尾瀬
福島県 ・新潟県・群馬県に跨る高原 ウィキペディアから
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尾瀬(おぜ)は、福島県(南会津郡檜枝岐村)、群馬県(利根郡片品村)、新潟県(魚沼市)の3県にまたがる高地にある盆地状の高原。日本最大の山地湿原である尾瀬ヶ原や火山堰止湖である尾瀬沼、その周囲の山稜などで構成される[1]。尾瀬国立公園に指定されており、日本百景に選定されている。
尾瀬は日本を代表する典型的な山地湿原である[1]。尾瀬沼は燧ヶ岳の噴火で沼尻川が堰き止められてできた堰止湖と考えられており、周囲には浅湖湿原や大江湿原等があり、沼から湿原への遷移の過程が見られる[1]。また、尾瀬ヶ原は燧ヶ岳の噴火で沼尻川が堰き止められた後に、土砂が周囲から流入して形成された山地湿原である[1]。
尾瀬ではミズバショウやミズゴケ、カタシャジクモなど湿原特有の貴重な植物群落およびトンボ、甲虫類と多くの渡り鳥が見られる[2]。また、世界的にも珍しい、ナガバノモウセンゴケの大群落を中心とする、尾瀬・食虫植物大群落もある[3]。
尾瀬は阿賀野川水系最大の支流只見川の源流域にあり、平滑ノ滝や三条ノ滝などの瀑布景観を形成している[1]。
尾瀬は1934年(昭和9年)12月4日に日光国立公園の尾瀬地域として、尾瀬沼及び尾瀬ヶ原の一帯並びにその周囲の山稜の燧ヶ岳及び至仏山等の地域が国立公園に指定された[1]。その後、日光国立公園から独立させるとともに会津駒ヶ岳地域及び田代山・帝釈山地域を国立公園に編入し、2007年(平成19年)8月30日に尾瀬国立公園として新たに指定された[1]。
また、尾瀬ヶ原及び尾瀬沼(特別保護地区)は、1960年(昭和35年)に文化財保護法による特別天然記念物に指定されている[1]。尾瀬ヶ原及び尾瀬沼の8,711 haの区域(国立公園特別保護地区)は2005年(平成17年)に「ラムサール条約湿地」にも登録されている[1]。尾瀬では歩道以外への立ち入りが厳しく制限されており、ごみ持ち帰り運動の発祥地であるなど、日本の自然・環境保護運動の象徴でもある。
至仏山、燧ヶ岳、景鶴山、中原山などの2000メートル級の山に全方向を囲まれた東西が約6 km、南北が約3 kmの盆地で、そのうち特別保護地域の面積はおよそ8,690 haである。標高は東側が上流域にあたる尾瀬沼で1,660 m、西側の下流域にあたる尾瀬ヶ原が1,400 m程度であり、尾瀬沼と尾瀬ヶ原の周辺には湿原が多い。沼や湿原は只見川の源流となっており、尾瀬ヶ原の水は全て只見川として流れ出て平滑の滝、三条の滝などを下り阿賀川に合流する。
尾瀬ヶ原の湿原は「拠水林」によっていくつかに分割されている。拠水林とは、湿原の外部から湿原を貫通して流れる川の両側に成立している林のことである。湿原の外部から流れてくる川は多くの土砂を運び、川の両側に自然堤防を形づくり、そこだけは樹木の成長が可能となる。ただし、全ての川に拠水林が成立するわけではない。小規模な川は湿原に流入直後の短い距離にしか拠水林を作れない川が多い。また、湿原内に湧き出た泉を水源とする川にも拠水林は成立しない。
拠水林によって尾瀬ヶ原の湿原は、いくつかに分割されており、それぞれに独自の名称がついている。川上川と上ノ大堀川に囲まれた「上田代」。上ノ大堀川とヨッピ川、沼尻川に囲まれた「中田代」。沼尻川と只見川に囲まれた「下田代」が主な湿原であるが、周囲にも「背中アブリ田代」や「ヨシッ堀田代」、「赤田代」などの湿原があり、至仏山や燧ヶ岳の山頂から尾瀬ヶ原を展望するとモザイク状に拠水林によって分割されている様子がわかる。
標高約1,400 mの高地に位置し、亜寒帯湿潤気候である。夏は冷涼、冬は非常に寒さが厳しく、-30 °C近くまで下がることもあり、1995年(平成7年)12月28日には尾瀬沼で-31.0 °C、山の鼻で-30.0 °Cが観測されている。冬季の降雪量が多い日本海側気候であるが、太平洋と日本海の分水界でもあり、太平洋側気候の特色も持つ。
