日本の東京都品川区にある鉄鋼・機械メーカー ウィキペディアから
株式会社日本製鋼所(にほんせいこうしょ、The Japan Steel Works, Ltd.)は、鋼板、鍛造品、鋳造品、プラスチックの射出成形機、鉄道車両向け製品、戦車や艦艇などの砲を製造する日本の株式会社である[注 2]。
本社(右側:ゲートシティ大崎ウエストタワー) | |
種類 | 株式会社 |
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市場情報 | |
略称 | 日本製鋼、日鋼、JSW、アーム |
本社所在地 |
日本 〒141-0032 東京都品川区大崎1丁目11番1号 ゲートシティ大崎ウエストタワー |
設立 |
1950年(昭和25年)12月11日 (創業:1907年(明治40年)11月1日) |
業種 | 機械 |
法人番号 | 5010701019531 |
事業内容 | 機械、鉄鋼、産業機械、電力機器、化学プラント、防衛機器 |
代表者 |
代表取締役社長 松尾敏夫 代表取締役副社長 出口淳一郎 |
資本金 | 197億37百万円 |
発行済株式総数 | 7433万2356株 |
売上高 |
連結2175億27百万円 (2020年3月期) |
営業利益 |
連結187億9百万円 (2020年3月期) |
純利益 |
連結95億34百万円 (2020年3月期) |
純資産 |
連結1324億92百万円 (2020年3月時点) |
総資産 |
連結2971億73百万円 (2020年3月時点) |
従業員数 |
単体1767名 連結5329名 (2022年3月時点) |
決算期 | 3月31日 |
主要株主 | 主要株主の項を参照 |
主要子会社 | 関連会社の項を参照 |
関係する人物 |
伊藤博文 松方正義 井上角五郎 山内万寿治 團琢磨 東泉豊(元副社長) |
外部リンク |
www |
特記事項:経営指標は2020年3月第94期有価証券報告書 |
三井グループに属する。略称は日鋼(にっこう)、あるいは英語表記の頭文字をとってJSWと記される。日経平均株価の構成銘柄の一つ[1]。
旧株式会社日本製鋼所は、1907年(明治40年)、英国の技術を導入して国産の兵器を製造する会社として、北海道炭礦汽船株式会社、英国アームストロング・ホイットワース会社(Sir W.G.Armstrong, Whitworth and Co., Ltd.)、英国ヴィッカース会社(Vickers Sons and Maxim, Ltd.)の出資によって北海道室蘭市に設立された。これは、製鋼事業としては安来製鋼所に次ぐ画期的な出来事であった。太平洋戦争の敗戦に伴い、企業再建整備法により後の1950年(昭和25年)に解散した。
解散された旧会社の資産と人材をもとに新たに設立された株式会社日本製鋼所は、兵器の製造で培った鍛造技術、鋳造技術を活用し、発電所、化学プラントに用いられる特殊な鍛造品、鋳造品、プラスチック・マグネシウムの射出成形機や各種の産業機器を製造している。また、戦車や艦艇の火砲や発射システムなどの防衛機器の製造も続けている。
首都高速道路公団からの依頼を受け、首都高速道路江戸橋ジャンクションの曲線道路橋桁の鋳造に関わったことでも知られている[2]。
製作所として、発電用蒸気タービンや原子力用部材、化学プラントに用いられる鉄鋼製品やブレードやタワーなど風力発電用風車を生産する室蘭、プラスチック・マグネシウムの射出成形機、戦車や艦艇の火砲などを生産する広島、レーザーアニール装置など電子機器用装置を生産する横浜がある。かつては産業用機械を生産する東京、鹿島工場のほか、軍需用機器を製造・補修していた宇都宮(後のシンガー日鋼)、赤羽作業所、および輪西工場(現・日本製鉄室蘭製鉄所)があった。
従来、本社機能は東京都千代田区有楽町、日比谷三井ビルディングと東京都府中市日鋼町1番地1号の旧自社ビル(日本製鋼所東京製作所跡地、2004年(平成16年)に売却)に分かれていたが、2007年(平成19年)8月14日、東京都品川区のゲートシティ大崎ウエストタワーに移転した。
日本製鋼所の設立経緯について、特筆しておくべきこととして帝国海軍(以下、海軍)との関係や、初の外国資本導入(ここでは英国)が挙げられる。
