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議会で不信任を決議すること ウィキペディアから
不信任決議(ふしんにんけつぎ)は、議会で不信任を決議することである。本項では、日本の地方自治体や国会における不信任決議について述べる。
日本の地方自治体の議会には、地方自治法により普通地方公共団体の長に対する不信任決議が認められている。なお、日本の普通地方公共団体の長の不信任について地方自治法は「決議」ではなく「議決」の文言を用いている[1]。
地方自治法第178条の規定により、議員数の3分の2以上が出席する都道府県または市町村の議会の本会議において、4分の3以上の賛成により成立する。地方自治法第281条以下に定められた東京都特別区においても、この規定が適用される。
不信任議決の要件は次の2つである(地方自治法第178条第3項)。
また、非常の災害による応急若しくは復旧の施設のために必要な経費又は感染症予防のために必要な経費を削除又は減額されたため長が再議に付した場合に、なお議会が削除又は減額すれば、首長はその議決を不信任の議決とみなすことができると規定されている(地方自治法第177条第3項)。
普通地方公共団体の議会において、当該普通地方公共団体の長の不信任の議決をしたときは、直ちに議長からその旨を当該普通地方公共団体の長に通知しなければならない(地方自治法第178条第1項前段)。
地方自治法第178条に定義される「不信任の議決」の解釈については、議会が首長に対する辞職勧告決議や問責決議を議員数の3分の2以上の出席で4分の3以上の賛成により可決した場合、首長に対する信任決議案を議員数の3分の2以上の出席で4分の3以上の反対により否決した場合、首長が提案した重要議案を議員数の3分の2以上の出席で4分の3以上の反対により否決した場合、議会が首長を刑事告発する決議をした(この具体的事例については後述)場合、などが含まれるか否か、という点で疑義を生じている。
以下のような判例または裁判例がある。
不信任議決があったときは、議長は直ちに首長に通知する。不信任決議を受けた首長は、10日以内に議会を解散することができる(地方自治法第178条第1項後段)。解散しなければ10日が経過した時点で失職する(地方自治法第178条第2項)。また、議会を解散した場合において、選挙後に初めて招集された議会で再び不信任決議案が提出された場合は出席議員の過半数の賛成で成立し、首長は議長から通知があった日において失職する(地方自治法第178条第2項・第3項)。
首長に対する不信任決議は成立要件が非常に厳しく、議員にとっても首長からの解散による失職のリスクを伴う。そのため、政治情勢によっては代わりに拘束力のない辞職勧告決議が決議されることもある。
(肩書きは、いずれも当時のもの)
可決年月日 | 都道府県 | 不信任対象者 | 提出理由 | 選択 | その後 |
---|---|---|---|---|---|
1976年12月14日 | 岐阜県 | 平野三郎 | 汚職事件による書類送検 | 辞職 | 可決当日に辞職。 |
2002年7月5日 | 長野県 | 田中康夫 | 県政運営における議会との対立 | 失職 | 出直し選挙に立候補して当選。 |
2003年3月20日 | 徳島県 | 大田正 | 県政運営における議会との対立 | 失職 | 出直し選挙に立候補して落選。 |
2006年12月1日 | 宮崎県 | 安藤忠恕 | 宮崎県官製談合事件への関与の疑い | 辞職 | 当初は失職を選択し出直し選挙立候補への構えを見せていたものの、県政混乱の責任をとり12月3日に辞職表明(翌4日で議会が許可)。 |
2024年9月19日 | 兵庫県 | 齋藤元彦 | 兵庫県庁内部告発文書問題による県政の混乱 | 失職 | 出直し選挙に立候補を表明。 |
(以下○○区とあるのはすべて東京都の特別区である(記載時点では東京都にのみ特別区が存在している))
