Loading AI tools
日本の政治家 ウィキペディアから
松沢 成文(まつざわ しげふみ、1958年〈昭和33年〉4月2日 ‐ )は、日本の政治家、日本維新の会所属の参議院議員(3期)。政治団体「神奈川力」代表。
松沢 成文 まつざわ しげふみ | |
---|---|
2022年6月26日、横浜駅西口にて | |
生年月日 | 1958年4月2日(66歳) |
出生地 | 日本 神奈川県川崎市多摩区 |
出身校 | 慶應義塾大学法学部政治学科 |
所属政党 |
(無所属→) (新生党→) (新進党→) (国民の声→) (民政党→) (民主党→) (無所属→) (みんなの党→) (次世代の党→) (無所属→) (旧希望の党→) (希望の党→) (日本維新の会→) (無所属→) 日本維新の会 |
公式サイト | 松沢しげふみ公式サイト |
選挙区 | 神奈川県選挙区 |
当選回数 | 3回 |
在任期間 |
2013年7月29日 - 2021年8月8日 2022年7月26日 - 現職 |
民選第15・16代 神奈川県知事 | |
当選回数 | 2回 |
在任期間 | 2003年4月23日 - 2011年4月22日 |
選挙区 |
(旧神奈川2区→) 神奈川9区 |
当選回数 | 3回 |
在任期間 | 1993年7月19日 - 2003年3月27日 |
選挙区 | 川崎市麻生区選挙区 |
当選回数 | 2回 |
在任期間 | 1987年4月 - 1993年7月6日 |
その他の職歴 | |
初代 希望の党代表 (2018年5月7日 - 2019年5月28日) | |
初代 旧・希望の党参議院議員団代表 代表:玉木雄一郎 (2017年11月14日 - 2018年5月7日) | |
初代 次世代の党幹事長 代表:平沼赳夫 (2014年12月25日 - 2015年8月28日) |
参議院消費者問題に関する特別委員長、参議院懲罰委員長、神奈川県知事(民選第15・16代)、衆議院議員(3期)、次世代の党幹事長、希望の党代表、神奈川県議会議員(2期)を歴任した。神奈川大学非常勤講師[1]。元よしもとクリエイティブ・エージェンシー所属(2011年6月~2017年9月)[2]。
神奈川県川崎市多摩区生田生まれ。川崎市立生田小学校、慶應義塾中等部、慶應義塾高等学校、慶應義塾大学法学部政治学科卒業。中学校から大学まで慶應義塾に通学した。中学時代からラグビーを続け、高校3年時には「オール神奈川選抜チーム」に選ばれた。家族が田川誠一の支持者で、小さい頃から政治に関心はあったものの、親戚に政治家はいなかった[3]。
大学在学中、アメリカに短期留学しグリーンリバー短期大学に在籍した。また、講談社の雑誌HOT DOG PRESSの海外取材員として、ヨーロッパ、アメリカ、オセアニア諸国を訪問、執筆活動を展開。
大学卒業後の1982年4月、松下政経塾に入塾(第3期生)。同期生には鈴木淳司、笹木竜三、前田正子らがいる。松下政経塾在籍中の1984年、アメリカ合衆国ワシントンD.C.にて、ベバリー・バイロン連邦下院議員の政策スタッフとして活動、翌1985年には、メリーランド州にてスティーブ・サックス州司法長官のスタッフを務めながらアメリカ民主政治を実践研究する。その経験に基づいて『この目で見たアメリカ連邦議員選挙』(中公新書)を出版。1987年に卒塾。
同年4月、神奈川県議会議員選挙に川崎市麻生区選挙区から無所属(進歩党推薦)で立候補し、初当選。当時は29歳の誕生日を迎えたばかりで、神奈川県政史上最年少の県議であった[4]。1991年に再選。
1993年7月、任期途中で県議を辞職。第40回衆議院議員総選挙に結党したばかりの新生党公認で旧神奈川2区から立候補し、当選。翌1994年末の新進党結党に参加した。
1996年、小選挙区比例代表並立制導入後初めて実施された第41回衆議院議員総選挙では神奈川9区から立候補し、再選。
1997年末の新進党解党に伴い、国民の声に参加。民政党を経て、民主党に合流した。
1999年、民主党代表選挙に立候補。代表選は菅直人代表の圧勝に終わったが、51票を獲得した。
2000年、第42回衆議院議員総選挙で3選。
2003年2月に民主党を離党し、4月執行の神奈川県知事選挙(第15回統一地方選挙)に無所属で立候補する意向を表明した。知事選立候補に伴い、告示日の同年3月27日付で公職選挙法の規定により衆議院議員を退職(自動失職)となった。選挙戦では、盟友関係の中田宏横浜市長や保守派の石原慎太郎東京都知事から支援を受け、社会民主党参議院議員の田嶋陽子らを破り、当選した。
2007年の知事選(第16回統一地方選挙)で、自由民主党神奈川県連推薦の杉野正(埼玉高速鉄道社長)や日本共産党推薦の鴨居洋子を破り、次点の杉野に大差で再選された。多選禁止条例や受動喫煙防止条例の制定を推進し、2期8年間で自ら掲げたマニフェストの約8割を達成したと自ら評価する[5]。2009年10月30日、鳩山由紀夫内閣下で総務省顧問に就任[6]。
2010年12月、高校無償化で朝鮮学校の補助金交付に関し、朝鮮学校の教育内容を確認する必要があるとして、神奈川県が朝鮮学校への補助金支出の内示を留保していた問題で、自ら朝鮮学校を訪問して教育内容を確認し、教科書の表現の見直しを求め、学校側に文書で回答を求めた。視察の結果や朝鮮学校の回答などを総合的に判断し、朝鮮学校へ県補助金の支給を決定した。松沢は「拉致問題や砲撃事件は非道な行為で北朝鮮への怒りは収まらないが、朝鮮学校で学ぶ子どもにまったく罪はない。こういうときこそ、冷静に判断しなければならない」と述べた[7]。
