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兵庫県の市 ウィキペディアから
三田市(さんだし)は、兵庫県の南東部に位置する市。阪神北県民局管轄区域。本項では市制前の名称である有馬郡三田町(さんだちょう)についても述べる。
さんだし 三田市 | |||||
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国 | 日本 | ||||
地方 | 近畿地方 | ||||
都道府県 | 兵庫県 | ||||
市町村コード | 28219-7 | ||||
法人番号 | 8000020282197 | ||||
面積 |
210.32km2 | ||||
総人口 |
104,829人 [編集] (推計人口、2024年8月1日) | ||||
人口密度 | 498人/km2 | ||||
隣接自治体 | 神戸市、宝塚市、三木市、加東市、丹波篠山市、川辺郡猪名川町 | ||||
市の木 | アカマツ | ||||
市の花 | サツキ | ||||
マスコット | キッピー | ||||
三田市役所 | |||||
市長 | 田村克也 | ||||
所在地 |
〒669-1595 兵庫県三田市三輪二丁目1番1号 北緯34度53分24秒 東経135度13分32秒 | ||||
外部リンク | 公式ウェブサイト | ||||
ウィキプロジェクト |
摂津国が丹波国・播磨国と国境を接している阪神地域の北側に位置している。「阪神地域」と称される地域のうちでは比較的豊かな自然が残っている田園都市である。
兵庫県南東部、六甲山地の北側に位置する。かつては田園風景の広がる典型的な農村の様相を呈していたが、1980年代からの大規模住宅団地の開発と、JR福知山線の複線電化の利便性向上により大阪・神戸の衛星都市として急激な発展を遂げた。今日では都市と農村の二つの顔を併せ持つ田園都市とカルチャータウンを始め、ウッディタウンやフラワータウンなどの高級住宅街を有する住宅都市となっている。瀬戸内海式気候に属すると言われるが、内陸部に位置するため気温の寒暖差は比較的大きい。市内の標高最高地点は峰山の697m、最低標高地点は116mであり、市内の北部や東部は山岳地帯である。郵便番号は669-13XX〜15XX。 [1]
1958年10月1日に市制施行時に初めて統計を取った時の人口は32673人であり、兵庫県での市で一番人口が少ない自治体であった。市制施行後も人口は横ばいであり、1985年10月1日の調査まで3万人台で推移していた。しかし、大阪のベッドタウンとして、北摂三田ニュータウン開発が始まったことにより、人口が急激に増加し、1985年に4万人、1990年に6万人、1991年に7万人、1993年に8万人、1996年には10万人を突破した。人口増加率は兵庫県はおろか10年連続日本一を記録した[2][3][4]。1999年10月1日の調査では11万395人を記録したが、その後は人口増加率が緩やかになった[4]。2010年の国勢調査で11万4220人になった後は減少傾向が続いている[4]。ニュータウン内に市内の人口の半分以上が居住している[5][6][7]。新規住民が少ない農村地域やフラワータウンの高齢化対策が課題となっている。
三田市と全国の年齢別人口分布(2005年) | 三田市の年齢・男女別人口分布(2005年) | |||||||||||||||||||||||||||||||||
■紫色 ― 三田市
■緑色 ― 日本全国 | ■青色 ― 男性 ■赤色 ― 女性 | |||||||||||||||||||||||||||||||||
三田市(に相当する地域)の人口の推移
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総務省統計局 国勢調査より |
1989年までの面積は211.90km2。1990年には210.34km2となり、1994年には210.22km2となった[1]。
三田(標高150m)の気候 | |||||||||||||
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月 | 1月 | 2月 | 3月 | 4月 | 5月 | 6月 | 7月 | 8月 | 9月 | 10月 | 11月 | 12月 | 年 |
最高気温記録 °C (°F) | 17.4 (63.3) |
20.8 (69.4) |
24.3 (75.7) |
29.1 (84.4) |
31.6 (88.9) |
35.4 (95.7) |
37.2 (99) |
38.4 (101.1) |
36.0 (96.8) |
32.1 (89.8) |
26.3 (79.3) |
22.1 (71.8) |
38.4 (101.1) |
平均最高気温 °C (°F) | 7.7 (45.9) |
8.7 (47.7) |
12.6 (54.7) |
18.5 (65.3) |
23.5 (74.3) |
26.5 (79.7) |
30.2 (86.4) |