地方自治法上の「不信任の議決」が成立しているか争いがある事例として、東京都千代田区の石川雅己区長が行った区議会の解散通知(2020年7月28日)の根拠が挙げられる。区議会は同月27日に、石川区長を地方自治法違反(偽証、証言拒否)の疑いで刑事告発する旨の決議を行ったところ、石川区長がこの決議は区議会の解散根拠となりうる「不信任決議」であるとして、前述の区議会の解散通知を行った。一方区議会の小林孝也議長は、前述の刑事告発決議は、区議会の解散根拠となりうる「不信任決議」にはあたらず、よって前述の区議会の解散通知は無効であるとして解散に応じないとしている[20]。25人の区議全員が解散の無効と執行停止を求め提訴し、 8月7日、東京地方裁判所は議会による刑事告発は不信任議決と同一とはいえないとして、解散通知の効力を停止する決定をした[21]。決定を受け石川は11日に解散通知を取り消し、謝罪した[22]。2021年8月29日、東京地裁は解散通知について「告発は捜査機関に処罰を求めるものにすぎず、不信任には当たらない。解散処分は要件を欠いており、違法」とした上で、石川が既に取り消したことを理由に処分の無効確認の訴えを却下した[23]。
国会で不信任決議を行う場合、憲法上規定されている衆議院本会議における出席議員の過半数による内閣不信任決議(日本国憲法第56条第2項、第69条)とそれ以外の法的拘束力のない不信任決議がある。法的拘束力がない不信任決議の対象は衆参両院の役員(議長・副議長・委員長・事務総長等)及び個々の政治任用職にある者(国務大臣・副大臣等)に対して用いられる。衆参両院の役員に対しては、委員会で不信任決議を行う場合がある。慣例上、法的効果の有無に関わらず先決問題とされ、基本的には最優先で審議される。
衆議院において内閣全体ではなく個々の閣僚に対して不信任決議がなされることもあるが、法的に辞職を強制するものではなく憲法第69条のような効果も生じない[24][25]。ただし、個々の閣僚に対する不信任決議であっても、内閣はこれを内閣全体の基本政策に対する不信任の意思表示であるとみて衆議院を解散しあるいは総辞職することは可能と解されている[26]。なお、参議院では政治任用職にある者(国務大臣・副大臣等)に対しては問責決議が行われている。
1992年のPKO国会では、PKO法案の採決引き伸ばしを狙う野党が、議事妨害の一環として、先決問題である閣僚不信任案を全員分一件ずつ提出してはその度に討論と記名投票を行わせる構えを見せた。これに対して与党は内閣信任決議案を提出し可決させた。その上で、内閣信任決議が行われた以上は、個別の閣僚に対する不信任案の審議は一事不再議の慣例に抵触するため不要であるとした。
本会議採決日 | 対象者 | 役職 | 採決 | 可 | 否 | 票差 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
1948年(昭和23年)6月24日 | 西尾末広 | 国務大臣 | 否決 | 178 | 209 | 31 | 日本国憲法下初の閣僚不信任決議採決。いわゆる無任所大臣(副総理) |
1949年(昭和24年)11月25日 | 森幸太郎 | 農林大臣 | 否決 | 120 | 239 | 119 | 他に同種1案あり。一事不再議により採決せず。 |
1950年(昭和25年)3月4日 | 池田勇人 | 大蔵大臣 通商産業大臣 | 否決 | 99 | 178 | 79 | 他に同種1案あり。一事不再議により採決せず。 |
1951年(昭和26年) | 3月29日吉田茂 | 外務大臣 | 否決 | 少数 | 多数 | 不明 | 起立採決。 |
1951年(昭和26年) | 3月31日大橋武夫 | 国務大臣法務総裁 | 否決 | 少数 | 多数 | 不明 | 起立採決。 |
1951年(昭和26年)11月8日 | 池田勇人 | 大蔵大臣 | 否決 | 少数 | 多数 | 不明 | 起立採決。議事日程上1案。 (個別2案の一括採決ではない。) |
根本龍太郎 | 農林大臣 | ||||||
1952年(昭和27年) | 2月27日岡崎勝男 | 国務大臣 | 否決 | 少数 | 多数 | 不明 | 起立採決。補職は賠償庁長官。 |
1952年(昭和27年) | 6月10日木村篤太郎 | 法務総裁 | 否決 | 少数 | 多数 | 不明 | 起立採決。 |
1952年(昭和27年)11月28日 | 池田勇人 | 国務大臣 | 可決 | 208 | 201 | 7 | 翌日辞任。補職は通商産業大臣・経済審議庁長官。 |
