アニー

アメリカのミュージカル、映画作品 ウィキペディアから

アニー』(Annie)は、ハロルド・グレイ英語版新聞連載漫画小さな孤児アニー英語版(Little Orphan Annie)』を原作として製作されたブロードウェイミュージカルである。1982年、1999年、2014年の計3回映画化されている。

概要 Annie, 作曲 ...
Annie
作曲 チャールズ・ストラウス
作詞 マーティン・チャーニン
脚本 トーマス・ミーハン
原作 ハロルド・グレイ
Little Orphan Annie
上演 1977 ブロードウェイ (ニューヨーク)
1978 ウエスト・エンド (ロンドン)
1978 北米ツアー
1978 全米ツアー
1978 日本
1979 全米ツアー
1979 オーストラリア
1979 メキシコ
1981 全米ツアー
1982 アニー (1982年の映画)
1983 ウエスト・エンド (ロンドン)
1997 ブロードウェイ (ニューヨーク) 20周年公演
1998 ウエスト・エンド (ロンドン)
1999 アニーテレビ映画版
2000 全英公演
2005 全米公演US Tour
2006 全英公演
2012 ニューヨーク再演
受賞 トニー賞 ミュージカル作品賞
トニー賞 オリジナル楽曲賞
トニー賞 ミュージカル脚本賞
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ストーリー

舞台は1933年、世界大恐慌直後の真冬のニューヨーク。街は仕事も住む場所もない人で溢れ、誰もが希望を失っていた。そんな中、どんな時も夢と希望を忘れないひとりの少女がいた。ニューヨーク市立孤児院に住む11歳の赤毛の女の子、アニーだ。10年前に孤児院の前に捨てられていたアニーは、いつか本当の両親が迎えに来ると信じて暮らしていた。ある日、なかなか迎えに来ない両親を自分から探しに行こうと、院長のミス・ハニガンに見つからないよう、こっそり孤児院を脱け出す。野犬と出会いサンディーと名づけ、サンディーを連れながらニューヨーク中を探し回る。家をなくした人達が集まるフーバービルと呼ばれていた貧民街に逃げこんだが、警官に捕まって孤児院に連れ戻される。

クリスマス休暇を一緒に過ごす孤児を探していた大富豪オリバー・ウォーバックスの秘書グレースと孤児院で出会ったアニーは、ウォーバックスの自宅で休暇を過ごすことになる。前向きなアニーに魅かれたウォーバックスは、アニーを気に入り、養女にしたいと考える。しかしアニーは、自分の両親がまだ生きていると信じていて、本当の両親と暮らしたいという夢を持っていた。彼女が親を探すのに持っていた手がかりは半分に割れたロケットのみだった。

けなげなアニーの気持ちに心打たれたウォーバックスは、彼女の本当の両親を見つけたものに5万ドルの報奨金を与えると公表する。お金を目当てに大勢の人々が自分こそアニーの親だと名乗りをあげ、これに目を付けた孤児院の院長のハニガンとその弟のルースターらも、この金をだまし取ろうと画策する。

ウォーバックスと共にホワイトハウスを訪れたアニーは、閣僚たちを目の前にして希望を失わないよう説き、彼女の言葉に感銘を受けたフランクリン・ルーズベルトニューディール政策を発案する。

ルースターは変装してウォーバックス宅に現れ、アニーの親を偽るが、FBIの捜査によってアニーの両親は既に火事により数年前に死亡[注釈 1]していたと判明、ハニガンらの企みは失敗。アニーはウォーバックスの養女となった。

プロダクション

要約
視点

『ニューヨーク・タイムズ』紙によると、『アニー』はアメリカ国内だけで毎年700から900回上演されている[1]

1976年、試験興行

1976年8月10日、コネチカット州イースト・ヘイダムにあるグッドスピード・オペラ・ハウスにて、エグゼクティヴ・プロデューサーであるマイケル・P・プライスの演出により初演された。クリステン・ヴィガードがアニー役に配役された。しかしプロデューサーたちはヴィガードは厳しい環境を生き抜く孤児の役には合わないと考えた。1週間上演ののち、アニー役はほかの孤児であるペッパー役を演じていたアンドレア・マカードルに交代となった。ブロードウェイ公演においてヴィガードはマカードルの代役となった。

1977年 - 1983年、ブロードウェイ・オリジナル・プロダクション

Thumb
1977年、アンドレア・マカードル、レイド・シェルトン、サンディ

1977年4月21日にブロードウェイのアルヴィン劇場でオリジナル・ブロードウェイ・プロダクションが開幕し、アニー役はアンドレア・マカードル、ウォーバックス役はレイド・シェルトン、ミス・ハニガン役はドロシー・ラウドン、グレース・ファレル役はサンディ・フェイソンが演じた。ダニエル・ブリズボワは孤児役の1人であった。同年のトニー賞に於いて11部門にノミネートされ、ミュージカル作品賞、作曲賞、ミュージカル脚本賞を始め7部門を受賞した。当時子役であったシェリー・ブルース、サラ・ジェシカ・パーカー(1978年〜80年)、アリソン・スミス、アリソン・カークなどがアニー役代役となった。アリス・ゴストリー、ドロレス・ウィルソン、ベティ・ハットン、マーシャ・ルイス、ジューン・ハヴォックなどがミス・ハニガン役代役となった。アン・アンガーがミス・ハニガン役のラウドン、ゴストリー、ウィルソンの代役を務めた[2]1983年1月2日まで、2,377回を数えるロングラン公演となり、アルヴィン劇場(現:ニール・サイモン劇場)において2009年に『ヘアスプレー』に抜かれるまで最長上演回数の記録を所有していた[3]