阿賀野川水系の河川は日本海へ流れ、利根川水系の河川は太平洋へ流れる。
数十万年前から1万年前までの間に周辺の火山活動により川がせき止められ、盆地が形成されたと考えられている。最初期に成立したのは尾瀬ヶ原で、かつてここは湖で、後の堆積により湿地になったと考えられていた。しかし、1972年にボーリング調査が行われた結果、地下81mまでの場所では、ここに湖があったという証拠が得られなかった。このため、尾瀬ヶ原の成立については不明であるが、現在は盆地に堆積した土砂によって平坦な湿原が形づくられたとする説が有力になりつつある。
約1万年前に、火山の燧ケ岳が誕生した。火山活動による溶岩などによって、盆地の東半分がせき止められ、これにより尾瀬沼が成立したと考えられている。
このようにして尾瀬ヶ原と尾瀬沼が成立した頃は氷期であり、周辺では寒冷地の植物が自生していた。その後、氷期が終了し、温暖な時代になると、南方から温暖地に住む植物が勢力を伸ばしてきたため、それまでこの地にいた植物たちは、次第に北へ後退していった。しかし、尾瀬は、高原の盆地という特殊な地理条件のため、他地域の植物があまり入り込まず、氷期に生育していた植物がそのまま現在も自生している。尾瀬の植物には、尾瀬以外ではロシアが南限というものが多く存在する。ただし、気候的には他の南方系植物も十分に生育可能なため、尾瀬へは他地域の植物の種子が入り込まないよう、特に監視がされている。
やがて文字による歴史の時代になるが、尾瀬はあまりにも奥地のため、ほとんど記述が残っていない。
群馬県と福島県との間には尾瀬を経由して会津沼田街道が通っており、1600年頃は交易が盛んに行われていた。
尾瀬では踏み付けによって生じる湿原や登山道などの裸地化、汚水等による水質や水生生物への影響、植生の改変、移入植物の進入などが生態系に及ぼす影響として問題になっている[8]。
また、ニホンジカが増加し、ニッコウキスゲなどの花芽が食べ尽くされ、極端に開花が少なくなる場所が増えるなどの影響が起こり始めている。1995年頃から尾瀬に現れたニホンジカは2008年には約300頭にまで増加し、頭数の調整のため環境省は特別保護地域内での捕獲を認める方針を示している。2009年には4月から11月にかけて、福島県内の特別保護区域などで駆除に乗り出したが、捕獲数は16頭にとどまった。これは面積が広いことと、現地におけるシカの処理、搬出などが重労働であるため効率があがらないためという[9]。
尾瀬では自然保護運動が盛んであり、これらの運動の一部は尾瀬の後に他地域で実践されるようになったものも多い。このため、これらの活動について列挙する。なお、自然保護を目的として1972年には群馬県尾瀬憲章が制定。1996年には尾瀬保護財団が設立されている。
最初期の自然保護運動は、尾瀬原ダム計画の反対運動であった。尾瀬沼のほとりに住んでいた平野長蔵は、一人でこれに反対。発電所の建設に反対するために、尾瀬への定住を始めたという。実際には、発電用施設は尾瀬沼南岸に取水口が一つ建設されたのみで、それ以外は建設されなかった。1956年に尾瀬地域が天然記念物に、1960年には特別天然記念物に指定され、その時点で発電所計画は事実上不可能になっていたものの、東京電力は1966年まではこの地に発電所建設計画を持っていた。また、それ以降も太平洋側への分水路建設計画は残されていた。東京電力が発電所建設や分水路建設計画を正式に断念するのは1996年になってのことである。
ただし現在でも尾瀬地域の群馬県側は全てが東京電力ホールディングス(HD)の所有地である。現在、東京電力HDから保護活動を継承した東京電力リニューアブルパワー、また東京電力HD子会社の東京パワーテクノロジー(旧尾瀬林業)は、木道の建設や浄化槽式トイレの建設、湿原の復元など、環境省や各自治体と並び尾瀬を守る活動の主体の一つとなっており、東京パワーテクノロジーは尾瀬地域の5つの山小屋の経営母体でもある。
