Loading AI tools
1953年の日本の映画 ウィキペディアから
『東京物語』(とうきょうものがたり)は、1953年(昭和28年)に公開された日本映画である。監督は小津安二郎、主演は笠智衆と原節子。モノクロ、スタンダード・サイズ、136分。
『晩春』(1949年)、『麦秋』(1951年)、『東京物語』(1953年)で原節子が演じたヒロインはすべて「紀子」という名前であり、この3作品をまとめて「紀子三部作」と呼ぶことがある[2][3][4][5]。昭和28年度文化庁芸術祭参加作品。
上京した年老いた両親とその家族たちの姿を通して、家族の絆、親と子、老いと死、人間の一生、それらを冷徹な視線で描いた作品である[3][6][7][8][9]。戦前の小津作品、特に『戸田家の兄妹』などにすでに見出されるテーマだが、本作でより深化させられることになった。「ロー・ポジション」[注 1]を多用し、カメラを固定して人物を撮る「小津調」と形容される独自の演出技法で、家族を丁寧に描いている。家族という共同体が年を経るとともにバラバラになっていく現実を、独特の落ち着いた雰囲気でつづっている[注 2]。
作品は国内外において極めて高く評価されている[3][11][12]。Rotten Tomatoesでは51件の批評家レビューがあり、100%の批評家支持率を保持し、平均点は9.3/10となっている[13]。2012年に英国映画協会の映画雑誌『Sight&Sound』が発表した史上最高の映画ベストテンの映画監督が選ぶランキングでは第1位[11][14]、2023年ではトップ100で同率第4位[15]を記録している。主なオマージュ作品にヴィム・ヴェンダースの『東京画』、ジュゼッペ・トルナトーレの『みんな元気』、侯孝賢の『珈琲時光』、ドーリス・デリエの『HANAMI』、山田洋次『東京家族』がある[5]。
尾道に暮らす周吉(笠智衆)と妻のとみ(東山千栄子)は、小学校教師をしている次女の京子(香川京子)に留守を頼み、東京にでかける。ふたりは下町で小さな医院を開業している長男の幸一(山村聡)の家に泊めてもらうが、東京見物に出ようとしたところで急患が入り、結局でかけることが出来ない。
その後、やはり下町で美容院を営む志げ(杉村春子)の家に移るが、志げも夫(中村伸郎)も忙しく、両親はどこにも出かけられぬまま二階で無為に過ごしている。志げは、戦死した次男の妻の紀子(原節子)に一日両親の面倒を見てくれるよう頼む。紀子はわざわざ仕事を休んで2人を東京の観光名所に連れて行き、夜は彼女の小さなアパートで精一杯のもてなしをする。
幸一と志げは金を出し合って両親を熱海に送り出す。しかし志げの選んだ旅館は品のない安宿で、夜遅くまで他の客が騒いでいるため2人は眠ることができない。翌日、2人は尾道に帰ることに決め、予定を切り上げていったん志げの家に戻る。ところが志げは、今夜は同業者の集まりがあるのでもっと熱海でゆっくりしてきてほしかったと迷惑そうな態度を取る。2人は「とうとう宿なしになってしもうた」と言いながら今夜泊まるところを思案し、狭い紀子のアパートにはとみだけが行くことにする。紀子ととみは親しく語り合い、紀子の優しさにとみは涙をこぼす。一方周吉は尾道で親しくしていた服部(十朱久雄)を訪ねるが、服部は家に泊めることは出来ないから外で飲もうと言い、やはり尾道で親しかった沼田(東野英治郎)にも声をかけて3人で酒を酌み交わす。結局周吉はしたたかに酔い、深夜になってから沼田と共に志げの家に帰ると、2人とも美容室の椅子で眠り込んでしまう。志げは夫に対して父への文句をぶちまける。
翌日、皆に見送られて帰路の列車に乗った2人だったが、とみが体調を崩し、大阪で途中下車して三男の敬三(大坂志郎)の家に泊めてもらう。回復したとみと周吉は、子供たちが優しくなかったことを嘆きながらも、自分たちの人生は良いものだったと語りあう。
2人が尾道に帰って間も無く、母が危篤だという電報が届き、3人の子供たちと紀子は尾道にかけつけるが、とみは意識を回復しないまま死んでしまう。とみの葬儀が終わった後、3人は紀子を残してさっさと帰って行ってしまい、京子は憤慨するが、紀子は義兄姉をかばい、若い京子を静かに諭す。
紀子が東京に帰る日、周吉は紀子の優しさに感謝を表し、早く再婚して幸せになってくれと伝えて、妻の形見の時計を渡す。紀子は声をあげて泣く[注 3]。
翌朝、がらんとした部屋で一人、周吉は静かな尾道の海を眺めるのだった。
平山周吉 | 平山とみ (妻) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
