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塩化ナトリウムを主な成分とする物質 ウィキペディアから
塩(しお、英: salt)は、塩化ナトリウムを主な成分とし、海水の乾燥・岩塩の採掘によって生産される物質。塩味をつける調味料とし、また保存(塩漬け・塩蔵)などの目的で食品に使用されるほか、ソーダ工業用・融氷雪用・水処理設備の一種の軟化器に使われるイオン交換樹脂の再生などにも使用される。
日本の塩事業法にあっては、「塩化ナトリウムの含有量が100分の40以上の固形物」(ただし、チリ硝石、カイニット、シルビニットその他財務省令で定める鉱物を除く)と定義される(塩事業法2条1項)[1]。
塩分の摂取を減らす製品には、塩化ナトリウムと同様に塩味を感じるが苦みもある塩化カリウムが含まれている。この塩化カリウムは、多くの国で摂取される植物灰から得られる塩に多く含まれる。
塩は大きく分けて以下の4つの原材料から作られる。
世界の塩の生産量は2008年で2億650万トンと言われておりそのうち天日塩が約36%である[3]。
日本では岩塩としての資源がなく、固まった塩資源は採れない。また、年間降水量も世界平均の2倍であることから日照時間が比較的長い瀬戸内地方や能登半島など、一部地域以外は塩田に不向きである。このため、塩を作るには、もっぱら海水を煮詰めて作られる。これは、天日干しに比べて、燃料や道具などが必要になるためコストがかかり、大規模な製塩には向かない方法である。そのため自給率は食用塩が85 %であるが、工業用を含めると全消費量の85 %を輸入に頼っている[9]。
海水から製塩するには、直接海水を煮詰めて食塩を得るより、一度、濃度の高い塩水を作ってから煮詰めたほうが効率が良い。この濃い塩水を「鹹水(かんすい)」と言い、この作業を「採鹹(さいかん)」、また煮詰める作業を「煎熬(せんごう)」という。
古代の日本の製塩法は、文献や民俗資料から推測されている。古墳時代までは、『万葉集』に「藻塩焼く(もしおやく)」[10]「玉藻刈る(たまもかる)」などと枕詞にあるように、海岸に打ち上げられたホンダワラなどの海草が天日で乾燥されて表面に析出した塩の結晶を、甕(かめ)に蓄えた海水で洗い出し、塩分を海水のほうに移す作業を何回も繰り返すことにより鹹水を得るというのが一説だが、また、打ち上げられた海草を集めて焼き、その灰を海水に溶いて塩分や海草のヨードなどの養分を溶かし出し、灰を布で濾し出して鹹水を得るという説もある。海水を煮詰める工程において専用に用いられた土器は、製塩土器と呼ばれている。沿岸各地の遺跡、遺物埋抱地で見つかっている。この製法は中国地方では弥生時代中期頃に、岡山県の児島半島付近で始まったといわれている。遺跡は、岡山県下では足守川や旭川の下流域、さらには邑久平野へと広がっている。
その後、万葉時代頃から、揚浜式塩田などの塩田法による製塩に移行していった。江戸時代の江戸塩職人は「壷焼塩」と呼ばれる塩を作っていた。これは、石臼で挽いた粗塩を素焼きの壺に入れ釜で二昼夜以上高温で焼いて作り上げるが、非常に高価で貴重であることから、黒船で来日したマシュー・ペリーをもてなす宴会二の膳に出された[11]。
揚浜式製塩法は入浜式製塩法、1950年代には枝条架(しじょうか)式とも呼ばれる流下式製塩法、1970年代にはイオン交換膜製塩法へと変化していった。このような海水からの製塩法では、副産物として豆腐の原料となるにがりができる。
1997年(平成9年)に塩などの専売制が廃止され、2002年(平成14年)には塩の製造販売が完全自由化された。これ以降、日本各地で流下式といった過去に行われていた製法が復刻され、水分を瞬間的に蒸発させる加熱噴霧といった新しい製法で作られる塩も流通している。