尾瀬が有名な観光地になると、自動車で乗り入れができる観光ルートの建設が開始された。1960年代当時、自動車で入山できる場所は富士見峠しかなかったが、この後、鳩待峠、沼山峠が整備され、峠の頂上付近まで自動車で乗り入れることができるようになった。この後、三平峠と沼山峠を結ぶ自動車道の建設が始まるが、建設開始直後の1971年7月25日、平野長蔵の子孫の平野長靖が当時の環境庁長官大石武一に建設中止を直訴。5日後、大石が平野とともに現地を視察すると、直後に建設は中止された。竣工した道路の一部は1998年までに廃道になった。
ごみ持ち帰り運動も、尾瀬が元祖であるとされる。それまで尾瀬には多くのゴミ箱が設置されていたが、ごみの処理に苦労していたうえ、ごみ箱はすぐに溢れたため、入りきらなかったごみはごみ箱周辺に散乱し、風などで周囲に飛散していた。ごみ持ち帰り運動は「逆転の発想」として1972年に開始され、翌年までには全てのごみ箱が撤去された。この運動はその後他の地域にも広まっていった。また、それまでは不燃ごみは穴を掘って埋めることが多かったが、それらの「過去のごみ」も順次発掘のうえ上尾瀬の外に搬出する作業が、ボランティアも交えて行われている。だが埋められたごみが膨大なうえ樹木の根に絡みついて倒壊を招きかねないため完全には撤去しきれておらず、後述する屎尿を処理した汚泥とともに尾瀬の外への搬出はヘリコプターが使われている[6]。
ごみ以外の廃棄物も原則として尾瀬には廃棄しないのも特徴である。公衆トイレの排泄物などは、合併浄化槽で液体部分は排水しても問題ないレベルまで処理して放流し、固体部分は脱水・乾燥処理しヘリコプターで回収している。排水をパイプライン輸送を通して尾瀬外の河川に流すトイレもある。ただ、合併浄化槽を運転するために、24時間自家発電の運転が必要となり、維持コストがかさむために、1回使用あたり100円から200円のチップ制になっている。尾瀬はほとんどの山小屋に風呂が設置されているが、現在は汗を流すだけで石鹸・シャンプーは使用できない。食器洗いの際も汚れは極力ふき取り処理が行われており、洗剤の使用は最低限に抑えられている。これは、これらの生活排水などが自然環境に影響を与えると考えられているためである。
こうした配慮をしても、現在20ほどある山小屋は環境への負荷を考えると多すぎるという指摘もある[6]。
1974年(昭和49年)の「国立公園における自動車利用適正化要綱」で日光国立公園尾瀬地域がモデル地区となり、福島県尾瀬自動車利用適正化連絡協議会及び片品村尾瀬交通対策連絡協議会が設置され、マイカー等の交通規制と代替輸送が実施されている[1]。
2022年4月現在、以下のような規制がある。
ほぼ全域にわたって、総延長60キロメートルの木道[10]が整備され、木道以外の場所を歩けないようにして、湿原保護を図っているのも尾瀬の特徴である。長さ4メートル、幅50センチメートルほどの木板をつなげ、湿原に降りなくてもすれ違えるよう複線になっている[10](右側通行)。1952年頃、ぬかるんだ湿原を歩きやすくするため、丸太が置かれたのが始まり[10]。しかし1960年代、当時尾瀬で唯一すぐ近くの富士見峠まで自動車で行くことができた、尾瀬地域で最も標高の高い湿原の一つであるアヤメ平が、単線の木道しか設置されていなかったために、行き違いが出来ずに湿原に降りた多くの登山者により踏み荒らされるようになった。これを契機に、1966年から尾瀬のほぼ全領域で計画的に複線の木道が整備されるようになり、木道以外の場所は歩けないようになった(一部の登山道を除く)。
かつての木道は尾瀬周辺の林で伐採した木材が利用されていた。しかし、尾瀬地域が特別天然記念物に指定されるなどして、この方法は使えなくなり、その後は地域外の木材をヘリコプターなどで搬入して利用している。最近の木道はカラマツ材が使われることが多い。カラマツは樹脂が多く、湿原の水分に浸された状態でも比較的長持ちするが、豪雪などで劣化が進むため10年前後で更新が必要となり、コンクリート製が試用されたこともあった[10]。閑散期にヘリコプターで資材を搬入し、手作業で順次置き換えている[10]。廃材の一部は、中心部の朽ちていない部分が各種木材製品に転用されている。また檜枝岐村はクラウドファンディングで資金を募り、会津駒ケ岳で新しい木道を整備している[10]。
