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鉄道省・日本国有鉄道の客車 ウィキペディアから
国鉄オハ31系客車(こくてつオハ31けいきゃくしゃ)は、日本国有鉄道の前身である鉄道省が1927年(昭和2年)から導入した、国鉄で初の鋼製車体をもつ客車の形式群。なお、この名称は鉄道省や国鉄が定めた制式の系列呼称ではなく、1927年(昭和2年)より製造されたオハ44400形(のちのオハ32000形→オハ31形)と同様の車体構造を持つ客車を総称する、趣味的・便宜的な呼称である。
この項目「国鉄オハ31系客車」は加筆依頼に出されており、内容をより充実させるために次の点に関する加筆が求められています。 加筆の要点 - 車内の接客設備について。例えば座席や便所の造りなど。 (貼付後はWikipedia:加筆依頼のページに依頼内容を記述してください。記述が無いとタグは除去されます) (2023年9月) |
1926年(大正15年)9月23日、山陽本線安芸中野 - 海田市間で、折からの雨が原因で築堤が崩れて特急列車が脱線転覆し、34名が死亡する大事故が発生した(山陽本線特急列車脱線事故参照)。事故の被害が拡大した原因の一つが木造客車の脆弱性にあると考えられたため、鉄道省は翌年度から木造客車の製造を中止して鋼製客車の製造に切り替えることとして本系列が設計されたとも言われるが、鉄道省工作局の朝倉希一によると「(世界的に鋼製が主流になり、我が国の電鉄会社でも採用した所もあったので[注釈 1])そこで大正13年、私が車両課長となると、鋼製車に経験のある日本車輛会社や川崎車輛会社の意見を聞いて鋼製車を設計し、大正15年から実施した。」とのことで、この事故の前から計画があったとしている[2]。
いずれにせよ1927年(昭和2年)3月に先行試作車4両(オハ31形2両とオロ30形2両)が竣工し、同年8月に量産車の第一陣が竣工した。
なお製造当初、「鋼製客車と木造客車を併結すると事故時に鋼製車は助かっても木造車の被害が逆に拡大するのではないか」という懸念から鋼製車は鋼製車のみで編成を組むべきではないかという意見もあったが、後に木造車は木造車と衝突するより鋼製車と衝突した方が安全であると実際の事故で立証され[注釈 2]、杞憂に終わった[3]。
素材こそ鋼製に変わったものの、車体構造は木造制式客車の最終形であるナハ23800形などとほとんど変わらなかった。
つまり、魚腹式の強固な台枠を備え、その上に鋼材による柱や梁を組立てて、そこに外板をリベットを用いて打ち付ける、という従来通りの構造設計が採られており、当初は重いアンチクライマーが車端部に取り付けられるなど、自重軽減に配慮した形跡は見られない。
これについて朝倉希一は「移行を容易にするため、初めは柱を形鋼とし、屋根も従来のままとした[注釈 3]。」としており、それでも外皮が鋼板だと外気温や日射の影響を受けることが多いので、木造時代とは異なり、内側に熱断熱材として馬毛フェルトを使用するなどの差異はあった[2]。
車体長は2軸ボギー車は17 m、優等車を中心とする3軸ボギー車は20 mで、台枠は原則的には17 m級の一般型がナハ23800形のUF15の設計を継承するUF17、荷物車用がUF18形、20 m級の一般型がUF44形、荷物車用がUF46形で、いずれも台車中心間の中梁が大きく膨らんだ魚腹台枠となっている。
台車は木造車時代以来の明治45年型を基本とするTR11 - TR13形(2軸ボギー台車)およびTR71形・72形(3軸ボギー台車)で、いずれも本来は船舶用として八幡製鉄所が製造供給していた球山形鋼(バルブアングル)を側枠に使用する、イコライザー式台車である。なお、汎用2軸ボギーのTR11形と合造車用2軸ボギーのTR12形、同じく優等車用3軸ボギーのTR71形と荷物車用3軸ボギーのTR72形は基本的にはそれぞれ同一設計で、TR12形・TR72形では輪軸が10 t長軸からより高強度の12 t長軸に変更されている。さらに、荷物車用2軸ボギーのTR13形では12 t長軸を用いるTR12形を基本としつつ、側梁の補強やつりあいバネの強化などによって大荷重に耐えられるよう設計変更がなされている。
自動空気ブレーキ装置は当初、ウェスティングハウス・エア・ブレーキ (WABCO) 社の設計によるP弁を使用するPF・PMブレーキ装置であったが、量産中にブレーキ弁が変更されており、日本エヤーブレーキ社の手によって1928年(昭和3年)に開発・実用化されたA動作弁[注釈 4]を使用するAVブレーキ装置が1929年度分より制式採用され、P弁を搭載する在来車についてもこの新型ブレーキへの換装を実施して階段緩め機能の付加など、保安性の向上が実現している。これも特急列車脱線事故の残した影響の一つであった。
「⇒」の左に1928年称号改正前の形式、カッコ内に1941年称号改正後の形式を示す。
黒字の車両名は車体長17 m級の車両、緑字の車両名は車体長20 m級の車両である。ただし、振り替えなどによってオハ31系オリジナルの車体でない車両は除く。
全国で使用された本系列は、太平洋戦争末期の米軍による空襲により、多数が被災し廃車された。また、戦後の混乱期にも事故により一部が廃車されている。これらは、一部がオハ70形客車として復旧されている。
以下の各車両が各社に払い下げられている。
番号 | 所在地 | 備考 |
---|---|---|
スエ30 41 | 北海道三笠市幌内町2丁目287 三笠鉄道記念館 |
|
スエ38 3 | 茨城県筑西市 ※非公開 |
個人所有・非公開 |
スニ30 8 | 群馬県安中市松井田町横川 碓氷峠鉄道文化むら |
スエ30 9を復元の上で保存している。 |
オハ31 26 | 埼玉県さいたま市大宮区大成町3丁目47 鉄道博物館 |
1960年に津軽鉄道に譲渡されオハ311となり、1983年に廃車後、沿線の芦野公園に保存されていたが、2006年(平成18年)7月に搬出され、製造当時の姿に復元した上で現在地に保存された。 |
スニ30 95 | 愛知県名古屋市港区金城ふ頭3丁目2-2 リニア・鉄道館 |
1987年に廃車となったスエ30 8を復元し佐久間レールパークに保存されたが、同館の閉館に伴い移設された。 |
スエ30 2 | 大阪府大阪市東淀川区 網干総合車両所宮原支所 ※解体済み |
2015年5月25日解体 |
鉄道省、国鉄では同級の17 m級鋼製客車として他にオハ30形、オハフ31形(いずれも初代)、オハフ36形が存在したが、これらはいずれも本系列とは構造が異なる。
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