塩はヒトの生存に必須のため、古くから政治的、経済的に重要な位置を占めていた。世界各地に海岸部の塩田や内陸部の塩湖から塩を運ぶ道があり、塩を扱う商人は大きな富を得た。ロシア帝国の大商人で貴族にもなったストロガノフ家は塩商人を前身とした。
インドではイギリス領インド帝国時代の1930年に、マハトマ・ガンディーらがイギリス帝国の塩の専売に抗議する「塩の行進」と呼ばれる運動を行い、インド独立運動の重要な転換点となった。
日本でも、かつては庸税として徴収し、江戸時代以降に財政確保もしくは公益を目的として塩の専売を導入する藩が多くあった。財政確保を目的とした藩としては忠臣蔵で知られる赤穂藩はその代表格である。しかしながら入浜式塩田は潮の干満差を利用した製法のため、緯度の高い地域での生産は困難であり[疑問点]、その北限は太平洋側は現在の宮城県、日本海側は現在の石川県であった。東北地方北部などでは薪を大量に使い海水を直接煮詰めるという原始的な製法から脱却できず生産量は極めて少なかったため、藩が公益事業として専売制度を導入し塩の産地である瀬戸内地方からの交易で供給を確保せざるをえなかった。また、アイヌ民族においては、塩の入手のほとんどは和人との交易に頼っていた。
明治時代になり、政府でも日露戦争の財源確保のために、塩に税金を掛ける案(非常特別税法)が出たが、これに反対する人たちが塩の販売を専売制にするように提案、これが議会で通り、塩の専売制が始まった。
1905年(明治38年)、大蔵省専売局が設置されて塩の専売制が開始され、当時はタバコ・樟脳とともに財源確保の目的の強い専売品であったが、第一次世界大戦期のインフレなどにより財源確保の意味合いは薄れ、国内自給確保の公益目的の専売制度に大正末期より変化した。
当時より自給率の低かった日本は需要の多くを輸入もしくは移入に頼っていたために、第二次世界大戦時には塩の輸入のストップから需要が急激に逼迫し、公益専売制度についても機能不全に陥り、1944年(昭和19年)より自家製塩制度を認めることとなった。この自家製塩制度については直煮法など原始的な製造法が大きく、品質も工業用としては不純物の多いものが多かった。この制度は1949年(昭和24年)まで続く。
戦後復興などによる工業用塩の需要増から輸入を再開し、国内製塩事業による自給確保と安価な塩の全国的な安定流通を目的に塩専売法を改正し、1949年(昭和24年)に設立された日本専売公社によって塩の専売事業を復活させる。
しかし、濃い塩水(鹹水)を作り、それを煮詰める、という伝統的な製塩方法では近代的な大量需要に対応するには限界があった。江戸時代に開発された入浜式製塩法は戦後しばらく採用されていたが、昭和20年代後半には流下式製塩法が開発された。
昭和30年代よりイオン交換膜製塩法が試験的に導入され、高純度の塩が安価に製造できるようになり(本格導入は1971年(昭和46年))、世界でも一般的な純度・価格の塩の国内製造を実現し現在まで続いている。このイオン交換膜製塩法にて製造された塩が「食塩」として食用にも販売されることとなった。イオン交換膜製塩法の本格導入に伴い、約20年続いた流下式塩田による塩の製造が廃止された。その後、ミネラルの重要性を訴えた廃業事業者を中心として「日本自然塩普及会」や「日本食用塩研究会」といった組織が発足し、流下式塩田による製塩の復活を求める活動等が行われ、輸入塩ににがり成分を混ぜた塩や流下式塩田を応用化した製法の塩の製造などについて一定の制約のもと認められることとなり、その流通量も徐々に増えていった。
その後、1985年(昭和60年)に、日本専売公社が民営化(日本たばこ産業に移行)することになり、塩の販売も専売制から徐々に自由に販売できるようになってきた。1997年(平成9年)4月には塩の専売制が廃止(塩事業法に移行)され、日本たばこ産業の塩事業は財団法人塩事業センターに移管された。