1953年(昭和28年)8月3日 | 岡崎勝男 | 外務大臣 | 否決 | 133 | 193 | 60 | |
1954年(昭和29年)3月20日 | 大達茂雄 | 文部大臣 | 否決 | 134 | 268 | 134 | |
1954年(昭和29年)4月10日 | 犬養健 | 法務大臣 | 否決 | 123 | 236 | 113 | |
1955年(昭和30年) | 7月25日杉原荒太 | 国務大臣 | 否決 | 132 | 228 | 96 | 補職は防衛庁長官。 |
1955年(昭和30年)12月16日 | 重光葵 | 外務大臣 | 否決 | 135 | 259 | 124 | |
1956年(昭和31年) | 3月20日太田正孝 | 国務大臣 | 否決 | 141 | 237 | 96 | 補職は自治庁長官。 |
1956年(昭和31年) | 3月22日重光葵 | 外務大臣 | 否決 | 139 | 249 | 110 | 副総理 |
1956年(昭和31年) | 4月19日清瀬一郎 | 国務大臣 | 否決 | 146 | 234 | 112 | 補職は文部大臣。 |
1956年(昭和31年) | 4月29日小林英三 | 国務大臣 | 否決 | 153 | 254 | 101 | 補職は厚生大臣。 |
1956年(昭和31年) | 5月23日船田中 | 防衛庁長官 | 否決 | 137 | 208 | 71 | |
1956年(昭和31年) | 5月23日一万田尚登 | 大蔵大臣 | 否決 | 137 | 227 | 90 | |
1956年(昭和31年)11月26日 | 倉石忠雄 | 労働大臣 | 否決 | 139 | 247 | 108 | |
1957年(昭和32年)5月14日 | 松浦周太郎 | 労働大臣 | 否決 | 141 | 216 | 75 | |
1958年(昭和33年) | 4月9日一万田尚登 | 大蔵大臣 | 否決 | 116 | 219 | 103 | |
1958年(昭和33年)12月23日 | 灘尾弘吉 | 文部大臣 | 否決 | 145 | 227 | 82 | |
1959年(昭和34年) | 2月17日永野護 | 運輸大臣 | 否決 | 135 | 239 | 104 | |
1959年(昭和34年)11月27日 | 藤山愛一郎 | 外務大臣 | 否決 | 133 | 198 | 65 | |
1961年(昭和36年)6月6日 | 周東英雄 | 農林大臣 | 否決 | 132 | 216 | 84 | |
1962年(昭和37年)4月5日 | 小坂善太郎 | 外務大臣 | 否決 | 148 | 236 | 88 | |
1962年(昭和37年)4月28日 | 安井謙 | 自治大臣 | 否決 | 99 | 180 | 81 | |
1963年(昭和38年)3月1日 | 大平正芳 | 外務大臣 | 否決 | 122 | 259 | 137 | |
1963年(昭和38年)6月22日 | 大橋武夫 | 労働大臣 | 否決 | 118 | 199 | 81 | |
1964年(昭和39年)4月28日 | 賀屋興宣 | 法務大臣 | 否決 | 107 | 229 | 122 | |
1965年(昭和40年) | 2月23日椎名悦三郎 | 外務大臣 | 否決 | 148 | 248 | 100 | |
1965年(昭和40年)11月10日 | 椎名悦三郎 | 外務大臣 | 否決 | 134 | 159 | 25 | 否決例における最小の票差。 |
1965年(昭和40年)11月10日 | 坂田英一 | 農林大臣 | 否決 | 88 | 137 | 49 | |
1965年(昭和40年)11月10日 | 福田赳夫 | 大蔵大臣 | 否決 | 126 | 164 | 35 | |
1965年(昭和40年)11月10日 | 三木武夫 | 通商産業大臣 | 否決 | 90 | 148 | 58 | |
1967年(昭和42年)8月4日 | 坊秀男 | 厚生大臣 | 否決 | 143 | 202 | 59 | |
1967年(昭和42年)8月6日 | 藤枝泉介 | 自治大臣 国家公安委員会委員長 | 否決 | 150 | 221 | 71 | |
