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地域おこし(ちいきおこし、地域興し)とは、地域(地方)が、経済力や人々の意欲を(再び)向上させる、人口を維持する(再び)増やすためなどに行う諸活動のことである。地域活性化、地域振興、地域づくりとも呼ばれる。
「地域興し」と表現する場合は、地域の住民や団体(商工会・農協・漁協など)の主体性が強調される傾向がある。「地域づくり」も同様である。いずれも語感の固さを避けるため、「地域おこし」のように「地域」以外はひらがな表記されることが多い。なお、住みよい地域を形成するための諸活動は「まちづくり」と呼ばれることがあるが、「地域おこし」「地域活性化」などとは若干異なったニュアンスで使われることが多い。
町(街)の場合は特に「町おこし」、「都市おこし」、「まちおこし」とも呼ばれ、村の場合は「村おこし」とも呼ばれる。
英語圏では「vitalization」や「revitalization」などの用語を用いて表現されることが一般的である。[注 1]
日本では1960年代以降の重化学工業を主軸とした工業化に成功した一部の地域を除き、地方では人口流出が起き、労働力を必要とした大都市圏(特に東京23区・政令指定都市・都道府県庁所在地および近接する市・郡)に産業や人口が集中し、地方の郡部・中山間地域・離島などで、以下のような過疎化の悪循環が深刻になった。
農村・山村・漁村では、戦後の過剰人口の状態が原因で、都市部へ労働力人口が流出した。山村では燃料革命とも呼ばれる薪需要の激減、品質が悪いが安い外国産材の流入により急速に衰退した。
しかし、1973年の石油危機によって重化学工業中心の高度経済成長路線、それにともなう首都圏・近畿圏・中京圏への人口集中は変化を余儀なくされる。日本経済は安定成長へ転換し、三大都市圏へ の人口流入も収まった。こうした中、玉野井芳郎が地域主義を提唱し、それに続いて杉岡碩夫・清成忠男らも地域主義に関する書籍を出版した。この地域主義は、現在までつながる「地域おこし」「まちづくり」の源流であるとされる。その後、地域主義は、清成忠男ら地域の経済振興を説くグループと中村尚司らエコロジーを重視するグループに分かれていった。前者は主に地方都市で受け入れられ、後者は発展途上国における「もう一つの発展」を探究する内発的発展論と結びついた[1]。
地域経済の振興を説く地域主義は行政の政策にも影響を与え、国政では第三次全国総合開発計画(1977年開始)、首相・大平正芳が提唱した田園都市構想(1978年提唱)、地方では大分県知事・平松守彦(1979年)が掲げた一村一品運動などに結実した。1985年には、佐々木信夫が「都市間競争」・「自治体間競争」という概念を提唱し、各都市・各自治体が政策を切磋琢磨させていくことで、地域の活性化が実現できるとした。この頃から、国が地方自治体に指図するやり方が改められるようになり、首相竹下登が掲げたふるさと創生事業(1988年 - 1989年)では、初めて各地方自治体に用途の使途を定めない交付金が与えられた[1]。
多くの地方都市では、モータリゼーションの進展やショッピングモールの郊外への進出によって、中心部の都市機能が衰退(郊外化、ドーナツ化)し、「大規模小売店」や周辺地域の小売店が経営の危機を迎えた。その結果、商店街が寂れて「シャッター通り」となり、その寂れた雰囲気が余計に客足を遠ざける悪循環にはまっている[2][3]。
かつて工業化に成功した地域でも、2度の石油危機、急速な円高の結果、製造原価を下げるために工場が日本国外に移転させられることが増えた。その結果、製造ノウハウが現地の外国人技術者などに流出し、アジア諸国が追い上げたことにより、日本の地域では空洞化現象がみられ、雇用の喪失や低賃金化に見舞われた。
こうした人口減少により、産業や地域活動の担い手が不足した。さらには、地元に伝わる伝統工芸・伝統芸能・祭・歌・踊りといった伝統的な文化活動の担い手や後継者不足も顕著になり、中には後継者不足から、文献すら満足に保存継承されず消失してしまう地方文化もある。
地域おこしの主体(企画者、実行者)は次のようなものがある。
なお、2011年7月9日に大分県佐伯市で開催された「国道326号・10号沿線活性化シンポジウム」において、「観光カリスマ」の山田桂一郎[4]は「行政に頼ってはダメ」としたうえで、観光客には新たに開発し売り出した「商品」などではなく、地域のライフスタイル(地域の人々の暮らし)からえり抜いたものに価値を認めてもらう必要性があることを述べている[5][注 2]。
以下のようなさまざまな試みが地方自治体や各種団体・組織で行われているが、どこにでも有効な決定的な策というものがあるわけではない。その地域ごとの特色や立地、人口や産業の状況を判断し、独自性のある地域おこし施策の計画・実施が望まれる。他の地域の真似するほど地域ごとの独自の特色がなくなり、同じようなものが増えた分、相対的に魅力が減ってゆく。よって、他の地域と比較した場合の、自地域の特色、本当の強みを見抜く必要がある。
成功したケースにおいては、立地、時代背景、推進したリーダー、関係団体の協力、組織化などに恵まれたケースが多い。そうした要因を考慮せず、成功事例をそのまま真似しただけでは、地域色が出しきれず失敗に終わることが多い。
地域振興のためには、人口を維持、または増加させる必要がある。そのためには、他地域から人を呼び込むことと、他地域への人口流出を防ぐことが必要である。主な人口の維持増加策として、次のようなものが挙げられる[6](一部は他の節のものと重複している)
