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日本の女性作詞家、元女優、歌手 ウィキペディアから
中里 綴(なかさと つづる、1951年3月15日 - 1988年3月5日)は、日本の作詞家、元女優・歌手である[1][2][3][4][5]。
本名は神田 恵美(かんだ えみ)、女優時代の芸名は江美 早苗(えみ さなえ)、作詞家としての別名に神田 エミ(かんだ えみ)がある[1][2][3][4][5][6]。日本音楽著作権協会の全信託会員であり、没後についても同協会が音楽著作権を管理している。元夫に殺害された。
1951年(昭和26年)3月15日、島根県松江市に生まれる[1][2][3][4]。実家は老舗旅館であり、4人兄弟の末っ子であった[3][4]。
6歳からバレエを習い始め、小学2年生になった1958年(昭和33年)、西野バレエ団に入団する[1][3][4]。1966年(昭和41年)3月、松江市内の中学校卒業後、4月、島根県立松江北高等学校に進学するも、親の反対を押し切り同校を中途退学して東京に移り、同バレエ団で活躍、やがて金井克子、由美かおる、奈美悦子、原田糸子と並ぶ5人娘と呼ばれるようになる[1][3][4]。江美早苗の名で、1967年(昭和42年)に同バレエ団のメンバーで結成されたダンスグループ「レ・ガールズ」に参加、8月4日に放映開始した音楽バラエティ番組『レ・ガールズ』(日本テレビ)にレギュラー出演、1968年(昭和43年)3月16日に公開された劇場用映画『ミニミニ突撃隊』や9月15日に公開された『初恋宣言』に「レ・ガールズ」のメンバーとともに出演する[2][3][6]。1968年にはフィリップスレコードと歌手として専属契約し、2月5日、シングルレコード『涙でかざりたい』でソロ歌手としてデビューしている。
1971年(昭和46年)1月31日に放送開始し現在もつづく長寿番組『新婚さんいらっしゃい!』の初代司会に満19歳で抜擢され、月亭可朝・桂三枝との3人でスタートを切った[7][8]。7月11日の放送分を最後に同番組を降板、翌週からの2代目司会梓みちよに交代した。6月16日に公開された『呪いの館 血を吸う眼』(監督:山本迪夫)は、女優としての江美の代表作とされる[3]。10月に発売されたシングル『ふたりの歓び』を最後に歌手活動を終えている。合計7枚のシングルを発表した。この間に、通信教育を受け、日本放送協会学園高等学校(現在のNHK学園高等学校)を卒業した[3]。
1973年(昭和48年)9月、東京に戻り、作詞家としての再スタートを切る[3][5]。
1974年(昭和49年)6月には、田山雅充が結成したグループ「赤い花」のデビューシングル「赤い花みつけた」のB面曲『今愛の中で』(作曲:田山雅充、キャニオンレコード)に中里綴の名で歌詞を提供している[3]。1975年(昭和50年)には、田山の新しいデュオ「たやまと夕子」に『暮れそで暮れない黄昏どきは』を提供している。1975年、南沙織が当時のキャニオンレコード(現在のポニーキャニオン)のディレクターであった屋代に作詞の相談に訪れたことがきっかけとなり[5]、『暮れそで暮れない黄昏どきは』を『人恋しくて』と改題、南沙織の8月1日発売のシングルとして、CBSソニーレコード(現在のソニーレコード)から発売された[3][5]。南は、本作によって第17回日本レコード大賞歌唱賞を受賞、同曲で『第26回NHK紅白歌合戦』に5回目の出場を果たしている[3][5]。その後も多く田山と組み、田山の翌1976年(昭和51年)2月26日に発売されたソロデビューシングル「春うらら」では、補作詞でクレジットされている。
以降、作詞家としての地位を築き[5]、1978年(昭和53年)5月5日に発売された伊藤咲子のシングル「寒い夏」につづき、7月5日に発売された伊藤のアルバム『おるごおる』の全曲作詞を務めた。
1980年代にかけて、沢田聖子、中森明菜、堀ちえみらの楽曲の作詞を手がけた[5]。作詞家としての再出発以来8年の同棲生活を経て、1981年(昭和56年)3月、元フィリップスレコード社員で音楽プロデューサーとして独立していた14歳年上の男性と結婚する[4][5][9]も、1985年(昭和60年)12月協議離婚している[4][5][9]。
1986年(昭和61年)3月以降に発表された楽曲について、神田エミの名を使用するようになった。同名義では、1986年、少年隊のミュージカル『ミュージカルPLAYZONE “MYSTERY”』の6曲の作詞を手がけ、同ミュージカルで組んだ作曲家の井上堯之と組んで、萩原健一の『GIMME YOUR LOVE』を手がけている。
1988年(昭和63年)3月5日、復縁を要求してつきまとい、かねてからストーカー行為を行っていた元夫が、東京都品川区上大崎の自宅マンションにバスルームの窓を破壊して侵入し、刃渡り20センチメートルの牛刀および登山ナイフで全身22か所を滅多刺しにされ致命的な傷害を受けた[4][5][9]。元夫は離婚後もしつこくつきまとったり嫌がらせ電話をかけたりしていたため、江美は大崎署に相談していた[10]。近くの病院に運ばれたが、3月5日19時5分、死去した[1][4][5][9] [11]。満36歳没。元夫は屋上に籠城し、翌日0時28分に逮捕、5月17日には東京地方裁判所で初公判が行われ、裁判の結果、懲役12年の実刑判決が下り、服役した[4][9][12]。中里の暮らしたマンションは解体・再開発され、2003年(平成15年)に22階建ての高層マンションに建替えられた。元夫はすでに刑期を満了して出所しているが、その後の消息については明らかにされていない。
すべて江美早苗名義である[2]。
バラエティ番組3作を含む。
すべて江美早苗名義、製作・発売元はフィリップス・レコードである。
すべて1986年3月以降に使用された筆名である。
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