塩事業法の経過措置が終了した2002年(平成14年)4月に塩の販売は自由化された。塩の製造、販売等を行う場合、財務省への届出等が必要である。自由化に伴い、沖縄、九州、四国、大島など、日本各地で少数ながら流下式を基本とした製法で海塩が作られ、日本人の健康志向の高まりとあいまっていわゆる「自然塩ブーム」を起こした。
イオン交換膜製塩法導入後も工業需要の増加は続き、2007年(平成19年)の時点で自給率は15%程度に過ぎず国内自給確保には至っていない。なお、2017年(平成29年)の日本での塩の消費の約74%は工業用原料としての用途である[12]。
中国大陸では紀元前2000年以上前から、山西省運城市の運城塩湖(运城盐湖)での製塩産業が盛んで[13]、前漢時代より塩の専売が行われており、2000年にわたる皇帝支配の財政的基盤となった。『塩鉄論』のように、塩の専売制度を巡る議論は前漢から行われている。4世紀には油井と塩湖が竹製パイプラインで繋がれ、水分を蒸発させる方法で製塩が行われた[14]。一方で、王朝による高額な専売塩より安く塩を密売して、巨額の利益を上げる者(塩賊)もおり、その中でも唐を崩壊させる黄巣の乱を起こした黄巣は有名である。
中国国有企業の中の中央企業の一つに中国塩業集団が置かれ、現在でも専売を行っている。
朝鮮半島では、高麗時代において忠宣王の治世中から権塩法が施行し、塩の専売を行った。高麗時代においては塩との交換できる物品は布に限定された。
塩の専売は李氏朝鮮においても継続され、州や郡ごとに塩場が置かれ、塩との交換品目を布の他に米、雑穀が追加された。一方で民間が生産した塩に税をかける形で私塩も容認された。1445年に私塩場を全廃し販売だけでなく、塩の生産も全て官営とする義塩法を施行するが批判が多く、1446年に廃止した。以降は私塩を認めたものの官衙の徹底した管理に置かれた。このために基本的に官製塩が主流となった。
国際食品規格委員会(コーデックス委員会)とは消費者の健康の保護、食品の公正な貿易の確保等を目的として、1962年にFAOおよびWHOにより設置された機関であり、世界的に通用する唯一の食品規格であるコーデックス規格(国際食品規格)の作成を行っている。食用塩についてもコーデックス規格を1985年より以下の通り定めている。日本も同委員会には1966年(昭和41年)より参加している。
欧州連合では上記のコーデックス基準が適用されているが、フランスにおいては国内の天日塩生産者組合の活動により天日塩の塩化ナトリウム含有率を94%以上と定義する条例が2007年4月24日に成立している。
また、朝鮮半島においては、1900年代初頭から天日塩を新安郡の島々で作って来たが、現在、法的に禁止状態になっている。韓国の生産者協会のロビー活動により、この塩を認知する新しい法律が2007年9月に成立する見通しとなっていた。ただしコーデックス規格に示されている有害といわれる元素の基準については触れられていない。
日本では食塩、並塩、精製塩などを総称して「食塩類」とする[15]。塩事業センター及び日本塩工業会等の品質規格で「食塩」は塩化ナトリウム含有量が99%以上のもの、「並塩」は95%以上のものとされている[15]。また「精製塩」は塩事業センターの品質規格で塩化ナトリウム含有量99.5%以上のものをいう[15]。
塩の製造販売の自由化以降、銘柄数が増えた家庭用塩[注釈 1] について、消費者からは「家庭用塩の表示がわかりにくい」との情報が寄せられていた。2004年(平成16年)7月21日、公正取引委員会は、日本で採取された塩であると誤認される表示を行い輸入塩を販売しているとして塩の販売業者9社に、景品表示法第4条(優良誤認)の規定に違反するおそれがあるものとし警告を行ったと発表し[16]、同年9月、東京都は塩業界による表示の自主ルールを策定することを提案した[17]。これを受けて以下のような提案がされた。
