世界祝祭博覧会(せかいしゅくさいはくらんかい)は、1994年(平成6年)に三重県伊勢市で「第5回ジャパンエキスポ」として開催された地方博覧会。愛称はまつり博・三重’94。
概要 世界祝祭博覧会, イベントの種類 ...
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現代を生きる人々が物質的・経済的な豊かさを手に入れた一方で失われたものも多いという認識に立ち、祭りという出会いを通して活力ある明日の暮らし・地域づくりを目標に開催された[1]。
- テーマ - 新たな“であい”を求めて
- 愛称 - まつり博・三重’94
- マスコット - ミポラ
- 会場及び規模 - 三重県伊勢市朝熊山麓 約40ヘクタール
- 会期 - 1994年(平成6年)7月22日〜11月6日 108日間
- 入場者 - 約351万人
- 主催 - 財団法人世界祝祭博覧会協会
- 後援 - 政府省庁 政府機関 地方公共団体 経済団体など
- 総合プロデューサー - 平野繁臣
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| 大人 | 高校生 | 小中学生 | 幼児 | 年長者 |
第2期前売り券 | 2500円 | 1700円 | 1200円 | 400円 | - |
当日普通入場券 | 2800円 | 2000円 | 1500円 | 500円 | - |
特別割引入場券 | 1400円 | 900円 | 700円 | - | 1400円 |
一般団体割引入場券 | 2600円 | 1800円 | 1300円 | 450円 | - |
学校行事団体割引入場券 | - | 900円 | 700円 | 200円 | - |
夜間割引入場券 | 800円 | 400円 | 400円 | - | - |
全期間通用入場券 | 8000円 | 5600円 | 4200円 | - | - |
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博覧会構想
- 1984年(昭和59年)8月10日 - 三重県知事と近鉄社長らが三重県の観光振興について会談[2]。この中で国際的イベントの開催について語られたことが、博覧会構想のきっかけとされている。
- 1985年(昭和60年)11月29日 - 三重県知事が博覧会の基本構想を発表。愛称は「93世界まつり博・三重」、テーマは「海・森・太陽-人間・その心とからだ」、主会場を伊勢・志摩とし、会場は2ヶ所から3ヶ所、国際博覧会も視野にいれたものであった。[3]
- 1986年(昭和61年)9月2日 - 三重県知事が博覧会の基本計画を発表。伊勢志摩地区を舞台に海・森・太陽を象徴する3会場を設定、開催期間は春から秋までの6ヶ月間で会場総面積は約100ヘクタール入場者は約1千万人を見込むものであった。同時に伊勢・鳥羽間に一般有料道路を建設する計画も発表される。[4][5]
会場選定
会場候補地としては、海の会場として鳥羽市小浜半島が、太陽と森の会場として伊勢市朝熊山麓、度会郡二見町の溝口・山田原地区が立候補していたが、鳥羽市に関しては1994年までに開発が間に合わないと判断し開催を断念。朝熊山麓を主会場、二見町候補地を駐車場とすることを決定する。
- 1986年(昭和61年)
- 12月9日 - 鳥羽市長が同市議会で博覧会会場として鳥羽市小浜地区を立候補していることを表明[6]。
- 12月12日 - 伊勢市長が同市議会で博覧会会場として伊勢市朝熊地区を立候補していることを表明[7][8]。
- 1987年(昭和62年)10月14日 - 二見町長が伊勢市長とともに三重県庁を訪れ、二見町溝口・山田原地区を伊勢市側候補地とあわせた形での主会場誘致を要望。会場候補地は、同町溝口から山田原にかけての山林を含む農地で、大半が三重県内の大手不動産会社が宅地造成用に買収した土地であった。[9]
- 1988年(昭和63年)3月11日 - 三重県知事が博覧会会場を伊勢市朝熊地区に決定したことを発表。二見町溝口・山田原地区は駐車場として利用。鳥羽市小浜地区は保留。[10][11]
- 1989年(平成元年)1月30日 - 三重県が鳥羽市での博覧会開催を断念したことを発表。[12][13]
計画縮小とジャパンエキスポ認定
- 1990年(平成2年)
- 4月頃 - 総合プロデューサーに現代芸術研究所所長の平野繁臣が就任。[14][15]
- 10月29日 - 総合プロデューサーが三重県知事に実施計画案を提示[16]。
- 11月22日 - 従来の計画を大幅に縮小した実施計画案が三重県から三重県議会に提示。会期を約6か月から108日間(1994年7月22日から1994年11月6日まで)に、目標入場者数1000万人を300万人に、愛称を「まつり博-三重94」、テーマを「新たな“であい”を求めて」に変更[17]。
- 1991年(平成3年)7月23日 - 通産省のジャパンエキスポに認定[18]。
博覧会の開催
前期(7月22日から9月13日まで)の1日平均入場者数は26,804人で、目標の30,000人を下回る結果となった。『公式記録』では、三重県では観測史上最高の猛暑が影響したものと分析している。また、新聞記事などでは、同時期に和歌山県で開催された世界リゾート博(7月16日から9月25日まで)との競合による影響もあったのではないかと分析している。
