マリーンズというチームの良さをどのように出せばいいか。どう変えていくべきか。もうすでに色々なことが頭の中を駆け巡っています。強く、そしてファンの皆様に愛される魅力的なチームを作り上げたいと考えていますので応援の程、宜しくお願いします。」とコメントした[45]。同14日に就任会見が行われ、監督としての背番号は現役時代と同じ「6」を使用することとなった。ヘッド兼内野守備走塁コーチに鳥越裕介、戦略兼バッテリーコーチに的場直樹、バッテリーコーチに清水将海、二軍監督に今岡真訪を招聘した[46]。
2018年は、先発の涌井秀章、石川歩に加え、新加入のマイク・ボルシンガーが外国人投手最多タイとなる11連勝[47]をするなど機能。交流戦を11勝7敗の3位で終え、前半戦もリーグ5位ながら40勝38敗2分と貯金を作った。 しかし後半戦に入ると、リードオフマンの荻野貴司、石川、ボルシンガーが離脱、主力の穴を埋められないまま借金が嵩んだ[48]。9月27日にBクラスが確定[49]し、シーズンの成績としてはパ全5球団に負け越し、順位は5位に終わった[50]。ただ、中村奨吾が「3番・二塁手」に定着しゴールデングラブ賞を獲得、井上晴哉が「4番・一塁手」に定着し24本塁打、ルーキーの藤岡裕大が遊撃手に定着し規定打席に到達。チーム盗塁数が78→124と飛躍的に向上するなど成果も見られた[48]。
2019年は、シーズン終盤まで楽天とCS進出を争っていたが、9月24日の埼玉西武ライオンズ戦に敗れ、西武の胴上げを目の前で許した[51]上、シーズンのBクラスが確定した[52]。ソフトバンクに17勝8敗と大きく勝ち越し、CSを争った楽天、日本ハムに勝ち越したが、最下位オリックスに9勝15敗1分、連覇した西武には8勝16敗1分で大きく負け越し。順位は4位で2年連続Bクラスだった。9月9日のソフトバンク戦では現役通して初の退場処分となった[53]。
2020年は、開幕からオリックス相手に同一カード6連勝するなど開幕ダッシュに成功。8月21日にはソフトバンクを下しパ・リーグ単独首位に立つなど、ソフトバンクとの熾烈な首位争いをしたが、チーム内に新型コロナウイルス感染者がいたことが発覚し一部主力メンバーが離脱。その影響もあり10月に失速して首位と13ゲーム差の2位だった。4年ぶりのAクラス、13年ぶりの2位と躍進したが、ソフトバンクとのクライマックスシリーズではエラーから流れを掴まれ2連敗を喫して敗退。オリックスにはパ・リーグ初の6連戦6連勝をするなど勝ち越したが、西武、楽天には負け越した。
2021年は、開幕ダッシュに失敗したが、4・5月には復調して西武・オリックスとAクラス争いを繰り広げた。6月は交流戦で苦戦して負け越したが、7月に入ると復調し、前半戦は3位で終えた。後半戦は好調で、9月5日にはオリックスを追い抜いて首位に浮上したが最終的に2.5ゲーム差で2年連続2位となった。クライマックスシリーズは3位の楽天に1勝1分でファイナルステージ進出を決めたが、オリックスの前に2敗1分で敗退。11月16日に、2022年も監督を続投することが発表された[54]。
2022年、ルーキーの松川虎生を高卒新人捕手としては史上3人目となる開幕スタメンに抜擢[55]し、4月10日のオリックス戦には佐々木朗希とバッテリーを組ませたことで、 「最年少(合計年齢)のピッチャーとキャッチャーによる完全試合」のギネス記録達成に繋がった[56]。 7月21日の埼玉西武戦で、監督通算300勝を達成[57]。しかし9月27日にチーム3年ぶりのBクラスが確定した[58]。
10月2日、同年シーズン限りで辞任することを発表した。辞任に関しては、球団側からコーチ陣の刷新を求められたことが判断に繋がり、コーチや選手など、球団関係者のほとんども当日まで知らなかった[59]。最終戦となったソフトバンク戦(ZOZOマリン)後に行われたセレモニーで、「3年ぶりのBクラスとなったのは、全て私の責任です。今季退任して次の指揮官にバトンを託したい」と表明した[60]。
ダイエー時代の監督である王貞治によると右方向への長打が特徴である[61]。メジャーリーグではクリーンアップへの繋ぎを求められる2番での出場が多かった。ホワイトソックス時代はチームの方針からほぼ毎打席1ストライクを捨てながらも20本近い本塁打を放ち、A.J.ピアジンスキーから「打順が変われば、25本塁打まで打てる力がある」と言われ[62]、他チームのスカウトマンたちからも「2番ではなく、6番を打たせれば、30本塁打まで打てる力がある」と長打力が高く評価されていた[63]。ロッテ移籍当初は4番や2番で出場したが、後に3番に定着した。2010年には12チームトップのIsoD.118[64]を記録するなど、ロッテ移籍後は選球眼に磨きがかかり、また、同年は外角打率.313で12本塁打を放つなど、外角に強さを発揮した[64]。
一塁到達4.3秒だが[65]、ダイエー時代は通算盗塁成功率約78%を記録し、2度の盗塁王を獲得している。メジャーリーグ移籍以降は盗塁数が減少した。
