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日本の政治家 ウィキペディアから
山田 宏(やまだ ひろし、1958年〈昭和33年〉1月8日[2] - )は、日本の政治家。自由民主党所属の参議院議員(2期)、自由民主党副幹事長。東京都議会議員(2期)、衆議院議員(2期)、東京都杉並区長(3期)、総務省顧問(鳩山由紀夫内閣)、大阪府市特別顧問、防衛大臣政務官兼内閣府大臣政務官、参議院厚生労働委員長、日本創新党党首、次世代の党幹事長などを歴任。
山田 宏 やまだ ひろし | |
---|---|
2017年撮影 | |
生年月日 | 1958年1月8日(66歳) |
出生地 | 日本 東京都八王子市 |
出身校 | 京都大学法学部卒業 |
前職 | 衆議院議員熊谷弘秘書 |
所属政党 |
(新自由クラブ→) (自由民主党→) (日本新党→) (新進党→) (無所属→) (日本創新党→) (日本維新の会→) (次世代の党→) 自由民主党(安倍派→無派閥) |
称号 | 法学士 |
公式サイト | 山田宏ホームページ |
選挙区 | 比例区 |
当選回数 | 2回 |
在任期間 | 2016年7月26日 - 現職 |
選挙区 |
(旧東京4区→) 比例東京ブロック(東京19区) |
当選回数 | 2回 |
在任期間 |
1993年7月19日 - 1996年9月27日 2012年12月21日[1] - 2014年11月21日 |
当選回数 | 3回 |
在任期間 | 1999年4月27日 - 2010年5月31日 |
選挙区 | 杉並区選挙区 |
当選回数 | 2回 |
在任期間 | 1985年7月23日 - 1993年7月2日 |
東京都八王子市生まれ。本籍は山口県田布施町であり、現在も山田家の墓がある。山口市立湯田小学校、山口大学教育学部附属山口中学校2年生の時に転校、国分寺市立第三中学校、東京都立国立高等学校、京都大学法学部(国際政治学:高坂正堯ゼミ)卒業後、松下政経塾に入塾した(第2期生)[3]。卒塾後は熊谷弘衆議院議員の秘書を経て、1985年の東京都議会議員選挙に新自由クラブ公認で出馬し当選[注 1]。新自由クラブ解散後は自民党に合流。
松下政経塾の評議員を務めていた細川護煕から新党への参加を請われ[要出典]、1993年に自民党を離党して日本新党に入党。任期満了寸前となる同年7月2日付で都議を辞職し、第40回衆議院議員総選挙に旧東京4区から日本新党公認で立候補、トップで当選を果たした。党立法調整委員長(国会対策委員長)に就任する[要出典]。
1994年、日本新党の解党により新進党結党に参加。新進党では1995年の党首選挙で鳩山邦夫擁立の中心的役割をになった[5]。
1996年の第41回衆議院議員総選挙に東京8区(杉並区)から新進党公認で立候補。山田のほか、自民党公認の石原伸晃、日本共産党公認の八田和佳、民主党の公認を得た元社会党参議院議員の村田誠醇、無所属の新人が立候補し、石原が当選。山田は次点で落選した。その後、再び新党結成に向けて動き、日本新党に参加した野田佳彦、長浜博行、中田宏らに加え市村浩一郎、海老根靖典、河井淳一、小田全宏、勝又恒一郎、河村たかし、中村時広らが参加して「志士の会」を結成するが、その後の第18回参議院議員通常選挙での民主党の躍進が影響し、新党結成の動きは頓挫する[要出典]。
1999年4月25日に行われた杉並区長選挙へ立候補し、自民党の推薦を得た現職の本橋保正、共産党の推薦を得た貸本店店主の梶原志計雄を破り、初当選した[6]。
2003年、市民運動家の小関啓子を破り再選[6][7][8]。2007年、3期目の当選を果たす。2009年10月30日、鳩山由紀夫内閣下で総務省顧問に就任[9]。
2010年4月18日、地方自治体の首長経験者らで日本創新党を結成、党首に就任した。同年5月31日、第22回参議院議員通常選挙の東京都選挙区へ出馬するため杉並区長を辞職[10][11]。参院選で日本創新党公認で立候補したが落選した。