当時代議士でもあった、北海道炭礦汽船の専務取締役の井上角五郎は、かねてより製鉄業こそが近代化の根幹であると考えており、鉄道国有化による売却益を利用して、北海道の地に製鉄事業に進出することを計画して、伊藤博文、松方正義ら元老に働きかけた(日本製鋼所室蘭製作所の迎賓館である瑞泉閣には、伊藤博文の「日本製鋼所」という揮毫が残っている)。
一方、海軍においても日露戦争の経験から兵器国産化を目指していたが、そのためには先進国から技術を導入する必要があった。そこで、この計画に乗る形で呉鎮守府の山内万寿治中将を参画させる(現役将官が民間企業の顧問となるのは極めて異例である)ことで、兵器国産化を目的とした、製鋼事業を起業することが急速に具体化していった。当初、井上は追分で産出された石炭から作ったコークスと、倶知安などで産出した鉄鉱石を用いて高炉製鉄とそれに付随して製鋼を行うことを企図していたが、海軍側の説得により製鋼と兵器製造を中心とすることになっていった。井上の念願であった製鉄事業については、1909年(明治42年)に北海道炭礦汽船輪西製鐵場を開設して、現在の日本製鉄室蘭製鉄所へとつながっていく。
先進国からの技術導入であるが、当時の海軍は英国のアームストロング・ウイットウォース會社(Sir W.G.Armstrong, Whitworth and Co., Ltd.)から軍艦や兵器を多く買い付けていた。山内はこれを北炭に紹介するとともに、日英合弁事業とすることを勧めたとされる[3]。そこに英国ビッカース會社(Vickers Sons and Maxim, Ltd.)が参加して、日本製鋼所を室蘭に設立することが決まった。
なぜ室蘭に日本製鋼所が設立されたかについてであるが、もともと、室蘭には海軍の鎮守府の設置が内定しており、軍港として指定されていたが、地勢的に太平洋側からの攻撃に対して防御が困難であるという理由により、1903年(明治36年)に鎮守府の設置は見送られたという経緯がある(大湊警備府を参照)。そこで、使われていなかった室蘭港を使用することとしたのである。
日本製鋼所の英語表記はThe Japan Steel Works, Ltd.であり、設立当初から用いられてきた。このため、1970年(昭和45年)の新日本製鐵(現・日本製鉄)設立の際、新日鐵は英語名にJapan Steelを用いることができず、やむなくNippon Steel Corporationにしたという経緯がある。なお、旧日本製鐵株式會社の英語表記はJapan Iron & Steel Co., Ltd.であり、日本製鋼所と混同しない。
他の「日本セイコウ」という会社名(日本精工、日本精鉱)との混同を防ぐため、日本製鋼所株は株式市場関係者によって「アーム」という符牒で呼ばれることがある。これはもちろん、上記アームストロング社との資本関係に由来する。
氏名又は名称 | 所有株式数 | 持株比率 |
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日本マスタートラスト信託銀行株式会社 | 19,714千株 | 5.31% |
日本カストディ銀行株式会社 | 15,924千株 | 4.29% |
大樹生命保険株式会社(常任代理人:日本カストディ銀行株式会社) | 14,138千株 | 3.81% |
株式会社三井住友銀行 | 12,550千株 | 3.38% |
三井住友海上火災保険株式会社 | 8,824千株 | 2.38% |
ジユニパー(常任代理人:株式会社三菱東京UFJ銀行) | 8,300千株 | 2.23% |
三井住友信託銀行株式会社(常任代理人:日本トラスティ・サービス信託銀行株式会社) | 8,152千株 | 2.19% |
NORTHERN TRUST CO.(AVFC)RE-HSD00(常任代理人:香港上海銀行東京支店) | 6,981千株 | 1.88% |
シービーニューヨーク オービス エスアイシーアーヴィー (常任代理人:シティバンク銀行株式会社) | 6,736千株 | 1.81% |
日本製鉄株式会社 | 6,530千株 | 1.76% |
ほか各社。
かつては、
という会社も存在した。これらはそれぞれ米国シンガー社との合弁会社とその子会社である。
また、
という会社もかつて室蘭製作所内に存在していたが、2020年4月1日をもって日鋼MECを存続会社として吸収合併されて消滅し、日本製鋼所M&Eとなった。
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