茨城県立カシマサッカースタジアム
茨城県鹿嶋市にあるサッカー専用競技場 ウィキペディアから
茨城県鹿嶋市にあるサッカー専用競技場 ウィキペディアから
茨城県立カシマサッカースタジアム(いばらきけんりつカシマサッカースタジアム)は、茨城県鹿嶋市にあるサッカー専用スタジアム。日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)に加盟する鹿島アントラーズがホームスタジアムとして使用している。施設は茨城県が所有し、株式会社鹿島アントラーズ・エフ・シー(鹿島アントラーズ運営会社)が指定管理者として運営管理を行っている。
茨城県立カシマサッカースタジアム Kashima Soccer Stadium カシマスタジアム | |
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施設情報 | |
所在地 | 茨城県鹿嶋市神向寺26-2 |
位置 | 北緯35度59分30.25秒 東経140度38分25.92秒 |
所有者 | 茨城県 |
運用者 | 株式会社鹿島アントラーズ・エフ・シー |
グラウンド | 天然芝 |
ピッチサイズ | 105 x 68m |
照明 | 1500ルクス |
大型映像装置 | オーロラビジョンおよび帯状映像装置(リボンビジョン) |
建設費 | 193億(改修費) |
設計者 | 茨城県土木部、日建設計 |
建設者 | 竹中工務店・住友・常総・JV、勝村・岡部・JV |
使用チーム、大会 | |
鹿島アントラーズ(Jリーグ)(1993年 - ) 2002 FIFAワールドカップ 2020年東京オリンピック | |
収容人員 | |
40,003人(うち車椅子席140席) | |
アクセス | |
JR鹿島線・鹿島臨海鉄道鹿島サッカースタジアム駅 |
新聞などの報道ではカシマサッカースタジアムやカシマスタジアム、または単にカシマと省略して称される場合がある。一方、鹿嶋市やその周辺での標識ではカシマサッカー場(Kashima Football Stadium)と表記されるものも見られる。なお、五輪サッカー競技会場となった2020年東京オリンピックでは茨城カシマスタジアム(英: Ibaraki Kashima Stadium)の名称が使用された[1]。
日本でプロサッカーリーグを創設しようという動きが具体化した1990年(平成2年)に、茨城県を拠点に活動していた住友金属蹴球団が、Jリーグへの参加を表明したことを契機として、1993年(平成5年)3月26日に収容人数約15,000人、日本初の全席背もたれ付きの個別席、スタンド全面が屋根付きの設備を有するサッカー専用スタジアムとして誕生した[2]。スタジアムは、同年5月のJリーグ初開幕に間に合わせるため着工から竣工まで、約1年という工期で建設された[2]。1998年(平成10年)には、2002 FIFAワールドカップ開催に合わせて既存設備にスタンド等を増築するなどの大規模改修が行われ、2層式スタンドを持つ収容人数41,800人[注釈 1]の現在のスタジアムの形に変わり、2001年(平成13年)から供用を再開した[2]。施設者の茨城県は自らの広報ページの中で、同スタジアムをサッカー専用施設として建設するにあたり、スタンドとピッチとの距離が近く、スタンド傾斜を大きめに取るなど、どの席からもゆったり観戦しやすいように配慮がなされた設計が行われていると紹介している[2]。
施設規模は、建築面積30,499m2、延べ床面積85,019m2を有し、主要構造部が鉄骨鉄筋コンクリート造+鉄骨造の地上6階建てで、建物の最高高さは49.5 mある。2012年現在の収容人数は40,728人で、2層式スタンドの観客席は全席背もたれ付きの独立シートを備える。サッカーの試合などが行われるフィールドは115m×78mの天然芝で、芝を養生育成するためのスプリンクラーとアンダーヒーティング設備を備えており、その他運営諸室や貴賓室、放送関係設備など、2002 FIFAワールドカップをはじめとした国際試合開催に対応できる諸設備を備えたサッカースタジアムとなっている[3]。