後期(9月14日から11月6日まで)に関しては、9月26日に台風26号の影響で1日閉場となったものの、総体的に晴天に恵まれ、1日平均入場者数は38,922人となり、全期間中の総入場者数は目標の300万人を超えることとなった。
- 1994年(平成6年)
- 7月22日 - 博覧会開幕。
- 8月5日 - 津地方気象台の観測所で観測史上最高気温39.5度を記録(2010年現在においても史上最高気温)。伊勢市消防本部では観測を開始した1959年以降での最高気温40.3度を記録。
- 8月27日 - 累積入場者数100万人達成。
- 9月1日 - 1日の最低入場者数7,678人を記録。
- 9月16日 - この日より閉場時刻を午後6時から午後5時に繰り上げる。ただし、土日祝日に関しては予定を変更し、午後6時に据え置く。
- 9月29日 - 台風26号の影響により閉場。
- 10月2日 - 累積入場者数200万人達成。
- 10月9日 - 1日の最高入場者数96,283人を記録。
- 10月11日 - 駐車場を平日無料とする。
- 10月26日 - 累積入場者数300万人達成。
- 11月6日 - 博覧会閉幕。総入場者数3,510,275人。
会場跡地は「サン・サポート・スクエア伊勢」として2億700万円かけて道路や排水設備を整え、2008年(平成20年)に造成が完了した[20]。企業誘致は1995年(平成7年)から進められたが、なかなか買い手が付かない状況であった[20]。
2011年(平成23年)になり、伊勢市村松町のヤマナカフーズが初めて進出に名乗りを挙げた[20]。同社は同年に発生した東日本大震災を受けて海抜28mあるこの場所へ新工場を建設することを決め、2012年(平成24年)8月からの操業を目指している[20]。
また、2007年より、多面サッカーグラウンド「伊勢フットボールヴィレッジ」が設置され、「朝間山麓公園ソフトボール場」も併設されている。
“三重の観光振興に全力 田川知事が上山近鉄社長と会談 今後も年1、2回意見交換 事務レベルで案件の詰めへ 月内にも初会合へ 県下全域の開発を検討”. 伊勢新聞: p. 1. (1984年8月11日)
“人間中心の企画に 68年の県計画祭典 名称は「世界祝祭博」”. 伊勢新聞: p. 1. (1985年11月30日)
“祝祭博の開催 69年度に照準 伊勢-鳥羽間に有料道路 田川知事会見 補正予算案 調査費を計上”. 伊勢新聞: p. 1. (1986年9月3日)
“太陽、海、森の3会場で構成 世界祝祭博の基本計画拝見 参加型強く打ち出す イベント 神話展など50以上にも 会場間の連絡はモノレール”. 中日新聞 朝刊 三重版: p. 12. (1986年9月3日)
“小浜が第一候補地 世界祝祭博の会場 鳥羽市長が表明”. 伊勢新聞: p. 1. (1986年12月10日)
“朝熊山ろく主会場 祝祭博で伊勢市長 「すでに買収着手」”. 伊勢新聞: p. 1. (1986年12月12日)
“世界祝祭博の主会場 伊勢市は朝熊山ろく 市長、候補地明かす 鳥羽市が既に名乗り 激しい誘致合戦へ”. 中日新聞 朝刊 三重版: p. 12. (1986年12月12日)
“伊勢市と2人3脚で… 祝祭博会場に二見も名乗り”. 中日新聞 朝刊 三重版: p. 14. (1987年10月15日)
“伊勢朝熊地区に決定 世界祝祭博の会場 市の貸与方針を評価 知事発表 鳥羽小浜地区は保留”. 伊勢新聞: p. 1. (1988年3月12日)
“文化オリンピック始動へ 太陽、海、森を核に 世界祝祭博会場に伊勢市朝熊 二見側は駐車場予定”. 中日新聞 朝刊 三重版: p. 18. (1988年3月12日)
“小浜地区を断念 祝祭博担当の伊藤理事会見 埋め立てなど問題”. 伊勢新聞: p. 1. (1989年1月31日)
“祝祭博 鳥羽開催を断念 埋め立てが難しい 県議会委で説明 伊勢会場に全力投入”. 中日新聞 朝刊 三重版: p. 16. (1989年1月31日)
“◎祝祭博 平野氏を中心に”. 中日新聞 朝刊: p. 29. (1990年3月27日)
“平野氏が快諾 世界祝祭博 プロデューサー就任”. 中日新聞 朝刊 三重版: p. 16. (1990年4月7日)
“祝祭博大幅に規模縮小 平野総合プデューサーが実施計画案 入場者は300万人に 期間も7-10月に短縮 「博覧会離れ」で見直し”. 中日新聞 朝刊 三重版: p. 14. (1990年10月30日)
“会期を108日間に縮小 愛称は「まつり博-三重94」 目標入場数は300万人に 世界祝祭博”. 中日新聞 朝刊: p. 29. (1990年11月23日)
“祝祭博に国の認定書 知事 ぜひ成功させると決意”. 中日新聞 朝刊 三重版: p. 14. (1991年7月24日)
藤田・田林(2007):362ページ(該当箇所は大喜多甫文の執筆)
渡辺大地"企業進出 高台が決め手 伊勢の用地に17年目で初 津波回避へ"中日新聞2011年4月17日付朝刊、三重総合21ページ
- まつり博・三重’94公式ガイドブック(財団法人・世界祝祭博覧会協会)
- まつり博・三重’94パンフレット各種
- 藤田佳久・田林明 編『中部圏』日本の地誌7.朝倉書店.2007年4月25日.672pp.ISBN 978-4-254-16767-2
- 細野義晴(1994)"博覧会と地域振興―世界祝祭博覧会をひかえて―"松阪大学地域社会研究所報.4:43-54.
- 『世界祝祭博覧会 公式記録』財団法人世界祝祭博覧会、1995年3月。