1978年 - 1983年、北米ツアー・カンパニー

ブロードウェイでヒットするや、4つのツアーカンパニーが編成され、北米各地で行なわれた。

1978年3月、1組目の北米ツアー・カンパニーはトロントで開幕し、アニー役はキャシー・ジョー・ケリー、ウォーバックス役はノーウッド・スミス、ミス・ハニガン役はジェーン・コネルおよびルース・コバート、ルースター役はゲイリー・ビーチが演じた。4月12日から5月13日までマイアミで上演され、その後いくつかの都市で上演ののちシカゴで32週間上演された。1979年4月、アニー役がメアリー・K・ロンバーディに交代してツアーが続けられた。ロンバーディが成長し過ぎたため、1980年秋、ボストン公演からセダ・ステムラーに交代した。1981年5月15日から、ロサンゼルスのロングラン上演で アニー役を演じていたルアン・シロタが4か月間出演した。1981年8月、ベッキー・スナイダーがこのカンパニー最後のアニー役となり、9月6日に閉幕した。

1978年6月22日、西海岸プロダクションまたはロサンゼルス・プロダクションとも呼ばれる2組目の北米ツアー・カンパニーがサンフランシスコで開幕した。アニー役はパトリシア・アン・パッツ、ペッパー役はジェニファー・チヒが演じたほか、当時無名であったモリー・リングウォルドが孤児の1人を演じていた。10月15日からロサンゼルスにあるシュバート劇場にて無期限の公演が開幕した。1979年6月12日、当時アニー役は通常11歳の子役が演じていたが、パッツ役を演じていた9歳のシロタがアニー役に配役された。12月、マリサ・モレルがアニー役に配役され、ロサンゼルス公演閉幕後、1980年12月までツアー公演が続行された。1981年、アリッサ・ミラノが孤児の1人を演じ、1982年1月23日にフィラデルフィアで閉幕するまでクリスティ・クームスがアニー役を演じた。

1979年10月3日、3組目の北米ツアー・カンパニーがダラスで開幕した。1982年の映画『アニー』でペッパー役を演じることとなるロザンヌ・ソレンティノがアニー役を演じた。23都市を短期間の上演で巡業した。1981年3月27日、アニー役がブリジット・ウォルシュに交代した。1982年夏、1組目のクロージング・キャストであったスナイダーが参加し、9月に閉幕した。

1981年9月11日、4組目の北米ツアー・カンパニーが開幕し、アニー役はモリー・ホールが演じた。出演者の少ない「バス&トラック・ツアー」として、週に2都市で上演することもあった。1983年1月にブロードウェイ・プロダクションが閉幕した後も続行された。オリジナル・プロダクションに出演していたキャスリーン・シスクが最後のアニー役となり、1983年9月に閉幕した。

1978年 - 1981年、ウエスト・エンド・オリジナル

1978年5月3日、ウエスト・エンドにあるヴィクトリア・パレス・シアターにて開幕した。オリジナル・ブロードウェイ・キャストのアンドレア・マカードルがアニー役で40回出演した。12歳のイギリス人アン・マリー・グワトキンもアニー役に配役され、オリジナル・ロンドン・キャスト・レコーディングに参加した。オープニング・キャストおよびオリジナル・サウンドトラックの子役はクレア・フッド、ジェーン・コリンズ、ダウン・ネピア、アネット・メイソン、ヘレン・スティーブンソン、ジャッキー・イーカーズ、リンダ・ブリュウィスであった。グワトキンはクリスティン・ハイランドと交代で出演し、ほかにアン・オルーク、ジャシンタ・ホワイト、ヘレン・ソーン、ローザ・ミシェルの4名がアニー役に配 役され、翌年まで演じた。グワトキンとイーカーズがダブル・キャストとなり、その後様々な子役がアニー役を演じた。シェリア・ハンコックがミス・ハニガン役のオリジナル・キャストとなり、その後マリア・チャールズ、ステラ・モレイがミス・ハニガン役を演じた。ウォーバックス役はストラトフォード・ジョーンズが演じ、その後チャールズ・ウエストが演じた。ペッパー役はデボラ・クラーク、モリー役はメラニー・グラントが演じた。1,485回上演ののち、1981年11月28日に閉幕した。

1981年、全英ツアー

1981年のクリスマス時期、ウエスト・エンド公演はブリストル・ヒポドロムに移行し、その後全英ツアーを行なった。イギリスでは子役の労働法が厳しく、4か月ごとにアニー役を交代せねばならなかった。ツアー公演前のヴィクトリア・パレスの最後のアニー役の1人には当時10歳であったリーズ出身のクラウディア・ブラッドリーがおり、1981年にBBCで放送された『Fame 』に登場した。

