Loading AI tools
ウィキペディアから
フィルム・コミッション(Film Commission、略称:FC)とは、地域活性化を目的として、映像作品のロケーション撮影が円滑に行われるための支援を行う公的団体である[1]。具体的にはロケ撮影に際して、映像制作者と地域社会(自治体、施設所有者など)との間にフィルム・コミッションが入り、各種連絡・交渉などの調整係の役割を果たす[2]。映像作品は撮影時や上映による経済効果が大きいため、フィルム・コミッションが映像作品の誘致活動などを積極的に行うこともある。
フィルム・コミッションの主な業務は、ロケーションガイド(ロケーション・ハンティングの協力)、優遇措置の案内(自治体による優遇措置やキャンペーンの紹介)、許可の取得(施設使用許可等)、映像制作関連のリソース(撮影スタジオや録音スタジオの紹介、食事や資材の手配、宿泊場所や使用する自動車等に関する手配)などである[2]。このほかエキストラの募集、パンフレットの製作や配布、エキストラ用の食事の手配なども行う。
フィルム・コミッションは世界各国に存在しており、市町村レベルの小さな組織から、国レベルの大きな組織まで様々な形態が存在する[2]。
イギリスでは「スクリーン・エージェンシー」(Screen Agency)と呼ばれ[3]、UKフィルム・カウンシル(英語版Wikipediaへのリンク)の傘下団体として、イギリス全土に9つの組織が存在する(en:Regional_screen_agencies)。
世界のフィルム・コミッションの業界団体として、1975年に設立された国際フィルム・コミッション協会(略称:AFCI、事務局:アメリカ・モンタナ州ヘレナ)が存在する[2]。2006年の国際フィルム・コミッション協会の加盟メンバーは40か国299団体であり、アメリカ(167)、カナダ(29)の順に多く、ヨーロッパから58、アジアから17のメンバーが参加している[2]。
アジア地域のフィルム・コミッションを統括する組織として、2004年10月に設立されたアジアン・フィルム・コミッションズ・ネットワーク(略称:AFCNet、本部:韓国・プサン)が存在する[4]。
フィルム・コミッションは、1940年代後半のアメリカにおいて、映画会社がロケ撮影を円滑に実施する目的で、地方政府の交渉窓口として作られた組織がその源流である。この組織は、警察、高速道路のパトロール隊、道路管理局、消防署、公園警備官などとロケに関する調整を行った[2]。アメリカにおいて初めて「フィルム・コミッション」という形で設立された組織は、1969年にコロラド州が立ち上げた「コロラド・フィルムコミッション」である[1][5]。
日本では2000年以降、全国各地でフィルム・コミッションが整備されるようになった。(経緯については後述)
アメリカのフィルム・コミッションでは「映画の内容に関しては一切物申さず、脚本に書かれていることは全て実現する」という点が協力の大前提となっている[6]。しかし、日本は施設の撮影利用にあたり、世界的に見ても厳格で煩雑な公的規制が多数存在しており、申請先も外部から分かりづらいという課題を抱えている。そのため、フィルム・コミッションだけでは解決困難な問題が多い。
2017年以降、日本政府の知的財産戦略本部内に日本におけるロケ撮影環境の改善を目的とした「ロケ撮影の環境改善に関する官民連絡会議」が設置され、年1回程度のペースで意見交換が行われている。
アメリカでは古くから映画が「産業」として認知されており、映画制作に対して官民共同の取り組みが行われている。そのため、日本のように「文化振興」を目的とした映画に対する公的支援ではなく、映画の撮影による雇用確保と市の収入増加を目的とする明確な産業支援政策の一環として、各州政府や自治体の一部門によってフィルム・コミッションが設置されている[2][7]。
2006年現在、50州及びワシントンD.C.とプエルトリコの計52地域のうち、40以上の地域に160を超えるフィルム・コミッションが設立されている[2]。フィルム・コミッションの数が最多なのはカリフォルニア州で、約60団体が州内に存在する[2]。
アメリカのフィルム・コミッションのメンバーは数名規模のものが多く、1名のみの組織もある。また、有力なフィルム・コミッションでは、映像制作経験者が参加している組織も存在する[2]。
アメリカの州によっては、映像制作産業に対してロケ実施時に下記の税制上の優遇措置が導入されている場合がある[2]。
