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日本の小説、メディアミックス作品 ウィキペディアから
『黒部の太陽』(くろべのたいよう)は、木本正次による1964年発表の小説、ならびにこれを原作とする1968年公開の日本映画である。
当時、世紀の難工事と言われた黒部ダム建設の苦闘、特にトンネル工事を描いている。
1969年と2009年に制作されたテレビドラマ版については、「黒部の太陽 (テレビドラマ)」を参照。
『黒部の太陽』は毎日新聞編集委員であった木本正次の1964年の毎日新聞への連載小説であり、挿絵は土井栄が担当した[1]。同年、毎日新聞社より書籍化される[2]。書籍化の際に数十枚の加筆が行われている[3]。映画の公開に合わせて1967年に講談社より再刊された[4]。
この節の加筆が望まれています。 |
劇団民藝の全面協力による、三船プロダクションと石原プロモーションが関西電力と組んで共同制作した[5][6]。関西電力と熊谷組[5]の下請け・関連企業が[5]大量の前売り券を購入し[5]、巨額の興収をあげた[5][6][8]。企業タイアップ映画の先駆けとなった作品である[5][6][8]。
1962年に日活から独立し制作プロダクションを設立した石原裕次郎は、五社協定の枠に苦しめられ、「自分で映画を作る」という当初の目標が揺らいでいた。1963年には独立後の第1弾として、映画監督の市川崑とタッグを組み海洋冒険家の堀江謙一をモデルとした映画『太平洋ひとりぼっち』を公開し第14回ブルーリボン賞企画賞、芸術祭賞等を獲得し高く評価されたものの、興行面では失敗に終わった。
1964年、同じく東宝から独立し自身を社長とする制作プロダクションを設立していた三船敏郎と石原裕次郎の2人が会見し、三船プロ・石原プロの共作で映画化すると発表した。しかし実現までには間隔が空いた。
日活との問題に加え、当時、石原プロの元にはスタッフ・キャスティングに必要な人件費が500万円しか無かった。石原裕次郎はこの500万円を手に、劇団民藝の主宰者であり、俳優界の大御所である宇野重吉を訪ね、協力を依頼した。宇野は民藝として全面協力することを約束し、宇野を含めた民藝の所属俳優、スタッフ、必要な装置などを提供。以降、裕次郎は宇野を恩人として慕うようになった。
また、制作に当たって映画会社から関西電力に対して圧力が掛かっていたが、これについては石原裕次郎と直接会った当時の社長が、石原裕次郎の映画制作への気持ちを汲み、圧力に屈するどころか、全面協力をしたとされている[注 1]。そして、三船敏郎は製作にもっとも強く反対していた日活の堀久作社長に直々に交渉し、「関西電力が映画の前売り券100万枚の販売を保証しているが、配給は日活でどうか」ともちかけたことで、堀社長は裕次郎出演を認める方向へ方針を変えた。
映画製作には莫大な資金が必要で、大掛かりな撮影となった。
トンネル工事のシーンが多く、再現セットは愛知県豊川市の熊谷組の工場内に作成された。切羽(トンネル掘削の最先端箇所)の奥から多量の水が噴出する様を再現する420トンの水タンクもあり、見せ場であったが、出水事故があり石原裕次郎他数人が負傷した[9]。出水事故の原因は、撮影が1日遅れたことにより、水タンクから出た水を一旦溜め置く切羽のコンクリートの硬度が増したために、切羽が想定以上の大量の水を溜めてしまい、その後壊れて一気に水が流れ出たことである[注 2]。水槽のゲートが開かれると10秒で420トンの水が流れ出し、役者もスタッフも本気で逃げた。水が噴出する直前に三船は大声で「でかいぞ」と叫び、裕次郎らと走る必死の姿をカメラが捕らえており、撮影は成功した。監督の熊井は、もし三船が恐怖のあまり立ちすくんでいたら撮影も失敗して死傷者も出たかもしれないと回想している[要出典]。大洪水の中でも仁王立ちとなって演技をした三船の姿が、30年以上たった今も瞼に焼き付いていると語った[10]。
オープンセットがトタン張りであったため、照明機材の熱も入りセット内は蒸し風呂のように暑く、岩岡班労務者を演じた大浜詩郎は撮影期間中は連日点滴を打ちながら撮影に臨んでいた。大浜は後年のインタビューで「まだ若かったから乗り切ることが出来た。本作の苦労を思えばどんな撮影も辛くない」と述べている[11]。1年以上の撮影期間を経て、1968年2月に公開された。
企業タイアップである本作の大成功により[5][6][8]、"ヤナギの下にはドジョウが何匹もいる"と信じて疑わない日本の映画会社は[5]、大会社や会員組織を持った化粧品会社等に話を持ち掛けた[5]。当時不振が続いていた東宝は、当時で従業員30数万人、関連企業を合わせればその倍といわれ、"組織の三菱"と結束のかたさで鳴る大三菱にタイアップを働きかけ[5]、東宝の田中友幸プロデューサーが、万博の三菱未来館の総合プロデュースを担当したのが縁で[5]、三菱の創始者・岩崎弥太郎の一代記を描く『土佐の暴れん坊』(『商魂一代 天下の暴れん坊』)の製作を決めた[5][12][13]。三菱サイドとしても当時は一般には全くの無名で[5]、三菱社員でも昭和生まれはほとんど知らない創始者を知ってもらい[5][12]、消費者に親近感を持たせたいと利が一致した[5]。製作費1億2,000万円のうち、三菱が7,000万円を出資した[12]。