2006年4月1日からアントラーズの運営会社である株式会社鹿島アントラーズ・エフ・シーが指定管理者となり、現在に至るまでスタジアムを管理している。活動理念として「THE DREAM BOX.」を掲げ、スポーツ以外の事業などにも取り組んでいる[2]。現在は、サッカーの試合開催以外にも健康事業やスタジアム周辺でフリーマーケットの開催なども行っている。健康事業はアントラーズが2006年10月から開始し、厚生労働省の委託を受けた介護予防事業も行っている。
日本サッカー界で世界に通用するサッカーを目指すために、プロ化が絶対不可欠という機運が高まった1991年(平成3年)、日本サッカー協会は2年後の1993年(平成5年)5月に日本リーグをプロ化することを決定した[4]。プロサッカーリーグ参加の10チームが選ばれ、そのなかに鹿島をフランチャイズとするアントラーズの前身である住友金属工業蹴球団も10番目のチームとして滑り込みで選出された。鹿島開発以来、活気の薄れていた地元鹿島を魅力ある町にするために茨城県をはじめ、地元行政・民間・企業など懇談会を結成し検討していた関係者は、「若者が集まる地域づくりの起爆剤になる」「鹿島開発以来の黒船来航」と、これを大歓迎した[4]。
このときにアントラーズの前身である住友金属工業蹴球団がJリーグに参入する際、協会が示したJリーグ正会員となる条件の一つに「1万5000人以上収容可能な本拠地スタジアムを、平成5年春の Jリーグ開催までに確保する」というものがあった[4]。鹿島町内にはプロサッカーリーグの本拠地スタジアムとして想定されていた1万5000人の観客を収容可能な陸上競技場や球技場がなく、住金蹴球団が本拠としていた住友金属工業鹿島製鉄所(現・日本製鉄東日本製鉄所鹿島地区)内の多目的グラウンドは約5000人の収容人数で、プロサッカーリーグの基準が満たせなかった。加えて他にJリーグ参入を目指すクラブはいずれも天皇杯優勝経験のあるクラブで、Jリーグ設立準備メンバーの一人であった川淵三郎は「住友金属さんが加盟できる確率はほとんどゼロなのです。99.9999%無理ですよ」と公言するほど不利な情勢にあった[5]。しかし、川淵の(住友金属の参加を諦めさせる最後の手段であった)「観客席に屋根の付いたサッカー専用の1万5千人収容の競技場をJリーグ開幕までに完成すること」を参入条件として提示する[5] と、当時の茨城県知事・竹内藤男は県としてスタジアムの建設を確約。これが決め手となってJリーグ参入が決定すると、鹿島町が整備を進めていた鹿島灘に面する卜伝の郷運動公園内に建設予定だった3000人規模のサッカー場を、茨城県はJリーグ規格に適合する専用サッカースタジアムに計画を変更して建設することに決まった[4][6]。
1992年(平成4年)、茨城県は82億円を拠出して観客1万5000人を収容できる全席屋根付きサッカー専用スタジアムの建設が始められ、翌1993年(平成5年)に竣工した茨城県立カシマサッカースタジアムは、本格的な設備を有するサッカー専用スタジアムとしては日本初のものとなった[7]。このときのスタジアムは、敷地約4ヘクタール、天然芝のフィールドは105×68m、主要構造部は鉄筋コンクリート造でスタンドの最高高さ19.41mの地上3階建てであった[7]。
1993年(平成5年)5月4日に開かれた完工式で茨城県立カシマサッカースタジアムは誕生し[8]、式典後のこけら落としカードとなったアントラーズ対フルミネンセ(ブラジル)とのプレシーズンマッチで、ジーコがスタジアム初ゴールを挙げた[9]。そしてJリーグ公式戦としての初戦(1993年Jリーグ開幕節)である5月16日の1stステージ・対名古屋グランパスエイト戦で、ジーコがハットトリックを達成し、アントラーズは5-0で快勝した[10]。同年に開始された Jリーグの試合では、スタジアムは常に超満員の盛況となり、熱狂的な地域住民と直結のプロスポーツの殿堂となった[7]。また、ジーコは1994年の現役引退後もテクニカル・アドバイザーなどの形でアントラーズに貢献したことから、スタジアムにはジーコの銅像が建立された[注釈 2]。