支援措置の中心となるのは売上税・使用税の免除と所得税等の税額控除である。さらに、作品によってロケーション地が変わることから、所得控除そのものが州をまたいで取引対象とされている[2]。ただし、アメリカ最大の映画産業が存在するカリフォルニア州ではこのような優遇措置を導入していないため、優遇措置を導入している他の州や、同様の優遇措置を設けているカナダ、メキシコなどにロケ地の「流出」が発生している[2]。
2000年以降、全国各地でフィルム・コミッションの整備が進められた結果、2021年現在の日本国内のフィルム・コミッションは約350団体であり、国内のフィルム・コミッションの数としては世界最多となっている[1][8]。
その結果、日本国内でロケ撮影を実施する作品数が大幅に増加しており、2000年には282本だったものが、2008年には418本[1]、2015年には2000年のほぼ2倍に当たる581本[9]、2018年には613本[1]となった。
邦画に限ると、2015年の国内興行収入上位32作品(うち実写22作品)のうち、フィルム・コミッションの支援を受けない実写作品はわずか1作品のみであった[注釈 1]。2016年の邦画上位37作品では実写32作品中31作品、アニメーションは11作品中1作品がフィルム・コミッションの支援を受けている[1]。2017年の邦画上位38作品のうち、実写28作品は全てフィルム・コミッションの支援を受けている[1]。
日本の民間企業では「ロケーションサービス」という名称で、フィルム・コミッションとほぼ同様のサービスを行う部署を設置するケースがある(JR西日本や本州四国連絡高速道路など)。
また、日本のフィルム・コミッションは観光振興政策の延長線的位置づけとして、各都道府県庁、市役所、町村役場の観光課もしくは観光振興を目的とする外郭団体によって運営されている場合が多く、警察にも影響力を及ぼすことが可能なアメリカのフィルム・コミッションほど強力な権限を有していない[6][7]。そのため、例えばアメリカのように道路を封鎖してカーアクションを撮影することは未だに困難な状況である[10]。
現在、日本のフィルム・コミッションの連絡機関として2009年に設立された「特定非営利活動法人ジャパン・フィルムコミッション」(略称:JFC)が存在する。
ただし、JFCは民間団体であり、日本のフィルム・コミッションを全て統括するものではない。予算の関係などで、JFCに未加盟の小規模な市町村レベルのフィルム・コミッションが国内に多数存在する点にも留意が必要である[3]。
近年、日本国内でフィルム・コミッションが整備された結果、全国の都道府県ほぼ全てに窓口が整備されており、都道府県レベルの窓口がJFC未加盟の団体も含めた市町村レベルのフィルム・コミッションを紹介するという流れができつつある。
JFCが定義するフィルム・コミッションの要件は、以下の通りである[1]。
JFCでは、撮影環境整備ならびに人材育成のため、以下の取り組みを実施している[9]。
フィルム・コミッション設立と直接関係するのかは不明だが、地元の人たちが映画製作に全面協力した例としては、群馬県高崎市で地元住民も参加して撮影された今井正監督作品『ここに泉あり』(1950年)や、広島市の一般市民8万8500人がエキストラとして参加したといわれる[20]関川秀雄監督作品『ひろしま』(1953年)等、古くからある[20]。但し、フィルム・コミッション設立の直接の切っ掛けとしては、大林宣彦監督が1980年代に、故郷・尾道で多くの地元賛同者の協力を得て撮影した「尾道三部作」(『転校生』(1982年)、『時をかける少女』(1983年)、『さびしんぼう』(1985年))が、フィルム・コミッションの先駆けとして評価されることが多い[3][5][6][21][22][23][24]。キネマ旬報は1980年代の特集記事で「尾道三部作」を1980年代のキーワードの一つとして取り上げ、尾道三部作が各地方自治体にフィルム・コミッションを生む切っ掛けとなり[23]、またアニメ作品の聖地巡礼(アニメツーリズム)の先駆けとなったと論じている[23]。
ただし、生前の大林の発言[6]によると、このような地元の協力事例は、アメリカにおけるフィルム・コミッションとは似て非なるものだという。
日本国内向けのCM撮影の監督を多く務め、アメリカロケの豊富な実務経験を有していた大林によると、フィルム・コミッションのルールで最も重要なのは「映画の内容に関しては一切物申しはせず、脚本に書かれていることは全て実現する」という点である。アメリカでは、仮に映画ロケにより街の施設が破壊されたとしても、潤沢な予算を持つ映画制作サイドがロケの終了後に修復を行い、むしろ以前存在した施設よりも立派なものを作るということが社会的に許容されている[6]。
