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風祭ゆき

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風祭 ゆき(かざまつり ゆき、1953年8月15日 - )[1]は、日本の女優。本名は長谷部 さより(旧姓・吉田)。東京都出身[2]。夫は映画・ドラマの作曲家編曲家である長谷部徹

概要 かざまつり ゆき 風祭 ゆき, 本名 ...

日活ロマンポルノの黄金期を支えた女優の1人[3]。その後、一般映画やテレビ、舞台に活動の場を広げ、演技派女優として活躍した。株式会社グッドラックカンパニー所属。

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来歴

東京都立戸山高等学校卒業。武蔵野音楽大学短期大学部声楽科卒業[2]

1973年(昭和48年)(20歳)、NET非情のライセンス』(天知茂主演)で「吉田さより」の女優名で一般女優として芸能界デビュー(ドラマデビュー)。音大卒業後の1977年(昭和52年)(24歳)、新藤兼人監督の映画『竹山ひとり旅』で映画デビュー。以後3年間、本名で芸能活動を続けた。

とある雑誌でセミヌードになったのがきっかけとなり[4]1979年日活からロマンポルノへの出演依頼があった。1年間拒否し続けたが、“巨匠”である映画監督・大島渚監督[注 1]に説得され、ヌード場面のある映画に出演することを決断した。6年間の一般女優生活を経た1980年(昭和55年)、「風祭ゆき」名義でにっかつロマンポルノ作品『赤い通り雨』で主演デビュー[5]。 以来、スレンダーな肉体と美貌を活かして、ロマンポルノの佳作、名作に多数出演。

一方、同時期に『セーラー服と機関銃』(1981年)、『伊賀忍法帖』(1982年)、『十階のモスキート』(1983年)などの一般映画や、『刑事ヨロシク』(1982年)、『波の盆』(1983年)といったテレビドラマへの出演も続けた。

ロマンポルノ終了の年の佳作『ラスト・キャバレー』(1988年)への出演を最後に、一般映画、テレビ、オリジナルビデオ、さらには舞台を女優活動の中心として、演技派の美人女優として活躍した。舞台は山本陽子公演、杉良太郎公演など多数出演している。

2000年(平成12年)には、ロマンポルノをめぐるドキュメンタリー作品『サディスティック&マゾヒスティック』に、また2003年(平成15年)には、クエンティン・タランティーノ監督に請われて『キル・ビル』に出演している。

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ロマンポルノ

要約
視点

ポルノデビュー

ロマンポルノ出演にあたり大島渚から説得されたのは、当時の所属事務所社長の兄が大島だったことが理由[4]。風祭に対して大島監督は、「ああいう仕事って言うのは、”女優っていう者が如何に肉体労働者であるか”っていう事を実感する、その最たるものなんだから、軽く考えて体操だと思ってやってきなさい。なにより、1本の映画を背負う主役をやるということは、1度は経験しなきゃね。鶏口となるも、牛後となるなかれ、ですよ。」と後押ししたという(2001年平成13年)のトークショウで風祭自身が回顧していた)。

27歳でデビューしたが体型が細かったため、プロデューサーから「こいつ(風祭)はレイプしかない」と出演作のジャンルを決められ[4]、その後レイプ・クイーンと呼ばれるまでになった。また、当時非常に人気があった“SM映画”に出演する話も出ていて風祭本人も迷っていたが、日活の幹部から「君は体が華奢でオッパイが小さいから縛ってもだめだ」と言われ、SM映画には出演しなかったとされる。

ちなみに当時役者をする恋人がいたが、彼から「19、20歳ならロマンポルノを女優としてのステップにするのもいいけど、今さら裸になることはないんじゃないのか?」と反対され、そのままケンカになり破局してしまったという[4]

その後の活躍

ポルノデビューからほどなくして“レイプ・クイーン”と呼ばれるようになり、1980年代のにっかつロマンポルノの黄金期を支えた[6]。また、一部では「ロマンポルノの松坂慶子」とも称され、美貌でファンを魅了した[4]