1997年、ブロードウェイ再演

1997年にはオリジナル製作20周年の記念公演『Annie, the 20th Anniversary』としてブロードウェイにあるマーティン・ベック劇場(現アル・ヒアシュフェルド劇場)で復活した[4]。ハニガン役をネル・カーターが担当したが、他のキャラクターの選考には疑惑が伴っていた。アニー役に抜擢されたジョアナ・パシティはボストンで気管支炎を患って公演2週間前に突如ジュライ役のブリトニー・キッシンガーに交代した[5]。プレ・ブロードウェイ・ツアーはコロニアル劇場で上演された。開幕初日、アニー役代役および孤児役のアレキサンドラ・キースマンがパシティの代わりにアニー役を演じた。その後アニー役はキッシンガーが演じた。コネチカット州にあるオークデイル劇場に移行し、プログラムにはアニー役はキッシンガーと記されていた。世間ではデパートメント・ストアのメイシーズがスポンサーとなった、アニー役コンテストでパシティが優勝したことが知られていた。レビューも振るわず、結果的に短期間で公演は終了したが、続く全米ツアーは成功した。当時8歳であったキッシンガーがブロードウェイ公演アニー役最年少記録となった。

コマーシャルにおいて、ミス・ハニガン役のネル・カーターの代わりに白人女優のマーシャ・ルイスが出演していたことにより、カーターが非常に落胆していると報じられた。プロデューサーたちは撮影し直すには費用がかかりすぎるとして以前のプロダクションで製作したコマーシャルを使用しただけだと主張した。しかしカーターはこれを人種差別と感じ、『ニューヨーク・ポスト』紙に「おそらくミス・ハニガンを演じるネル・カーターが黒人だと知られたくなかったのだろう」と語った。ただしこのコマーシャルにはカーターが出演することに言及していた。カーターはさらに「とても傷付いた」とし、「黒人女性としての私を侮辱しており、放送を中止してくれるよう頼んだ」と語った[6]。のちに「カーターではなく、以前のミス・ハニガンの白人が出演するコマーシャルを放送することを決めたプロデューサーたちを差別主義者と呼び、木曜の公演は休演する」と報じられた[7]。AP通信によると、カーターは「私および私の代理人はこのコマーシャルについて何度も解決しようとしたが、先方から何もできないと言われた」と語った。「そのため私は断念することにした」。木曜日には『ニューヨーク・ポスト』紙において、カーターは人種差別を主張していたが、「私はこの公演のプロデューサーか誰かを人種差別で非難したことはない」と語った。プロデューサーたちは新しいコマーシャルを撮影するには費用がかかり過ぎると語っている[8]。その後、製作陣はカーターを降板させ、白人女優サリー・ストラザースを起用した。14回のプレビュー公演、239回の本公演の後、1997年10月19日に閉幕した[9]

1998年、ウエスト・エンド再演

1998年9月30日から1999年2月28日まで、ヴィクトリア・パレスにてウエスト・エンド再演が上演された。ミス・ハニガン役は当初レスリー・ジョセフが主演していたが、その後ポール・オクラディが女装したキャラクターであるリリー・サヴェイジが演じ、ウォーバックス役はケヴィン・コルソンが演じていた。アニー役はシャーリン・バートン、ターシャ・ゴールド、リディ・ゴア、ソフィ・マクシェラが演じた[10]

1999年 - 2000年、全米ツアー

1999年8月、ブロードウェイ再演終了後、メレディス・アン・ブルがアニー役を演じた全米ツアー公演が開幕した。2000年春、ダフィ役を演じていたアシュリー・ウィアロンスキがアニー役を演じることとなった。2000年7月、ダナ・ベネディクトがアニー役を演じることとなった。

2000年 - 2001年、オーストラリア・ツアー

2000年から2001年にかけ、シドニー、メルボルン、ブリスベンを巡業するオーストラリア・ツアーが行われた。ウォーバックスをアンソニー・ウォーロウ、ミス・ハニガンをアマンダ・マグルトンが演じた。ウォーロウのために新曲『Why Should I Change a Thing』が追加された[11]。アニー役はレイチェル・マーリーとジョディ・マゴウが演じた。各都市でアニー役2人と、7人の孤児のうち2人が新たに参加していた[12]

2001年 - 2010年、全英ツアー

2001年、リンカーンのシアター・ロイヤルでの1か月公演を含む全英ツアーが上演された。アニー役はケイト・ウィニーとジェマ・カーライル、グレイス役はルイス・イングリッシュ、ミス・ハニガン役はヴィッキー・ミシェル、ウォーバックス役はサイモン・マスタートン・スミスが演じた。公演は成功し、最初の2回のツアーとマレーシアゲンティンハイランドではアニー役はフェイ・スピトルハウスとルーシー・メイ・ベイカーが演じた。ミス・ハニガン役はスー・ポラードとルース・マドック、ウォーバックス役はマーク・ウィンターが演じた。2001年からのツアーが2007年に一時終了し、2008年9月に再開した。2011年、ミス・ハニガン役はポラード、ウォーバックス役はデイヴィッド・マカリスター、アニー役はヴィクトリア・サイアン・ルイス、グレイス役はシモン・クラドックが演じ、終演した[13]