木道の設置・更新工事は、現在は福島県域では福島県→のちに環境省によって、群馬県域では群馬県と東京電力→のちに東京電力リニューアブルパワーによって、新潟県域では東京電力リニューアブルパワーによって行われている。木道の表面には設置・更新年を示す焼印が木道一本ずつに押されている。この焼印はたとえば2007年(平成19年)設置のものなら群馬県設置のものは「群H19」、福島県設置のものは「福H19」、東京電力設置のものは「(東京電力ロゴ)H19」と記されており、設置者と設置年が明らかになっており、更新の参考になっている。また、東京電力設置分は、2016年4月の持株会社体制移行を境に、ロゴマークも「TEPCO」マークに変更されており、年号も西暦に変更されたため、「(TEPCO)2016」のように表示されるようになる。また、東京電力や東京電力リニューアブルパワー設置分のうち、国際森林認証(FSC)を取得した尾瀬戸倉山林の木材で作られた木材による木道にはFSC(森林管理協議会)マークが付いている。令和改元後、環境省設置分は「環R1」。群馬県設置分は「群R01」のように表示されるようになったが、環境省設置分は翌2020年設置分から「環R2(2020)」のように西暦併記となった。
木道はかつては湿原に横板を介して直接置かれたものがほとんどであった。しかし低層湿原部分などで、大雨のあとの増水時などに冠水しやすい部分や、融雪期に雪解け水で冠水しやすい部分は、橋梁状の地面からの高さが高いものに作り直されている。
木道の単線あたりの幅は、ほとんどの場所で約50センチメートルで、幅広の木材を2枚使ったものから、幅の狭い木材4枚を使ったもの、その中間の3枚の木材を使ったものまである。群馬県側の大清水の湿原と、福島県側の御池登山口の湿原には車椅子対応の幅150センチメートルのものが設置されている。段差をなくし、車いすが落ちないように両端に車止めを付けるなどの配慮がなされている。歩行者の少ない地域では単線の木道だけの場所や、幅30センチメートル程度の狭い木道が設置されている場所もある。
なお、複線木道整備のきっかけになったアヤメ平は1966年から群馬県が復元事業を開始、また1969年からは東京電力グループの尾瀬林業も復元事業を実施している。採取した種子をまき、高山植物を現地で栽培するという方式をとり、2008年時点も、復元作業は継続されている。2010年10月23日に、NHK総合テレビジョンの番組『小さな旅』で、木道の修復の様子が放送された[11]。
尾瀬沼や尾瀬ヶ原の周辺には木道が整備されている[12]。湿原保護のため、木道から外れて湿原に立ち入ったり、湿原に撮影用の三脚を立てたり、木道や休憩所に座って足を湿原に置かないよう呼び掛けられている[13]。また、登山道や木道を傷めないようストックの先端にストックキャップを付けることも呼び掛けられている[13]。入山口には種子を落とすためのマットが用意されており、移入植物の侵入を防ぐ努力がなされている[13]。
日中と朝晩の気温差が大きいためトレッキングには防寒着が必須とされ、ダウンジャケット等の携行が勧められている[13]。
なお、尾瀬はツキノワグマの生息地であり、朝夕の薄暗い時間帯、霧、川沿い、山すそは要注意とされている[14]。
携帯電話は従来はほとんどの場所でサービスエリア圏外となっていた。これは「尾瀬で携帯電話ができると雰囲気が悪くなる」との意見があったため、あえて基地局の設置を行っていなかったためであるが、その後の情勢の変化により、2017年9月にまずKDDIが尾瀬ヶ原の山小屋周辺で「4G LTE」の電波の受信ができる携帯電話を使えるように工事を行った。2018年以降、順次尾瀬沼など周辺地域にも拡大し、21の山小屋全てで携帯通話・通信が可能になる予定である[15]。このほかに山小屋や休憩所では公衆無線LANサービスも提供されている。公衆電話は多くの山小屋等にあるものの、衛星公衆電話なので通常の公衆電話よりも通話料が高額となる。