2000年までは遊撃手を務めていたが、2000年秋のキャンプから二塁手のコンバートに取り組んだ。一塁への送球距離が短くなったことで、無理に前進せずにボールを引き付けて捕球するケースが増え、打席でも「前に突っ込まなくなった」という[66]。二塁手としては3度ゴールデングラブ賞に輝いた。
守備では深めの位置で守ることが多く、肩の強さは二塁手としてはメジャーでも強肩の部類に入ると評された[65]。ジミー・ロリンズは井口と初めて二遊間を組んだ際、「あの日は練習時間を間違えて球場入りしてしまったんだ。練習や打ち合わせなしで本番に臨んだ。でも、初回から彼のプレーを見て、『本物だ。それに僕と感覚が似ている。僕と同じで基本の枠を越えてプレー出来る選手だな』と実感した。素晴らしいね」と語った[67]。2006年には『ベースボール・アメリカ』誌で監督投票による「最も守備に定評がある内野手」の2位に選ばれるなど、グラブ捌きにも定評があったが[68]守備範囲は広くなく[65]、MLB通算UZRは-4.3、DRSは-5を記録するなど、各種守備指標で平均を下回り[69]、ロッテ移籍後も得点換算などで平均を大きく下回った[70]。
2013年は一塁手として99試合に出場し、規定試合数に到達したが[71]、UZRでは400イニング以上出場した一塁手としてはリーグワースト2位となる-5.2と平均を下回っている[72]。2015年にも一塁手としてリーグワーストのUZRを記録した[73]。
就任会見では、「走れる選手が非常に多いと思っていますので、もっともっと足を使った野球をやっていきたい。足に関しては好不調というのはないので、もう少し機動力を使った野球を増やせていけば、持ち味が発揮できるのではないかと思います」と、本塁打の出にくいZOZOマリンスタジアムの特性を考慮し、機動力の向上を促進した。就任した2018年はリーグ2位のチーム盗塁数124、ホームランラグーンを設置した2019年はリーグ4位の75盗塁と減少したが、2020年はリーグ3位の87盗塁、2021年(107盗塁)と2022年(132盗塁)は2年連続でチーム盗塁数が100を超え、リーグトップとなり、2021年は荻野貴司と和田康士朗、2022年は髙部瑛斗が盗塁王に輝いた。足の遅い選手や、ファームの選手に対しても、積極的な走塁意識を浸透させた[74]。また、「ヒットと四球は同じ」という考えのもと、四球を獲得する意識を打者に浸透させ、2020年のロッテはチーム打率がリーグ最下位(.235)ながらリーグトップの491四球を記録し、チーム出塁率はリーグ3位(.329)だった[75]。
また、選手起用においても若手の抜擢が目立った。次世代の和製大砲育成のため2020年は当時21歳の安田尚憲を86試合連続で4番打者として起用[76]、翌年には球団史上最年少となる開幕4番スタメンを与えた[77]。
現役時代に使用していたバッティンググローブはアシックス社製の「隈取」が甲に描かれたWAJIKARAシリーズ[79]。
西武時代の松坂大輔との対戦では通算で打率.365(85打数、31安打、3本塁打、9打点)を残して得意としていたことから、「松坂キラー」と呼ばれた[6]。
ホワイトソックス時代には本拠地のUSセルラー・フィールドで井口が打席に入る時や好プレーをした時になると、ブーイングに似た「GUU-! GUU-!」という唸り声をホームの観客が発した。これは「グーイング(guing[要出典])」と呼ばれる井口への応援である。現地では「イグチ(井口)」の「グ」にアクセントが置かれた特徴的な発音で呼ばれることが多く、これに由来する[6]。
ロッテでは、“背中でアドバイスをする”その姿勢から“お父さん”と評されていた(角中勝也談)[80][81]。
週刊文春(2018年12月20日号)によると1997年オフに5歳上の女性と入籍したが2015年に離婚、2018年10月に18歳下の女性と再婚したことが報じられた[82]。
年 度 | 球 団 | 試 合 | 打 席 | 打 数 | 得 点 | 安 打 | 二 塁 打 | 三 塁 打 | 本 塁 打 | 塁 打 | 打 点 | 盗 塁 | 盗 塁 死 | 犠 打 | 犠 飛 | 四 球 | 敬 遠 | 死 球 | 三 振 | 併 殺 打 | 打 率 | 出 塁 率 | 長 打 率 | O P S |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1997 | ダイエー | 76 | 252 | 217 | 31 | 44 | 6 | 3 | 8 | 80 | 23 | 3 | 3 | 2 | 1 | 24 | 0 | 8 | 67 | 4 | .203 | .304 | .369 | .673 |
1998 | 135 | 476 | 421 | 58 | 93 | 18 | 4 | 21 | 182 | 66 | 12 | 6 | 15 | 4 | 28 | 1 | 8 | 121 | 6 | .221 | .280 | .432 | .712 | |
1999 | 116 | 424 | 370 | 38 | 83 | 15 | 1 | 14 | 142 | 47 | 14 | 7 | 4 | 3 | 38 | 1 | 9 | 113 | 13 | .224 | .310 | .384 | .694 | |