1967年(昭和42年)8月6日 | 水田三喜男 | 大蔵大臣 | 否決 | 124 | 210 | 94 | |
1967年(昭和42年)8月7日 | 木村俊夫 | 国務大臣 | 否決 | 112 | 216 | 104 | 補職は内閣官房長官。 |
1969年(昭和44年)7月12日 | 斎藤昇 | 厚生大臣 | 否決 | 121 | 180 | 59 | |
1969年(昭和44年)7月29日 | 坂田道太 | 文部大臣 | 否決 | 118 | 218 | 100 | |
1971年(昭和46年)10月27日 | 福田赳夫 | 外務大臣 | 否決 | 169 | 274 | 105 | |
1971年(昭和46年)10月27日 | 田中角栄 | 通商産業大臣 | 否決 | 171 | 280 | 109 | |
1973年(昭和48年)9月21日 | 山中貞則 | 防衛庁長官 | 否決 | 161 | 241 | 80 | |
1973年(昭和48年)9月21日 | 奥野誠亮 | 文部大臣 | 否決 | 161 | 230 | 69 | |
1975年(昭和50年) | 7月1日福田一 | 自治大臣 | 否決 | 少数 | 多数 | 不明 | 起立採決。他の補職は国家公安委員会委員長・北海道開発庁長官。 |
1975年(昭和50年) | 7月1日大平正芳 | 大蔵大臣 | 否決 | 少数 | 多数 | 不明 | 起立採決。 |
1975年(昭和50年)10月25日 | 村上勇 | 郵政大臣 | 否決 | 160 | 222 | 62 | |
1975年(昭和50年)10月25日 | 大平正芳 | 大蔵大臣 | 否決 | 160 | 217 | 57 | |
1977年(昭和52年)5月11日 | 三原朝雄 | 防衛庁長官 | 否決 | 147 | 232 | 85 | |
1977年(昭和52年)5月11日 | 藤田正明 | 総理府総務長官 沖繩開発庁長官 | 否決 | 167 | 228 | 61 | |
1987年(昭和62年)4月23日 | 宮澤喜一 | 大蔵大臣 | 否決 | 191 | 282 | 91 | |
1997年(平成9年) | 4月22日近岡理一郎 | 科学技術庁長官 | 否決 | 少数 | 多数 | 不明 | 起立採決。 |
1997年(平成9年)11月25日 | 三塚博 | 大蔵大臣 | 否決 | 214 | 259 | 45 | |
2002年(平成14年)2月5日 | 武部勤 | 農林水産大臣 | 否決 | 186 | 276 | 90 | |
2004年(平成16年)8月5日 | 坂口力 | 厚生労働大臣 | 否決 | 185 | 279 | 92 | |
2007年(平成19年)5月31日 | 柳澤伯夫 | 厚生労働大臣 | 否決 | 131 | 333 | 202 | |
2010年(平成22年) | 5月31日赤松広隆 | 農林水産大臣 | 否決 | 141 | 306 | 165 | |
2010年(平成22年)11月15日 | 仙谷由人 | 内閣官房長官 | 否決 | 152 | 314 | 162 | |
2010年(平成22年)11月15日 | 馬淵澄夫 | 国土交通大臣 | 否決 | 151 | 316 | 165 | |
2014年(平成26年)6月20日 | 石原伸晃 | 環境大臣 | 否決 | 142 | 326 | 184 | |
2016年(平成28年)11月10日 | 山本有二 | 農林水産大臣 | 否決 | 125 | 323 | 198 | |
2016年(平成28年)11月29日 | 塩崎恭久 | 厚生労働大臣 | 否決 | 122 | 338 | 216 | |
2017年(平成29年)5月18日 | 金田勝年 | 法務大臣 | 否決 | 125 | 334 | 209 | |
2018年(平成30年)5月22日 | 茂木敏充 | 国務大臣 | 否決 | 135 | 320 | 185 | 補職は経済再生担当大臣・経済財政政策担当大臣。 |
2018年(平成30年)5月25日 | 加藤勝信 | 厚生労働大臣 | 否決 | 130 | 300 | 170 | 他の補職は拉致問題担当大臣。 |
