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大湊警備府(おおみなとけいびふ)は、青森県大湊に所在した大日本帝国海軍の警備府。現在の海上自衛隊大湊地方隊に相当する(ただし地方隊は鎮守府相当)。
この項では前身の大湊要港部を含めて記述する。
1886年4月22日、「海軍条例」において全国に五つの海軍区を定め、第五海軍区の範囲は「北海道陸奥ノ海岸海面及津軽海峡」と決められた。1890年2月4日勅令第7号「第五海軍区鎮守府位置設定ノ件」によって、室蘭鎮守府の設置を内定したが、室蘭は地形的に太平洋からの攻撃に対して防御が困難であるとの理由で、1895年6月12日に軍港予定地を大湊に変更した。しかし、大湊に鎮守府の設置は実現しなかった。
1900年春から大湊水雷団敷地の造成工事が始められ、1902年8月1日、後に大湊要港部へと発展する大湊水雷団(横須賀鎮守府管下)が開庁し、あわせて大湊海軍修理工場を開設し、翌年9月に第4水雷艇隊(水雷艇4隻)が配属された。
日露戦争において、大湊水雷団は津軽海峡警備を担った。戦後、日本の南樺太領有に伴い、北方方面の警備が重要となり、1905年12月12日、大湊水雷団は大湊要港部へ昇格した。当要港部は、北方海域における警備、権益保護、漁場安全確保、救難救助などに従事した。
1941年11月20日、日米開戦が迫る中、その対応のため大湊要港部は大湊警備府に昇格した。太平洋戦争中は、千島方面の防備強化、第5艦隊・第1水雷戦隊・第12航空艦隊への後方支援、海上護衛、対潜掃海等に従事したが、戦局は悪化し、1945年8月9日から10日にかけての大湊空襲により大きな被害を受け終戦を迎え、同年11月30日に廃止された。
1953年9月16日、保安庁警備隊(後の海上自衛隊)によって大湊地方隊として復活。同時に地方総監部を設置。他の4地方総監部(横須賀・舞鶴・佐世保・呉)は全て既存の鎮守府から継承した為、大湊のみ、「鎮守府」への実質的な昇格を果たす形となる。
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