2002 FIFAワールドカップの開催が日本・韓国に決まると、1992年(平成4年)7月、茨城県はワールドカップの開催地に立候補し[7]、1996年(平成8年)12月に茨城県が開催地の一つに選出された[11]。県は、国際試合にも対応できる施設を目指してスタジアムの増築・改修を決定し、ワールドカップ開催に間に合わせるため、1998年(平成10年)10月に改修工事に着工、2001年(平成13年)5月15日に竣工するまで2年8ケ月の突貫工事で工事が進められた[7]。完成した新スタジアムは、敷地面積10.7ヘクタール、スタンドは最高高さ49.5mの地上6階建て、収容人数は4万1800人(うち車椅子140席)に拡張され、2002年(平成14年)6月に、ワールドカップの会場の一つとなり、グループリーグ3試合が開催された[7]。
鉄筋6階建て、2層式スタンドに40,728人を収容し[注釈 6]、メインスタンドは東向き(西側の鹿島サッカースタジアム駅側)、バックスタンドは西向き(東側の国道51号側)に配置されており[36]、車椅子の観戦席が100席バックスタンド側にあり、国際試合に対応できる諸設備が備わる[36]。スタンド上に楕円形で波打つ形状の屋根が客席の3分の2を覆い、南側と北側の2階席に縦9.6 m×横19.2 mの大型映像装置を備える。ピッチ内に日本国内サッカースタジアムで初となるスプリンクラーを配備[37]。スタンド1、2階を分けるコンコースに、W杯開催記念の笠間焼メモリアルタイルを約2万1000枚展示し[37]、観戦者への配慮からトイレの数は560個ある[36]。スタジアム構内と隣接地に公営2630台分の駐車場がある[37]。
芝は、ケンタッキーブルーグラスという一種類のみを採用する[36]。寒地芝草で、その名の通り青に近い緑色が特徴で真夏の暑さにも強く、病気の強さ・暑さ対策・色合いの点から選ばれたものである[36]。アメリカのメジャーリーグの野球場で使用されている芝と同じ種である[36]。 また芝の管理システムは、常に安定した緑化を保てるよう、ピッチ内にスプリンクラーを設置し、地温コントロールシステム「アンダーヒーティング」を導入している[38]。ピッチ内にスプリンクラーを設置する方式は、Jリーグ公式戦使用スタジアムとしては、日本国内初である[38]。 「サッカースタジアム」と名乗っているが、芝を広めに植えていること、ゴール裏の余白があるためラグビーの試合も可能(後述)。
コンコースとは、建物2階部分に当るスタンド席裏側の広いスペースのことで、カシマスタジアムでは歩いてぐるりと1周することができる。イベント会場にもなりコミュニケーションの場としても提供される[36]。フーリガン対策として、各入場ゲートにセキュリティーフェンスを設置し、場内やコンコースに監視カメラを58台設置するなどハード面での対策が講じられている[36]。
旧茨城県立カシマサッカースタジアムは、茨城県のスポーツ振興の拠点であるとともに、鹿島アントラーズのホームグラウンドともなり、1993年5月の初オープンから2000年9月の増改修のため一時休止されるまでの約7年半の間、Jリーグを中心にサッカー公式戦が開催された。 国内サッカースタジアムとして日本初のものは、(1) 全ての観客席が屋根付き、(2) 四方とも観客席が独立した椅子席、(3) 1500ルクスの高照度夜間照明、(4) セルシステム採用の天然芝フィールドであった[44]。 これらは当時のサッカー場の水準を上回る最新設備であり、1万5000人規模のサッカースタジアムとしてみれば世界一の設備を有するもので[45]、国内サッカー場の中でもカシマスタジアムの大きな特徴にもなった。
当初から、将来日本でワールドカップが開催された場合に対応できるように、4万人程度の収容能力に高める余地を残した設計がなされており[12]、建設ではJリーグ開幕に間に合わせるため、プレキャスト (PC) 工法を導入するなど工期短縮の工夫が随所で見られ、わずか13カ月間で完成している。施工は、竹中工務店、住友建設、常総開発工業の共同企業体 (JV) が担当し、在来工法による工期は23カ月と試算されたが、現場近くで梁や床、階段などを製造して部品を組み立てていくことで工期を大幅に短縮した[45]。
(出典:茨城県立カシマサッカースタジアム『茨城新聞』、1993年5月4日付日刊、9面、全面広告。)