ただし、人口減少が激しい自治体ほど、家賃補助のような経済支援による応急処置的な移住策を選択し、子育て環境の充実といった定住促進策を行うのが難しい状況にある。経済的支援は、若い世代の誘引策としては効果が一時的で持続的な定住策としては未知数である。過度に経済支援を行った場合、自治体の財政を悪化させ、かえって地域の弱体化に拍車をかける恐れがある。また、移住の呼びかけが過熱して自治体が人口を奪い合うようになれば、小規模自治体がさらに疲弊することが懸念される。そのため様々な側面から費用対効果を検証し、実態にあった施策をとることが必要であるとされる[6]。
観光によって観光業(宿泊業など)が盛んになると、小売業・卸売業などにも経済効果が波及し、域内の経済が活発になる。そのため、観光振興は地域経済の活性化につながる[7]。
地元住民にとって「当たり前」で「何でもないこと」(山・海・水・田園風景・棚田・雪原・星空・自然環境全般など)が、観光資源になる。
旅行先で人々と交流したり、現地独特の人々の生活様式をじっくり見たり実際に体験することでその人の「人生の一部」になるような旅を好む人々の割合が次第に増えてきている。そこで「農業体験コース」「漁業体験コース」などを設けるという方法もある。
地元民が子供のころから何気なく食べている料理(地元の日常食・家庭料理・郷土料理)を、他の地域の人々も食べてみたいと思えるような形で提供し、上手に広報して多くの人々に知ってもらえば、商業ベースに乗ることもある。獣害が深刻な地域では、森や里山に自然の動物が出没するということなので、シカやイノシシの肉をジビエとして売り出すという方法がある(和歌山県など)[8]。また、風が吹き抜ける地域では、風力発電機(大規模な風力発電所・ウィンドファーム)を設置して、当該地域に必要な電力のかなりの割合をそれでまかない、その地域の経済的な強みとしたり、あるいは売電を行うという方法もある。例えば、北海道のオロロン街道(稚内市から留萌市あたりまで、日本海側に面した数百kmの街道)、えりも町(襟裳岬)、千葉県の銚子市の海岸の丘の上などでは、風が強い場所に風力発電機が立ち並び、地域に役立つ電力を生みだしている。また、風力発電機が多数立ち並ぶ風景は印象的で、一種の観光資源となり、それを目当てに観光客が訪れるようにもなる。
上手くいけばメディアで話題となるが、他の地域が模倣することで埋もれてしまい、長期的には効果が薄くなってしまうことがある。ミニ独立国・ご当地キャラクター(ゆるキャラ)・B級グルメなどは、あまりに乱立が過ぎて、効果が激減してしまったといわれる。アート産業への多大な税金投入も問題となっている[9]。象徴的な事例ではあいちトリエンナーレの2019年の騒動が挙げられる。
箱物行政とは、日本の地域自治体などが美術館・博物館・スポーツ公園・リゾート施設などの公共施設(=箱もの)を建設すること。
安定成長期までは一定の成果があることもあったものの、失われた10年を経て負の遺産と化したものも多い。「箱物」は、各地域で似たようなものが乱立し、相対的に人を引き寄せる力が弱い。また、建造後の毎年の維持費(管理者の人件費、建築物の補修費など)が大きく、赤字になりやすい。そのため、地域衰退の要因のひとつにもなっている。また土建業者と、地元有力議員・助役・市長などの間の賄賂のやりとりや、談合が起きやすい。
藻谷浩介は『ニッポンの地域力』(日本経済新聞出版、2007年9月)において次のような指摘をしている。
以下は、地域おこしを語る際によく言われる言葉であり、条件に恵まれて成功したケースもある。しかし、実情を把握せずに成功事例を表面上真似ただけで、固定観念にとらわれて地域おこしを行うと、政策を誤りかえって地域が衰退する場合もある。その固定観念が間違っていることをはっきり示すために「×」(バツ印)をつける。
「地域振興の成功例」として取り上げられているものの中に、実は成功していないものがあるという指摘がある。
久繁哲之介は、「専門家が推奨する成功事例のほとんどが、実は成功していない」「稀にある『本当の成功』は、異国や昔の古い話であり、しかも模倣がきわめて難しい」としている。
長谷川計は、一度成功例とされた自治体には、全国的に注目されたため後に引けなくなり、実際は活性化してないにもかかわらず公的資金を投入して振興している所もあると指摘した。
市川虎彦はこれらの議論を基に、人口・雇用の観点から地域活性化を再考した[15]。
まちビジネス事業家の木下斉も、「成功事例」とされるものの中に事実上失敗した(自治体の財政支援に頼っている)ものがあるという立場をとっている。また、失敗例を成功だと思い込んで複数の地域が模倣することで「全国レベルでの失敗の連鎖」が生じてしまうとしている[16]。
社会学者の市川虎彦は、「地域おこしに成功した」という既存の報告に疑念を示し、人口減少が激しい愛媛県南予地方の自治体における1960年から2010年にかけての人口推移や産業の盛衰を検証した。その結果から、「地域おこしに成功した」とされる市町村でも人口が減少しており、逆に「地域おこしの成功例」として名前が上がらない大洲市・南宇和郡が人口維持に一時成功していた、とした。大洲市などではなく、人口減少が激しい他の自治体が「地域振興の成功例」とされた理由として、宮本憲一の外来型開発批判や、コンサルタントらが介入(助言・指導)する余地のある領域での事例が積極的に(意図的に、恣意的に)取り上げられたことが原因ではないかと推測した[15]。
なお、市川虎彦は南予地方で人口が増えた地域に共通することは工場誘致や漁業振興によって雇用を増やしたことだ、とし、(南予地方しか分析していないのだが、一挙に、日本の一般論にまで論理を飛躍させ)「地域振興には新しい産業の勃興が不可欠だ」と(まで)主張した[15]。
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