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日本の俳優 (1940-2021) ウィキペディアから
東京府東京市[6]麹町区永田町[注釈 1]出身[4][11]。麹町中学校、専修大学附属高等学校卒業[4][11]。二瓶事務所を経て[2]、メセナに所属していた[5]。
実父はドイツ人[9][10]。映画が好きであったことから、高校3年生時に俳優を志し東宝芸能学校の夜間部に入る[12]。
1960年に東宝第15期生ニューフェースとなり、しばらくは大部屋生活が続く[4]。1961年、岡本喜八監督作『暗黒街の弾痕』の「殺し屋B」でデビュー。コミカルな役柄を得意とし、東宝の専属俳優として活躍した。特に岡本喜八作品の常連となる。1962年に『妖星ゴラス』で特撮作品に初出演[13]。宇宙パイロット役を演じるが、本格的な東宝特撮映画出演はこの1本に留まった。1963年には若大将シリーズ『ハワイの若大将』で運動部のマネージャー江口役に
1966年、『ウルトラマン』(TBSテレビ / 円谷プロダクション)で科学特捜隊のイデ隊員役に起用された[3]。コミカルで人間味豊かなキャラクターは高い人気を得て二瓶自身の代表作となった[6]。その後も『マイティジャック』(1968年)、アニメ『ザ☆ウルトラマン』(1979年)では前述のイデ隊員を意識したトベ隊員の声を担当するなど、円谷プロダクション作品に出演することとなる。
テレビドラマと並行して、引き続きクレージー映画などに出演していたが、1969年に東宝を退社[11]。フリーとなり、大きな身体とにぎやかな声を活かして『ぎんざナイトナイト』などのテレビ番組の司会やCMなどで幅広く活躍[4]。
1980年代後半に鎌倉市に引っ越し、1990年代には不動産業などの実業家としての活動が中心となり、芸能活動は控えるようになった[9][10]。しかし、1990年代半ばにはウルトラシリーズブームの再燃もあり、再び円谷プロダクション作品に顔を出すようになる。1997年に『総理と呼ばないで』(フジテレビ)で久々のドラマレギュラー出演を果たした。2005年には『ウルトラマンマックス』にダテ博士役でセミレギュラー出演した。近年はビルオーナーをしており、芸能関連の仕事はウルトラマン関係のイベントが多かった。
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