2000 | 54 | 185 | 162 | 21 | 40 | 9 | 2 | 7 | 74 | 23 | 5 | 2 | 5 | 1 | 15 | 0 | 2 | 29 | 5 | .247 | .317 | .457 | .774 | |
2001 | 140 | 636 | 552 | 104 | 144 | 26 | 1 | 30 | 262 | 97 | 44 | 9 | 9 | 2 | 61 | 0 | 12 | 117 | 14 | .261 | .346 | .475 | .821 | |
2002 | 114 | 472 | 428 | 64 | 111 | 14 | 1 | 18 | 181 | 53 | 21 | 7 | 5 | 2 | 27 | 0 | 10 | 84 | 8 | .259 | .317 | .423 | .740 | |
2003 | 135 | 617 | 515 | 112 | 175 | 37 | 1 | 27 | 295 | 109 | 42 | 6 | 1 | 6 | 81 | 2 | 14 | 81 | 10 | .340 | .438 | .573 | 1.011 | |
2004 | 124 | 574 | 510 | 96 | 170 | 34 | 2 | 24 | 280 | 89 | 18 | 5 | 0 | 8 | 47 | 2 | 9 | 90 | 14 | .333 | .394 | .549 | .943 | |
2005 | CWS | 135 | 581 | 511 | 74 | 142 | 25 | 6 | 15 | 224 | 71 | 15 | 5 | 11 | 6 | 47 | 0 | 6 | 114 | 16 | .278 | .342 | .438 | .780 |
2006 | 138 | 627 | 555 | 97 | 156 | 24 | 0 | 18 | 234 | 67 | 11 | 5 | 8 | 2 | 59 | 0 | 3 | 110 | 7 | .281 | .352 | .422 | .774 | |
2007 | 90 | 377 | 327 | 45 | 82 | 17 | 4 | 6 | 125 | 31 | 8 | 1 | 1 | 3 | 44 | 1 | 2 | 65 | 5 | .251 | .340 | .382 | .722 | |
PHI | 45 | 156 | 138 | 22 | 42 | 10 | 0 | 3 | 61 | 12 | 6 | 1 | 1 | 3 | 13 | 0 | 1 | 23 | 1 | .304 | .361 | .442 | .803 | |
'07計 | 135 | 533 | 465 | 67 | 124 | 27 | 4 | 9 | 186 | 43 | 14 | 2 | 2 | 6 | 57 | 1 | 3 | 88 | 6 | .267 | .347 | .400 | .747 | |
2008 | SD | 81 | 330 | 303 | 29 | 70 | 14 | 1 | 2 | 92 | 24 | 8 | 1 | 1 | 0 | 26 | 0 | 0 | 75 | 11 | .231 | .292 | .304 | .596 |
PHI | 4 | 7 | 7 | 0 | 2 | 1 | 0 | 0 | 3 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | .286 | .286 | .429 | .715 | |
'08計 | 85 | 337 | 310 | 29 | 72 | 15 | 1 | 2 | 95 | 24 | 8 | 1 | 1 | 0 | 26 | 0 | 0 | 75 | 11 | .232 | .292 | .306 | .598 | |
2009 | ロッテ | 123 | 530 | 448 | 71 | 126 | 24 | 3 | 19 | 213 | 65 | 4 | 4 | 0 | 1 | 68 | 2 | 13 | 101 | 11 | .281 | .391 | .475 | .866 |
2010 | 143 | 650 | 531 | 88 | 156 | 44 | 1 | 17 | 253 | 103 | 2 | 1 | 0 | 7 | 98 | 1 | 14 | 114 | 13 | .294 | .412 | .476 | .888 | |
2011 | 140 | 597 | 509 | 52 | 135 | 23 | 3 | 9 | 191 | 73 | 1 | 1 | 0 | 7 | 72 | 4 | 9 | 96 | 11 | .265 | .362 | .375 | .737 | |
