草津温泉
群馬県草津町にある温泉 ウィキペディアから
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草津温泉(くさつおんせん)は、群馬県吾妻郡草津町草津界隈(江戸時代における上野国吾妻郡草津村界隈、幕藩体制下の上州御料草津村界隈〈初期は沼田藩知行〉)に所在する温泉である。草津白根山東麓に位置する。
草津温泉 | |
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温泉情報 | |
所在地 | 群馬県吾妻郡草津町 |
交通 |
鉄道 - JR東日本吾妻線:長野原草津口駅 路線バス - JRバス関東:長野原草津口駅~草津温泉 - 草軽交通:軽井沢駅~草津温泉 高速バス - 上州ゆめぐり号:東京駅・バスタ新宿~草津温泉、渋谷駅~草津温泉 自動車 - 関越自動車道:渋川伊香保IC - 上信越自動車道:上田菅平ICロマンチック街道利用 - 上信越自動車道:信州中野IC国道292利用。積雪期通行不可 |
泉質 |
酸性泉 硫黄泉 アルミニウム |
泉温(摂氏) | 温度44.9度(西の河原)~94.5度(万代) |
湧出量 |
約32,300 L/分以上 (最大時36,000 L/分超) |
pH | 1.0~2.2 |
液性の分類 | 酸性 |
浸透圧の分類 | 低張性 |
宿泊施設数 | 171 |
総収容人員数 | 12,531 人/日 |
年間浴客数 | 約327万人 |
外部リンク | 湯Love草津 - 草津温泉観光協会 |
毎分3万2300リットル以上の自然湧出量は日本一。室町時代には万里集九が有馬温泉や下呂温泉とともに「三名泉」とし、江戸時代には林羅山もこれらの三温泉を「天下の三名泉」と記した(日本三名泉)[1][2] (cf. 1502,1662)。 江戸時代後期以降何度も作られた温泉番付の格付では、当時の最高位である大関(草津温泉は東大関)が定位置であった (cf. 1817)。
「草津温泉(くさつおんせん)」も古来からの名称であるが、かつては、「草津湯/草津の湯(くさつのゆ)[* 1][3]」、あるいは、上野国の異称である「上州」を冠して「上州草津湯/上州草津の湯」と呼ぶことが多かった。現在でもこれらを踏襲した雅称「草津の湯」「上州草津の湯」は頻用される。また、現在では「上州草津温泉」という名称も用いられるが、この表現は雅称的ニュアンスのほかに、他地域の「草津」や「草津温泉」という紛らわしい地名(※「#上州草津と他の草津」節を参照)と明確に区別する意図を含んでいる場合がある。
当地における「草津」という地名の語源は、温泉の硫化水素臭の強いがゆえに、「臭水(くさみず、くさうず、くそうず)」にあるとされる[4][5][6]。また、臭處(くさと)という説もある[6]。草津山光泉寺の縁起は、『大般若波羅蜜多経』(通称・大般若経)の一節「南方有名湯是草津湯」が由来であると説いているが[5][7]、大般若経にはこのような節はなく[8]、俗説である。同寺には、源頼朝が当地を訪ねた折りに、草を刈ったところ湯が出たという話[9]も伝わっているが、後述するように史実性は疑わしく民間語源の可能性がある。
なお、草津温泉を、上毛かるたの「く」の札で「草津(くさづ)よいとこ薬の温泉(いでゆ)」と歌っているのは、地元で「草津」を「くさづ」と読むからで、温泉水の持つ強い硫化水素臭から「くそうづ」と呼ばれたことが今日の地名の由来であるという説がある[10]。
古くから薬湯と知られており、恋の病以外は全て効くと言い伝えられている[11]。
標高1100~1200mの高地に温泉街が広がっている。北西部には、草津白根山(白根山〈2,160m、湯釜〉、本白根山〈2,171m〉、逢の峰〈2,110m〉)が聳えている(上信越高原国立公園)。
