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日本の女性お笑いタレント (1989-) ウィキペディアから
ヒコロヒー(1989年〈平成元年〉10月15日 - )は、日本の女性お笑いタレント、司会者。松竹芸能所属。本名非公開。
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ヒコロヒー | |
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YouTube | |
チャンネル | |
活動期間 |
金借り 2020年 - 岩場 2021年 - 公式 2018年 - |
登録者数 |
金借り 7.58万人 岩場 1.03万人 公式 7千人 |
総再生回数 |
金借り 838万回 岩場 52万回 公式 56万回 |
チャンネル登録者数・総再生回数は 2024年3月13日時点。 |
高校在学中に、『くりぃむしちゅーのオールナイトニッポン』やブラックマヨネーズの深夜のラジオ番組を聴いたり[2]、M-1グランプリの影響でお笑い好きになった。ただし当時は芸人になる気は無く、高校3年の時にガソリンスタンド社員として採用が決まり、そのまま就職するつもりでいた。しかし、親の要望で大学受験し、1校だけ受験して合格した近畿大学文芸学部芸術学科に進学。大阪の大学を受験した理由は、ミナミに憧れてという気持ちもあったという[3]。
大学ではアルバイトをかなり頑張りお金を稼ぎたかったのでサークルに入るつもりは無かったが[4]、「勧誘してくれた先輩が男前だった」という理由で文化会落語講談研究会に所属[4][5]。霜降り明星の2人は学生時代からの付き合い。しかし本人は、このサークルは「ちゃらんぽらんな部活だった」ということで、芸人になろうと考えている人は居らず、自分も学生芸人だったという自覚はなかったと回顧[4]。大学の落語研究会では、主に部室で仲間と麻雀をしたり漫画を読んでいた[2]。ただし同研究会には本気で落語をやりたい真面目な部員も少なからずおり、そういう先輩から怒られないよう寄席などのイベント前の数日間だけは落語を真面目に練習する、という日々を送った[2]。
大学2年生の時の大学祭のお笑いイベントで、落語研究会の先輩から「欠員が出たから3分間お前何かネタやってくれ」と頼まれた[2]。これに気軽に出演[注 1]して落語ベースの一人コントを披露すると、それを見ていた松竹芸能のマネージャーにスカウトされた[5]。その際名刺を渡されたが、当時は芸人になるつもりがなかったため、「はいはい~」のような感じで軽く受け流した[2]。
その後就職活動が始まるタイミングで、大学卒業後映画かラジオの現場スタッフの仕事をしたいと考えていた。松竹グループは映画を制作しているので人脈面でも有利になると考え、このような就職にも繋がるかと思い入所[4][6]。また、別のインタビュー記事では、「大学時代に麻雀ばかりやっていたせいで留年が決まってしまった。『現役で卒業できないなら近道で就職するしかない』と思い、松竹の名刺の電話番号に連絡して(養成所に)所属させてもらった」とも語っている[2]。
特待生として授業料免除で松竹芸能大阪養成所入り[3]。養成所ではコンビを組むのが一般的なため本人も数人から誘われたが、自分に合う人がいなかったことから、ピン芸人で活動することになった[2]。当時、養成所にはきつね、Aマッソらが居り、彼らとは当時から仲が良かった[4]。養成所時代には講師と喧嘩したため事務所ライブに出られなくなったこともあった[6]。
同所卒業後に松竹芸能(大阪)所属となる。初期は大阪を拠点にし道頓堀角座などで活動。多い時で月に15本から20本のライブ出演をこなす[7]。2013年12月1日に、道頓堀角座で初の単独ライブ「ヒッコロコメディショー」を行う[8]。
2013年春、芸人活動と学生生活が全く両立出来なくなったことを理由に大学を中退。本人は、「単位も取れないから大学はずっと辞めたいと思っていて、(芸人活動をしていることから)『お笑いという夢が見つかった』ということでお笑いで頑張りたいことを理由に大学を辞めた感じだった」と語っている[4]。
だが、大学を辞めた時点でそのままお笑いの道に進むと決意していたわけではなく、本人はむしろフリーターになろうと考えていた[4]。それでも芸人としてやっていこうと考えたのは、本人は「これといったきっかけがあったわけじゃない」としながら、「インディーズライブでヒューマン中村、三浦マイルド、おいでやす小田ら同じピン芸人の先輩たちと共演するうちに、ピン芸人の面白さや楽しさ、大変だけど自由なことなどの魅力を感じたのかな」と話している[4]。大阪で3年間活動した後、場所を変えて自分の笑いを試して勝負したく上京、2014年4月から松竹芸能東京に所属[7]。尊敬するさらば青春の光が松竹を退社したことも上京の一因だという[9]。
『IPPONグランプリ』(フジテレビ系)への出場に向けた全国一斉大喜利ペーパーテスト(1,603人出場)を勝ち抜き、本戦への出場枠を賭け第1回『IPPONスカウト』に出演(初登場)。MCのバカリズム、小木博明(おぎやはぎ)、設楽統(バナナマン)らから高く評価された[10]。第11回『IPPONスカウト』(2014年5月17日放送)では最終決勝の5人の解答者に選出[7]。大喜利に関しては大阪時代の3年間「ずっと負けてるなと思ったことが無い」と言い、『IPPONグランプリ』本戦出場を逃したことにも悔しさを表すコメントをしていた[7]。
2021年から初の冠番組『キョコロヒー』(テレビ朝日)が始まるなどテレビ出演が増え、ニホンモニター調査の同年7月に発表された「上半期ブレイクタレントランキング」10位にランキングするなどブレイクを果たす[11]。その後「国民的地元のツレ」という愛称でも呼ばれている[1]。同年12月には同調査の「ブレイクタレントランキング」で年間5位にランキングする[12]。
同年12月13日に行われた『女芸人No.1決定戦 THE W』では2016年から2020年まで4年連続で準決勝で敗退していたが、5年目となる2021年大会で初の決勝進出を果たした。しかし、Bブロックの登場初戦での天才ピアニストとの対戦にて満票で敗退した[13]。
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