日本で初めて採用されたスイス開発のセルシステムによる天然芝のグラウンドは、芝面から45cmの深さに全面ビニルシートを敷き詰め、スリット付きのパイプを張りめぐらせて砂を敷き、芝の種を蒔いて造られたものである。セルシステムは、埋設されたパイプの水位を上下させることにより、給水、排水、肥料などの薬液を供給するシステムで、すなわちグラウンドにはスプリンクラーは無く、旧来のサッカー場では水はけを考慮して傾斜が設けられていたが、カシマでは排水勾配の必要がない傾斜率ゼロの平らなグラウンドが可能となり、これが旧スタジアム最大の特徴にもなった[45]。鹿嶋の気候に合わせフィールドには鹿島の砂が使用されており、テストして砂質に合う選び抜かれた暖地性、寒地性、日陰に強い3種類の洋芝をブレンドしたものが使用された[19][41][45]。
欧米育ちの芝にとって日本の夏場の高温多湿の気象環境は芝の育成に厳しい条件となり、カシマでは過去に2度の大規模な芝の夏枯れに見舞われている[41]。芝に着いた朝露が日光に照らされてレンズ効果で芝が焼けてしまう現象に対しては、大型扇風機を何台もピッチ脇に設置して人工的に風を起こし、露を吹き飛ばす対策を行って問題を解消させている[41]。
全ての席の頭上にテント生地の屋根が覆っており、使用された布地は東京ドームと同じ材質のものが使用された[45]。1万5000人の観客席は、ベンチ席は無くすべてが独立しており、客席1人あたりの面積は0.62m2と、従来施設平均(0.4〜0.5m2)よりゆとりある設計がされていた。メインスタンドの座席の色は太平洋に由来する青で、バックスタンドはアントラーズチームカラーの赤が使用され、ローマ字で白く「KASHIMA」と染められた[45]。
スタジアムの四隅に設けられた照明塔は1500ルクスを確保したもので、この当時、一般的な既存サッカー施設の500〜1000ルクスよりもフィールドの芝生を明るく照らし出すものが設置された[45]。
1993年の開場当初、茨城県立カシマサッカースタジアムの収容人員は15,000人だったが、その後立見席を設けたため収容人員は約16,000人となった。だが、茨城県は2002 FIFAワールドカップ(W杯)の開催地として立候補しており、茨城県立カシマサッカースタジアムを開催会場とすることも決まっていたことから、スタジアムの処遇を検討する必要に迫られた。1995年5月31日に茨城県からW杯日本招致委員会に提出された第3次(最終)開催計画では、すでにスタンドを40mの高さの2層式にして収容人数を1万5千人から4万3千人にするほかプレスゾーンも拡大し、観客席の3分の2に屋根を被せて屋根下に照明を整備する内容とされた[15]。
既存の茨城県立カシマサッカースタジアムを継続使用しながら増築する場合、安全上の問題が生じ消防法に抵触する恐れがあることから、一時はスタジアムを新規に建設する事も検討された。 W杯の茨城県開催に向けてカシマサッカースタジアムの改修か新設かを検討していた、斉藤義則茨城大学教授などの有識者らで構成する「カシマサッカースタジアム整備検討委員会」は、1996年12月19日に最終報告書を橋本昌茨城県知事へ提出し、検討委員会が示した報告書の中で「改修」「新設」の両論を併記し、それぞれの利点や課題について述べられたが、委員会としての結論は下さず最終判断は知事にゆだねた[46]。これを受けた橋本知事は、新規建設の場合は建設コストが多額に及ぶことや[注釈 10]、旧スタジアムを鹿嶋市へ譲渡・移管した場合に、鹿嶋市側の受入費用・スタジアム維持費用捻出が対応しきれないとの鹿嶋市内部の判断があったことを理由に、同年12月27日に既存の茨城県立カシマサッカースタジアムを増築することを表明し、1998年より着工して2001年開催にされるW杯プレ大会であるFIFAコンフェデレーションズカップ2001までに完成させる予定を発表した[15]。
改築事業は1998年10月から2年8カ月間に及び[38]、設計は日建設計、建築工事は竹中工務店、住友建設、勝村建設、常総開発工業、岡部工務店の5社による共同企業体 (JV) が施工を担当し[36]、初めの2年間は試合のない冬場を中心に工事が行われた[17][注釈 11]。アントラーズはこの間茨城県を離れ、ホームゲームを東京都新宿区の国立霞ヶ丘競技場陸上競技場(国立競技場)などで行った。
