渋川市(しぶかわし)は、群馬県のほぼ中央、関東平野の最北西端に位置する市である。東京都からは、およそ120 kmの距離にある。
古くから宿場町として、近代でも県内の交通の要衝として栄えてきた。
- 面積:240.42km2
- 人口:87,468人
- 世帯数:29,240世帯
- 人口密度:363.81人/km2
(2005年国勢調査速報)
- 日本列島(沖縄は除く)のほぼ中央に位置し、日本のへその一つである。
- 西にそびえる榛名山の裾野にあり、東に赤城山を望み、北には子持山と小野子山がそびえる。北から利根川、西から吾妻川が流れ市内白井で合流する。
- 上述の通り、関東平野の最北西端に位置している。
- 広さ:東西:6 km、南北:10 km、周囲:40 km
合併後の住所表記
従来の地名より「大字」を外した地名に変更となった。
- 旧・渋川市は大字なしの地区(市制施行以前の旧渋川町域)が「渋川」となった。それ以外の地区は変更なし。(それまでの渋川地区では小字毎に郵便番号が振られていたが、これを機に「渋川」で統一された。)
- 例1:渋川市大字なし→渋川市渋川
- 例2:渋川市大字石原→渋川市石原
- 旧子持村と小野上村は渋川市の後に大字名が付く。
- 例1:北群馬郡子持村大字白井→渋川市白井
- 例2:北群馬郡小野上村大字小野子→渋川市小野子
- 旧伊香保町、旧赤城村と旧北橘村は渋川市の後に「伊香保町」、「赤城町」、「北橘町」とそれぞれ付き、その後に大字名が付く。
- 例1:北群馬郡伊香保町伊香保→渋川市伊香保町伊香保
- 例2:勢多郡赤城村大字津久田→渋川市赤城町津久田
- 例3:勢多郡北橘村大字小室→渋川市北橘町小室
- 北橘地区は読みを「きたたちばな」から「ほっきつ」に変更した。
2006年(平成18年)2月20日までの旧渋川市にあたる地域。
町村制施行時の渋川町。2006年(平成18年)2月20日までは大字がなく、渋川市の次に番地がきていた。便宜的に小字についても掲載する。現在は前述のとおり「渋川市渋川」となっている。
- 渋川
- 大崎
- 明保野
- 上郷
- 東町
- 上ノ町
- 入沢
- 川原町
- 裏宿
- 坂下町
- 下郷
- 中ノ町
- 下ノ町
- 並木町
- 新町
- 藤ノ木
- 辰巳町
- 本町
- 長塚町
- 御蔭
- 南町
- 元町
- 寄居町
1954年(昭和29年)4月1日までの金島村にあたる地域であり、合併により旧渋川市となった地域。
- 阿久津(あくつ)
- 祖母島(うばしま)
- 金井(かない)
- 川島(かわしま)
- 南牧(なんもく)
1954年(昭和29年)4月1日までの古巻村にあたる地域であり、合併により旧渋川市となった地域。
- 有馬(ありま)
- 半田(はんだ)
- 八木原(やぎはら)
1954年(昭和29年)4月1日までの豊秋村にあたる地域であり、合併により旧渋川市となった地域。
- 石原(いしはら)
- 中村(なかむら)
- 行幸田(みゆきだ)
2006年(平成18年)2月20日までの伊香保町にあたる地域であり、合併により渋川市となった地域。
伊香保地区
- 伊香保町伊香保(いかほまち・いかほ)
- 伊香保町水沢(いかほまち・みずさわ)
- 伊香保町湯中子(いかほまち・ゆなかご)
2006年(平成18年)2月20日までの赤城村にあたる地域であり、合併により渋川市となった地域。
1956年(昭和31年)9月1日までの敷島村にあたる地域であり、合併により赤城村となった地域。
- 赤城町敷島(あかぎまち・しきしま)
- 赤城町津久田(あかぎまち・つくだ)
- 赤城町長井小川田(あかぎまち・ながいおがわだ)
- 赤城町棚下(あかぎまち・たなした)
- 赤城町深山(あかぎまち・みやま)
1956年(昭和31年)9月1日までの横野村にあたる地域であり、合併により赤城村となった地域。
- 赤城町勝保沢(あかぎまち・かつほざわ)
- 赤城町上三原田(あかぎまち・かみみはらだ)
- 赤城町北赤城山(あかぎまち・きたあかぎさん)
- 赤城町北上野(あかぎまち・きたうえの)
- 赤城町栄(あかぎまち・さかえ)
- 赤城町滝沢(あかぎまち・たきざわ)
- 赤城町樽(あかぎまち・たる)
- 赤城町溝呂木(あかぎまち・みぞろぎ)
- 赤城町見立(あかぎまち・みたち)
- 赤城町南赤城山(あかぎまち・みなみあかぎさん)
- 赤城町三原田(あかぎまち・みはらだ)
- 赤城町宮田(あかぎまち・みやだ)
- 赤城町持柏木(あかぎまち・もちかしわぎ)
2006年(平成18年)2月20日までの北橘村にあたる地域であり、合併により渋川市となった地域。