2005年 - 2010年、全米ツアー

2005年8月、ネットワークス・ツアーズによる30周年記念ツアー公演が開幕した[14]。マーティン・チャーニンが演出を担当した。初年度、ウォーバックス役はジョン・シャック、ミス・ハニガン役はエイリーン・ロバートソン、アニー役はマリッサ・オドネルが演じた[15]。途中、モリー役がアマンダ・バロンになるなどいくつかの交代が行われた。次年度もアニー役はオドネルが演じた[16]。2007年3月25日、2006年度のツアー公演はメリーランド州ボルチモアにあるヒポドロム・シアターで終了した。2007年度、アニー役はバロンが演じ、2008年度、ティアナ・スティーヴンスが演じた。マディソン・カースがアニー役の準備中、バロンが一時的に復帰した。モリー役はマッケンジー・アラジャムが演じた。2009年度、ほぼ前年度と同じ出演者で、アニー役はカース、ジュライ役はフロリダ州サラソータのスポットライト・キッズであったジョーダン・ボーゼムが演じた[17][18]

2012年、ブロードウェイ再演

2012年からブロードウェイにて35周年記念リバイバル公演が開幕した。トーマス・ミーハンが改訂し、ジェイムズ・ラパインが演出した[19]。アニー役はライラ・クロフォードとブリール・エイヴァ・ペリー[20]、ミス・ハニガン役はケイティ・フィンラン[21]、ウォーバックス役はアンソニー・ウォーロウが演じた[22]。グレイス役はブリン・オマリー、ルースター役はクラーク・ソレル、リリー役はJ・エレイン・マーコスが演じた[23]。2012年10月3日、パレス・シアターでプレビュー公演が、11月8日に本公演が開幕し、評価は賛否両論であった[23]。ミス・ハニガン役はジェーン・リンチフェイス・プリンスに交代した[24][25]。7月30日、クロフォードの代わりにテイラー・リチャードソンとセイディー・シンクがアニー役のダブル・キャストとなった[26]。38回のプレビュー公演、487回の本公演の後、2014年1月5日に閉幕した[27]

2017年、ウエスト・エンド再演

2017年、ロンドンにあるピカディリー・シアターにて、5月23日からプレビュー公演が、6月5日から本公演が上演され、2018年1月6日に閉幕する予定である。ミランダ・ハートがミス・ハニガン役でミュージカル・デビューし、9月17日まで出演する。ニコライ・フォスターが演出し、マイケル・ハリソンとデイヴィッド・イアンがプロデュースする。2015年度の全英・アイルランド・ツアーと同様、クレイグ・レヴェル・ハーウッド、レスリー・ジョセフ、ジョディ・プレンガー、エレイン・C・スミスが出演する[28]

海外プロダクション

カナダ(1978年, 2022年)、アルゼンチン(1982年1)、オーストラリア(1978年1、2000年、2011年1、2012年)、デンマーク(1982年)、ドイツ(1999年)、ハンガリー(1998年)、アイルランド(2003年、2016年3)、イスラエル(2001年1、2010年)、イタリア(1982年、2006年)、日本(1978年、1986年 - )2イギリス(1978年1、1983年、1998年、2000年 – 2010年(ツアー))、メキシコ(1979年1、1991年、2010年、2015年)、オランダ(1997年 - 1999年1、2005年 - 2007年1、2012年 - 2013年1)、ノルウェー(1991年1、2004年1、2013年)、フィリピン(1978年、1987年、1998年、2016年)、ポルトガル(1982年1、2010年)、スペイン(1982年1、2000年1、2010年)、スウェーデン(1979年(ストックホルム)、1999年(ストックホルム)、2005年 - 2006年(マルメ)1)、ペルー(1986年、1997年、2002年)、ジンバブエ(2003年)、ロシア(2002年 - 2009年)、コロンビア(2006年)、ベルギー(1992年、2008年 - 2009年、2012年)、ポーランド(1989年)、韓国(1984年、1996年、2006年 - 2007年、2010年 - 2011年、2018年 - 2019年, 2024年)、香港(2012年)、北アメリカ(1978年、2003年)、アラブ首長国連邦(2009年(ドバイ))、デンマーク(2011年)、プエルトリコ(2012年)、シンガポール(2012年)など世界各地で現地キャストによる公演も行なわれている。

1公式キャスト・レコーディングがリリースされている。

2日本では毎年新たなアニー役によるスペシャル・デモ・レコーディングが収録されている。

32016年のアイルランド公演ではアニー役とモリー役は交代で演じられた。

日本版

日本では1978年東宝により日生劇場においてミュージカルが初演された。宝塚歌劇団の娘役の中でも特に身長が低かった愛田まちが主役のアニーを演じた。2014年公演でグレース役に起用された生田智子は、この東宝版に子役キャストとして出演していた。

1986年には、日本テレビの主催・製作で、「日本信販ミュージカル」として上演された。アニー役はアントニオ猪木倍賞美津子夫妻の娘である猪木寛子と、後に検察官を経て衆議院議員となった菅野志桜里がダブルキャストで演じた。2015年公演を「30年記念公演」としており、1986年公演を「初演」とカウントしている。なお、冠スポンサーは日本信販→明治生命(1989年 - 2002年)を経て、2003年より現在の丸美屋食品が務めている。

出演者は、毎年オーディションを実施するため、一部の役を除いて毎年顔触れが異なる。大人のキャストには、佐藤仁美2013年)や浅香唯2014年、いずれもハニガン役)など、ミュージカル未経験の男優・女優・タレントを起用することもある。子役のキャストは、毎年9000名を超える応募者から、書類選考・オーディションを経て28名(アニー役は2名)を選出。選出後には、劇中でタップダンスを披露する「タップキッズ」以外の子役を、ダブルキャスト方式で「スマイル組」と「トゥモロー組」に振り分けている。またウォーバックス役の男優は、三田村邦彦まではスキンヘッドにしていたが、藤本隆宏以降は止めている。

