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日本のサッカー選手 ウィキペディアから
乾 貴士(いぬい たかし、1988年6月2日 - )は、滋賀県近江八幡市出身のプロサッカー選手。Jリーグ・清水エスパルス所属。ポジションはミッドフィールダー、フォワード。元日本代表。
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日本代表での乾貴士(2018年) | ||||||
名前 | ||||||
愛称 | ぬいぬい、タカ、ぬいさん | |||||
カタカナ | イヌイ タカシ | |||||
ラテン文字 | INUI Takashi | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | 日本 | |||||
生年月日 | 1988年6月2日(36歳) | |||||
出身地 | 滋賀県近江八幡市 | |||||
身長 | 169cm | |||||
体重 | 63kg | |||||
選手情報 | ||||||
在籍チーム | 清水エスパルス | |||||
ポジション | MF / FW | |||||
背番号 | 33 | |||||
利き足 | 右足 | |||||
ユース | ||||||
1995-2004 | 大阪セゾンフットボールクラブ | |||||
2004-2006 | 野洲高校 | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
2007-2008 | 横浜F・マリノス | 7 | (0) | |||
2008 | → セレッソ大阪 (loan) | 20 | (6) | |||
2009-2011 | セレッソ大阪 | 94 | (29) | |||
2011-2012 | VfLボーフム | 30 | (7) | |||
2012-2015 | フランクフルト | 75 | (7) | |||
2015-2018 | SDエイバル | 89 | (11) | |||
2018-2019 | レアル・ベティス | 8 | (0) | |||
2019 | → デポルティーボ・アラベス (loan) | 12 | (2) | |||
2019-2021 | SDエイバル | 57 | (3) | |||
2021-2022 | セレッソ大阪 | 13 | (4) | |||
2022- | 清水エスパルス | 44 | (11) | |||
通算 | 447 | (80) | ||||
代表歴2 | ||||||
2006 | 日本 U-21 | 2 | (0) | |||
2009-2019 | 日本 | 36 | (6) | |||
1. 国内リーグ戦に限る。2024年1月12日現在。 2. 2019年3月26日現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
2018 FIFAワールドカップ日本代表メンバー。 ラ・リーガで、日本人史上初の通算100試合出場、通算二桁得点、通算二桁アシスト達成者(通算成績166試合出場16得点11アシスト)[1][2][3][1][4]。公式戦でFCバルセロナから得点を記録した史上初の日本人選手[2]。スペインで初めて地位を確立した日本人選手である[5][6]。
小中学生時代に地元滋賀県のセゾンフットボールクラブに所属していた。2004年、滋賀県立野洲高等学校に進学。2年生で左ウイングのレギュラーをつかみ、一学年上の楠神順平、青木孝太や同級生の田中雄大らとともに、2005年度の第84回全国高等学校サッカー選手権大会に出場、大会優勝を経験した。チーム全体で高い技術力を誇ったことより、セクシーフットボールと呼ばれ、その中心を担った[7]。連覇を目指した選手権大会では、直前にスパイクを盗まれる事件に巻き込まれながらも[8] 2得点を挙げた。しかし、チームは3回戦敗退を喫した。
2007年に横浜F・マリノスへ入団。J1第2節・対横浜FC戦でプロデビューを果たしたものの、以降は横浜FMの厚い選手層に阻まれ、なかなか出場機会を得られなかった。当時は誰とも喋れず、一人で練習することが多かったが、当時の水沼貴史コーチには、シュート練習や苦手な左足の特訓にも付き合ってもらっていた[9]。
2008年6月、セレッソ大阪へ期限付き移籍し、香川真司と息の合ったプレーを披露[10]。第25節でJリーグ初得点、アシストは香川だった[11]。チームはJ1昇格はならなかったが、シーズン終了後に活躍を認められセレッソ大阪に完全移籍。
2009年5月23日のアビスパ福岡戦、11月8日のザスパ草津戦で、1試合4得点(ハットトリック)を決め、チームの4年ぶりのJ1昇格に貢献した。香川との連携が猛威を振るい47試合出場で20得点14アシストという記録を残した。得点ランキング4位、アシスト数は香川に次ぐリーグ2位だった[12]。2008年から2009年度まで乾が得点した試合は無敗だった[13][14]。J2所属ながら日本代表に選出された。