こういった経緯から、「食用塩公正取引協議会準備会」が発足し、公正競争規約作成への準備が進められ[18][19]、2008年(平成20年)4月18日に公正取引委員会において2年間の猶予期間を前提に
といった内容を始めとした「食用塩の表示に関する公正競争規約」が認定され、2008年(平成20年)5月21日に食用塩公正取引協議会が正式発足、2010年(平成22年)4月21日から施行された。
表示が適正で、消費者をごまかすものではないことを示すものとして「しお公正マーク」[20] が、製品に表示される[21]。全製品に添付されるまで、2012年(平成24年)4月21日まで猶予期間があった。
食品のパッケージには栄養成分表示の欄に、含有塩分量の代わりにナトリウム量のみが記載されている場合がある。これは、高血圧の要因としては食塩量よりむしろナトリウム摂取量が重要視されているためである。
食塩相当量とは、このナトリウムがすべて食塩に由来すると想定した場合の、ナトリウム量に相当する食塩量である。食品に含まれるナトリウム量がわかっているとき、塩分相当量(グラム、g)は、ナトリウム量(g)の2.54倍で求められる[22]。ただし、食品にはアミノ酸塩や重曹などの形でもナトリウムは含まれるため、塩分相当量は実際に食品に含まれている食塩量に比べて若干大きくなる。
塩は常温においてきわめて安定した物質であり、腐敗もしない。そのため、食品表示基準では賞味期限を設定することを免除されている[23]。
塩の主成分である塩化ナトリウムは水溶液中ではナトリウムイオン(Na+)(陽イオン)と塩化物イオン(Cl−)(陰イオン)に解離する(電解質)。
細胞においては主に細胞内液へK+とHPO2−
4が、細胞外液へNa+とCl−が偏るように分布する。
などの働きをし、どちらも必須ミネラルである。塩化ナトリウムが過度に不足した場合上記の作用が正常に働かなくなる症状が発生する。
2003年、世界保健機関(WHO)と国連食糧農業機関(FAO)による『食事、栄養と生活習慣病の予防[24]』(Diet, Nutrition and the Prevention of Chronic Diseases) では、1日当たりの塩分摂取量を5g以下(ナトリウム2g以下)にとどめるよう勧めている。
2005年(平成17年)版の『日本人の食事摂取基準』では、1日の塩分摂取量を男性成人で10g以下、女性成人で8g以下を推奨し、同時に高血圧を予防するために、過剰なナトリウムを排出する作用のあるカリウムの摂取基準も定めている。カリウムは野菜や果物に多く含まれる。日本の食生活指針と健康日本21(21世紀における国民健康づくり運動)では1日10g以下を目標としている[25]。
2013年時点の日本高血圧学会のガイドラインでは1日6g未満を推奨している[26]。同学会の減塩委員会[27] は2012年に日本で初めて開かれた[28]「減塩サミット」を共催し、翌年からは毎年主催となって減塩の啓蒙をはかっている。
こうした減塩の推奨は医学関連の学会や厚生労働省だけでなく、都道府県など地方自治体、食品業界にも広がっている。長野県は1960年代から県民に減塩を呼び掛けたことが一因となって平均寿命が延びたと評価されている。これを参考に青森県は“脱・短命県”を目指して、塩分を減らして出汁で味をつける食生活のプロジェクトを進めている[29]。また減塩をうたった味噌・醤油が開発・販売されたり、食酢メーカーが塩を減らして酢を活用することをアピールしたりしている。
また慶応義塾大学の三木則尚らの研究チームは、歯の裏に貼ると塩味を感じ、実際の塩分使用量を減らせるチップを開発した[30]。
イギリスでは2005年からの3年間で塩分摂取量の10%削減に成功し、脳卒中などの患者が減って医療費も2,100億円浮いたとの報告もあるという[28]。WASH(World Action on Salt and Health)という団体は食品の食塩量調査や、マスメディアでの減塩活動の推進を実施した[31]。