2012 | 140 | 578 | 505 | 58 | 129 | 30 | 1 | 11 | 194 | 60 | 3 | 1 | 0 | 4 | 53 | 3 | 16 | 99 | 11 | .255 | .343 | .384 | .727 | |
2013 | 135 | 566 | 485 | 68 | 144 | 31 | 2 | 23 | 248 | 83 | 4 | 3 | 0 | 4 | 67 | 2 | 10 | 81 | 13 | .297 | .390 | .511 | .902 | |
2014 | 109 | 408 | 357 | 35 | 85 | 24 | 0 | 10 | 139 | 49 | 1 | 0 | 0 | 3 | 40 | 3 | 8 | 74 | 7 | .238 | .326 | .389 | .715 | |
2015 | 87 | 250 | 227 | 21 | 56 | 17 | 1 | 6 | 93 | 28 | 1 | 0 | 0 | 0 | 21 | 0 | 2 | 65 | 4 | .247 | .316 | .410 | .726 | |
2016 | 79 | 176 | 152 | 13 | 39 | 8 | 0 | 5 | 62 | 34 | 1 | 0 | 0 | 3 | 19 | 0 | 2 | 50 | 1 | .257 | .341 | .408 | .749 | |
2017 | 65 | 144 | 123 | 9 | 30 | 7 | 0 | 2 | 43 | 15 | 0 | 0 | 0 | 2 | 19 | 1 | 0 | 27 | 4 | .244 | .340 | .350 | .690 | |
NPB:17年 | 1915 | 7535 | 6512 | 939 | 1760 | 367 | 26 | 251 | 2932 | 1017 | 176 | 55 | 41 | 58 | 778 | 22 | 146 | 1409 | 149 | .270 | .358 | .450 | .808 | |
MLB:4年 | 493 | 2078 | 1841 | 267 | 494 | 91 | 11 | 44 | 739 | 205 | 48 | 13 | 22 | 14 | 189 | 1 | 12 | 387 | 40 | .268 | .338 | .401 | .739 |
年 度 | 年 齢 | 機 構 | リ | グ | 打 率 | 安 打 | 二 塁 打 | 三 塁 打 | 本 塁 打 | 打 点 | 盗 塁 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1997 | 23 | NPB | パ・リーグ | - | - | - | - | - | - | - |
1998 | 24 | - | - | - | 5位 | - | - | - | ||
1999 | 25 | - | - | - | - | - | - | 6位 | ||
2000 | 26 | - | - | - | - | - | - | - | ||
2001 | 27 | - | - | - | - | - | 7位 | 1位 | ||
2002 | 28 | - | - | - | - | - | - | 3位 | ||
2003 | 29 | 4位 | 4位 | 4位 | - | - | 5位 | 1位 | ||
2004 | 30 | 4位 | 3位 | 4位 | - | - | 8位 | 4位 | ||
2005 | 31 | MLB | ア・リーグ | - | - | - | 7位 | - | - | - |
2006 | 32 | - | - | - | - | - | - | - | ||
2007 | 33 | - | - | - | - | - | - | - | ||
2007 | 33 | ナ・リーグ | - | - | - | - | - | - | - | |
2008 | 34 | - | - | - | - | - | - | - | ||
2009 | 35 | NPB | パ・リーグ | - | - | - | - | - | - | - |
2010 | 36 | - | - | 1位 | - | - | 2位 | - | ||
2011 | 37 | - | - | 10位 | - | - | 8位 | - | ||
2012 | 38 | - | - | 2位 | - | 7位 | 8位 | - | ||
2013 | 39 | - | - | 4位 | - | 7位 | 9位 | - | ||
2014 | 40 | - | - | - | - | - | - | - | ||
2015 | 41 | - | - | - | - | - | - | - | ||
2016 | 42 | - | - | - | - | - | - | - | ||
2017 | 43 | - | - | - | - | - | - | - |
年 度 | 球 団 | 一塁(1B) | 二塁(2B) | 遊撃(SS) | |||||||||||||||