しかし、邦画の制作にかけられる予算はアメリカのハリウッド映画と比べるとはるかに少ないため、日本の場合、アメリカとは逆に地元からタイアップを始めとした支援をしてもらわなければならない状況であった[6]。この点は、日本でフィルム・コミッションが設立されるようになってもほぼ同様である[6]。
大林は生前、「アメリカと日本では国状も映画の存在の意味も異なるから、「フィルムコミッション」という呼び名をそのまま日本で使うのは誤解の元で、国際的な混乱を招くから、違う名称を考案したほうが良いよ」と主張していた[6]。
福岡県北九州市は、「修羅の国」「公害の街」「灰色の街」「暴力の街」というマイナスのイメージに長年悩まされていた[25]。
北九州市のイメージを向上させるため、同市では自治体としては全国に先駆けて「北九州市広報室イメージアップ班」を設置し、1989年から国内外の映画・テレビドラマ等の誘致・支援への取り組みを開始した[注釈 5]。北九州市が、映像振興のために1989年から1999年までの11年間に要した経費(人件費を除く)は1億円程度であったが、誘致したテレビ番組は合計475本に達し、宣伝効果は52億円にも登った。
その後、北九州市は広報室イメージアップ班を拡充する形で、2000年9月に「北九州フィルム・コミッション」を設立した。フィルム・コミッションとしての組織設立は、後述の大阪の方が北九州市より若干早い2000年2月であったが、大阪でロケ誘致・支援の検討を具体的に開始したのは1998年頃である。そのため、フィルム・コミッションとしての活動実態は北九州市が大阪より約10年先行しており、様々なノウハウを蓄積している。現在では、映像関係者の間で「不可能を可能にするロケ地」として、真っ先に北九州市の名前が挙がるようになり、他の地域では困難な爆破シーンや道路封鎖シーンなどが撮影できる体制が構築されている[26]。
一般的に、フィルム・コミッションの活動は観光振興を兼ねているため、地元PRの要素を入れることが多いが、北九州市は他の都市の代替としてのロケも多数受け入れている。北九州フィルム・コミッションの担当者は「声をかけていただいた仕事には全て協力する。東京の代わりとしてのロケ地でも大歓迎」と語っており、2017年までに撮影された通算200本のうち、約半数が東京の代替ロケ地である[26]。一例として、TBSドラマ『MOZU Season1』(2014年)では、東京・銀座での爆破シーンという設定で、小倉の市街地で実際の爆破ロケが行われた[26]。
2000年2月、日本初のフィルム・コミッション[注釈 3]である「大阪ロケーション・サービス協議会」(現在の大阪フィルム・カウンシル)が官民協力の下、大阪で立ち上げられた[13]。
大阪の地で日本初のフィルム・コミッションが設立された理由は、1988年に大阪ロケを実施したハリウッド映画『ブラック・レイン』(1989年)の苦い経験を教訓としていたことが、2016年3月の産経新聞の報道[11]により明らかになっている。
以下、産経新聞の報道内容ならびに同作の監督を務めたリドリー・スコットの発言から、当時発生した問題の概要と、フィルム・コミッション設立に至る経緯を記す。
松田優作の遺作となったことでも有名な『ブラック・レイン』は、日本の大阪で本格的なロケを行った作品である。映画制作サイドはこの作品の制作に当たり、当時の岸 昌(きし・さかえ)大阪府知事から「(映画撮影に)できる限り協力する」との“お墨付き”をもらっていた[11]。しかし、当時の日本にはフィルム・コミッションが存在しなかったため、映画制作サイドが撮影対象者や施設所有者と個別に撮影関連の交渉を行わざるを得ず、撮影時に様々な問題が発生した。各種資料から公式に判明している範囲でも、下記の問題が発生したことが明らかになっている。
このような日本ロケのトラブルが続いた結果、親日家[注釈 8]であるリドリー・スコットが最終的に「二度とこの地(日本)では映画を撮らない」と激怒するところまで追い込まれてしまった[11]。ハリウッドで「日本は規制が多く、映画ロケがまともにできない環境の国である」という悪評が広まった結果、その後28年間の長きにわたり、海外の大作映画(特にハリウッド映画)の大阪ロケは全く実施されなかった[11]。
大阪では『ブラック・レイン』のロケ協力が不十分であったことを反省するとともに、大阪における映像制作の撮影依頼が多かったことから、それを活かす方策を考えるため、1998年頃に研究会を立ち上げた[25]。2000年2月、映画撮影による経済効果や集客力強化を目的として、大阪府・大阪市・大阪商工会議所など地元の行政・経済界の協力により、「大阪フィルム・カウンシル」の前身となる「大阪ロケーション・サービス協議会」を、日本初のフィルム・コミッションとして発足させた[11]。2015年以降は、公益財団法人大阪観光局の組織の一部となっている[13]。