草津温泉の湯は基本的には酸性泉(酸性低張性高温泉)である。場所(源泉)によっては硫黄泉なども見受けられる。pHは2.0程度と酸性度が非常に高く、雑菌などの殺菌効果がある。この強酸性のために下流の品木ダムには酸性中和施設がある。温泉療養にも利用されており、適応症は皮膚病・神経痛・糖尿病ほか。
草津温泉は、草津白根山から東へ流れる地下水に火山ガスが出会って生じていると考えられている。降ってから数ヶ月から数年の比較的新しい地下水が主体となっており、湧出量は直前の降水量の影響を強く受けている。また、白根山の山頂に近いほどpHが低く、含有成分も変わる。
源泉は、公的に管理している大源泉が6つ存在するほかホテル等が所有している小源泉も多数存在する。自噴する温泉の湯量は極めて豊富であり、湯温も摂氏50-95度前後と高い[12]。万代鉱源泉はラジエーターを使い高い湯温を下げて配湯している。昔から草津節などを唄いながら木の板(湯もみ板と言う)で温泉をかき回し、湯温を下げるのが特徴的な「湯もみ」が行われてきた。温泉街には、湯畑を始めとする大小様々の源泉がある。1975年(昭和50年)に万代鉱源泉の利用および町による管理配湯が始まってからは、多くの小規模源泉が破棄された[13]。なお、湯畑を始めとする草津温泉の各源泉には緑色の湯垢のようなものが散見されるが、これはイデユコゴメ類などの温泉藻である。
草津温泉街(くさつ おんせんがい)は、草津温泉の温泉街。その宿泊施設と温泉入浴施設の提供は「草津温泉」として地域団体商標に登録されている[27]。
外国語表記は、2020年開催予定の東京オリンピックに向けての道路標識等の国際化事業の一環として、2015年(平成27年)2月を境に旧来のローマ字表記「Kusatsu onsengai」から英語翻訳表記の「Kusatsu onsen town」に変更された。日本全国の他の温泉街に先駆けての施行であった。他の温泉街でも同様に変更される予定にある。なお、"onsen" は、2010年代には既に「日本様式の温泉」を指す用語として国際共通語化していたことから、ニュアンスの異なる英語 "spa" に置き換えることなく、英語 "spa town" に倣った「onsen town」が採用された。
温泉地の中央に湯畑を中心とした古風な日本情緒に溢れた温泉街があり、それを取り巻くようにリゾートホテルやペンション、大滝の湯、西ノ河原公園、テルメテルメおよび温泉センターなどの温泉関連施設のほか、草津音楽の森国際コンサートホールや草津熱帯圏などの諸施設が位置している。また、草津白根山に面して草津温泉スキー場がある。町外れには湯治に来て亡くなった人の無縁仏が多数ある。
温泉を用いた医療施設として、群馬大学医学部附属病院草津分院が1951年(昭和26年)12月20日に開院し[28]、高血圧・喘息・リウマチなどの治療に温泉を使用していた。2002年(平成14年)3月31日をもって閉院した[28]。
草津温泉の湯畑に設けられた木製の樋を利用して行われる湯の花の採集は、江戸時代中期にあたる寛政2年(1790年)頃に始められた[15]。以来、よく知られた土産物としても流通している。現代(2010年代)では、プラスチックのねじ込みの円錐状容器に赤文字で「湯の花」と筆書体で印刷され、1,500円程度で販売されている。
古来、草津温泉は「万病に吉」と謳われ、多くの湯治客を迎え入れてきた。温泉の保温効果に加えて、草津温泉の強酸性泉による殺菌作用、成分に含まれる硫酸アルミニウムによる収斂作用、皮膚の刺激作用により切り傷から、ハンセン病、梅毒、皮膚病まで幅広い病の患者を受け入れてきた。子供の頃病弱だった尾崎行雄は草津温泉に1か月湯治したところ持病の頭痛も皮膚病も完治したと自伝に書き残し、当時(明治初期)は浴場の周囲にハンセン病や梅毒患者が充満し、二、三度彼らと混浴したことを記している[29]。