2011年の知事選(第17回統一地方選挙)に3選立候補が有力視されていたが、2011年3月1日に同じ統一選の日程に組まれた東京都知事選挙への立候補を表明する[8]。4選不出馬が有力視されていた石原慎太郎知事の事実上の後継候補であったが、石原が3月11日に東京都議会で4選立候補を表明し、石原の立候補を支持して3月14日に立候補を撤回した[9][10]。
2011年4月22日に任期満了に伴い退任し、5月に筑波大学客員教授に就任。6月16日によしもとクリエイティブ・エージェンシーに所属した[11]。他に聖マリアンナ医科大学客員教授、神奈川工科大学顧問、明治大学兼任講師、PHP総研コンサルティングフェロー、一般社団法人首都圏政策研究所代表理事、一般社団法人スモークフリージャパン代表理事などを務める。
2012年12月に行われた東京都知事選挙に無所属で立候補し、621,278票を獲得したが、猪瀬直樹、宇都宮健児に次ぐ3位に終わり、供託金が没収された。
2013年の第23回参議院議員通常選挙に、みんなの党公認で神奈川県選挙区から立候補。740,207票を獲得し、得票数2位で当選した。選挙後、みんなの党国民運動委員長に就任。
2014年11月19日、みんなの党の解党決定に伴い、和田政宗と共に新党結成を模索する[12]が断念。11月26日に、入党要請を受けていた次世代の党に入党[13]し、副党首に就任。12月25日、第47回衆議院議員総選挙で落選した山田宏の後任として幹事長に就任[14]。
2015年8月26日、次世代の党の党首選に立候補する意欲を示した[15]が、党再建への路線対立を理由として27日に離党届を提出[16]。28日の両院議員総会で離党が了承され、無所属となった[17]。
2016年7月、参議院院内会派無所属クラブに参加[18]。11月17日、地域政党自由を守る会顧問に就任[19]し、2018年まで務めた。
2017年9月25日、東京都知事の小池百合子は会見で、自身が代表を務める「希望の党」の結党を発表[20]。同日、東京都選挙管理委員会を通じて総務大臣に設立を届け出た。届出には松沢を含む国会議員9人が名を連ねた[21][22]。11月の希望の党共同代表選挙後の党役員人事では参議院議員団代表に就任した[23][24]。
2018年5月、分党により新たに結党した希望の党の代表に就任した。希望の党代表時代は日本維新の会との連携を重視し、2019年1月には参議院で日本維新の会との統一会派を結成[25]。同年5月9日には第25回参議院議員通常選挙までに日本維新の会との合流を目指す意向を表明した[26]が、希望の党存続を主張する党内の反発を受け、5月28日に党代表を辞任した[27]。
6月11日に記者会見を行い、希望の党を離党し、日本維新の会に入党したことを明らかにし、同年夏の参院選には日本維新の会から立候補することを表明した[28]。
2019年7月21日の第25回参議院議員通常選挙において、神奈川県選挙区から立候補し、575,884票を集め4位当選(定数4)。
2021年7月20日、松沢は記者会見を行い、任期満了に伴う横浜市長選挙に立候補する意向を表明した[29]。あわせて、統合型リゾート(IR)反対署名活動を行った「カジノの是非を決める横浜市民の会」の共同代表だった小林節が松沢の支援団体の代表世話人を務めることを明らかにした[30]。英語を「第2公用語化」して「バイリンガルシティ」を作ることを公約に掲げた[31]。7月29日に日本維新の会に離党届を提出。8月6日付で受理された[32]。8月8日の横浜市長選挙が告示され、出陣式には上田清司参議院議員が応援にかけつけた[33]。立候補を届け出たことにより、同日、公職選挙法の規定により参議院議員を退職(失職)した[34]。松沢の退職に伴う欠員補充の補欠選挙は行われず、翌2022年7月に実施予定の第26回参議院議員通常選挙において、神奈川県選挙区第5位の当選者が松沢の残余任期(3年)を務める合併選挙となることとなった[35]。
市長選挙では、直前までIR推進の維新に所属していた事や多くの政党を渡り歩いてきた経歴から、取り込みを図った無党派層からの支持が伸び悩み[36]、162,206票(10.76%)で5位にとどまり供託金没収は免れたものの落選した[37]。同年12月に維新に復党した[38]。
2022年2月9日、夏に行われる第26回参議院議員通常選挙の神奈川県選挙区から、日本維新の会の候補者として擁立されることが発表された[39]。同年7月10日の開票の結果、22人中2位で当選[40]。
江戸城天守閣の復元のための活動をしている。復元は東京からの日本文化発信や観光資源として役立ち、日本全体のシンボルにもなりうるとしている[77]。
2022年8月8日、日本維新の会は松沢が旧統一教会の関連団体である世界平和女性連合が神奈川県内で開催したイベントに出席し、祝電を打っていたことを公表した。また、2022年7月の参院選を巡り、旧統一教会系の『世界日報』の取材対応をしていたことも合わせて明らかにされた[84]。
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Every time you click a link to Wikipedia, Wiktionary or Wikiquote in your browser's search results, it will show the modern Wikiwand interface.
Wikiwand extension is a five stars, simple, with minimum permission required to keep your browsing private, safe and transparent.