以前は、全国各地で公演を実施していた。現在は、ゴールデンウィーク中に東京公演(新国立劇場、2014年まで29年間は青山劇場、しかし2020年は中止)、夏休みの期間に東京以外の都市で地方公演、クリスマスの直前に東京で「クリスマスコンサート」を開催するスケジュールが定着している。地方公演では、毎年開催される大阪名古屋に加えて、その他の地方都市1〜2ヶ所を年替わりで開催地に指定している。ダブルキャスト方式のアニー役以外の子役は、開催地に応じて「スマイル組」か「トゥモロー組」のいずれかが出演。「クリスマスコンサート」への出演を最後に、当該年の子役が全員「卒業」することになっている。

現在は、「チーム・バケツ」「チーム・モップ」というチーム名で公演。劇中でダンスを披露する子役を「タップキッズ」から「ダンスキッズ」に変更し公演している。

演出は、1978年の東宝版は尾崎洋一、日本テレビ版は1986年から2000年まで篠崎光正、2001年から2016年はジョエル・ビショッフ[29]、2017年からは山田和也が演出を担当している[30]

日本テレビでは毎年、情報番組特別番組で子役オーディション・レッスンの模様を紹介している。

2020年は、新型コロナウイルスの感染拡大の影響により東京公演・地方公演とも中止となった。選ばれていた子役については2021年の公演に出演することとなった[31]

2021年もコロナ禍により4月24日の東京公演のみ行われ、それ以降はすべて中止となった[32]