草津温泉が考案した独特の入浴法として「時間湯」がある。これは、湯もみによる低温化と組み合わせたもので、1877年(明治10年)頃に完成した[15]。温度が高過ぎて人間の入浴に適さない草津温泉の源泉の湯を、加水することなく適温化するために考え出された方法で、温泉成分が加水で薄まることを避けることができる。湯もみ板で湯をもみ、湯長の号令で一斉に入浴し、3分間の入浴を行う。最盛期には、熱の湯、白旗の湯、松の湯、千代の湯、鷲の湯、地蔵の湯の6湯で行われていたが、2010年代には、千代の湯、地蔵の湯の2湯で行われるのみとなった[30]。
湯長制度は医師法に抵触する懸念などが指摘されたため2019年7月31日をもって廃止し、時間湯の名称は残しつつ千代の湯と地蔵の湯を無料化し、湯温を以前の48度から42度へ下げた[31]。
草津町は2021年(令和3年)10月1日付で条例改正を行い「時間湯」の名称を「伝統湯」に変更し、これまで時間湯が行われてきた浴場を指定管理から町の直接管理に改め「伝統湯浴場」と称することになった[32]。草津町の説明によると湯長廃止の議論の中で、町は「時間湯」の商標登録を目指していたが、町議会委員会で審議入りした数日後に町側よりも早く時間湯関係者が「時間湯」を商標登録しようとしていたことが明らかとなり「私物化」や「科学や法令に基づかない伝統への独善を断ち切る」ことを名称変更の理由としている[32]。
2021年10月1日の条例改正により、「地蔵の湯」は「伝統湯地蔵」に名称を変更して時間湯を廃止するとともに貸切風呂に変更し、「千代の湯」は「伝統湯千代」に名称を変更して管理人が常駐して湯もみやかぶり湯といった伝統的な作法を利用者に手ほどきする施設に変更される[32]。
町内の適所に19カ所の共同浴場を設置して、無料にて開放し、住民はもとより観光客も、利用が可能[33]。コロナ禍において、公に観光客向けに利用解放しているのは白旗の湯、地蔵の湯、千代の湯の三ヶ所のみ。三ヶ所以外の浴場は、該当区の住民と管理人の意向により決定されため、状況次第で変更される[34]。
共同浴場名と利用源泉は以下のとおり。
湯畑周辺の街中に設置された、源泉で手を洗うための設備。
設置経緯は、草津町と群馬大発ベンチャー企業のグッドアイが、草津温泉の源泉の湯が、新型コロナウイルスの感染力をなくす「不活化」に効果があることが、研究により突きとめられ公表[35]。そして同社兼務群馬大教授は、酸以外にも何らかの温泉成分が不活化に寄与しており、どの成分が関係しているのか調査を続けるとしたと発表[36]。その研究結果から、草津町では地域住民と観光客の方が気軽に手の消毒ができる設備計画を検討し、2021年3月に3カ所設置。感染を完全に防ぐわけではないものの、今後も安心安全を根差す街として、各所に造る計画をしている[37][38]。
草津温泉の旅館15軒が「和風村」の名前で各旅館の内湯の日帰り入浴サービスを行っている。加盟する旅館で「通行手形」を購入することで利用可能。
ヤマトタケル(日本武尊)[4]、行基[6]、源頼朝[6]が開湯したとの俗説(開湯伝説)があるが、同時代の記録(碑文や文書)に草津温泉を起想させる内容は見られない[* 6]。
上州草津の温泉[* 7]について今日まで伝えられている最古の記録は、戦国時代前期の事柄について当時より後世の人物が記したものである。それは文明4年(1472年)、信州西厳寺住職の招きで浄土真宗本願寺派第8世宗主・蓮如が越前吉崎(現・福井県あわら市吉崎)の吉崎御坊より来草して布教したというものであるが、係る記録は他の記録と年号が食い違っているうえ、後世に記したものであるため、真偽のほどは定かでない(草津温泉温泉観光士講座より抜粋)。ともかくも、史料として既知で最古の例である。