2018年(平成30年)6月15日 | 石井啓一 | 国土交通大臣 | 否決 | 131 | 322 | 191 | 他の補職は水循環政策担当大臣。 |
2018年(平成30年)11月27日 | 山下貴司 | 法務大臣 | 否決 | 139 | 309 | 170 | |
2019年(平成31年)3月1日 | 根本匠 | 厚生労働大臣 | 否決 | 132 | 317 | 185 | 他の補職は働き方改革担当大臣。 |
2019年(令和元年)6月21日 | 麻生太郎 | 財務大臣 | 否決 | 132 | 317 | 185 | 他の補職は金融担当大臣・デフレ脱却担当大臣。 |
2020年(令和2年)2月27日 | 森まさこ | 法務大臣 | 否決 | 136 | 319 | 183 | |
2021年(令和3年)4月1日 | 武田良太 | 総務大臣 | 否決 | 130 | 322 | 192 | |
2023年(令和5年)5月18日 | 鈴木俊一 | 財務大臣 | 否決 | 108 | 343 | 235 | 記名投票における最大の票差。他の補職は金融担当大臣・デフレ脱却担当大臣。 |
2023年(令和3年)12月12日 | 松野博一 | 内閣官房長官 | 否決 | 166 | 278 | 112 | 他の補職は拉致問題担当大臣・沖縄基地負担軽減担当大臣 |
議会が自ら選任した役員を解任するには国会法など議会法上に特段の定めがある場合を除き許されない[27]。国会法は常任委員長についてのみ解任規定を置いている(国会法第30条の2)。しかし、議会運営を混乱させて責任を明らかにする必要がある場合や誠実に職務を執行せず議会運営が停滞しているとみられる場合には当該役員に対して自ら職を辞するよう不信任決議をなしうる[28](常任委員長に対しても解任が相当とまではいえない場合には不信任決議をなしうる)。不信任決議によって辞任が強制されたりすることはなく決議に拘束力はないが、当該役員は在任の根拠を失うため自らの進退を決する政治的・道義的責任を負うこととなる[27]。国会役職者に対する不信任決議については法的拘束力があるとみる学説も存在するが、1961年6月8日の「衆議院副議長久保田鶴松君不信任決議案」においてはその可決によっても当然に失職とされたわけではなく、同日午後に久保田副議長から清瀬一郎議長宛に辞職願が提出されたのを受け、国会法第30条に基づいて「副議長久保田鶴松君辞職の件」として記名投票による採決が行われた上で辞職が許可されている[29]。
衆議院規則は議員が議長・副議長・仮議長のいずれかの信任又は不信任に関する動議若しくは決議案を発議するときは、理由を附して50人以上の賛成者と連署して議長に提出しなければならないとする(衆議院規則第28条の2第1項・第3項)。発議要件について参議院規則には同旨の規定はないが、同様の重い発議要件を課すべきとされる[27]。
役員の不信任に関する議事は一般の議事に対しては優先して扱われる。議長の不信任決議案が発議された場合、国会法上の「議長に事故がある」ものとして扱われる(昭和53年衆議院先例集66)[30]。そして国会法の規定に従って副議長が議長の職務を行い決議案の採決が行われる(国会法第21条)。
なお、常任委員長に対する解任決議は本会議で「その院の決議をもって」行われ(国会法第30条の2)、常任委員会における不信任決議においてこの規定を援用して委員長を解任することはできない[30](法的拘束力のない不信任決議をなしうるにとどまる)。委員長の信任または不信任動議の議事は、慣例では委員長の指名する委員会理事が代行する[注 1]。
本会議採決日 | 議院 | 対象者 | 役職 | 採決 | 可 | 否 | 票差 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1949年(昭和24年) | 5月31日参議院 | 松嶋喜作 | 副議長 | 否決 | 少数 | 多数 | 不明 | 起立採決。 |
1949年(昭和24年)11月30日 | 衆議院 | 岩本信行 | 副議長 | 否決 | 129 | 228 | 99 | |