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試 合 | 刺 殺 | 補 殺 | 失 策 | 併 殺 | 守 備 率 | 試 合 | 刺 殺 | 補 殺 | 失 策 | 併 殺 | 守 備 率 | 試 合 | 刺 殺 | 補 殺 | 失 策 | 併 殺 | 守 備 率 | ||
1997 | ダイエー | - | - | 69 | 85 | 187 | 3 | 27 | .989 | ||||||||||
1998 | - | - | 134 | 193 | 382 | 10 | 75 | .983 | |||||||||||
1999 | - | - | 110 | 155 | 304 | 15 | 57 | .968 | |||||||||||
2000 | - | - | 53 | 69 | 120 | 8 | 20 | .959 | |||||||||||
2001 | - | 140 | 330 | 449 | 5 | 93 | .994 | - | |||||||||||
2002 | - | 114 | 219 | 350 | 6 | 70 | .990 | - | |||||||||||
2003 | - | 133 | 293 | 406 | 10 | 95 | .986 | - | |||||||||||
2004 | - | 123 | 251 | 378 | 6 | 79 | .991 | - | |||||||||||
2005 | CWS | - | 133 | 234 | 375 | 14 | 84 | .978 | - | ||||||||||
2006 | - | 136 | 269 | 371 | 8 | 76 | .988 | - | |||||||||||
2007 | - | 90 | 188 | 247 | 6 | 66 | .986 | - | |||||||||||
PHI | - | 31 | 72 | 90 | 0 | 30 | 1.000 | - | |||||||||||
'07計 | - | 121 | 260 | 337 | 6 | 96 | .990 | - | |||||||||||
2008 | SD | - | 77 | 142 | 204 | 1 | 54 | .997 | - | ||||||||||
PHI | - | 1 | 1 | 2 | 0 | 0 | 1.000 | - | |||||||||||
'08計 | - | 78 | 143 | 206 | 1 | 54 | .997 | - | |||||||||||
2009 | ロッテ | - | 102 | 268 | 311 | 7 | 54 | .988 | - | ||||||||||
2010 | - | 143 | 306 | 368 | 7 | 84 | .990 | - | |||||||||||
2011 | - | 140 | 266 | 410 | 7 | 63 | .990 | - | |||||||||||
2012 | - | 128 | 269 | 359 | 10 | 64 | .984 | - | |||||||||||
2013 | 99 | 764 | 53 | 5 | 61 | .994 | 15 | 22 | 36 | 1 | 3 | .983 | - | ||||||
2014 | 80 | 561 | 54 | 4 | 40 | .994 | - | - | |||||||||||
2015 | 53 | 327 | 18 | 6 | 41 | .983 | - | - | |||||||||||
2016 | 43 | 266 | 17 | 3 | 15 | .990 | - | - | |||||||||||
NPB:16年 | 275 | 1918 | 142 | 18 | 157 | .991 | 1037 | 2224 | 3067 | 59 | 605 | .989 | 366 | 502 | 993 | 36 | 179 | .976 | |
MLB:4年 | - | 468 | 906 | 1289 | 29 | 310 | .987 | - |
この選手の記録に関する文献や情報源が必要です。 (2013年7月) |
年 度 | 球 団 | 大 会 名 | 相 手 | 勝 敗 |
---|---|---|---|---|
2020 | ロッテ | パ・リーグクライマックスシリーズ | 福岡ソフトバンクホークス(パ・リーグ1位) | 0勝3敗=敗退 (※1) (※2) |
2021 | パ・リーグクライマックスシリーズ ファーストステージ | 東北楽天ゴールデンイーグルス(パ・リーグ3位) | 1勝0敗1分=ファイナルステージ進出 | |
パ・リーグクライマックスシリーズ ファイナルステージ |
オリックス・バファローズ(パ・リーグ1位) | 0勝3敗1分=敗退 (※1) |
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