2010年は、優秀選手賞を受賞。
2011年8月1日、ドイツ2部のVfLボーフムに完全移籍[15]。11年8月から14年6月末までの3年契約で、ボーフム側に1年の延長オプション付き。8月12日のFCザンクトパウリ戦にトップ下で先発出場。以後レギュラーに定着し、リーグ戦30試合に出場し、チームトップの7得点を記録するもチームは低迷し、1部昇格を逃した。
2012年6月25日、ドイツ1部に1年ぶりに昇格するアイントラハト・フランクフルトへの完全移籍の合意が、両チームから公式発表された。9月16日、ホームのハンブルガーSV戦でブンデスリーガ初ゴールを決めた[16]。その後2試合でもゴールを決め、3試合連続ゴールを達成した。最終的に2012-13シーズンのブンデスリーガ所属の日本人選手最多となる6ゴールを挙げる活躍を見せ、チームのUEFAヨーロッパリーグ出場権獲得に貢献した。
2013-14シーズンは、序盤こそ出場機会があったが、徐々に出番が減り第28節以降は出場機会がなく、最終的にリーグ戦では無得点に終わった。
2014-15シーズンは、リーグ戦の得点は1点に留まったが、シーズン通して出場機会は確保した。
2015年8月27日、リーガ・エスパニョーラのSDエイバルへ完全移籍。乾の念願だったというスペインでのプレーが実現することになった[17]。エイバルは大きなお金を動かしたことがなかったため。乾は移籍が厳しいとなったときに「給料いらない」「その分を移籍金に使ってください」と代理人に伝えた[9]。クラブ史上初のアジア人選手となった。 2015年9月23日、リーガ・エスパニョーラ第5節レバンテUD戦において、トップ下スタメンでリーガデビュー。2016年1月10日、リーガ・エスパニョーラ第19節のRCDエスパニョール戦でリーグ戦初得点。
2016-2017シーズンでは、2016年11月26日に行われた第13節のレアル・ベティス戦で今季初アシストを記録した。2017年1月8日、リーグ戦のアトレティコ・マドリード戦ではキレのあるプレーを見せて存在感を発揮するも敗戦した[18]。1月22日、第19節のFCバルセロナ戦では11試合連続でスタメン出場を果たし、大久保嘉人の記録を塗り替えるリーガ・エスパニョーラにおける日本人最多出場記録を更新した[19]。4月1日、ビジャレアルCF戦で今季初得点を決めた。5月21日、最終節のFCバルセロナ戦では2得点の活躍をし、日本人として初めてバルセロナから得点を奪った[20]。このバルセロナ戦での活躍は日本でも大きく報じられ、日本代表の岡崎慎司からは「サッカー小僧が伝説残した」と語られた[21]。
2017-18シーズンでは、12月16日に行われた第16節のバレンシアCF戦で今季初得点を決めた[22]。 続く第17節のジローナFC戦では、今季リーガ最速41秒での先制点とリーガエスパニョーラ通算70000ゴール目となる追加点を決めた[23]。これらの活躍が評価され、12月の月間MVPの候補にFCバルセロナのルイス・スアレス、デポルティーボ・アラベスのイバイ・ゴメスと共に選ばれた[24]。リーグ1部9位というクラブ史上最高成績に貢献した[25]。
2018年6月1日、レアル・ベティスと2021年までの3年契約を締結したことが発表された[26]。入団会見やプレシーズンマッチでは、ロシアW杯と同じ背番号「14」を付けていたが、乾より後に移籍してきたウィリアム・カルヴァーリョが背番号14を希望し、乾はカルヴァーリョに「14」を譲りエイバル時代と同じ背番号「8」を付ける事となった[27]。8月17日、ラ・リーガ開幕節レバンテUD戦にて途中出場し、移籍後リーグ戦初出場となった。 その後は序盤こそ試合に出ていたものの、徐々に出場機会を失い定位置を確保できず、最終的にリーグ戦8試合の出場にとどまった。
2019年1月24日、出場機会を求めてデポルティーボ・アラベスとシーズン終了までの期限付き移籍が発表された[28]。背番号は「11」。2月23日、第25節のセルタ・デ・ビーゴ戦で日本人史上初となるリーガ・エスパニョーラ通算100試合を達成した[29]。3月2日のビジャレアルCF戦で、移籍後初ゴールを決め、2-1での勝利に導いた[30]。更に続く9日の古巣エイバル戦でもゴールを決めた[31]。
2019年7月24日、約1年ぶりにエイバルへ復帰することが発表された。契約期間は3年[32]。背番号は「22」。12月20日、第18節のグラナダCF戦で復帰後初得点を決めた[33]。このシーズン、リーグ戦29試合に出場し2得点を記録。チームの一部残留に貢献した。
2020-21シーズン、背番号を「14」に変更[34]。しかし、同シーズンはリーガ最下位におわり、セグンダ・ディビシオン降格が決定。2021年6月28日に退団が発表された[35][36]。過去に挑戦した日本人選手らが「アジア人は人として見下されてる」と評したスペイン1部リーグで、6シーズンに渡ってプレーし、成功を収めて、日本人選手のみならず、アジア人選手の価値を高めた[37][38][39]。
