磯部の御神田
三重県志摩市の伊雑宮に伝わる田楽 ウィキペディアから
三重県志摩市の伊雑宮に伝わる田楽 ウィキペディアから
磯部の御神田(いそべのおみた)は、三重県志摩市の伊雑宮に伝わる民俗芸能の田楽。保護団体は、磯部の御神田奉仕会。1973年12月4日に記録作成等の措置を講ずべき無形の民俗文化財(選択無形民俗文化財)に選択[1]、1990年3月29日に重要無形民俗文化財に指定された。また東海農政局による「東海美の里百選」に選定されている[2]。
毎年6月24日に行われる伊雑宮御田植祭で披露される。祭りそのものも御神田と呼ばれる。開催日の6月24日は、倭姫命の巡幸の際に7匹のサメが野川を遡上(そじょう)し、命に伊雑宮の鎮座地を示したという「七本鮫」伝承に基づく[3]。毎年この日には7匹のサメが伊雑宮に参詣するとされ、近隣の漁師は休漁する習慣がある[3]。
起源は定かではないが、平安時代末期に現在の形が成立したという説が一般的である。
明治時代以前に「磯部七郷」、後に「磯部九郷」と呼ばれた以下の9地区(いずれも志摩市磯部町内)が、以下の並び順に7年に1度祭りを担当する。2011年(平成23年)は下之郷区が務めた[7]。2020年(令和2年)は迫間区が担当する予定であったが、新型コロナウイルス感染症の影響で神事を中止したため、2021年(令和3年)にずれ込んだ[8]。おおむね旧磯部村の領域に一致するが、坂崎・飯浜は奉仕区に含まれない[9]。
*は2地区合同で行う。
上之郷に残る『年中行事覚書』には、江戸時代の奉仕区について以下のように記している[10]。
すなわち、下之郷と恵利原は4年ごと、五知・上之郷と沓掛・山田は8年ごと、築地、迫間、穴川は12年ごとに担当が回ってくるようになっており、地区により担当回数に大きな差があった[10]。
御神田に奉仕する人を「やくびと」(役人)と言う。以前は衣装を自前で用意する必要があったため、地区の有力者から順に選ばれることが多かった。そのため、神事に出られることを名誉とする風潮があったが、少子化のため、そうした雰囲気は薄れてきている[8]。
以下に役とその役割を記す。
やくびとのほかにも、忌竹(いみだけ)を奪い合う男衆、伊雑宮の神職、神事の指導をする師匠、奉仕区の区長、やくびとの身辺の世話人、神田のある上之郷の住民などが祭りの運営に携わっている。
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