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三重県志摩市に伝わる伝統芸能 ウィキペディアから
恵利原早餅つき(えりはらはやもちつき)は、三重県志摩市磯部町恵利原に伝わる、高速で餅をつく伝統芸能。1994年(平成6年)の世界祝祭博覧会(まつり博・三重’94)を契機に結成された「恵利原早餅つき保存会」が保存・継承を行う[1]。
1つの杵を2人で取り、囃子歌(地つき唄[2])に乗せて餅をつく日本全国で見ても珍しい餅つき方法である[3]。餅つき300回分に相当するもち米約1tを2日でついたという記録を持ち[4]、2013年(平成25年)には1秒間に2.5回つくという新記録を樹立するなど、さらなる高速化が進んでいる[5]。
磯部町恵利原は三方を山に囲まれた地形をしており、南東部の平地に集落が形成されている[6]。江戸時代の恵利原村は、鳥羽藩磯部組の中で立神村に次いで石高の大きな村であり[7]、伊勢神宮皇大神宮(内宮)の鎮座する伊勢国宇治へ至る磯部街道に沿って4つの茶屋が建ち並んでいた[8]。おおむね旧志摩郡磯部村に相当する磯部九郷では最大の村であり[8]、内宮別宮の伊雑宮で行われる伊雑宮御田植祭を4年に1度担当していた[9]。伊雑宮御田植祭では「竹取神事」と呼ばれる、男達が田で泥だらけになりながら忌竹(いみだけ)を奪い合う神事が行われ、その竹を持ち帰り漁業繁盛の守り神とする風習がある[10]。恵利原早餅つきは、伊雑宮御田植祭との関係で生まれたとされている[1][5]。
1本の杵を右利きと左利きのつき手が交互に取りながら、餅をつく[4]。つき始めはゆっくりとした速度でつき、次第に速度を上げていく[2]。餅つきの速度を維持するため、頻繁につき手を交代し、交代する人はついている人の足を蹴って交代の合図を送る[4]。餅を返す人は、餅をつく音で返すタイミングを計っており、目隠しをしても餅を返すことができる[4]。餅をついている間、保存会の女性会員は囃子歌を歌う[2]。
地域では、正月や結婚式で披露される[3]。保存会では、出張依頼を受けて1年間に30か所70回餅つきを披露している[5]。21世紀に入ってからはテレビで紹介される機会が増え、志摩市周辺だけではなく、日本国外で餅つきを披露した経験もある[13]。イベント等で披露される際は、子供らなど見物客の餅つきへの飛び入り参加を取り入れ、つきあがった餅はその場で見物客へ振る舞われる[3]。1997年(平成9年)10月11日に行われた伊勢おおまつりでは、恵利原早餅つき保存会が特別参加し、当時の磯部町長や伊勢市長も飛び入りで餅をついた[14]。
2012年(平成24年)1月には鸚鵡岩、志摩観光ホテル、おかげ横丁で披露され、近畿日本鉄道と志摩市の共催によるイベント「志摩ってこーね列車 新春『開運』三重の酒 利き酒列車」でも披露された[2]。
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