1952年(昭和27年)6月27日 | 参議院 | 佐藤尚武 | 議長 | 否決 | 31 | 171 | 140 | |
1952年(昭和27年)7月1日 | 参議院 | 佐藤尚武 | 議長 | 否決 | 28 | 118 | 90 | |
1952年(昭和27年)7月31日 | 衆議院 | 岩本信行 | 副議長 | 否決 | 102 | 202 | 100 | |
1953年(昭和28年)8月1日 | 衆議院 | 堤康次郎 | 議長 | 否決 | 少数 | 多数 | 不明 | 起立採決。 |
1954年(昭和29年)6月5日 | 衆議院 | 堤康次郎 | 議長 | 否決 | 少数 | 多数 | 不明 | 起立採決。 |
1956年(昭和31年)5月30日 | 参議院 | 寺尾豊 | 副議長 | 否決 | 68 | 122 | 54 | |
1956年(昭和31年)6月2日 | 参議院 | 芥川治 | 事務総長 | 否決 | 49 | 128 | 79 | |
1959年(昭和34年) | 4月3日参議院 | 松野鶴平 | 議長 | 否決 | 65 | 91 | 26 | 参議院における記名投票での最小の票差。 |
1959年(昭和34年)12月21日 | 衆議院 | 加藤鐐五郎 | 議長 | 否決 | 116 | 224 | 92 | |
1961年(昭和36年)6月8日 | 衆議院 | 清瀬一郎 | 議長 | 否決 | 134 | 223 | 89 | |
1961年(昭和36年)6月8日 | 衆議院 | 久保田鶴松 | 副議長 | 可決 | 207 | 150 | 57 | 即日辞任。 |
1962年(昭和37年)12月22日 | 参議院 | 重宗雄三 | 議長 | 否決 | 62 | 101 | 39 | |
1962年(昭和37年)12月22日 | 参議院 | 重政庸徳 | 副議長 | 否決 | 56 | 105 | 49 | |
1963年(昭和38年)6月22日 | 衆議院 | 清瀬一郎 | 議長 | 否決 | 129 | 215 | 86 | |
1963年(昭和38年)6月22日 | 衆議院 | 原健三郎 | 副議長 | 否決 | 113 | 178 | 65 | |
1963年(昭和38年)6月29日 | 参議院 | 重宗雄三 | 議長 | 否決 | 75 | 110 | 35 | |
1965年(昭和40年) | 5月27日参議院 | 重政庸徳 | 副議長 | 否決 | 56 | 104 | 48 | |
1965年(昭和40年) | 5月27日参議院 | 重宗雄三 | 議長 | 否決 | 56 | 105 | 49 | |
1965年(昭和40年)12月 | 3日衆議院 | 田中伊三次 | 議長 | 否決 | 101 | 173 | 72 | |
1965年(昭和40年)12月10日 | 参議院 | 重宗雄三 | 議長 | 否決 | 69 | 122 | 53 | |
1965年(昭和40年)12月10日 | 参議院 | 河野謙三 | 副議長 | 否決 | 87 | 120 | 33 | |
1969年(昭和44年)7月11日 | 衆議院 | 石井光次郎 | 議長 | 否決 | 130 | 187 | 57 | 衆議院における記名投票での否決の最小の票差。 |
1969年(昭和44年)7月11日 | 衆議院 | 小平久雄 | 副議長 | 否決 | 146 | 204 | 58 | |
1969年(昭和44年)7月26日 | 衆議院 | 松田竹千代 | 議長 | 否決 | 125 | 212 | 87 | |
1969年(昭和44年)7月27日 | 衆議院 | 藤枝泉介 | 副議長 | 否決 | 134 | 219 | 85 | |
1969年(昭和44年)8月3日 | 参議院 | 安井謙 | 副議長 | 未決 | - | - | - | 議長が大学管理法案の繰上げ採決を行ったため紛糾し未決。 |
1970年(昭和45年)1月14日 | 参議院 | 重宗雄三 | 議長 | 否決 | 98 | 128 | 30 | |
1971年(昭和46年)11月26日 | 衆議院 | 船田中 | 議長 | 否決 | 101 | 263 | 162 | |