平山幸一 (長男) | 平山文子 (嫁) | 金子庫造 (婿) | 金子志げ (長女) | 平山昌二 (次男) 戦死 | 平山紀子 (嫁) 未亡人 | 平山敬三 (三男 ) | 平山京子 (次女) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
平山實 (孫) | 平山勇 (孫) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
style="border-spacing: 5px; border: 1px solid darkgray;"
括弧内は周吉との続柄 色の凡例: 男 女 |
1953年2月から小津安二郎は野田高梧とともに、小津が脚本を書くために使用していた茅ヶ崎館で『東京物語』の構想を練りはじめ、4月8日から脚本執筆を行い、5月28日に脱稿した[18][19]。物語はレオ・マッケリー監督のアメリカ映画『明日は来らず』(1937年)を下敷きにしており[4][20]、アメリカの物語を普遍的なものにして、アジア人と西洋人がともに納得できるものにした。
1953年2月4日、大体の傾向が決まる[19]。2月18日–20日、主要キャストの職業等、設定が決まる[19]。老夫婦が安宿で眠られないシーン等、熱海の場面は当初、日比谷公園で考えていたが[19]、3月2日の夜に熱海に変更した[19]。3月12日、尾道より始め大坂を略す(冒頭尾道の後、三男が働く大坂パートも予定していたがカット。後半の短いシーンに変更)ことなど略決定[19]。
1949年の『晩春』の撮影中にライトの一部が天井から落ちて、原節子の頭を直撃し、頭を少し切り撮影もストップした[12]。原は東宝の専属女優でもあり[12]、助監督を務めた齋藤武市は、「小津監督は原さんに対してよそ様の大スターというだけでなく、負い目のようなものがあったように感じました。(巷で噂される小津が原に対して恋愛感情があったという見方については)もちろん、そりゃ嫌いなはずはありませんが、だからといって特別な恋愛感情というのとも違ったんじゃないでしょうか」などと述べている[12]。
当初、三男のキャスティングは、小津と公私ともに親交があった佐田啓二を予定していた。しかしスケジュールが合わず、大坂が演じることになった。大坂の役は大阪の国鉄職員であるが、台詞に出身地の秋田訛りが抜けず、リハーサルを何度も繰り返したという。ついに『俺は、大坂志郎だから大阪弁が得意だろうと思ってお前をつかったんだ。それなら山形志郎と改名しろ』と小津に激怒され、大坂は号泣したという(『東京物語』LDおよびDVD・副音声の齋藤武市の証言より。「秋田」ではなく「山形」であるのは発言〔ママ〕)。
映画監督になる前に三重県で代用教員をやっていた小津は、唱歌や民謡が好きだった[12]。本作でも小学唱歌が効果的に使用されている[12]。小学校教師の次女京子(香川京子)が教室で生徒に教えながら、帰京する紀子(原節子)が乗る汽車に思いを馳せてたたずむエピローグでの流れる児童の合唱は[21][22]、唱歌『夕の鐘』(作詞:吉丸一昌、作曲:フォスター)である[12]。脚本では「小学校の校舎/唱歌が聴こえてくる。」とだけあったが音楽担当の斎藤高順が『夕の鐘』を選んだ。映画公開当時には音楽の教科書にも載っていた。
1953年7月25日、松竹大船のセット初日[19]。東京駅待合所以外の屋内シーンはすべて大船のセットで撮影[注 5]。
現在に至るまで作品は国内外できわめて高い評価と支持を受けている[4]。特に映画誌などで行われる過去の作品のランキング等では必ず上位にランキングされている。1995年にBBCが発表した「21世紀に残したい映画100本」には、『西鶴一代女』(溝口健二監督、1952年)、『椿三十郎』(黒澤明監督、1962年)、『乱』(黒澤明監督、1985年)、『ソナチネ』(北野武監督、1993年)などと共に選出された。英国映画協会の月刊映画専門誌『Sight & Sound』2002年版の「CRITICS' TOP TEN POLL」では、「年老いた夫婦が成長した子供たちに会うために上京する旅を通して、小津の神秘的かつ細やかな叙述法により家族の繋がりと、その喪失という主題を見る者の心に訴えかける作品」という寸評を出している。本作品はニューヨーク近代美術館に収蔵されている。
1953年11月3日に日本国内で封切られ、同年度のキネマ旬報ベストテンでは第2位にランキングされた。配給収入は1億3165万円で、1953年度の邦画配収ランキングで第8位にランクインする成功作となった[1]。海外での公開は1957年にロンドンで上映されたのが最初で、翌年に第1回サザーランド杯を受賞し、海外での小津作品の評価が高まるきっかけとなった。1972年にはニューヨークでも公開され、アメリカの批評家からも賞賛を受けた。
年 | 媒体・団体 | 部門 | 順位 |
---|---|---|---|