収容人員を約4万2000人規模とするため、既存スタンドの屋根を外して増設部分となる2階席を設置。昼間のテレビ中継で逆光による写り具合の悪さを解消するため、東側にあったメーンスタンドと西側にあったバックスタンドを、そっくり入れ替えた[41]。また、観客の利便性を向上するため観客席内の車椅子席の数を増やし、スタンドのコンコースを1周できる構造へと変更している[41]。
年間を通じて緑の芝生を維持管理するために国内初の導入例となったセルシステムは、カシマスタジアムの芝生の全面張り替えとともに撤去され、スプリンクラーへと置き換えられた[47]。その理由は、観客席スタンドを2層式とするにあたり、ピッチ面の風通しが悪くなることと、7年が経過して土壌が固まり、セルシステムが十分機能しなくなり排水のみの利用となっていたなど影響が出ており、新スタジアムの構造になるとフィールド天然芝の育成環境が大きく変化し、夏場の蒸し暑さにも十分対応しきれなくなったためである[47]。
W杯開催に向けた改修工事を終えて4万人規模に生まれ変わった新スタジアムは、2001年5月19日にオープニングゲームとなるJリーグ鹿島対柏戦を開催し、同試合前に完工記念式典が開かれた[21]。そして、同年5月31日に初の国際試合となるコンフェデレーションズカップを迎え、ブラジル対カメルーン戦が開催された[23]。
2011年3月の東日本大震災において、観客席を中心に著しく損壊。このためシーズン中での早期復旧・使用再開のため吊屋根式の照明・音響設備を撤去し、2階席の各コーナー付近に照明を設置するなどの応急修理を行ない、2011年6月からスタジアムの使用を再開[注釈 13]。シーズン終了後の12月から本格的な修復工事を行ない、2012年3月に完全復旧した。この際同時に耐震化補強が施され、照明など吊屋根式構造物の落下防止として四重の防護柵が設置されるなど、同規模地震に耐える堅牢構造となった。これにより周辺地域の防災拠点としての機能が追加された。
2017年度には、上記のホームとアウェーの応援席を入れ替えを行うとともに、開設当初からこれまで北側2階席(開設当初は南側現1階席)に使用していた得点表示専用の電光掲示板、並びに南側2階席の大型映像装置が撤去され、この箇所に新たな最新鋭の機能を兼ね備えた大型ビジョンを設置、2面マルチビジョンに移行することになった。このビジョンは既存の南側2階席にあるものよりも大きく設定されており、2016年末に着工、2017年2月の開幕までに完成を目指すとしていたが[48]、南側(新ホーム側)については、2017年2月20日のACL2017第1戦「蔚山現代FC戦」で使用開始、北側(新アウェー側)については機種更新の関係で同年4月ごろの完成を目指して工事を進めている。新ビジョンでは大型映像操作室との連携により、スーパースローカメラなどを使い、試合のダイジェストリプレーなど、観客に多彩な映像演出を展開するとしている[42]。
2021年10月1日、鹿島アントラーズの小泉文明社長がオンラインでアントラーズのビジョン構想「ビジョンKA41 Update」を発表し、2026年を目途に新スタジアムの方針を決定することを明かした[49]。
現在のスタジアムは2011年の東日本大震災による被災や、塩害などの老朽化でスタジアムを安全に管理・維持するための修理・管理費用がかさんでおり、数年前から新スタジアムの建設計画があったという。現在のスタジアムの改修・建て替え(改築)になるのか、別の場所に移設するかなどの具体的な構想については未定であるが、災害時の広域防災避難所としての機能も高めつつ、市民や来場者が利用できる多機能を備えたスタジアム建設を目指すほか、現在鹿嶋市粟生にあるクラブハウスの機能も統合・移設させる。現在のクラブハウスは下部組織の練習拠点にする計画もある[50]。
この件に関して、鹿嶋市長・錦織孝一は2021年12月市議会定例会で、アントラーズの私設応援団長を務めた河津亨による一般質問に答える形で、「鹿嶋市とアントラーズとには強い信頼関係がある。新しいスタジアムが鹿嶋市に建設されることを大前提に、全市をあげて取り組んでいる。(鹿嶋市から離れることは、)市民の心情的喪失感は、金銭的マイナスと比較にならないほど重大だ」と、鹿嶋市内に建設することをクラブ側に求めている考えを示した[51]。