2012年2月、大阪市特別顧問に就任。同年4月、大阪府特別顧問に就任。同年9月、日本創新党を解党し、日本維新の会に参加する。また、東京維新の会設立に伴い、相談役に就任。同年11月、東京維新の会代表に就任し、第46回衆議院議員総選挙に日本維新の会から、東京19区(西東京市、小平市、国分寺市、国立市)で立候補することが決まった。選挙区の決定について山田は、同月17日のブログで党本部からの要請、としている[12]。同年12月16日投開票。小選挙区では落選したが、比例東京ブロックにて復活当選。衆議院予算委員会理事を務める。
2013年5月23日、日本維新の会を除名された西村眞悟の後任として海賊行為への対処並びに国際テロリズムの防止及び我が国の協力支援活動等に関する特別委員長に就任。
2014年8月1日、次世代の党結党に際し、平沼赳夫党首の指名により、次世代の党初代幹事長に就任。同年12月の第47回衆議院議員総選挙では、同党公認で東京19区から立候補したが、候補者4人中の最下位(得票率11.7%)で敗れた[13]。重複立候補した比例東京ブロックでは名簿の単独1位に登載されていたが、党の獲得議席がなかったため落選した[14]。
2015年9月24日、翌年実施の第24回参議院議員通常選挙に安倍晋三内閣総理大臣の肝煎りで自民党公認で全国各地の都道府県単位の歯科医師連盟の9年ぶりの組織代表[15]推薦候補として[16]参議院比例区より出馬することが発表された[17]。
2016年7月の第24回参議院議員通常選挙で、自民党は比例代表に25人の候補者を擁立し、19議席を獲得。山田は12番目の得票数で初当選した[18]。
2018年10月4日、 第4次安倍第1次改造内閣で防衛政務官兼内閣府政務官に就任[19]。
2021年12月6日、第207回国会において参議院厚生労働委員長に就任[20]。山田が参議院において常任委員会の委員長職を拝命するのはこれが初めて。
2022年7月の第26回参議院議員通常選挙で、前回推薦した日本歯科医師連盟は、山田を9年ぶりに「組織代表」として支援した。自民党は比例代表に特定枠2人を含め計33人の候補者を擁立し、18議席を獲得。山田は8番目の得票数(特定枠を含むと10番目)により、2期目の当選を果たした[21]。
2024年9月10日、『月刊Hanada』の版元の飛鳥新社は自民党総裁選挙に向けて『高市早苗は天下を取りにいく』を刊行。山田は同書に「高市早苗は日本のサッチャーだ」と題する激励文を寄稿した[22]。さらに総裁選において高市の推薦人に名を連ねた[23][24]。9月17日、候補者9人はTBSの報道番組「news23」に出演しテレビ討論を行った。高市は、推薦人20人のうち、13人が党本部が公表した「裏金議員」であること、役職停止や戒告の処分を受けた議員が含まれていること(山田は両方に該当した[25][26])などを指摘されると、「どの方を20人に入れるかは選対、チームにまかせたので、私は翌日の新聞(を読む)まで知らなかった」と答えた[27][28]。9月27日総裁選執行。高市は1回目の投票で1位となるが、決選投票で石破茂に敗れた[29]。
2024年2月13日、自由民主党は、政治資金パーティー収入の裏金問題をめぐり、党所属のすぺての国会議員らを対象に実施したアンケートの集計結果を公表した。山田はノルマの超過分に対する清和政策研究会(安倍派)からのキックバックとして、2018年から2022年にかけての5年間で計560万円を裏金にしていたことが明らかとなった[83]。4月4日、党は安倍派と二階派の議員ら39人の処分を決定。山田は「戒告」を受けた[26]。
同年5月14日、衆議院政治倫理審査会は、裏金事件に関与しながら同審査会で弁明していない自民党議員44人に出席と説明を求める野党の申立てを全会一致で可決した[84]。同月17日、参議院政治倫理審査会も同様に、弁明していない議員29人に出席と説明を求める申立てを全会一致で可決した[85]。山田を含む関係議員73人は全員出席を拒否し、6月23日に通常国会は閉会した[86]。
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