戦国時代には上杉氏の支配下に入り、上杉謙信が関東出兵の帰途に上杉憲政と共に草津温泉で療養していた記録があるが、程なく武田信玄の西上野進出に伴って武田氏に支配権が移る[42]。この時代、湯本氏が文献に多く登場し、草津の湯治客からとる湯銭を武田氏配下の真田氏に納めたり、草津や白根で採れる硫黄を戦国大名に贈ったりしている。文禄3年(1594年)10月には大谷吉継が湯治で滞在していることが確認される[43]。豊臣秀吉が徳川家康に草津入湯を勧めた書状なども伝わっている。真田信之の保養法は、湯治と信濃の自然鑑賞で、療養や江戸詰めの後などにしばしば草津温泉を利用している。効能を熟知していたとみえ、知人らにも勧めて幕臣の島田利正が湯治を計画するや、その面倒をみている[44]。太閤・豊臣秀吉は文禄4年3月(1595年の4月か5月)[* 8]に草津湯治の綿密な計画を立てるほどの温泉好きであった[45]。
なお、草津温泉の由緒として『吾妻鏡』によると、建久4年8月(1193年9月頃)[* 9]に源頼朝が浅間山で巻狩りを行った際に、木曾義仲の遺臣で義仲遺児を匿って草津に潜んでいた細野氏を見出し、湯本の姓を与えて草津の地頭とし、以後、湯本氏は温泉経営をもって北条・足利に仕えた」とよく云われているが、『吾妻鏡』にそのような記述は無い。近在の人に自分の権利を認めさせるための作り話しであろう[46]。
江戸時代初期は真田氏の沼田藩、その後は天領として江戸幕府の直轄支配を受けている。湯本氏は沼田藩の家老として重用されていたが、後に本家は改易処分となる。現在と比べて交通は不便にもかかわらず、湯治客で賑わいは年間1万人を超える数を記録している。近世を通じて60軒の湯宿があり、幕末には「草津千軒江戸構え」といわれるほど栄えていた。草津温泉は泉質が強烈なため、湯治後に肌の手入れのために入る「草津の上がり湯」なる温泉として、四万温泉や沢渡温泉がある。
18世紀初頭になると、「かこい湯」「幕湯」という貸し切り湯の習慣ができ、のちに内湯が設けられるようになった。
明治時代、スウェーデンの人文学者アドルフ・エリク・ノルデンショルドは草津訪問記を著し、その中で草津温泉には療養する病人が多く、草津はそれら病人によって成り立っており、病人たちが罹患しているのは梅毒やハンセン病(らい病)、脚気である、としている。お雇い外国人として来日したドイツ人医師エルヴィン・フォン・ベルツ、および宣教師コンウォール・リーによりハンセン病に効く湯治場としての地位が確立され[47]、草津温泉郷にはハンセン病集落が出来ている。
その後、1931年(昭和6年)にらい予防法が制定されると、その直後の1932年(昭和7年)には国立らい療養所栗生楽泉園が開設されている。
大正期には軽井沢から軽便鉄道(草軽電気鉄道)が草津まで開通したほか、後に高崎・渋川などからバスも乗り入れるようになった。長野原線(現・吾妻線)が長野原駅(現・長野原草津口駅)まで開業したのは太平洋戦争後の1946年(昭和21年)である。
戦後、日本にもハンセン病治療薬「プロミン」が導入され、これが絶大な治療効果をもたらした。さらにリファンピシンの登場によってハンセン病は克服されたため、温泉療法は急速に廃れ、ハンセン病の湯治場として成立してきた草津温泉は方向転換を余儀なくされた。その後は群馬県を挙げて、観光客を集める温泉観光地としての道を歩むこととなる。
1975年(昭和50年)に湧出量4700L/分の万代鉱源泉の利用が始まり、これを機に草津町による集中管理給湯システムが整えられた。給湯量に余裕ができ、それまで温泉施設の無かった高台にも給湯が可能になったため、一気に草津温泉の規模は拡大した[48]。