1953年 | キネマ旬報 | キネマ旬報ベスト・テン | 第3位 |
1979年 | 日本映画史上ベストテン | 第6位 | |
1989年 | 日本映画史上ベストテン | 第2位 | |
1995年 | 日本映画 オールタイム・ベストテン | 第1位 | |
世界映画 オールタイム・ベストテン | 第4位 | ||
1999年 | オールタイム・ベスト100 日本映画編[76] | 第2位 | |
2009年 | オールタイム・ベスト映画遺産200 日本映画篇 | 第1位 | |
1962年 | 英国映画協会『Sight&Sound』誌 | 批評家が選ぶ史上最高の映画ベストテン | 第26位 |
1982年 | 批評家が選ぶ史上最高の映画ベストテン | 第21位 | |
1992年 | 批評家が選ぶ史上最高の映画ベストテン | 第3位 | |
映画監督が選ぶ史上最高の映画ベストテン | 第14位 | ||
2002年 | 批評家が選ぶ史上最高の映画ベストテン | 第5位 | |
映画監督が選ぶ史上最高の映画ベストテン | 第16位 | ||
2012年 | 批評家が選ぶ史上最高の映画ベストテン | 第3位 | |
映画監督が選ぶ史上最高の映画ベストテン | 第1位 | ||
2022年 | 批評家が選ぶ史上最高の映画ベストテン | 第4位 | |
映画監督が選ぶ史上最高の映画ベストテン | 第4位 | ||
1989年 | 文藝春秋 | 大アンケートによる日本映画ベスト150 | 第2位 |
2000年 | ヴィレッジ・ヴォイス | 20世紀の映画リスト | 第36位 |
2008年 | カイエ・デュ・シネマ | 史上最高の映画100本 | 第14位 |
エンパイア | 歴代最高の映画ランキング500 | 第67位 | |
2010年 | エンパイア | 史上最高の外国語映画100本 | 第16位 |
トロント国際映画祭 | エッセンシャル100 | 第15位 | |
2018年 | BBC | 史上最高の外国語映画ベスト100[77] | 第3位 |
本作のオリジナルネガフィルムは1960年の横浜シネマ現像所火災(16ミリ縮小版を作成中だった)により消失し、現存しない[5]。現在残っているのは16ミリデュープ・ネガから起こされたエンラージ35ミリデュープ・ネガである[5]。 製作会社の松竹は、2003年と2011年の2回にわたってデジタルリマスターによる修復・リプリントを行った。2003年版は、小津安二郎生誕100年記念事業の一環として、劇場公開やDVD化のためにデジタル修復が施された。2011年版は、NHK BSプレミアムで2011年から2012年にかけて企画された『山田洋次監督が選んだ日本の名作100本』での放送のために、NHKが松竹に全面協力し、実際の修復作業はIMAGICAにより行われた。素材に使われたフィルムは画質こそ良好だがパーフォレーション(フィルムの送り穴)が損傷し「使用不可」に指定されていたため、それまで顧みられる事が無かったもの。これを補修しスキャン用の35mmデュープを作成、データ化は4K解像度で行われた。撮影助手を務めた川又昂が製作時のプリント状態を知る数少ない当事者として助言し、通常のデジタル修復に加えて画質の明暗の再調整、手作業によるプリントやサウンドトラックのノイズ修正など、きめ細かな修復が行われた。BSプレミアムで2011年4月4日に放送された後も画質の追い込みが行われ、2013年7月に小津生誕110周年記念と銘打ったDVD/Blu-rayで発売。修復作業の様子も、リマスター版初放送に向けBSプレミアムで放送されたドキュメンタリー『デジタル・リマスターでよみがえる名作「“東京物語”復活への情熱」』において取り上げられた。
このデジタル・リマスター版は2013年のベルリン国際映画祭クラシック部門で上映された。また4K素材はアメリカのヴォイジャー社「クライテリオン・コレクション」DVD/Blu-rayにも提供されている。
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Every time you click a link to Wikipedia, Wiktionary or Wikiquote in your browser's search results, it will show the modern Wikiwand interface.
Wikiwand extension is a five stars, simple, with minimum permission required to keep your browsing private, safe and transparent.