『赤い通り雨』のデビュー後、主演として『妻たちの性体験 夫の眼の前で、今…』(1980年)、『女教師 汚れた放課後』(1981年)、『美姉妹 犯す』(1982年)、『恥辱の部屋』(1982年)、『性的犯罪』(1983年)などに出演。また助演として『後から前から』(1980年)、『犯され志願』(1982年)、『マダムスキャンダル 10秒死なせて』(1982年)、『暗室』(1983年)、『武蔵野心中』(1983年)などに出演した。小原宏裕小沼勝西村昭五郎武田一成といったロマンポルノの監督たちの作品ばかりでなく、中原俊崔洋一監督の初期作品にも出演している。

ロマンポルノには計24本に出演した[6]。後年、当時を振り返り「作品作りに真剣に向き合うスタッフさんたちに囲まれ、充実していたあの現場にいられて幸せでした」と述べている[4]

ポルノ時代のエピソード

ロマンポルノ時代は主にレイプもので活躍したが、若い男優たちは手加減なく撮影に臨む者が多かったため、風祭は身体をあちこちぶつけて生傷が耐えなかった[4]。当時のにっかつの濡れ場はサイレントで撮影され、音はアフレコで入れていたため、撮影中は「事前の話と違うじゃない!」、「痛った〜い!」などと色々叫びまくっていたとのこと[6]。また、経験が浅い別の若い男優とのレイプシーンでは、襲われる側の風祭の方から「そうじゃなくてこっちから襲いなさいよ!」と撮影中に指導したこともあったという[4]

ロマンポルノ時代の苦労話として前貼りを挙げている[4]。前張りは作品を追うごとにどんどん小さくなり[注 2]、それに合わせて陰毛処理の範囲も広がっていき、最後には全部剃ったという。後日ある監督から、濡れた下着越しにヘアを透けさせて撮るため前貼りを取るよう指示された。風祭が「前貼り取ったら何も生えてませんよ[注 3]」と告げたため、前貼りの上に付け毛をして下着を履いて撮影することになったという[注 4]

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人物

スクリーンでのイメージとは異なり、活動的で男まさりの趣味も多く、車の運転(レーサー志望であった)やクレー射撃、カメラなどをたしなんでいる。またMacWindowsスキルが高く、女優仲間や映画監督の家にパソコンを教えに行ったり、インターネットLANの設定をしたり、ウェブサイト作成をしたりという一面もある。さらに自動車関連団体のウェブページの作成・管理もしている。近年は愛犬(犬種はボルゾイ)を連れて各地のドッグショーに参戦している。今までに大型狩猟犬(体高80センチ)の高級犬ボルゾイを合計6匹飼ったことがあり、2010年代もボルゾイを2匹飼っている。ドッグショーに参加することが多く、優勝を目指して日々犬たちの訓練に励んでいる。

交友関係

親友は女優・朝比奈順子(同い年であり、日活ロマンポルノで同じ1980年代前半に活躍した)。

出演

要約
視点

以下の出演リストは主に所属事務所のプロフィールによる[1]

映画

成人向け映画

※特記がなければ日活ロマンポルノ作品。

  • 赤い通り雨(1980年) - 植草悠子
  • 愛の白昼夢(1980年) - 亜起子
  • 妻たちの性体験 夫の眼の前で、今…(1980年) - 坂本沙織
  • 後から前から(1980年) - 修子
  • 聖女快楽絵図(1980年、東映)*吉田さより名義
  • 女教師 汚れた放課後(根岸吉太郎監督作品、1981年) - 倉田咲子
  • 欲情まんかい 若妻同窓会(1981年) - 友田朝子
  • 愛欲生活 夜よ、濡らして(1981年) - 仁科友絵
  • ズーム・アップ 暴行白書(1981年) - 脇村塔子
  • 悪女軍団(1981年) - 堀越真紀
  • 美姉妹 犯す(1982年) - 澪子
  • 闇に抱かれて(1982年) - 片山美枝子
  • 犯され志願(1982年) - 下元ますみ
  • マダムスキャンダル 10秒死なせて(1982年) - 洋子
  • 女教師狩り(1982年) - 島子
  • 恥辱の部屋(1982年) - 千鶴子
  • 火照る姫 ホテルヒメ(1983年) - 塚本ケイ
  • 襲われる女教師(1983年) - 津島恵子
  • 性的犯罪(崔洋一監督作品、1983年) - 藤森須磨子
  • 武蔵野心中(1983年) - 津島緋紗子
  • 暗室(1983年) - 圭子
  • 魔性の香り(1985年) - 三代江
  • ラスト・キャバレー(1988年) - 椎名真理子

