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柳 永二郎(やなぎ えいじろう、1895年9月16日 - 1984年4月24日)は、大正 - 昭和期の俳優。新劇畑から、新派に転じて活躍。
1913年(大正2年)(18歳)、有楽座のお伽芝居に入った。同劇場に出演する新劇諸劇団の舞台を見、また、端役を勤めた。
新劇の劇団を転々としたのち、1919年、新派の井上正夫一座に入り翌年幹部に昇進したが、解散となり、河合武雄に拾われた。以降、離合集散する新派の世界で、男役として次第に頭角を現した。劇界の先輩格には、上山草人、東儀鉄笛、伊庭孝、島村抱月、井上正夫、真山青果、伊井蓉峰、喜多村緑郎らが、ほぼ同世代には、花柳章太郎、伊志井寛、大矢市次郎、初代水谷八重子らがいた。
1921年(大正10年)(26歳)、花柳章太郎らと試演のための『新劇座』を結成し、1931年(昭和6年)まで、14回公演した。1933年、伊志井寛と月刊雑誌『演劇新派』を創刊し、物資払底の1940年まで刊行を続けた。
1939年(昭和14年)(44歳)、花柳章太郎・伊志井寛・大矢市次郎とともに『本流新派』を離れ、川口松太郎・大江良太郎をも同人として、劇団『新生新派』を旗揚げした。喜多村緑郎ものちに加入した。
戦後の1949年(54歳)、新生新派を離れ、伊志井寛と『新作座』を作ったが、一公演のみで潰れた。以降は1940年から始めていた映画出演を増やした。長谷川一夫に招かれて東宝歌舞伎に出演した。テレビドラマにも多く出演。時折は新派に呼ばれ客演した。映画・テレビの双方で、時代劇では上皇から悪徳商人まで様々な役柄を演じている。現代劇でも、海軍大将役など印象深い役が多い。
1966年、紫綬褒章を受けた。1970年、勲四等旭日小綬章を受けた。
1973年(78歳)、当時新派の大御所男性俳優が立て続けに急逝し後進育成もままならない状態になってしまい、同時に初代水谷八重子の相手役に相応しい年齢の役者が不在となり、縁深い柳へぜひとも新派へと戻って来て欲しいと水谷や川口松太郎など新派関係者から懇願され客員的な形で復帰した。1978年3月に約30年ぶりに、『婦系図、湯島天神の場』の早瀬主税を82歳で演じたが、関係者の危惧をはねのけるものであったという。1982年の『女優』が最後の舞台となった。
1984年4月24日、急性心不全により死去。88歳没。
戦前から新派資料を熱心に収集、その歴史を編纂した著書類は、近代演劇史の重要な文献となっている。
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