尾瀬沼の東端及び尾瀬ヶ原の西端には、ビジターセンター[16]と国民宿舎がある。また、尾瀬には多くの山小屋があり、100kgを超す荷を背負って山小屋に食料などを運ぶ歩荷(ぼっか)の姿もみられる[17]。
山の鼻と尾瀬沼畔にはビジターセンターが設置され、尾瀬の自然の紹介と、自然保護活動の啓蒙を行っている。スライドショーや観察会等も行われる。なお、山の鼻ビジターセンターは群馬県が、尾瀬沼ビジターセンターは環境省が設置しているが、両センターの運営管理とも現在は尾瀬関係3県によって設立された財団法人尾瀬保護財団が運営管理を行っている。
2003年、長蔵小屋が周辺に廃材などの廃棄物を不法投棄していたことが判明。2004年、従業員2名に執行猶予付きの有罪判決が下され、山小屋には罰金120万円が命じられた。
2021年8月、尾瀬ガイド協会の公式Twitterにて差別的な内容を含む投稿が問題視され、尾瀬ガイド協会はウェブサイトで謝罪した[18][19]。これに関して公益財団法人尾瀬保護財団も抗議文を送付し、「セクシャルハラスメント、容姿による差別(ルッキズム)、女性差別、民族差別、人種差別など、看過することができない人権侵害であると同時に、ガイドの利用に当たって特定の方々に強い不安を与えてしまう」と指摘した[18][20]。
現地には自動車道は通っていないため、登山口から徒歩でアクセスす ることになる。尾瀬ヶ原及び尾瀬沼周辺への主な入山口は6か所ある[1]。主な登山口は群馬県側が鳩待峠、富士見峠、大清水(三平峠)の3箇所で、福島県側が御池・沼山峠の2箇所。このほか新潟県側からの入山口(越後口)がある。このうち鳩待峠からの入山者数が全入山者数の6割弱、沼山峠からの入山者数が2割弱、大清水からの入山者数が0.5割をそれぞれ占めている[1]。
現地へのアクセスについては前記の通り、1974年(昭和49年)の「国立公園における自動車利用適正化要綱」で日光国立公園尾瀬地域がモデル地区となり、福島県尾瀬自動車利用適正化連絡協議会及び片品村尾瀬交通対策連絡協議会が設置され、マイカー等の交通規制と代替輸送が実施されている[1]。
自家用車の場合、群馬県側は片品村戸倉の尾瀬第一駐車場(有料)、尾瀬第二駐車場(並木駐車場、有料)に駐車し、そこから路線バスもしくは乗合タクシーで登山口である鳩待峠に向かう。乗車券はバスと乗合タクシーは共通であり、頻発運転により利便性を確保している。福島県側からは御池駐車場(有料、規制期間によっては使用不可のことあり)、七入駐車場(無料)に駐車し、同様に路線バスなどを利用する。これらの駐車場のほか、大清水駐車場(有料)、鳩待峠駐車場(規制時は使用不可)、富士見下駐車場(無料)がある。このうち、鳩待峠駐車場は狭いため規制期間中は使用できず、また規制期間外でも満車の時が多い。さらに自然保護を理由として周辺よりも高い駐車料金となっている。
電車・バスを利用する場合、群馬県側は上越新幹線上毛高原駅または上越線沼田駅から鳩待峠行バス連絡所行きまたは大清水行きのバスを利用。福島県側からは、野岩鉄道・会津鉄道会津高原尾瀬口駅から沼山峠行きバスを利用する。なお、東武鉄道がシーズン中の週末を中心に浅草駅から会津高原尾瀬口駅まで夜行列車(尾瀬夜行)を走らせている(沼山峠行きの連絡バスに接続する)ほか、関越交通もバスタ新宿(新宿駅前)および東京駅前から大清水行き高速バスを走らせている(戸倉で鳩待峠行きのシャトルバスに乗り換えられる)。
このほか、上越線浦佐駅から奥只見ダム行きのバスに乗り、そこから定期船で尾瀬口、尾瀬口から定期バス(予約制)で小沢平・御池・沼山峠まで行く方法もあるが、本数は非常に少なく(1日2本、繁忙期のみ3本)、また積雪のために開通は6月上旬となる。
最も利便性の高い鳩待峠や沼山峠からでも、バスの終点から尾瀬の湿原までは徒歩で1時間ほどかかる。
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