テレビドラマ

その他の番組

ほか多数

ラジオ

オリジナルビデオ

舞台

  • ペテルブルグの夢 罪と罰より 紀伊国屋ホール
  • 雪まろげ 芸術座
  • 姿三四郎 名古屋名鉄ホール
  • 関の弥太っぺ 五木ひろし公演 名古屋御園座
  • 越後獅子祭り 五木ひろし公演 明治座
  • 姿三四郎 細川たかし公演 梅田コマ劇場
  • 女ネズミ小僧 小林幸子公演 新宿コマ劇場
  • 忠臣蔵 全国公演
  • 冷たい女 博品館劇場
  • 花のお江戸の恋侍 ドン・ジュアンより 民音ミュージカル 全国ツアー
  • 八代亜紀公演 新宿コマ劇場 梅田コマ劇場
  • 銭形平次 林与一公演 大阪中座
  • あざみの蜜 文化庁脚本賞受賞作品上演
  • 付け馬や おえん 山本陽子公演 京都南座
  • 眠狂四郎 杉良太郎公演 大阪新歌舞伎座 名古屋御園座
  • 大利根囃子 杉良太郎公演 大阪新歌舞伎座
  • 城館 文化庁戦後一幕物傑作選、北條純プロデュース公演。演出、宮永雄平、東京芸術劇場小ホール
  • 吉原炎上 新橋演舞場
  • 初雪の朝 三越劇場(2003年)
  • タップ・ミュージカル ステッピングアウト 博品館劇場および全国ツアー(2004年) - アンディ
  • ショパンとサンド 東神奈川かなっくホール(2005年) - ジョルジュ・サンド
  • 忠臣蔵外伝 劇団若獅子公演 三越劇場(2006年)
  • 沓掛時次郎 沢竜二公演 紀伊国屋ホール(2007年)
  • CHUJI 博品館劇場(2008年)
  • 「助かった!」と一息ついて…。 吉祥寺シアター(2010年)
  • レット・ミー・ビー・ゼア ラゾーナ川崎プラザソル(2010年)
  • 歓喜の歌 前進座劇場(2010年)佐伯家の母
  • OH! MY GOD!! 銀座みゆき館劇場(2011年)
  • 6人のイカレる女(劇団染地組 第3回公演)劇場MOMO(2012年)
  • カーズドファミリー〜月島家の人々 銀座みゆき館劇場(2012年) - 夢子
  • 愛しのバックストリート 池袋シアターグリーンBox in Box THEATER(2012年)
  • セレブ気取り 銀座みゆき館劇場(2013年)
  • OH! MY GOD!! 銀座みゆき館劇場(2013年)
  • カーズドファミリー〜月島家の人々 銀座みゆき館劇場(2014年) - 夢子
  • フレッド・ジンネマン監督『ハイヌーン』より  目明し金次郎 真昼の決闘 劇団若獅子公演 三越劇場(2014年)
  • スガナレル 築地ブディストホール(2015年) - コロンビーナ
  • 遠き夏の日〜国を想う心、人を、家族を、恋人を想う心 ザムザ阿佐谷(2015年)
  • OH! MY GOD!! 築地ブディストホール(2016年)
  • ショパンとサンド 東京八重洲ホール、横浜鶴見サルビアホール音楽ホール(2016年) - ジョルジュ・サンド
  • 我輩は狸である 築地ブディストホール(2016年) - ナレーター&富子
  • 希望の色 日経ホール(2016年7月) - 佐和子
  • レット・ミー・ビー・ゼア 池袋シアターグリーンBASE THEATER(2016年)
  • OH! MY GOD!! 築地ブディストホール(2017年)
  • ショパンとサンド ティアラこうとう・ジョルジュ・サンド
  • OH! MY GOD!! 築地ブディストホール(2018年)
  • ブラームスとクララ ティアラこうとう・クララ・シューマン
  • 南十字星へのプレリュード 三越劇場・マルタ
  • OH! MY GOD!! 築地ブディストホール(2019年)
  • 見えない人たち 築地ブディストホール・鬼龍院
  • 気まずい!! 築地ブディストホール・貴子
  • リストとマリーとカロリーヌ ティアラこうとう・マリー・ダグー/カロリーヌ
  • OH! MY GOD!! 築地ブディストホール(2020年)

写真集

  • 再会(1996年、コンパス)
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脚注

外部リンク

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