31.8 (89.2) |
27.4 (81.3) |
21.7 (71.1) |
16.0 (60.8) |
10.3 (50.5) |
19.6 (67.3) |
日平均気温 °C (°F) | 2.5 (36.5) |
3.3 (37.9) |
6.8 (44.2) |
12.3 (54.1) |
17.5 (63.5) |
21.6 (70.9) |
25.5 (77.9) |
26.4 (79.5) |
22.3 (72.1) |
16.1 (61) |
10.0 (50) |
4.7 (40.5) |
14.1 (57.4) |
平均最低気温 °C (°F) | −2.2 (28) |
−1.8 (28.8) |
1.0 (33.8) |
5.9 (42.6) |
11.4 (52.5) |
17.1 (62.8) |
21.6 (70.9) |
22.1 (71.8) |
17.9 (64.2) |
11.0 (51.8) |
4.4 (39.9) |
−0.4 (31.3) |
9.0 (48.2) |
最低気温記録 °C (°F) | −10.1 (13.8) |
−9.5 (14.9) |
−6.3 (20.7) |
−2.8 (27) |
−1.2 (29.8) |
7.0 (44.6) |
12.6 (54.7) |
14.1 (57.4) |
7.6 (45.7) |
0.1 (32.2) |
−3.7 (25.3) |
−10.6 (12.9) |
−10.6 (12.9) |
降水量 mm (inch) | 41.7 (1.642) |
52.6 (2.071) |
92.8 (3.654) |
94.7 (3.728) |
125.5 (4.941) |
165.1 (6.5) |
171.1 (6.736) |
128.4 (5.055) |
165.5 (6.516) |
127.5 (5.02) |
66.5 (2.618) |
50.4 (1.984) |
1,281.8 (50.465) |
平均降水日数 (≥1.0 mm) | 5.8 | 6.8 | 9.8 | 9.4 | 10.1 | 11.4 | 10.5 | 8.4 | 10.3 | 8.5 | 6.4 | 6.6 | 104.0 |
平均月間日照時間 | 134.6 | 128.9 | 157.8 | 181.2 | 182.9 | 131.9 | 148.4 | 198.7 | 146.7 | 158.5 | 143.2 | 140.5 | 1,853.3 |
出典:気象庁 (平均値:1991年-2020年、極値:1978年-現在)[8][9] |
「金心寺の弥勒菩薩坐像の胎内に記された恩田・悲田・敬田の『三福田』に由来する」という説が旧『三田市史』などに掲載されているが、新版『三田市史』(2012年完結)編纂時の調査時には確認できず、現在は地域の伝承として扱われている。
音読みの「サン」に、訓読みの「だ」が接続するのは異例。なお、「三田村」の表記が確認できる最古の記録は、室町時代後期の寛正7年(1477年)の古文書[10]。
三田盆地は旧石器時代から、人々が暮らした痕跡がある。2万5千年前の遺跡である広野地区の溝口遺跡からはナイフ形石器のほか、縄文時代の石鏃などが出土している。ニュータウン開発で発見されたけやき台の有鼻遺跡や平方遺跡は弥生時代中期の遺跡で、ここからは畿内最古の鉄剣や鉄斧などの鉄器類や竪穴建物跡などが検出されている。古墳時代には武庫川と青野川が合流する流域は須恵器の産地となっていたようで、本庄地区の東仲古墳 、沢山1号墳など石室を持った古墳とともに須恵器の窯跡が検出されており、「末(すえ)」という地名は今も残っている。これは三田市の北西に隣接する丹波篠山市今田地区で生産されている立杭焼(丹波焼)の起源の一つと考えられている。また、青野川とともに青野ダムを形成する黒川沿いの小野地区にある伊勢貝遺跡は、縄文時代から平安時代にかけての集落の遺構が検出される複合遺跡である。
現在の市街地エリアに町が形成されたのは7・8世紀頃からと考えられる。三田地区・三輪地区一帯は7世紀以前から日本最古の神社と言われる大和国一ノ宮である大神神社の荘園となっており、大和国城上郡の松山氏が荘官として管理し通称「松山の庄」と呼ばれていた。また、金心寺が建立されると武庫川より南西部に門前町が形成された。
北東部の三輪地区はその後も大神神社の荘園であったが、14世紀の松山彈正が荘官の時、荘園制度が崩れ武装の必要性が生じ、有馬郡の三輪明神信仰の聖地となっていた丸山に城を築くと同時に三輪神社の社殿を奉納する。これにより三輪地区でも門前町を形成していき、武庫川を挟んで金心寺と三輪神社の門前町が融合する形で有馬郡の中心地へと発展していく。
平安時代から鎌倉時代にかけて市域の各地には多くの荘園が作られ、地頭である豪族が桑原城、貴志城、大原城などの小さな山城を築いて統治していた。
