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埼玉県さいたま市北部の旧大宮市域や大宮駅周辺を指す地域総称 ウィキペディアから
大宮地区(おおみやちく)は、埼玉県さいたま市北部の旧大宮市域や大宮駅周辺を指す地域総称。
広義にはさいたま市の北部の旧大宮市域(概ね西区・北区・大宮区・見沼区)を指した地域名である。大宮駅周辺を指す場合もある。
旧大宮市域 (89.47 km2) の人口は539,025人となっている[注釈 1]。最も人口が多いのは見沼区の166,755人で、北区、大宮区、西区と続く。
「大宮町 (埼玉県)」も参照。
古代に武蔵国一宮である氷川神社の鳥居前町として、また江戸時代以後は中山道の宿場町として発達した。江戸から近い割には大きな宿場であり、天保14年(1843年)時点で人口は1,508人で、県内の中山道の宿場町の中では本庄宿、熊谷宿、鴻巣宿、蕨宿、深谷宿に次ぐ規模であったが、脇本陣は9軒と一番多かった。紀州藩の鷹場本陣も置かれていた。
その後明治時代には廃藩置県により浦和に埼玉県庁が置かれた。当初は大宮に県庁を設置する構想はあったが、諸事情により、隣接する浦和に置かれることとなった。こうして浦和は県庁所在地として発展した。
一方で明治維新以後、衰退しかけていた大宮に転機が訪れたのは、鉄道の開通だった。1883年には日本鉄道の第一期線(上野駅 - 熊谷駅(現:JR東日本の高崎線の区間)が開業したことによる。当時、浦和駅と上尾駅の間に大宮駅はまだ設置されていなかった。
これは開業当時、大宮宿から離れると243戸の家しかなかったことや、当時の蒸気機関車は牽引力が低く、短い間隔での駅設置はしないことが基本だったため、駅間距離が短くなってしまうことを防ごうとしたことが原因であった。後に大宮町長を務める白井助七ら地元有志が町の衰退を阻止するため駅の誘致を進め、第二期線(大宮駅 - 青森駅(現在のJR東日本東北本線・いわて銀河鉄道線・青い森鉄道線の区間)の分岐点に1885年、大宮駅が置かれた。のちに駅北側には国鉄大宮工場、南側には大宮操車場などが所在し、旧国鉄(現:JRグループ)も全国12か所の鉄道の町の一つとして発展した。
また、1923年の関東大震災で東京や横浜は壊滅的被害を受け、多くが埼玉県の浦和や大宮などに転居し、大宮もまた人口が急激に増加した。とくに罹災した東京・小石川(現:文京区)の盆栽業者の多くが当時通称「源太郎山」と呼ばれた場所に移住し、後に盆栽町という地名が誕生するほどの「大宮盆栽村」として発展し、大宮は「盆栽の町」としても有名になった。現在も盆栽業者は定住している。
1940年、大宮町は三橋村、日進村、宮原村、大砂土村と合併し、「大宮市」が発足。県内では川越市、熊谷市、川口市、浦和市に次いで、5番目の市制施行を行った。大宮市になってからも1955年に、指扇・馬宮・植水・片柳・七里・春岡の6村を合併し、隣接する浦和市同様、市域を東西に広げた。
鉄道交通では1982年6月23日には東北新幹線大宮駅 - 盛岡駅間が、11月15日には上越新幹線大宮駅 - 新潟駅が開業し、大宮駅は一躍首都圏有数の鉄道ターミナル駅に発展した。1985年の上野駅 - 大宮駅間開業まで、大宮駅は新幹線の始発駅だった。
2001年5月1日、浦和市・大宮市・与野市が合併し、さいたま市が発足。2003年4月1日にはさいたま市が政令指定都市に移行し、旧大宮市域からは4つの行政区が誕生した。なお、旧浦和市域だった大原六丁目・七丁目は大宮区に、旧大宮市域だった北袋町一丁目と錦町の一部は新都心となって中央区に属することとなった。