出演者

さらに見る 年度, 回 (代) ...
出演者
年度
(代)
ウォーバックスハニガングレースルースターリリールーズベルト大統領アニーモリーケイトテシーペパージュライダフィサンディ
19780若山富三郎平井道子近衛真理真島茂樹新倉まり子永井秀明愛田まち
1986財津一郎夏木マリ
/秋川リサ
若葉ひろみ尾藤イサオ汀映蒼良猪木寛子菅野志桜里城川奈穂矢野美実柳志乃檜山恵理子杉本愛茂木・グレース・美香広川映里夏石鍋さとみ新井里佳金子琴江上里あすか鴇沢麻由子サンディ
19872順みつき鳥居かほり西部里菜安間千紘井村翔子久積絵夢鹿子木絵梨矢野美実佐藤夕美子湯本綾子荒川遥早川美也子門脇幸尾藤江里子石鍋さとみ
19883上條恒彦夏木マリ庄野真代ジェイ川平北村岳子柳志乃小山菜穂椎野愛木内麻理前之園麻里亜リサ・パトリック石鍋さとみ湯本綾子浅利リサ鳥原英美子宮本麻己深澤恵理子
19894浅茅陽子神崎愛嶋田久作大石直美椎野愛岩崎ひろみ近藤久美絵小川翼増谷麻由山迫亜美香木内麻理里見梨湖湯本綾子リサ・パトリック茅野佐智恵石渡加世子新井里佳塚原陽世
19905白木美貴子渋谷哲平
/園岡新太郎
森以鶴美飯尾麻耶三島知子峯麻衣子目黒杏理久積絵夢相沢真諭子池田綾乃香取夏実大朏美樹清水美幸松本美香上田富士子小古呂吉笑川内裕美
19916上月晃峰さを理郡司行雄林選鈴木奈央多田葵海宝茜伊藤実華為田真美大嶽成寺島由里佳瞰野純大村真有美清水美幸池田順子森野文子塚原陽世田淵清弥
19927岡村喬生汀夏子小宮健吾伊吹あい河野由佳遠山真澄宇田川佳世小野寺麻美田中香織栗原由佳江夏加恋葛谷知花大堀茜朝倉ゆかり瀧本瞳岡内美喜子佐藤優橋本真由美
19938平野忠彦金井克子大輝ゆう金井れな西田彩香平野綾香冨田麻帆松本明由実栗原真弥手島由莉渡辺真美澤田祥子石井千晶仁平美和赤峰宏枝宮田はるな河田真紀
19949安南潤ヒロコ・グレース岩崎ひろし高崎絵里子中野美穂谷井里衣兼子彩海上愛優美佐藤美芳斉藤伶佳鷹野沙弥香浅野史織大津かおり大貫杏里小田島クリスティンマイヤース雪野山口絵美竹谷奈緒子
199510大和田伸也今陽子桝川譲治西口久美子前田織里奈水野貴以秋かえで岡崎愛伊藤夕紀安部寛美五十嵐恵留岡崎桂子桑原真代田代理紗中村志保山田裕美子高橋花衣中川知子
199611岡田眞澄日向薫瀧本瞳安藤由紀山下結穂皆本麻帆山田千晴鈴木晴香中屋里恵金山亜衣鈴木貴絵植松絵梨子安田有希山崎恵國武沙織島渕絵美佐々木美和
1997
[33][34]
12平野忠彦秋川リサ紅エミ伊藤はじめ佐々木史恵冨岡真理央冨田麻帆小林美香三國純楓柴崎愛香齋藤彩夏赤坂さなえ石井香澄住吉玲奈秋谷希玉手瑞紀赤羽瀬里菜深野琴美羽根田朋子
199813日向薫鳥居かほり河内浩杉本彩鳥谷部はるか鳥井潤子宮崎のえる名井亜梨沙太田慶神岡実羅乃小林咲子勝目雪菜中元千恵高瀬友規奈小山紗良関口綾子木下真希高崎留美
199914夏樹陽子千堂あきほ柏木陽大勝香緒里内田莉紗田畑亜弥阿部涼夏利根川鈴華中村菜摘黒部明里深谷えりか江口潮里植本梨沙穴吹杏奈赤羽瀬里菜小野瑛世小林真梨恵宮崎恵美
200015高瀬春奈かとうれいこあいざき進也八木小織垣内彩未神岡実羅乃池澤ひとみ高橋愛子吉井更織石橋里沙今井菜津子伊藤未希中村友香富田千尋藤田舞本山智映子徳田くるみ春日彩佳
200116麻丘めぐみ鈴木早智子本間ひとし大原かおり西沢利明皆本麻帆橋本安奈稲川英里石丸椎菜松田ひかる渡辺由佳苫篠ひとみ遠野花林保泉沙耶小此木麻里名児耶ゆり小高奈月清水彩花サントス・アンナ
200217岡まゆみ岩崎良美胡桃沢ひろこ嶋崎伸夫岡田レイン川綱ゆめ藤井ゆりあ国分鈴可大崎望絵加藤結菜中西絵里香佐伯聖羅稲川実花伊宮理恵三河谷弥生松田実里鈴木貴子清水万里江
200318岡田眞澄小柳ルミ子来栖あつこ下垣真香仲原舞山田ゆらら天野咲加藤茜吉池結鈴木満梨奈菅桃子遠藤瑠香前島千亜希保泉沙耶栗原夕梨花金子ひとみ安井理絵
200419峰岸徹本間憲一今井恵理澤井杏奈宮原理子蛭薙ありさ荒原美咲奥村優希佐藤夏帆加藤結菜生駒春奈安西楓田中みいや佐伯聖羅稲川実花水谷まり髙橋依里
200520名高達男荻野目慶子川原多美子石丸椎菜鈴木満梨奈新志穂佐藤瑠花宮治舞金子海音加藤結菜中島あすか堀田杏奈武田めぐみ小松加奈北川理恵伊宮理恵妹川華
200621目黒祐樹辺見マリ加藤茜服部杏奈岡田花梨村田佳穂荒原美咲吉池愛金本南希斉藤瑞季植野真友小坂華加小川苑子生駒春奈大山知理安西楓
200722杏子太田彩乃伊藤有沙栗原沙也加小田切美織松田愛美春原早希飯塚萌木飯沼ひかる川島想妃愛宇山玲加矢野杏奈諸岡英実乗本萌岩瀬光世勝田麗美
200823山田邦子川崎麻世荻野七穂豊原江理佳飯田汐音畑みゆき阪野桃子近貞冬奈安藤玲奈西山侑里落合梨々香遠藤由麻竹田理央三代川柚姫左川桃子荒瀬眞依
200924麻倉未稀水谷あつし飯塚萌木佐々木李子浅井毬花三津間奈央堀田夏菜佐々木琴美石井日菜松本涼花工藤万実川井田夏海中原詩乃宇山玲加宇田千夏門山葉子
201025森口博子中原櫻乃澤田真里愛清水詩音大森未来衣田中愛生長瀬美津木栃尾海佑近藤里沙稲葉愛夢川田菜々子落合梨々香五味汐梨松田芙由香塩川菜摘
201126友近香寿たつき
/彩輝なお
徳永邦治近貞冬奈髙地杏美畑すみれ近貞月乃佐藤寧々佐藤薫子土井ひなた加藤心小栗万優子鈴木純麗片瀬萌南矢島夏美萩原麻乃春日希
201227松本明子彩輝なお松田賢二垣内彩未松田亜美菊池愛杉浦百恵鶴野華苗浅見優衣吉村衣桜菜國分亜沙妃富永希丹下愛結廣瀬奏南雲彩良林ひなこ大内万奈五味汐梨
201328佐藤仁美川久保拓司杉本有美吉岡花絵石川鈴菜陣あいり長曽我部夢福山さや畑すみれ黒木百合愛河賀陽菜土井ひなた前田晴美片岡芽衣原田紗野吉田菜々住川京香
201429三田村邦彦浅香唯生田智子松田賢二甲斐まり恵春海四方國分亜沙妃吉井乃歌古市夏鈴野村里桜渡邉花菜高橋舞音漆原志優石川凛々子奈良風香西村実莉木元美月小栗万優子森田真希大谷奈央
201530青木さやか木村花代崎本大海篠塚勝黒川桃花前田優奈吉田明花音宮島瑠南中村華藤巻杏慈林英美衣伊集院茉衣齊藤真尋鶴若咲季三浦理香子錦織多希片岡芽衣川村咲季
201631遼河はるひ大口兼悟[注釈 2]野呂佳代園岡新太郎河内桃子池田葵池下リリコ桑原愛佳竹田雛乃田中樹音松山結香池田遙花高橋舞音井福杏寿河賀陽菜山口のん影山実奈阿部日菜子
201732藤本隆宏マルシア彩乃かなみ青柳塁斗山本紗也加野村里桜会百花小金花奈今村貴空林咲樂年友紗良井上碧久慈あい小池佑奈吉田天音笠井日向相澤絵里菜宍野凜々子野村愛梨
2018[35]33辺見えみり白羽ゆり伊藤広祥新井夢乃宮城弥榮尾上凜島田沙季歌田雛芽込山翔愛音地美恩林歩美田中樹音武藤光璃山下琴菜河﨑千尋藤田ひとみ山本樹里
201934早見優蒼乃夕妃服部杏奈阿部裕岡菜々子山﨑玲奈三浦あかり石井瑠菜塩原くらら斎藤藍舟久保美咲希成石亜里紗古矢茉那洞桃香梁世姫小池佑奈山口紗來吉田葵イエヤスメープル
2020
-2021[注釈 3]
35マルシア笠松はる栗山航河西智美 伊藤俊彦荒井美虹德山しずく山﨑もも矢山花成瀬綾菜難波夏未木内彩音加藤凪紗久野純怜山岡さくら藪田美怜長曽我部 夢大谷紗蘭宿口詩乃
202236葛山信吾財木琢磨島ゆいか山崎杏山本花帆新谷彩羽成瀬みずき山口菜々美久住星空小田島優月北村栞深澤七子シーセンきあら黒川明美小林桜神澤七緒岩渕心咲 家康
202337藤本隆宏 ひのあらた深町ようこ西光里咲井手陽菜乃南里侑明和田愛海和田知怜大矢結姫川野未琴難波夏未橋元優坂本柚月小金花奈能重歩実山﨑結香 メープル / おこげ
2024 38 須藤理彩天翔愛岡田悠李絢田祐生橋本杏菜石川愛梨辻乃之花大谷茉奈岩永桜寺島愛梨設楽乃愛長尾咲南菅原悠衣今関望叶小林さくら朝日美琴おこげ
2025 39 愛原実花 赤名竜乃介 浜崎香帆 森田浩平 丸山果里菜 小野希子 大草愛咲 戸川稀琴 門前りりか 本間彩心 飯田音桜 ジ ヤシホ 木村律花 吉田璃杏 細川優月 原 ののか 吉岡風帆 木村友泉
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続編