「大阪ロケーション・サービス協議会」を立ち上げた当初、大阪商工会議所専務理事と大阪ロケーション・サービス協議会会長を併任していた大野隆夫は2001年、日本商工会議所のインタビューに対して「我々FCとしては、ロケ地の提供を通じて地域の活性化を図り、直接的な経済効果や、関連産業の振興、海外での知名度を上げることを第一義に活動しています。それに加えて、もう一度映像、特に劇場公開用の映画を見直し、日本の今ある姿を過不足なく国の内外に伝えて行く有力な手段として,映像制作活動をみんなで支援し、その結果、クオリティーの高い文化性のある作品が生まれていくことに少しでも役立てればと思います」と答えている[25][28]。
大阪フィルム・カウンシルでは映像作品の誘致と、映画制作サイドへの協力を行っている。その内容は撮影ロケ対象施設の紹介、施設管理者との間の借用交渉の代行、ホテル・駐車場・機材調達先などの紹介、ボランティアのエキストラ募集などである[注釈 9]。
当初は大阪の企業や自治体に撮影交渉の窓口となる専門部署がなかったため、大阪フィルム・カウンシル側の低姿勢な依頼で何とか撮影協力が得られるような状況だったが、徐々に映像作品による広告効果が認識されるようになり、現在では協力作品数が年間150件程度で推移している[11]。
産経新聞の記事によると、大阪フィルム・カウンシルが協力した作品の中で、難易度が高い課題をクリアした作品がこれまでに2つ存在する。
1つ目は『交渉人 THE MOVIE タイムリミット高度10,000mの頭脳戦』(2010年)。この作品では、臨海部の堺泉北港に位置する泉大津大橋(大阪府泉大津市)を封鎖してアクションシーンを撮影する必要があった。そのため、関連する運送業など約50社の同意を取り付け、配送時間などを調整してアクションシーンを撮影することができた[11]。
2つ目は『プリンセストヨトミ』(2011年)。この作品では、大阪府庁前の上町筋(うえまちすじ)を封鎖して撮影を行う必要があった。大阪フィルム・カウンシルでは、封鎖のための関係機関との交渉を実施したり、2千人以上のエキストラによる群衆シーンの準備に協力して、大阪市内での撮影が無事終了した[11]。
大阪フィルム・カウンシルでは、このような難易度の高い経験を積むことで、ノウハウを蓄積し、新たな課題も次に生かせるようになったと説明している[11]。
このような大阪フィルム・カウンシルの地道な努力が海外でも認められ、2016年には福山雅治が主演するジョン・ウー監督の中国映画『マンハント』の大阪ロケ誘致に成功した[11]。
2021年にはハリウッド映画の『G.I.ジョー:漆黒のスネークアイズ』の撮影が行われた[29]。『ブラック・レイン』と同じくパラマウントによる配給であり、難色示す上層部をプロデューサーが説得し日本ロケを敢行、完成作を見た上層部も満足したという[29]。
かつて東京都知事であった石原慎太郎は、自身も映画監督の経験を有している。また、実弟で俳優の石原裕次郎も、石原プロモーションで『西部警察』シリーズに代表されるアクション映画・ドラマなどの制作を多数行っていた。そのため、石原慎太郎は、日本における映画ロケで発生する問題点を熟知していた。石原慎太郎は産経新聞が報道する15年以上も前に、自身の公式サイトで『ブラック・レイン』の大阪ロケで発生した問題点を明確に指摘している[7]。
以下に石原慎太郎が指摘する、日本の映画撮影ロケが抱える根本的な課題を要約する。
石原の主張は、アメリカでの実務経験を有する大林宣彦の生前の発言[6]と概ね一致する。そして、石原は「(日本が)映画制作に対して無理解なため、日本を舞台とした作品が海外で話題になったという話を聞くことはほとんどない」と結論づけている。日本の行政の映画制作に関する無理解と制度的な欠陥が、現実のトラブルとなって噴出したのが、『ブラック・レイン』の大阪ロケだったのである。
このような課題を踏まえ、石原慎太郎は2000年11月、第13回東京国際映画祭の開会式において「銀座でカーチェイスを撮れるようにする」と述べた[10][16][17]。大林宣彦によると、石原慎太郎は「東京がフィルム・コミッションに参加するなら、銀座を全封鎖してどんな戦闘シーンも撮らせる」と発言したという[6]。
そして、石原都政時代の2001年4月20日に、大阪に続く形で東京都が所管するフィルム・コミッション「東京ロケーションボックス」が開設された。東京ロケーションボックスのロケ申請第1号は、リュック・ベッソン監督のフランス映画『WASABI』(2001年)であり、これまで東京都が許可しなかった場所が撮影場所として使用され、社会的に大きな話題を呼んだ[7]。