合併前の旧大宮市から合併後の旧大宮市域を通して様々な面から大宮の特徴を記す。
東西・南北に幹線道路が走る。
前述の通り、大宮駅が開業して以降、国鉄大宮工場や現在の片倉工業など民間製糸工場なども進出して、鉄道・製糸の町として発展。戦後は大きな戦災がなかったことや利便性、さらに新幹線開業などもあり、百貨店や商業施設が出店し、大宮市は埼玉県最大の商業都市としても発展した。
大宮駅東口ではいち早く駅前商店街も形成された。その後、昭和時代では、戦後は交通の便の良さから、大宮駅東口は商業地として発展した。特に大宮銀座通りでは相次いで商業施設や百貨店が出店し、現在でもルミネ大宮店や高島屋大宮店、大宮ラクーンに加え、大宮北銀座・大宮南銀座などの歓楽街や飲食店街などが大宮駅東口を賑わしている。また令和ではさいたま市民会館おおみや(旧大宮市民会館)が、2022年4月にかつての中央デパート跡地だった再開発ビルの大宮門街に移転するなどさらなる発展が期待される。
一方で、桜木町などの大宮駅西口は国鉄関連の工員や関係者、鉄道職員が暮らす国鉄の企業城下町として発展。国鉄の社宅・独身寮や大宮鉄道病院など厚生施設も存在した。第二次世界大戦後の混乱に紛れて不法占拠していたトタン波板葺きの家屋(いわゆるバラック街)から生まれた小規模な商店街や飲食店街が形成されたが、いわゆる「どぶ板通り」であり、当時高島屋や西武百貨店、当時の駅ビルなどを擁していた大宮駅東口の賑わいには遠く及ばず、駅前広場は手狭で、当時西口のランドマークだった埼玉県大宮商工会館裏側のバスターミナルまで歩くことを余儀なくされた。しかし、1982年の東北新幹線・上越新幹線が大宮駅に開業されると、状況は一変。昭和時代末期の1980年代後半から平成時代の1990年代中盤にかけて大宮駅西口は大規模な区画整理や再開発が進んだ。大宮ソニックシティの完成を皮切りに、現在では県下第2位の売上高であるそごう大宮店、DOM、アルシェなど商業施設などが出店し、現在では東口を凌駕するほどの街並みとなった。
また、大宮操車場跡地にさいたま新都心が開業。さいたま新都心駅東口、片倉工業大宮製作所跡地周辺の吉敷町に2004年にコクーンシティが開業。さらに2015年にイトーヨーカドー大宮店跡地やカタクラパーク跡地にも広げ、現在のコクーンシティの規模となった。
宮原町にも富士重工業大宮製作所跡地の再開発において、ステラタウンが開業するなど、さらなる発展が期待される。
旧大宮市域にある主な施設を挙げる。学校施設などは上記やさいたま市を参照。
西区はJリーグのプロサッカークラブ・大宮アルディージャのクラブハウスが2013年に完成した。
北区はステラタウン(宮原町)やイスタ日進(日進町)などの商業施設が存在する。また盆栽の街(大宮盆栽村)としても知られ、さいたま市大宮盆栽美術館やさいたま市立漫画会館などがある。
大宮区は商業・経済の中枢となっており、百貨店や商業施設、様々な企業の本社、文化施設、飲食店、メディアが密集している。氷川神社などの多数の史跡や、さいたま市大宮公園サッカー場や埼玉県営大宮公園野球場などのスポーツ施設もある。商業施設として前述の通り、大宮駅西口にはそごう大宮店(桜木町)、東口には高島屋大宮店(大門町)がある。さいたま新都心駅東口にはコクーンシティ(吉敷町)などがある。また埼玉県初の高層ビルである大宮ソニックシティがあり、東口にも2022年4月1日には大門町に再開発の複合ビルである大宮門街が完成した。
見沼区は多数の遺跡や史跡が存在しており、中山神社や旧坂東家住宅見沼くらしっく館などがある。
大宮市#出身著名人を参照。
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