1989年12月にはワシントンD.C.にあるジョン・F・ケネディ・センターにて『ハニガンの復讐』(通称:Annie2)が開幕したが酷評を受けた。脚本と楽曲に大幅な改訂が加えられたが、ブロードウェイで上演されるには至らなかった[36]

1993年には脚本と楽曲が類似した『アニー・ウォーバックス英語版』という続編が製作された。『アニー』試験興行が行われたグッドスピード・オペラ・ハウスにてマイケル・P・プライスによる演出でワークショップが行われた。オフ・ブロードウェイにあるバラエティ・アーツ・シアターで開幕し、200回上演された。

楽曲

要約
視点

† 1997年、ブロードウェイ再演でネル・カーターのシーンのために追加された。その後のプロダクションでは使用されていない。
‡ 2000年、オーストラリア・プロダクションのアンソニー・ウォーロウのシーンのために追加された。以降オプションとなったが、2012年のブロードウェイ再演でウォーロウが出演した際は使用されなかった[37]。ポール・マッカートニーがこの全曲の版権を所有している。日本では和田アキ子が「トモロウ」を「ジョージアコーヒー」の為新たな日本語訳でカバーしシングルが発売された。

レコーディング

1977年、オリジナル・ブロードウェイ・キャスト・レコーディングがリリースされ、1998年9月15日、ソニーからボーナス・トラックを収録したCDがリリースされた(ASIN: B00000AG6Z)。1995年、ワシントン・ナショナル交響楽団が演奏し、アニー役はサラ・フレンチ、ミス・ハニガン役はキム・クリスウェル、ウォーバックス役はロン・レインズが演じたロンドン・スタジオ・キャスト・レコーディングがリリースされた。

2008年、タイム・ライフ・レコードから30周年キャスト・レコーディングがリリースされた。キャロル・バーネットサリー・ストラザース、キャシー・リー・ギフォード、アンドレア・マカードル、ジョン・シャック、ハーヴ・プレスネル、ゲイリー・ビーチ、アマンダ・バロンなどの元出演者たちによるオールスター・キャストのほか、30周年ツアー公演出演者が参加している。1枚目に公演全編を収録し、2枚目にオリジナル・プロダクションからカットまたは追加された楽曲、および続編『アニー2: ミス・ハニガンズ・リベンジ』の楽曲、1977年の『アニー・クリスマス・スペシャル』の楽曲を収録した2枚組CDとなっている。ブックレットは『リトル・マーメイド』のアリエルやアースラのクリエイターであるフィロ・バーンハートがコミック・ブック・スタイルで描いている[38]

映画およびテレビ

要約
視点

1982年にはコロンビア ピクチャーズによりミュージカル映画アニー』が製作された。ウォーバックス役はアルバート・フィニー、ミス・ハンニガン役はキャロル・バーネット、グレース・ファレル役はアン・ラインキング、ルースター役はティム・カリー、リリー役はバーナデット・ピーターズ、アニー役はアイリーン・クインが演じている。1995年には続編となるテレビ映画アニー2』も製作され、アシュレー・ジョンソンジョーン・コリンズ、ジョージ・ハーン、イアン・マクダーミドが出演した。『Tomorrow 』のリプライズ以外の曲は使用されていない。