2021年8月31日、セレッソ大阪復帰が正式に発表された。背番号は23番[40]。背番号に関して、クラブからは以前のセレッソ所属時の背番号であり、2019年シーズン終了後の水沼宏太の横浜F・マリノスへの移籍後、空き番号となっていた7番を用意されたが、乾がセレッソから海外移籍した際の年齢であった23で再スタートしたいという思いや、かつてセレッソに在籍していた山下達也が付けていたことから23番を選択した[40]。
2022年1月17日、自らクラブに志願して、背番号を森島寛晃、香川真司、清武弘嗣、柿谷曜一朗が付けたセレッソ大阪のエースナンバーである「8」番に変更した[41]。4月2日、アウェイで行われた川崎フロンターレ戦で、スペイン・エイバル時代に培った守備のポジショニングを表現し、相手のストロングポイントを消す仕事を請け負ったうえで、2ゴールを奪い勝利に貢献した[42]。また、フロンターレのホーム無敗記録をJ1記録タイの25でストップさせることになった[43]。
左サイドハーフで主力として起用され、守備だけでなく、リーグ戦5試合出場3得点1アシスト(公式戦計6試合出場4得点1アシスト)と数字上でも活躍しており、「クラブを強くしたい」「背番号変更が無駄ではなかったことを必ずプレーで証明する」という思いを体現していたが[44]、後にクラブから練習参加を禁じられる重いペナルティーを受ける事態になった(詳細後述)。チームは乾の不在後、15試合でわずか3敗だった[45]。2022年6月9日、クラブとの契約を両者合意で解消し退団したことが発表された。「申し訳ありません。当初の自分の行動で、皆さんにご迷惑をおかけした点については反省してますし、関係する方々にも謝罪もさせていただきました。大好きなサッカーを続けていくために、今日の結論に至りました。ファン・サポーターの皆さん、これまでともに戦った選手・スタッフ、セレッソに関わる全ての人たちには感謝の思いでいっぱいです。僕はセレッソ大阪の選手ではなくなりますが、セレッソの選手としてこれまで全力でプレーしてきました。これからもセレッソ大阪を応援しています」などと謝罪と感謝の想いを示した[46]。
その後、6月15日よりファジアーノ岡山の練習に当面の間、参加することが決まった[47]。なお、本練習参加は、契約前提ではなく、コンディション調整が目的であり、ファジアーノの木山監督と乾に親交があったことで練習参加が決まった[47][48]。
2022年7月22日、清水エスパルスへの完全移籍が発表された[49]。チームは最下位でJ2降格圏に沈んでいた。8月27日の京都サンガF.C.戦で加入後初ゴールを決めてチームの勝利に貢献した。
2023年よりチームはJ2に降格したが、契約を更新した[50]。秋葉忠宏監督就任以降はトップ下で起用されて躍動、第14節のいわきFC戦では先制点と3アシストを決めて、9-1の勝利に貢献、9得点はクラブ史上最多得点記録となった[51]。他の選手とは1段、2段違った力を発揮し[52][53]、第25節ではフランクフルト在籍時以来の3試合連続得点を決めて、チームは3連勝となった[54]。7月のJ2月間ベストゴールを受賞した[55]。第38節の静岡ダービーのジュビロ磐田戦では決勝点を決めて1-0の勝利に貢献した。第41節の大宮アルディージャ戦では1ゴール1アシストの結果を残して4-0の勝利に貢献するうえに、個人記録として10ゴール10アシストも達成した。[56]。10アシストはJ2最多トップの記録、J2最優秀ゴール賞とベストイレブンを受賞した[57]。
2006年、U-21日本代表に選出されて2試合に途中出場した。
2009年、J2所属でありながらA代表に選出された。1月20日、アジアカップ・カタール大会の予選、イエメン戦で金崎夢生とともにA代表デビュー。
2014年11月14日、約1年ぶりの代表復帰となったキリンチャレンジカップ・ホンジュラス戦で代表初得点を決めた。
2017年5月25日、日本代表のメンバーに選出され、6月7日に行われたキリンチャレンジカップ2017シリア戦にて途中出場し、2年ぶりの代表戦復帰を果たした。その後も度々召集され、香川真司不在の際は10番を背負う事もあった。
その後代表から遠ざかり、2018 FIFAワールドカップへのメンバー入りは難しいと思われたが、大会直前に監督が西野朗に交代した影響により、滑り込みでメンバー入りを果たした。当時の体重は59kgで大会最軽量プレーヤーの一人であった[58][59]。当初は宇佐美貴史の控えに構想されていたが、宇佐美が精彩を欠く中、サブメンバー中心で臨んだパラグアイとの調整試合で2得点し、本大会ではスタメンに起用される。グループリーグ第2戦のセネガル戦でワールドカップ自身初得点を決め決勝トーナメント進出に貢献。1回戦の ベルギー戦でも、ティボ・クルトゥワが守るゴールマウスから、チーム2点目となるミドルシュートを決めたが、チームは逆転で敗れベスト16で大会を去った。
大会終了後には、FIFA公式による驚きの活躍を見せた5人に選出されたほか[60]、イギリスの『テレグラフ』選出のロシアワールドカップで活躍した50選手にも日本人で唯一選出された[61]。