前売り券の窓口を田実渉三菱銀行頭取に依頼し万全の体制を敷いた[5]。東映は当時、映画製作興行が絶好調で[14]、あえて企業タイアップ映画を作る必要はなかったが、鹿島守之助鹿島建設会長が本作製作にもかんでいたことに刺激を受け[15]、企業タイアップ映画に意欲を燃やし[15]、劇場建設で付き合いのあった東映に話を持ちかけ[16]、『超高層のあけぼの』を製作した[15]。前売り券は[要校閲][17]。『超高層のあけぼの』は、鹿島建設が前売り券150万枚を全て引き取り[17]、売上上は大ヒットを記録したが[17]、劇場はガラガラだったといわれる[5]。他の映画会社の企業タイアップ映画としては、現代映画社と日本航空の『さらば夏の光よ』[5][6]、日活(真珠舎プロ)と日本水産の『荒い海』[5][6]、東宝と東芝商事の『若者よ挑戦せよ』[6]、石原プロと日産自動車の『栄光への5000キロ』が製作された[5][6]。映画会社としては製作費が安上がりで済む上に大ヒットとなれば申し分なく、何とか不況を打開しようという映画界にとっては恵の雨で、一時的に流行した[5][6][12]。
1968年キネマ旬報ベストテン4位。後に文部省の推薦映画に選ばれており、当時小学生だった人の中には、この映画を学校の校外学習で見たという人も多い。
テレビでは、1979年10月8日(月曜日)にテレビ朝日系で『秋の特別ロードショー』(20:02 - 22:48[注 3][注 4])として放送された。ただし、これは短縮バージョンであった。予告編が2007年に『NHKスペシャル・石原裕次郎、没後20年〜裕さんへのラブレター〜』にて初めてテレビ公開された。また、予告編は『サライ』(小学館)の2007年8月16日号の特別付録DVDに『狂った果実』『太平洋ひとりぼっち』の予告編とともに収録されている。
生前の石原裕次郎自身が「こういった作品は映画館の大迫力の画面・音声で見て欲しい」と言い残したという理由から、長年ビデオソフト化されていなかった。しかし、2012年ごろまでは、当初は石原裕次郎が主張していた映画館などでのスクリーン上映もほとんど行われておらず、裕次郎13回忌など、石原プロが関係するイベントで散発的な上映に留まっており[注 5]、事実上封印作品のようになっていた。2013年1月頃から、ノーカット版の上映を行う映画館がいくつか現れている[18][19]。原作者の木本の地元である徳島県では、最後まで残った単独映画館の徳島ホールにおける最終演目に本作のノーカット完全版が選出され、当時のフィルムをそのまま用いて上映していた。
2012年1月の石原プロモーション新年会にて、石原プロモーション会長の石原まき子が、「東日本大震災復興支援を目的として、『黒部の太陽』を全国各所でスクリーン上映する」ことを発表した[20]。また、同年3月17日にはNHK BSプレミアムにて2時間20分の海外用短縮版がテレビ放送された。これは33年ぶりのテレビ放送であり、ハイビジョン放送は初のことである。石原プロモーション創立50周年を迎える2013年3月には、ポニーキャニオンよりBlu-rayとDVDが発売された(詳しくは#ビデオグラムを参照)。
2014年3月8日、BS日テレにてテレビでは初めて「ノーカット完全版」が放送された[21](CMあり)。また同年12月20日にはCSのチャンネルNECOにおいてもノーカット・CMなしで放送された。そして、石原プロの「解散式」[注 6]の約1か月半後の2021年3月1日には、NHK BSプレミアムでノーカット完全版が13:00 - 16:17にかけて放送されている。
スタッフロールで流れるキャスト一覧は、通常の主役・脇役・端役の順ではなく、五十音順に並んでいる。これは2009年のテレビドラマ版も同様である。
2018年4月8日には、朝日新聞出版から発売されているDVDマガジンシリーズ「DVDコレクション 石原裕次郎シアター」から本作が発売された。
なお、2021年時点で版権は石原プロモーションが所有している。
1969年8月3日から10月12日(日曜21:30 - 22:26)に日本テレビ系列で放送された全11回の連続ドラマと、フジテレビ開局50周年記念ドラマとして2009年3月21日・22日の2夜連続放送のスペシャルドラマがある。
『黒部の太陽』の舞台となった関電トンネル開通50周年と映画上映40周年を記念して舞台化され、2008年10月6日から26日に梅田芸術劇場メインホールで公演された。
実際に関電トンネルの工事を担当した関西電力と熊谷組が支援、映画を製作した石原プロモーション・三船プロダクションが全面協力している。
主演は中村獅童、神田正輝、出演は大地康雄、勝野洋、ベンガル、月影瞳、宮川一朗太、石井智也、妹尾和夫(特別出演)。
この舞台化には、梅田芸術劇場の岡田正行プロデューサーが石原プロ側を口説き落とし、ようやく実現させたという[25]。関連して、12月8日には梅田芸術劇場でオリジナル版映画がノーカットで上映された。完全ノーカットの劇場公開は40年ぶりと言われる。
2003年5月19日から5月28日に、平成15年文学座3月公演として、『龍の伝説』が上演された。これは木本正次の『黒部の太陽』を原案として、文学座の座付き作家の得丸伸二が作・演出したものである[26]。
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