北橘地区
- 北橘町赤城山(ほっきつまち・あかぎさん)
- 北橘町上南室(ほっきつまち・かみなむろ)
- 北橘町小室(ほっきつまち・こむろ)
- 北橘町下南室(ほっきつまち・しもなむろ)
- 北橘町上箱田(ほっきつまち・かみはこだ)
- 北橘町箱田(ほっきつまち・はこだ)
- 北橘町下箱田(ほっきつまち・しもはこだ)
- 北橘町八崎(ほっきつまち・はっさき)
- 北橘町分郷八崎(ほっきつまち・ぶんごうはっさき)
- 北橘町真壁(ほっきつまち・まかべ)
2006年(平成18年)2月20日までの子持村にあたる地域であり、合併により渋川市となった地域。
1960年(昭和35年)9月1日までの長尾村にあたる地域であり、合併により子持村となった地域。
- 北牧(きたもく)
- 白井(しろい)
- 吹屋(ふきや)
- 横堀(よこぼり)
1960年(昭和35年)9月1日までの白郷井村にあたる地域であり、合併により子持村となった地域。
2006年(平成18年)2月20日までの小野上村にあたる地域であり、合併により渋川市となった地域。
|
渋川市と全国の年齢別人口分布(2005年)
| 渋川市の年齢・男女別人口分布(2005年) |
■紫色 ― 渋川市 ■緑色 ― 日本全国
| ■青色 ― 男性 ■赤色 ― 女性 |
渋川市(に相当する地域)の人口の推移
1970年(昭和45年)
| 83,756人
|
|
1975年(昭和50年)
| 86,823人
|
|
1980年(昭和55年)
| 88,838人
|
|
1985年(昭和60年)
| 90,052人
|
|
1990年(平成2年)
| 91,094人
|
|
1995年(平成7年)
| 91,162人
|
|
2000年(平成12年)
| 89,795人
|
|
2005年(平成17年)
| 87,469人
|
|
2010年(平成22年)
| 83,330人
|
|
2015年(平成27年)
| 78,391人
|
|
2020年(令和2年)
| 74,581人
| |
|
総務省統計局 国勢調査より |
歴代市長
- 旧渋川市長
さらに見る 代, 氏名 ...
代 | 氏名 | 就任 | 退任 | 備考 |
1 | 佐藤力 | 1954年(昭和29年)5月10日 | 1958年(昭和33年)5月9日 | |
2 | 町田三郎 | 1958年(昭和33年)5月10日 | 1966年(昭和41年)5月9日 | |
3 | 石北正司 | 1966年(昭和41年)5月10日 | 1975年(昭和50年)3月4日 | |
4 | 加藤源治 | 1975年(昭和50年)4月27日 | 1981年(昭和56年)4月25日 | |
5 | 登坂秀 | 1981年(昭和56年)5月31日 | 2001年(平成13年)5月30日 | |
6 | 木暮治一 | 2001年(平成13年)5月31日 | 2006年(平成18年)2月19日 | |
閉じる
- 渋川市長
さらに見る 代, 氏名 ...
代 | 氏名 | 就任日 | 退任日 | 備考 |
市長職務執行者 | 永井良一 | 2006年(平成18年)2月20日 | 2006年(平成18年)4月9日 | 旧赤城村長 |
1 | 木暮治一 | 2006年(平成18年)4月9日 | 2009年(平成21年)7月28日 | 旧渋川市長。在職中に死去。 |
2 | 阿久津貞司 | 2009年(平成21年)9月13日 | 2017年(平成29年)9月12日 | 旧子持村長 |
3 | 髙木勉 | 2017年(平成29年)9月13日 | 現職 | |
閉じる
県議会
- 選挙区:渋川市選挙区
- 定数:2名
- 任期:2023年(令和5年)4月30日 - 2027年(令和9年)4月29日[2]
衆議院
- 任期 : 2024年(令和6年)10月27日 - 2028年(令和10年)10月26日(「第50回衆議院議員総選挙」参照)
- 渋川地区広域市町村圏振興整備組合(渋川市、北群馬郡吉岡町・榛東村で構成)
- 渋川広域消防本部・消防署(渋川市渋川1815-51)
- 東分署(渋川市赤城町上三原田468-2)※旧勢多郡赤城村
- 西分署(渋川市伊香保町伊香保558-4)※旧北群馬郡伊香保町
- 北分署(渋川市北牧158-1)※旧北群馬郡子持村
渋川市には以下の姉妹都市・友好都市がある(うち2つは旧伊香保町の提携関係を継承したものである)。固有名詞の表記は渋川市サイトに従った。
- 温泉地同士の交流を希望したアバノテルメ市長が友人を介して群馬県に交流先の打診を行い、伊香保町が紹介された[3][4]。