室町時代に播磨国守護だった赤松則村(円心)の四男・赤松氏範が有馬郡を領有し三田城(車瀬城)を築城する。その後も赤松氏を出自とする摂津有馬氏が領有していたが、戦国時代に織田信長の家臣だった荒木村重が摂津国を平定すると丹波国攻略のために三田を城下町として整備する。荒木村重が謀反を起こし織田信長に討たれると(有岡城の戦い)、信長の家臣・山崎片家が近江国から2万3千石で入封したことで三田藩が成立する。江戸時代には志摩国鳥羽藩から九鬼久隆が3万6千石で入封し、廃藩置県までの約240年間、九鬼氏が三田藩を統治した。
なお、北部の高平地区は多田源氏の所領として多田荘に属し、江戸時代は現在の大阪府豊中市に本拠を置いていた麻田藩の青木氏1万2千石の所領で、1896年(明治29年)に有馬郡に移管されるまで川辺郡に属していた。
市の木はアカマツ、市の花はサツキである。市の鳥は選定されていないが、市のマスコットの「キッピー」はキジがモチーフになっている。
町名 | 町名の読み | 町区域設定年月日 | 住居表示実施年月日 | 町区域設定前の町名等 | 住居表示実施前の町名等 |
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相生町 | あいおいちょう | ||||
藍本 | あいもと | 未実施 | |||
あかしあ台一丁目 | あかしあだい | ||||
あかしあ台二丁目 | |||||
あかしあ台三丁目 | |||||
あかしあ台四丁目 | |||||
あかしあ台五丁目 | |||||
池尻 | いけじり | 未実施 | |||
市之瀬 | いちのせ | 未実施 | |||
井ノ草 | いのくさ | 未実施 | |||
馬渡 | うまわたり | 未実施 | |||
永沢寺 | えいたくじ | 未実施 | |||
駅前町 | えきまえちょう | ||||
大川瀬 | おおかわせ | 未実施 | |||
大畑 | おおはた | 未実施 | |||
大原 | おおはら | 未実施 | |||
乙原 | おちばら | 未実施 | |||
小野 | おの | 未実施 | |||
学園一丁目 | がくえん | ||||
学園二丁目 | |||||
学園三丁目 | |||||
学園四丁目 | |||||
学園五丁目 | |||||
学園六丁目 | |||||
学園七丁目 | |||||
学園八丁目 | |||||
香下 | かした | 未実施 | |||
上相野 | かみあいの | 未実施 | |||
上青野 | かみあおの | 未実施 | |||
上井沢 | かみいさわ | 未実施 | |||
上内神 | かみうちがみ | 未実施 | |||
上槻瀬 | かみつきせ | 未実施 | |||
上深田 | かみふかた | 未実施 | |||
上本庄 | かみほんじょう | 未実施 | |||
加茂 | かも | 未実施 | |||
川除 | かわよけ | 未実施 | |||
川原 | かわら | 未実施 | |||
貴志 | きし | 未実施 | |||
北浦 | きたうら | 未実施 | |||
桑原 | くわばら | 未実施 | |||
けやき台一丁目 | けやきだい | ||||
けやき台二丁目 | |||||
けやき台三丁目 | |||||
けやき台四丁目 | |||||
けやき台五丁目 | |||||
けやき台六丁目 | |||||
木器 | こうづき | 未実施 | |||
小柿 | こがき | 未実施 | |||
酒井 | さかい | 未実施 | |||
さくら坂 | さくらざか | ||||
沢谷 | さわだに | 未実施 | |||
三田町 | さんだちょう | ||||
志手原 | しではら | 未実施 | |||
下相野 | しもあいの | 未実施 | |||
下青野 | しもあおの | 未実施 | |||
下井沢 | しもいさわ | 未実施 | |||
下内神 | しもうちがみ | 未実施 | |||
下里 | しもさと | 未実施 | |||
下田中 | しもたなか | 未実施 | |||
下槻瀬 | しもつきせ | 未実施 | |||
下深田 | しもふかた | 未実施 | |||
末 | すえ | 未実施 | |||
末吉 | すえよし | 未実施 | |||
鈴鹿 | すずか | 未実施 | |||
すずかけ台一丁目 | すずかけだい | ||||
すずかけ台二丁目 | |||||
すずかけ台三丁目 | |||||
すずかけ台四丁目 | |||||
須磨田 | すまだ | 未実施 | |||
対中町 | たいなかちょう | ||||
高次 | たかすぎ | 未実施 | |||
高次一丁目 | |||||
高次二丁目 | |||||
田中 | たなか | 未実施 | |||
中央町 | ちゅうおうちょう | ||||
つつじが丘北一丁目 | つつじがおかきた | ||||
つつじが丘北二丁目 | |||||
つつじが丘北三丁目 | |||||
つつじが丘北四丁目 | |||||
つつじが丘南一丁目 | つつじがおかみなみ | ||||
つつじが丘南二丁目 | |||||
つつじが丘南三丁目 | |||||
つつじが丘南四丁目 | |||||
テクノパーク | てくのぱーく | ||||
寺村町 | てらむらちょう | 未実施 | |||
天神一丁目 | てんじん | ||||