1999年にはディズニーによってテレビ映画としてリメイクされた。ロブ・マーシャルが監督し、ウォーバックス役はヴィクター・ガーバー、ミス・ハニガン役はキャシー・ベイツ、グレース・ファレル役はオードラ・マクドナルド、ルースター役はアラン・カミング、リリー役はクリスティン・チェノウェス、アニー役は新人のアリシア・モートンが演じている。

2006年、オリジナル・ブロードウェイおよび全米ツアーで孤児役の1人であったジュリー・スティーヴンスおよびパートナーのギル・ケイツ・ジュニアの監督およびプロデュースによりドキュメンタリー映画Life After Tomorrow』が製作された。孤児役を演じた女性40名以上が集結し、文化的現象ともなった『アニー』に子役として出演した経験を語った。ショウタイムで公開され、2008年にDVDでリリースされた。

2011年1月、『バラエティ』誌により、ウィル・スミスが映画の現代版リメイクを検討し、妻ジェイダ・ピンケット=スミスとラッパーのジェイ・Zがプロデュースし、コロンビア映画で公開されると報じられた[39]。アニー役をウィル・スミスの娘ウィロー・スミスが務めると報じられたが[40]、製作が開始される前にウィローは成長してしまったため、『ハッシュパピー 〜バスタブ島の少女〜』でアカデミー賞にノミネートされたクヮヴェンジャネ・ウォレスに交代した[41]。『ANNIE/アニー』の監督はウィル・グラックが務め、アメリカ合衆国では2014年12月19日に公開された[42][43]。日本では2015年1月24日より全国公開されたほか、109シネマズMM横浜クロージング作品としても上映された[44][45]。ウォーバックスから変更されたウィル・スタックス役はジェイミー・フォックス[46]、グレース・ファレル役はローズ・バーン、ミス・ハニガン役はキャメロン・ディアスが演じている[47]。音楽はオリジナル版の曲の多くを使用し、グレッグ・カースティンとシーアのプロデュースによる新曲も追加された[48]。時代設定は世界大恐慌直後の1933年のニューヨークが舞台から現代に変更され、人物設定も異なっている[45]

ポピュラー・カルチャー

要約
視点

『アニー』はその人気によりポピュラー・メディアで多く取り上げられている。2002年の映画『オースティン・パワーズ ゴールドメンバー』においてDr.イーブルマイク・マイヤーズ)とミニー・ミー(ヴァーン・トロイヤー)が『Hard Knock Life』のジェイ・Z版を歌う。1994年のジョン・ウォーターズ監督および脚本のダーク・コメディ映画『シリアル・ママ』においてミセス・ジェンセンが1982年の映画『アニー』を観ながら『Tomorrow』を歌っているとシリアルキラーとされるベヴァリー(キャスリーン・ターナー)に羊の足で撲殺される。2005年の映画『Reefer Madness』において風刺的ミュージカルの最後にフランクリン・ルーズベルト大統領(アラン・カミング)がデウス・エクス・マキナとして登場し、群衆に向かい「かつてある少女が私に明日はまた日が昇ると語った。彼女の養父は権力のある億万長者だったため、彼女に面と向かって笑い飛ばすのをやめたが、しかし彼女は本当にいいことに気が付いたと思う」と語る。

テレビでの言及を以下に示す:

アニメ映画『Igor』のクライマックスにアニーを模した巨大ロボットが登場する。

その他の著名なメディアにおける言及を以下に示す:

受賞歴

オリジナル・ブロードウェイ・プロダクション

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部門 ノミネート者 結果
1977 トニー賞 ミュージカル作品賞 受賞
ミュージカル脚本賞 トーマス・ミーハン 受賞
作曲賞 チャールズ・ストラウス
マーティン・チャーニン
受賞
ミュージカル主演男優賞 レイド・シェルトン ノミネート
ミュージカル主演女優賞 アンドレア・マカードル ノミネート
ドロシー・ラウドン 受賞
ミュージカル演出賞 マーティン・チャーニン ノミネート
振付賞 ピーター・ジェナロ 受賞
装置デザイン賞 デイヴィッド・ミッチェル 受賞
衣裳デザイン賞 セオニ・V・アルドリッジ 受賞
ドラマ・デスク・アワード ミュージカル作品賞 受賞
ミュージカル脚本賞 トーマス・ミーハン 受賞
ミュージカル主演男優賞 レイド・シェルトン ノミネート
ミュージカル助演女優賞 ドロシー・ラウドン 受賞
ミュージカル演出賞 マーティン・チャーニン 受賞
振付賞 ピーター・ジェナロ 受賞
作曲賞 チャールズ・ストラウス ノミネート
作詞賞 マーティン・チャーニン 受賞
衣裳デザイン賞 セオニ・V・アルドリッジ 受賞
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1997年、ブロードウェイ再演

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部門 ノミネート者 結果
1997 トニー賞 再演ミュージカル作品賞 ノミネート
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1998年、ロンドン再演

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部門 ノミネート者 結果
1999 ローレンス・オリヴィエ賞 ミュージカル助演賞 アンドリュー・ケネディ ノミネート
振付賞 ピーター・ジェナロ ノミネート
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2013年、ブロードウェイ再演

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部門 ノミネート者 結果
2013 トニー賞 再演ミュージカル作品賞 ノミネート
ドラマ・デスク・アワード ミュージカル男優賞 アンソニー・ウォーロウ ノミネート
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脚注

関連項目

外部リンク

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