- 1991年に渋川市からローガン市に中学生を派遣したのを契機として交流が深まる[3][5]。
- 19世紀後半にハワイ王国駐日公使を務めたロバート・W・アルウィンの別邸が伊香保にあった縁[7]。1987年より伊香保とヒロ市との交流が始まる[3]。1992年5月26日、ハワイ郡ワイアケア中学校と伊香保町立伊香保中学校(当時)の間で姉妹校協定締結[6]。
- 「日本のへそ」を自認する渋川市と「イタリアのへそ」(Centro d'Italia)を自負するフォリーニョとの、「へそ」を縁とする関係[3][10]。1996年、渋川青年会議所がフォリーニョ市の選手を日本のまんなか渋川駅伝に招待、1997年9月にフォリーニョ市が渋川市側をクインターナ祭に招待。以後、イタリア中部地震(英語版)(1997年)復興支援、全国へそのまちサミット渋川大会へのフォリーニョ市長特別参加(1999年)などを通じ交流を深める。
- 1992年に渋川市からファカタネ市に中学生を派遣したのを契機として交流が深まる[11]。
- テレビアニメ『美男高校地球防衛部シリーズ』の舞台となる架空の都市で、渋川市がモチーフとなっている。架空の市と姉妹都市になる事例は全国的にも珍しいケースである[注釈 1]。
教育
学校教育
- 小学校
- 渋川市立渋川北小学校
- 渋川市立渋川南小学校
- 渋川市立金島小学校
- 渋川市立古巻小学校
- 渋川市立豊秋小学校
- 渋川市立渋川西小学校
- 渋川市立伊香保小学校
- 渋川市立小野上小学校
- 渋川市立中郷小学校
- 渋川市立長尾小学校
- 渋川市立三原田小学校
- 渋川市立刀川小学校(2017年3月31日廃止、三原田小学校に統合)
- 渋川市立津久田小学校
- 渋川市立南雲小学校(2017年3月31日廃止、津久田小学校に統合)
- 渋川市立橘小学校
- 渋川市立橘北小学校
社会教育
- 美術館
- 渋川市美術館・桑原巨守彫刻美術館(しぶかわしびじゅつかん・くわはらひろもりびじゅつかん)
- 市立美術館。群馬県沼田市出身の桑原巨守氏の彫刻を常設展示している。建物は元々群馬銀行渋川中央支店であったが、その空きスペースを利用する形となっている。
- 伊香保システィーナ美術館(閉館)
- トリックアートを展示する私立美術館。
- 群馬ガラス工芸美術館
- アールヌーボーのガラス工芸を展示する私立美術館。
- ハラミュージアムアーク
- 原美術館(東京都品川区)の分館であり、伊香保グリーン牧場内にある現代美術を展示する私立美術館。
鉄道
渋川駅は市の中心部に位置するだけでなく、上越線から吾妻線の分岐する交通の要地である。伊香保温泉への入り口駅の一つでもあり、全ての昼行特急列車が停車する。
- 東日本旅客鉄道(JR東日本)
- ■上越線
- ■吾妻線
バス
路線バス
※かつては旧北橘村の村営バスが渋川市営として引き継がれたが、こちらも日本中央バスに委託された。榛東、箕郷方面の路線はかつて群北第一交通が運営していた(現在は群馬バスに移管)。
高速バス
当市内を発着する高速バスは、渋川駅と伊香保温泉(一部路線はいずれか片方のみ)を発着している。
- 上州ゆめぐり号(東京駅JRハイウェイバスターミナル・バスタ新宿~渋川駅・伊香保温泉・中之条駅入口・草津温泉)(JRバス関東が運行)
- 四万温泉号(東雲車庫・東京駅八重洲通り・川越駅西口~渋川駅・中之条駅入口・四万温泉)(関越交通が運行)
- 吉祥寺~草津温泉線(吉祥寺駅北口~渋川駅・中之条駅入口・草津温泉)(関越交通・関東バスが運行)
- 高崎・伊香保・四万温泉号八王子線(京王八王子駅・JR八王子駅北口・高崎駅東口~渋川駅・伊香保温泉・中之条駅入口・四万温泉)(関越交通・西東京バスが運行)
- 伊香保四万温泉号羽田線(羽田エアポートガーデン・東京駅JRバスターミナル~渋川駅・伊香保温泉・中之条駅入口・四万温泉)(関越交通が運行)
- ゆめぐり埼玉号(加須駅北口・行田市駅南口・熊谷駅南口〜伊香保温泉・草津温泉)(秩父鉄道観光バスかJRバス関東アライアンスで運行)[14]。
- 伊香保石段ひなまつり
- 1000人ROCK FES.GUNMA(毎年5月下旬 - 6月上旬)
- 小野池あじさいまつり
- 渋川へそ祭り(7月第4金曜・土曜日)
- 渋川山車まつり(隔年の8月中旬)
- 行幸田そばまつり
- 伊香保まつり(毎年9月18日から20日)
- 上三原田歌舞伎
出典
“ハワイ王国公使別邸”. 渋川市 (2023年10月13日). 2023年12月10日閲覧。
ウィキメディア・コモンズには、
渋川市に関連するカテゴリがあります。