ニューイングランド・ジャーナル・オブ・メディシンに載せられた論文によると3.7年の調査の結果、1日7.6g - 15.2gの食塩相当の起床時の尿に基づく推定ナトリウム排出量に比べて、17.8gを超えた場合で主要な心血管疾患のリスクが15%増加、7.6g未満の場合でも27%増加と、グラフにしたときにJの字型にリスクが増えることが示されている(Jカーブ効果)。論文では高血圧の対象者のスコアを修正し、心血管疾患・糖尿病・癌の病歴のある人・喫煙者に加えて、調査開始2年以内の発症者を除いても考察は変わらないが、それでも逆因果関係の存在を否定出来ないとしている[32][33]。
微弱な電気を流すスプーンや器などで塩味を強める仕組みや[34]、塩化カリウムなどの塩化ナトリウム以外の塩味を感じる調味料の使用などが行われる[35]。中国では塩が貴重であった地域において、トウガラシと醸造酢を塩の代わりとし[36]、研究でも酸味やカプサイシンによる辛味で塩味を増強し減塩効果となることが確認された[37]。また、研究ではバジルによって塩味が増強されることが判明している[38]。
減塩の最も簡単な方法は、外食よりも家庭で調理し、スパイスを使い、塩を使わないことである[39]。
地球上の多くの生物は適量のナトリウムがないと生命を維持することができず、その供給源である塩は生命にとって欠かせないものである。特に陸生動物にとっては塩分の補給は重要であり、塩分を含む土壌や岩石からでも摂取する必要があった。
人類は発汗能力を発達させた代償に他の動物以上に多くの塩分を必要としており、塩味に対する嗜好も強い。狩猟採集時代は動物の血肉に含まれる塩分に頼っていたが、農耕が始まり穀物や野菜中心の食生活になると(野菜に含まれるカリウムによるナトリウム排出作用もあって)海水や湧水からの製塩や岩塩採掘により塩の採取を行う様になった。しかし調味料として食物に塩をふんだんに利用するようになる[42] と、塩分の取り過ぎが高血圧(食塩感受性高血圧要参照)や腎臓病、心臓病、脳卒中などの遠因となった。そのメカニズムは完全に解明されてはいないが、一般には血中のナトリウムイオン濃度を一定範囲に保つため水分を取るようになり、血液を含む体液の量が増え血圧が高まるとともに、これを体外に排出する機能を司る腎臓に負担がかかるためとされている[43][44]。
塩蔵された食品は胃癌のリスクが高まるとされる[45]。例えば、2007年11月1日の世界がん研究基金とアメリカがん研究協会によって7000以上の研究から分析したがん予防の報告書[46] では、中国広東式の塩蔵の魚は鼻咽頭癌のリスクを上げると報告している。
また動物実験では、N-メチル-N-ニトロソウレアと食塩とヘリコバクター・ピロリを同時に投与すると有意に胃癌が増えることが示されている[47]。厚生労働省による研究では、塩分濃度の高い食事を日常的に摂取する人たちは、そうでない人たちに比べて胃癌となるリスクが高いことが統計的に示されている[48]。
ハーバード大学医学部によると、ナトリウム摂取量を追跡する人は、食事中のナトリウムの量を減らすことでより成功する[49]。
しかし現在では、塩分の過剰摂取を恐れるあまり塩分を控える人が多くなったため、極端な塩分の制限により塩分の不足が起きることがある。大量の発汗で水分とともに塩分が流れ出てしまった場合など、昏睡状態となって病院に運ばれる者や死亡する者も出ている。命を取り留めても、慢性的に塩分が不足していた場合、血中のイオン濃度を低いレベルで一定範囲に保とうとするように体が変化してしまっているため、一般的な塩分の補給量ではすぐに塩分が排出されてしまう。このため長期間にわたって塩分を大量摂取する治療を行わなければならなくなる。