2006年(平成18年)には草津温泉の土産物店、ホテル、旅館などで売られている「湯の花」の多くが、同温泉で採集されたものではなく、硫黄に炭酸カルシウムを混ぜて製造したり、近隣の温泉の湯の花であったりしたことが判明した。これを受けて公正取引委員会は、景品表示法違反(優良誤認)で製造販売した4社に排除命令し、6社には排除勧告を行った[49]。しかしその後も人工の入浴剤がパッケージを変更して販売されているのではないかという指摘がある[50]。なお草津町が販売している湯の花は、発売元が「群馬県草津町」と表示されたプラスチック容器に入ったものである[51]。これは年間約5,000個ほどしか販売されていない[50]。
「草津」という地名は当地以外にも存在する。知名度において滋賀県草津市はその筆頭といえよう。東海道五十三次屈指の宿場町である草津宿や、天井川である草津川で、昔から有名な地域である。群馬県の草津町と滋賀県の草津市は、地名を共有する縁をもって、1997年(平成9年)に友好交流協定を締結した。
「草津温泉」と称する銭湯が、滋賀県の草津市にはある(■右の画像を参照。現在は閉館)。草津市以外にも、山梨県甲府市にあり、愛知県名古屋市熱田区にもかつてはあった(2012年に廃業)。草津市の銭湯「草津温泉」では、人工湯の花を入れた露天風呂を設けている。甲府市の銭湯「草津温泉」は独自の源泉を使用し、掛け流しで提供している。名古屋市の銭湯「草津温泉」は、草津温泉(群馬県草津町の草津温泉)から取り寄せた湯の花を使用していた。
Jリーグ2部リーグ(J2リーグ)のサッカークラブであるザスパクサツ群馬は、草津町と前橋市を中心とする群馬県全県をホームタウンとしている。1999年(平成11年)、前身にあたる群馬県社会人サッカーリーグ所属チーム「リエゾン草津」が存続の危機に陥った折、主に地元サッカークラブの協力を得て解体を免れているが、草津町および草津温泉旅館協同組合も手を差し伸べており、草津温泉としては、チームにとどまった4名の選手に草津温泉の宿泊施設などでのアルバイトを斡旋し、雌伏の時を過ごすための雇用環境を整えることなどで支援した。危機を乗り切ったチームは、2002年(平成14年)4月、「ザスパ草津」に改称し、草津温泉湯畑で発足式が催された[52]。その名は、英語で「療養目的の温泉」を意味する「spa(スパ)」とチーム誕生の地である「草津温泉」に由来する。同年8月1日には、チームのマスコット「湯友」が誕生した[52]。2003年(平成15年)2月5日には、草津町大字草津にて、株式会社草津温泉フットボールクラブ(草津温泉FC)が、群馬県社会人サッカーチーム「ザスパ草津」(現・ザスパクサツ群馬)の運営会社として設立された[52]。
チームはその後躍進を遂げて、J2リーグのサッカークラブ「ザスパクサツ群馬」となった。クラブ名に含まれる「草津」の影が薄くなったのは、従来の名称では発祥地である草津の名が目立ちすぎて草津町という狭い地域のみがホームタウンであると誤解される怖れがあるため、これを避け、ホームタウンは群馬県全県であると訴求しつつも「ザスパ群馬」と略されないよう考案された新名称であった[53]。なお、2024年以降はクラブ名(正式名称)は「ザスパクサツ群馬」のままであるものの、呼称を「ザスパ群馬」と改めている。
なお、草津温泉でのアルバイト雇用は、2020年(令和2年)現在もセカンドチームであるザスパ草津チャレンジャーズ[54](関東サッカーリーグ所属)によって続けられている。
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