2019年1月5日、練習中に負傷離脱となった中島翔哉に代わり、AFCアジアカップ2019の日本代表メンバーに追加召集され、背番号10を背負うこととなった[62]。
国内大会個人成績 | |||||||||||
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年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
日本 | リーグ戦 | リーグ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
2007 | 横浜FM | 19 | J1 | 7 | 0 | 3 | 0 | 0 | 0 | 10 | 0 |
2008 | 0 | 0 | 3 | 0 | - | 3 | 0 | ||||
C大阪 | 31 | J2 | 20 | 6 | - | 2 | 0 | 22 | 6 | ||
2009 | 7 | 47 | 20 | - | 1 | 1 | 48 | 21 | |||
2010 | J1 | 33 | 4 | 6 | 0 | 2 | 1 | 41 | 5 | ||
2011 | 14 | 5 | - | - | 14 | 5 | |||||
ドイツ | リーグ戦 | リーグ杯 | DFBポカール | 期間通算 | |||||||
2011-12 | ボーフム | 11 | ブンデス2部 | 30 | 7 | - | 2 | 0 | 32 | 7 | |
2012-13 | フランクフルト | 8 | ブンデス1部 | 33 | 6 | - | 1 | 0 | 34 | 6 | |
2013-14 | 14 | 0 | - | 2 | 1 | 16 | 1 | ||||
2014-15 | 27 | 1 | - | 2 | 0 | 29 | 1 | ||||
2015-16 | 1 | 0 | - | 1 | 0 | 2 | 0 | ||||
スペイン | リーグ戦 | 国王杯 | オープン杯 | 期間通算 | |||||||
2015-16 | エイバル | 8 | プリメーラ | 27 | 3 | 2 | 0 | - | 29 | 3 | |
2016-17 | 28 | 3 | 2 | 0 | - | 30 | 3 | ||||
2017-18 | 34 | 5 | 1 | 0 | - | 35 | 5 | ||||
2018-19 | ベティス | 8 | 0 | 2 | 0 | - | 10 | 0 | |||
アラベス | 11 | 12 | 2 | 0 | 0 | - | 12 | 2 | |||
2019-20 | エイバル | 22 | 29 | 2 | 0 | 0 | - | 29 | 2 | ||
2020-21 | 14 | 28 | 1 | 2 | 0 | - | 30 | 1 | |||
日本 | リーグ戦 | リーグ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
2021 | C大阪 | 23 | J1 | 8 | 1 | 4 | 0 | - | 12 | 1 | |
2022 | 8 | 5 | 3 | 1 | 1 | 0 | 0 | 6 | 4 | ||
清水 | 33 | 10 | 1 | - | - | 10 | 1 | ||||
2023 | J2 | 32 | 10 | 3 | 0 | 0 | 0 | 35 | 10 | ||
通算 | 日本 | J1 | 77 | 14 | 17 | 1 | 2 | 1 | 96 | 16 | |
日本 | J2 | 99 | 36 | 3 | 0 | 3 | 1 | 105 | 37 | ||
ドイツ | ブンデス1部 | 75 | 7 | - | 6 | 1 | 81 | 8 | |||
ドイツ | ブンデス2部 | 30 | 7 | - | 2 | 0 | 32 | 7 | |||
スペイン | プリメーラ | 166 | 16 | 9 | 0 | - | 175 | 16 | |||
総通算 | 447 | 80 | 29 | 1 | 13 | 3 | 489 | 84 |
その他の国際公式戦
その他の公式戦
# | 開催年月日 | 開催地 | 対戦国 | 勝敗 | 試合概要 |
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1. | 2014年11月14日 | 日本、豊田 | ホンジュラス | ○6-0 | キリンチャレンジカップ2014 |
2. | |||||
3. | 2018年6月12日 | オーストリア、インスブルック | パラグアイ | ○4-2 | 国際親善試合 |
4. | |||||
5. | 2018年6月24日 | ロシア、エカテリンブルク | セネガル | △2-2 | 2018 FIFAワールドカップ |
6. | 2018年7月2日 | ロシア、ロストフ・ナ・ドヌ | ベルギー | ●2-3 |
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