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北海道室蘭市にある工場 ウィキペディアから
日本製鋼所室蘭製作所(にほんせいこうしょむろらんせいさくしょ)は、北海道室蘭市にある日本製鋼所及び日本製鋼所M&Eの工場。
日本製鋼所の創業地であり、1907年(明治42年)に操業開始した。世界で唯一となる670 tの鋼塊を鍛錬することができる工場であり[2][3]、14,000 tのプレス機を2機保有している。大型の発電所で使用するローター軸・タービン軸[2][3]、天然ガスを輸送するクラッド鋼管や石油精製に使用する圧力容器などを製造することができるため、世界屈指の生産設備と技術力によりエネルギー産業を支えている[2][3]。
1911年(明治44年)に皇太子(後の大正天皇)の視察に備えて茶津山の麓に新築した和洋折衷の迎賓館は、皇太子により「瑞泉閣」と命名された[4]。この瑞泉閣には、1936年(昭和11年)、陸軍特別大演習のために来道した昭和天皇も行幸している[5]。1918年(大正7年)からは、近代化により衰退していた日本刀の製作技術向上と保存のために「瑞泉鍛刀所」を開設している[4][6]。「瑞泉閣」と「旧発電所」が経済産業省の「近代化産業遺産」や文化庁の「日本遺産」に認定されているほか[7][8]、室蘭市の有形文化財や文化庁の「日本遺産」に国産第1号となる複葉機エンジン「室0号」[8]、室蘭市の民俗文化財に「瑞泉鍛刀所の鞴(ふいご)」が指定されている[9]。
1906年(明治39年)、「鉄道国有法」によって北海道炭礦鉄道から業種転換した北海道炭礦汽船は、夕張炭の納入をきっかけとする呉海軍工廠との結びつきから[12]、室蘭港に面する入江を埋め立てて製鉄所建設を計画した[13]。ところが、兵器の製造を急務としていた政府は製鋼所建設を求めたため、翌年に日本国内初の民間兵器工場となる「日本製鋼所」を設立し、室蘭の海軍用地の貸与を受けて工場を建設した[14]。取締役会長には井上角五郎が就任した[注 1][13]。そのため、日本製鋼所は軍事機密に深く関わっており「世界の4大民間兵器工場の1つ」とも称されるなど軍需面で重要な位置を占めていた[15]。その中でも室蘭製作所は戦艦「長門」の主砲、戦艦「陸奥」の砲身、戦艦「大和」の装甲板を製造するなど戦争遂行に欠かせない工場になっていた[15][16]。1942年(昭和17年)に内閣総理大臣の東条英機が北海道視察の一環として室蘭製作所を訪れて従業員達を激励したが[15]、15年前に大日本帝国陸軍の歩兵中佐として工場を視察しようとした際には入構を拒否されたという[15]。これは、日本製鋼所が主に大日本帝国海軍の兵器を造っていたので、陸軍には見せられないと判断したためである[15]。陸軍・海軍からの発注が増え続けると工場は慢性的な人手不足に陥ったため、国によって市民を徴用し、子供も動員した[15]。
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