1971年(昭和46年)11月26日 | 衆議院 | 荒舩清十郎 | 副議長 | 否決 | 94 | 254 | 160 | |
1975年(昭和50年)6月30日 | 参議院 | 河野謙三 | 議長 | 否決 | 少数 | 多数 | 不明 | 起立採決。 |
1975年(昭和50年) | 7月3日参議院 | 前田佳都男 | 副議長 | 否決 | 少数 | 多数 | 不明 | 起立採決。 |
1975年(昭和50年)12月12日 | 参議院 | 河野謙三 | 議長 | 否決 | 少数 | 多数 | 不明 | 起立採決。 |
1978年(昭和53年)6月14日 | 参議院 | 安井謙 | 議長 | 否決 | 少数 | 多数 | 不明 | 起立採決。 |
1982年(昭和57年)7月30日 | 参議院 | 徳永正利 | 議長 | 否決 | 少数 | 多数 | 不明 | 起立採決。 |
1983年(昭和58年)11月28日 | 参議院 | 木村睦男 | 議長 | 否決 | 少数 | 多数 | 不明 | 起立採決。 |
1992年(平成4年)6月 | 7日参議院 | 長田裕二 | 議長 | 否決 | 少数 | 多数 | 不明 | 起立採決。 |
1992年(平成4年)6月13日 | 衆議院 | 櫻内義雄 | 議長 | 否決 | 157 | 326 | 169 | PKO国会。 |
1995年(平成7年)6月13日 | 衆議院 | 土井たか子 | 議長 | 否決 | 186 | 298 | 112 | 終戦50年決議の取扱について。 |
1995年(平成7年)6月13日 | 衆議院 | 鯨岡兵輔 | 副議長 | 否決 | 184 | 299 | 115 | 終戦50年決議の取扱について。 |
1997年(平成9年)12月12日 | 参議院 | 斎藤十朗 | 議長 | 否決 | 96 | 143 | 47 | |
1999年(平成11年)8月12日 | 参議院 | 斎藤十朗 | 議長 | 否決 | 92 | 139 | 48 | |
2000年(平成12年)10月19日 | 参議院 | 井上裕 | 議長 | 否決 | 96 | 126 | 30 | |
2000年(平成12年)11月21日 | 衆議院 | 綿貫民輔 | 議長 | 否決 | 少数 | 多数 | 不明 | 起立採決。 |
2002年(平成14年)7月31日 | 参議院 | 倉田寛之 | 議長 | 否決 | 97 | 135 | 38 | |
2004年(平成16年)6月5日 | 参議院 | 倉田寛之 | 議長 | 否決 | 20 | 128 | 108 | 参議院における記名投票での最大の票差。 |
2004年(平成16年)6月5日 | 参議院 | 川村良典 | 事務総長 | 否決 | [注 2] | 少数多数 | 不明 | 起立採決。[注 3] |
2007年(平成19年)6月20日 | 衆議院 | 河野洋平 | 議長 | 否決 | 118 | 319 | 201 | |
2010年(平成22年)2月25日 | 衆議院 | 横路孝弘 | 議長 | 否決 | 115 | 326 | 211 | 衆議院における記名投票での最大の票差。 |
2012年(平成24年)8月10日 | 参議院 | 平田健二 | 議長 | 否決 | 42 | 194 | 152 | 参議院における押しボタン式投票での最大の票差。 |
2013年(平成25年)6月26日 | 参議院 | 平田健二 | 議長 | 否決 | 100 | 128 | 28 | |
2015年(平成27年)9月18日 | 参議院 | 山崎正昭 | 議長 | 否決 | 76 | 148 | 72 | 平和安全法案の取扱について。 |
2016年(平成28年)12月14日 | 参議院 | 伊達忠一 | 議長 | 否決 | 72 | 167 | 95 | |
2018年(平成30年)7月19日 | 参議院 | 伊達忠一 | 議長 | 否決 | 69 | 154 | 85 | |
2022年(令和4年)6月9日 | 衆議院 | 細田博之 | 議長 | 否決 | 105 | 288 | 183 |
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