試合時に販売される食品の質が国内トップクラスと称されるほど非常に高く、売店も多く出店している。人気を示す一例として、Jリーグの公式ファンサイト「J's GOAL」が2014年に行ったスタジアムグルメ投票では、カシマスタジアム内の各店舗で販売される「もつ煮」が1000票以上を集めて1位、ハムの塊を串に刺す「ハム焼き」が500票以上で8位となっていた[52]。この両者は鹿島アントラーズの公式サイトでも、「カシマサッカースタジアムはグルメスタジアムと言われるほど、色々な売店があります。定番メニューとして『もつ煮』、『五浦ハム焼き』があげられます」として触れつつ、同時にこの他の店舗も紹介されている[53]。
この他、Jリーグでのアントラーズ主催試合ではアントラーズのホームタウンとなっている鹿嶋市・神栖市・潮来市・鉾田市・行方市の5市や、フレンドリータウンとなっている茨城県・千葉県の12市町村のイベントが随時開催され、各市町村の特産食材が提供される。
古い競技場などでは、消防法や設備の関係で敷地内で火を使えず[54]、満足な食品が供給できないことも多いが、茨城県立カシマサッカースタジアムは設計段階からプロサッカーの興行で売店が出店されることを想定していたため、スタジアムコンコース各所にガスや水道のラインが整備され、消防法の基準もクリアした設計がなされており[55]、その場で大量の温かい食品を調理することが可能になっている。
公共交通機関によるアクセスは東日本旅客鉄道(JR東日本)鹿島線・鹿島臨海鉄道大洗鹿島線 鹿島サッカースタジアム駅(スタジアムまで徒歩5分)と、東京駅から鹿島神宮駅経由でスタジアム前まで運行される高速バス「かしま号」(及び臨時高速バス)が主となっている。
スタジアムが完成したことによる交通への影響は、1993年のこけら落としの試合で、国道51号や東関東自動車道などスタジアム周辺の道路で最大11kmの交通渋滞が発生し、インフラ早期整備に課題を残した[63]。これを教訓として鹿島町(現・鹿嶋市)が中心となってJR、大洗鹿島線、関東鉄道などに協力を働き掛けて、Jリーグ開幕戦に合わせて列車・バス共に増発便ができた[64]。
現在の鹿島サッカースタジアム駅は、元々はJR東日本と鹿島臨海鉄道の営業分界である「北鹿島駅」という貨物駅であり、乗客の乗降はできなかった。1991年2月に住友金属サッカー部(後の鹿島アントラーズ)のプロリーグ初年度参加が決まると、同年11月から同駅を利用するJR東日本千葉支社・日本貨物鉄道(JR貨物)関東支社・鹿島旅客鉄道、及び鹿島町と茨城県による旅客化協議が開始され、1993年5月に駅改修工事の起工式を挙行[64]、当初の目標より1年遅れて1994年のJリーグ開幕時(3月12日)より同駅を改称の上、旅客営業が開始された。同駅が工事中だった1993年シーズンは鹿島線鹿島神宮駅や大洗鹿島線鹿島大野駅からのバス輸送が行われたが、同駅の旅客営業により水戸・潮来方面からの観戦客は鉄道のみでの来場が可能になり、輸送状況は改善された[65]。なお、同駅は試合開催日にのみ大洗鹿島線の列車が停車する臨時駅となっている。
W杯が開催された2002年は、スタジアム周辺の国道、県道、市道が相次いで整備されて開通している。W杯開催に間に合うように交通インフラ整備が急ピッチで行なわれた道路は、スタジアムと直結する国道51号鹿嶋バイパス、国道124号バイパス、県道大洋鹿島線、県道鹿島港線などがあり[注釈 14]、いずれも市内の主要幹線道路の拡幅やバイパス化が行われた[41]。2002年にはおおよその交通体系の骨格が出来上がっている[41]。しかし、現在でも試合後の渋滞がたびたび発生しており、スタジアムから潮来ICや潮来バスターミナル間にバス専用レーンを設ける実験が行われている[67][68]。
2007年からは、試合前の観戦客を対象にした無料周遊観光バス「鹿嶋めぐり卜伝号」が鹿嶋市や同市観光協会などにより運行されるようになった[69]。
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