ただし、石原慎太郎の想いが海外に十分に伝わっているとは未だにいえない部分がある。
一例として、アメリカ映画で日本を舞台にした作品『ワイルド・スピードX3 TOKYO DRIFT』(2006年)では、日本で撮影許可を得ることが困難であるとの前提の下に、東京都内などでゲリラ撮影[注釈 4]を多数行った。監督の代役として逮捕される人物まで用意しており、実際に警視庁に拘束された[10][18][30]。
そして、2021年現在も日本では撮影目的の道路封鎖のハードルが極めて高く、石原慎太郎が夢見た「銀座でのカーチェイス」は実現できていない[10]。交通規制については、地方自治体レベルでは解決できない、国レベルの規制の問題が存在するためである。
ジャパン・フィルムコミッションが作成した資料[9]によると、日本のフィルム・コミッションが現在抱えている問題として、下記が挙げられている。
近年、フィルム・コミッションが全国各地に設置されたことにより、以前と比べると日本国内におけるロケ撮影の環境は急速な勢いで改善されつつある。しかし、日本では未だに映画の経済効果への認識が十分とはいえない。例えば、撮影目的で道路使用の許可を得ることが著しく困難であったり、海外からの撮影関係者のビザの取り扱いの問題など、国家レベルで改善が必要な制度的問題が山積している。
映像制作関係者からの要望を背景として、2016年、日本政府は知的財産戦略本部「映画の振興施策に関する検討会議」を実施した[19]。
この中で、「我が国における国内外の映像コンテンツのロケーション環境の整備を図り、地域でのロケを推進することによって、日本映画の更なる魅力の増進や、映像産業の技術の向上等の他、地域におけるロケによる経済効果等大きな効果が期待できる」と言及している[19]。
この検討会議の取りまとめを踏まえた形で、「知的財産推進計画2017」(2017年5月16日、知的財産戦略本部決定)では「日本国内におけるロケ撮影の一層の環境整備を図るため、政府としてロケーション支援の強化を図ること」を明記した[19]。
そして、2017年からは日本政府の知的財産戦略本部内に「ロケ撮影の環境改善に関する官民連絡会議」が立ち上げられ、年1回程度のペースでロケ環境の改善に向けた議論が実施されている。
内閣府では2019年、「外国映像作品ロケ誘致プロジェクト」を試行的に実施し、中国映画『唐人街探偵 東京MISSION』(2021年中国公開、原題「唐人街探案3」)と、アメリカ映画『G.I.ジョー:漆黒のスネークアイズ』(2021年世界公開予定)の日本ロケに対して補助金が交付された[注釈 13]。フジサンケイグループの広告代理店であるクオラスによって外国映画のロケ誘致の経済効果に関わる調査が実施され、その結果が首相官邸のWebサイトで公開されている[31]。
本項では、全国の都道府県ならびに政令指定都市レベルのフィルム・コミッション(主に都道府県)または県庁などの窓口のリンクと、ジャパン・フィルムコミッションが掲載している地方別ブロックへのリンクを中心に示す。
市町村レベルの組織(政令指定都市を除く)は、文化庁のリンク集一覧(全国ロケーションデータベース FC一覧(文化庁))、各都道府県レベルのフィルム・コミッション、ジャパン・フィルムコミッションに地方ブロック別に掲載されているリンクなどを参照されたい。なお、以下の都道府県の順番は、総務省のコード順に基づく。
信州フィルムコミッションネットワーク(長野県)
ながのフィルムコミッション(公益財団法人 ながの観光コンベンションビューロー)
松本フィルムコミッション (一般社団法人 松本観光コンベンション協会)
信州上田フィルムコミッション(一般社団法人 信州上田観光協会)
諏訪圏フィルムコミッション(諏訪地方観光連盟)
伊那谷フィルムコミッション(伊那市役所)
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Every time you click a link to Wikipedia, Wiktionary or Wikiquote in your browser's search results, it will show the modern Wikiwand interface.
Wikiwand extension is a five stars, simple, with minimum permission required to keep your browsing private, safe and transparent.