天神二丁目 | |||||
天神三丁目 | |||||
十倉 | とくら | 未実施 | |||
友が丘一丁目 | ともがおか | ||||
友が丘二丁目 | |||||
友が丘三丁目 | |||||
中内神 | なかうちがみ | 未実施 | |||
中町 | なかまち | ||||
長坂 | ながさか | 未実施 | |||
成谷 | なるたに | 未実施 | |||
西相野 | にしあいの | 未実施 | |||
西野上 | にしのがみ | 未実施 | |||
西山一丁目 | にしやま | ||||
西山二丁目 | |||||
尼寺 | にんじ | 未実施 | |||
狭間が丘一丁目 | はさまがおか | ||||
狭間が丘二丁目 | |||||
狭間が丘三丁目 | |||||
狭間が丘四丁目 | |||||
狭間が丘五丁目 | |||||
波豆川 | はずかわ | 未実施 | |||
八景町 | はっけいちょう | 未実施 | |||
東野上 | ひがしのがみ | 未実施 | |||
東本庄 | ひがしほんじょう | 未実施 | |||
東山 | ひがしやま | 未実施 | |||
広沢 | ひろさわ | 未実施 | |||
広野 | ひろの | 未実施 | |||
布木 | ふき | 未実施 | |||
福島 | ふくしま | 未実施 | |||
福島一丁目 | 2021年夏ごろ(予定) | 福島 | |||
福島二丁目 | |||||
福島三丁目 | |||||
富士が丘一丁目 | ふじがおか | ||||
富士が丘二丁目 | |||||
富士が丘三丁目 | |||||
富士が丘四丁目 | |||||
富士が丘五丁目 | |||||
富士が丘六丁目 | |||||
洞 | ほら | 未実施 | |||
溝口 | みぞぐち | 未実施 | |||
南が丘一丁目 | みなみがおか | ||||
南が丘二丁目 | |||||
宮脇 | みやわき | 未実施 | |||
三輪 | みわ | 未実施 | |||
三輪一丁目 | |||||
三輪二丁目 | |||||
三輪三丁目 | |||||
三輪四丁目 | |||||
武庫が丘一丁目 | むこがおか | ||||
武庫が丘二丁目 | |||||
武庫が丘三丁目 | |||||
武庫が丘四丁目 | |||||
武庫が丘五丁目 | |||||
武庫が丘六丁目 | |||||
武庫が丘七丁目 | |||||
武庫が丘八丁目 | |||||
母子 | もうし | 未実施 | |||
屋敷町 | やしきまち | ||||
山田 | やまた | 未実施 | |||
弥生が丘一丁目 | やよいがおか | ||||
弥生が丘二丁目 | |||||
弥生が丘三丁目 | |||||
弥生が丘四丁目 | |||||
弥生が丘五丁目 | |||||
弥生が丘六丁目 | |||||
ゆりのき台一丁目 | ゆりのきだい | ||||
ゆりのき台二丁目 | |||||
ゆりのき台三丁目 | |||||
ゆりのき台四丁目 | |||||
ゆりのき台五丁目 | |||||
ゆりのき台六丁目 | |||||
横山町 | よこやまちょう | ||||
四ツ辻 | よつつじ | 未実施 |
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三田駅前再開発により、新商業施設が2026年度に開業予定[22]。
通学区域の指定は市の公式HP[30]による。
市の代表駅として中心的な役割を担っているのは、三田駅である。
優等路線としては、市の中心部や住宅地と新神戸駅・神戸三宮駅・神戸空港を高速道路経由で結ぶ特急三ノ宮線があり、神戸方面も短時間で結ばれている。朝ラッシュ時は10分間隔で運行されており、JR線や神戸電鉄線と競合関係にある。大阪駅・新大阪駅方面の路線については、1999年に福知山高速線が廃止となったが、2018年より新大阪 - 三田線が運行されている。
三田市は1980年代からの北摂三田ニュータウン(フラワータウン・ウッディタウン・カルチャータウン・北摂三田テクノパークの4団地で構成)開発を軸に発展してきた。これらの都市開発は多摩や千里の問題点を改善して計画され、事業に長期間かけたのが特長である。開発面積の合計は1,200haにも及ぶ。さらに、これらの開発が呼び水となり市内では民間主導の開発が活発化した。ゴルフ場跡地やニュータウン近隣の山林造成などで宅地を開発するとともに、ニュータウンにならい○○タウンと称して分譲され、三田市が1988年から1997年まで10年連続で人口増加率日本一となる一因ともなった。2006年11月時点のニュータウンの人口は三田市人口のほぼ半数にあたる56,521人。2010年11月現在では58,721人となっている。
なお、北摂三田ニュータウンの既設4団地と、神戸市域の藤原台地区および北神戸第1〜3地区(神戸リサーチパーク)の4団地を足した計8団地は、総面積2,000haにおよぶ神戸三田国際公園都市と称される。
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