また、上記ほどの塩分の不足でなくても、炎天下の運動の際等、汗をかいた際には水分だけでなく塩分も排出されるが、それにも拘らず水分だけを補給すると血中のイオン濃度が低くなる。体は血中のイオン濃度を一定範囲に保とうとさらに汗をかいたり排尿しようとしたりするため、さらに水分不足となり熱中症や痙攣を引き起こす場合もある。そのため、高温環境下で作業を行う鋳物工場などでは、作業員の塩分補給用に食塩が置かれている。猛暑時に野外作業やスポーツをする人向けに、塩分入りドリンクや経口補水液、塩飴、1個ずつ包装された梅干しなどが販売されている。
アメリカ地質調査所が2023年に公表した用途のデータでは、道路の除雪に塩の消費量全体の約42%、塩素・苛性ソーダなどの化学製品の原料に約39%、卸売業者9%、食品加工業4%、農業3%、産業用2%、primary water treatment 1%である[51][52]。
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精製塩には業務用と家庭用があり、業務用は無添加だが、家庭用は塩の固化防止剤として炭酸マグネシウムを添加している[15]。
塩を保管する際には吸湿などを防ぐために調味料シェーカー(塩入れ)、ソルトセラーなどの容器で保管される。また、岩塩を削って粗塩のような粒度の大きい塩を食品にかけられるソルトミルなども使われた。
塩は金属をサビさせるため、サビない木や陶器や金や銀の器、塩俵[53]、毛織物、角・牙で作った容器、動物の胃袋や膀胱等で作った袋などに入れた。イランの遊牧民ではナマクダンと呼ばれる動物が勝手に塩を取らないよう口がすぼまった毛織物袋に入れて塩要求がある家畜を引き連れていた[54][55]。
日本においては、手塩皿(てしおざら)、おてしょと呼ばれる小皿に少量盛って味付けを調整した[56][57]。
こういった塩入れは、塩が貴重だった時代のヨーロッパでは、上座の前にのみ置かれ、下位に渡されていくため、身分とステータスを示すものであったため豪華であった。その慣例から、慣用句 above the salt は上座に座っていることを示す[58]。
女房言葉では「波の花」とも呼ぶ。“死を”を連想させる忌み言葉のためである。
古代ローマにおいて、兵士への給料として塩(ラテン語 sal)が支給された。英語の salary (サラリー:「給与」)はここに由来している。後に塩を買う為の俸給がソリドゥス金貨で支払われるようになり、ソルジャー(英語: soldier)の語源となった。
食品に関する語彙には当然ながら「塩」に由来するものが多い。ラテン系由来の語彙に限っても、「サラダ(salad)」「ソース(sauce)」「サルサ(salsa)」「ソーセージ(sausage)」「サラミ(salami)」などは明らかである。
英語の salt (ソルト:塩)はラテン語に由来するわけではないが、より古いインド・ヨーロッパ語の基層において同じ語源につながる語であり、この事実自体、先史時代以来、塩がいかに身近で重要なものだったかを示していると言える。
五十音順で表記。
塩を水に混ぜたり、地面に撒いたり、火にまいたりなどが行われる。キリスト教では初期のころから、ブレスド・ソルトという祝福された塩を用いた儀式を行っており、このブレスド・ソルトは聖水を作る際にも使用される[73]。
潮風のような塩分を含んだ風が呼吸器などの健康に良いとされたため、海洋療法(タラソテラピー)やハロセラピー(ソルトセラピー)が行われた。
ドイツの岩塩が溶けた地下水を地上に汲み上げて自然の風で濃縮するグラディアヴェルクでは、18世紀から19世紀にかけてクアパークという健康施設が併設された[77]。ルーマニアのトゥルダ岩塩坑(サリーナ・トゥルダ)も地下に呼吸器に良いとされる観光施設が置かれた[78]。
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