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日本の将棋棋士 ウィキペディアから
藤井 猛(ふじい たけし、1970年9月29日 - )は、将棋棋士。西村一義九段門下。棋士番号は198。群馬県沼田市出身。
振り飛車党であり、一世を風靡した新戦法「藤井システム」の開発でも知られ、1998年から藤井システムを武器に竜王を三連覇した[1][2]。1996年度に「藤井システム」で、2012年度に「角交換振り飛車」で升田幸三賞を受賞[1]。
将棋のルールを覚えたのが小学校4年の頃、将棋の面白さがわかったのが小6 - 中1の頃(本人談[注 1])という遅さ。奨励会試験で一度落ちたが、研修会から編入し、1986年に奨励会に入会した。入会後5年をかけ1991年に四段に昇段(プロ入り)。いわゆる「羽生世代」の一人であるが、羽生善治、佐藤康光、森内俊之、郷田真隆、村山聖といった早熟の棋士達[注 2]とは異なり、丸山忠久と共にやや遅れて台頭してきたグループに属する[5]。
1995年12月22日、第54期B級2組順位戦の対井上慶太戦で、対居飛車穴熊の「藤井システム」を初披露し、僅か47手で井上を投了に追い込んだ。
1996年度の第27回新人王戦で優勝。同棋戦では、翌1997年度(第28回)、および、竜王在位時の1999年度(第30回)でも優勝。さらには、1997年に第16回早指し新鋭戦で優勝し、若手棋士参加棋戦で4度の優勝を果たす。1996年は、全棋士参加の大型棋戦である第14回全日本プロトーナメントでも決勝五番勝負に進出したが、屋敷伸之に0-3のストレートで敗れ、優勝はならなかった。
1998年度、第11期竜王戦で4組優勝[注 3]。本戦(決勝トーナメント)では、鈴木大介(3組2位)、南芳一(1組優勝)、屋敷伸之(1組3位)に勝ち、さらに、挑戦者決定三番勝負で羽生善治(1組2位)を相手に1敗の後に2連勝し[6]、タイトル初挑戦。谷川浩司竜王との七番勝負で藤井システムを用い、4-0のストレートで破りタイトル初獲得(1998年11月18日)。「将棋世界」誌の表紙には「藤井システム、将棋界を席捲」の文言が印字された。第24期棋王戦では挑戦者決定戦まで進出したが、敗者復活戦から勝ち上がった佐藤康光に敗れた。この挑戦者決定戦の二番勝負で藤井は当初、先手番対局と後手番対局が交互にあると思っており、二局とも振り駒で先後を決めることを知らなかったので驚いたと後に述べている[7]。なお、この年度は全棋士中1位の43勝を挙げた。
初の防衛戦となる第12期(1999年度)竜王戦では、同じ振り飛車党である鈴木大介を挑戦者に迎えた。鈴木は挑戦権獲得時のインタビューで、全局を振り飛車で戦うとの「全・振り飛車宣言」をしていた。七番勝負で藤井は振り飛車を封印し、全局通して居飛車で戦い、4-1で防衛に成功した[注 4]。なお、同1999年度は早指し将棋選手権戦で、タイトル戦以外の全棋士参加棋戦での初優勝も果たした[注 5]。
2000年度、第48期王座戦で羽生に挑戦[注 6]。その五番勝負と日程がオーバーラップして、第13期竜王戦七番勝負では羽生の挑戦を受け、「十二番勝負」となった。王座戦は2-3で敗れたものの、「勝っても負けてもフルセットにします」と宣言したとおりの展開となった。竜王戦で羽生をフルセットの末4-3で下し、竜王戦史上初の3連覇を達成[注 7]。お互い自分が保持するタイトルをフルセットで防衛した[6]。羽生の挑戦を退けてタイトルを防衛したのは谷川に続き2人目である。
第59期(2000年度)B級1組順位戦の最後の2局で、藤井と昇級を争っていた郷田真隆が2連敗したのに対し藤井は2連勝し、逆転でA級初昇級[8]。前年のB級1組昇級に続く2連続昇級であり、弟弟子の三浦弘行とコンビでの昇級であった[8]。
一方で、2001年の第14期竜王戦では再び挑戦者となった羽生に1-4で敗れ竜王位を失冠した[6]。
2002年(第23回)と2005年(第26回)のJT将棋日本シリーズで優勝。2005年の優勝後のインタビュー(囲碁・将棋ジャーナル)で、「このようなインタビューを受けるのは久しぶり。これからもっと、このようなインタビューを受けられるような活躍をしたい」という旨を語った。
2006年、第24回朝日オープン将棋選手権で羽生に挑戦し、1-3で敗れる[9][注 8]。
この間、第52期(2002年度)・第56期(2006年度)・第57期(2007年度)の王将戦でリーグ入り。
2010年度、第58期王座戦挑戦者決定戦で深浦康市を下し、羽生王座に挑戦するがストレート負けを喫し、羽生が持つ同一タイトル連覇記録と同一タイトル連続無敗防衛記録の更新を許す。同年度、第23期竜王戦で2組優勝し、1組へ復帰。一方、2011年3月2日、第69期(2010年度)A級順位戦最終戦で高橋道雄に敗れて3勝6敗となり、10年守ったA級の座から陥落。その7回戦、森内俊之と戦った一局で、敗局ではあるが第38回将棋大賞の「名局賞特別賞」を受賞した。
2011年度、第52期王位戦でリーグ入り。4勝1敗で紅組リーグ優勝をしたものの、挑戦者決定戦(2011年6月13日)で白組リーグ優勝の羽生に敗れる。この対局の9日前(6月4日)に放送の「囲碁・将棋フォーカス」で解説役としてゲスト出演していたが、「嫌な相手(羽生)が出てきました」と苦笑しながら語り、司会と聞き手を笑わせていた。第70期順位戦B級1組で3勝9敗となり、B級2組への降級が決まり、二期連続の降級となった[10]。
2012年度、第53期王位戦リーグで白組優勝(4-1)し、挑戦者決定戦(2012年5月30日)で紅組リーグ優勝の渡辺明を166手の熱戦の末下し、羽生王位に挑戦するが1-4で敗れた。しかし、その後も第71期順位戦で若手の豊島将之を破る[注 9]など好調を維持し、最終戦を待たずして、わずか1期でB級1組返り咲きの昇級を決めた[注 10]。
2016年度、第24期銀河戦に予選より出場。決勝トーナメントでは先後問わず全ての対局で藤井システムを採用し、決勝で広瀬章人に勝利。自身11年ぶりとなる一般棋戦優勝を果たす。また、同時に銀河戦最年長優勝者(当時45歳10か月[注 11]=対局日基準)となった。インタビューにて「視聴者のために藤井システムを選んだ」と語った。
藤井の代名詞というべき戦法で、四間飛車で天守閣美濃・穴熊という居飛車側の持久戦策を牽制する戦法。1996年度升田幸三賞受賞[18]。特に居玉のまま襲いかかる対穴熊の藤井システムは将棋界の振り飛車戦法に革命をもたらすのみならず、将棋の序盤戦略そのものに大きな影響を与えた。
さらに、矢倉を採用していた時期にあたる将棋世界2009年9月号の中で「僕はもう(藤井システムからは)引退しました」と藤井システムを断念したとも取れる発言をしている。ただ同時に「先手藤井システムは立派に生き残っています」と、藤井システムそのものは終わっていないという見解を示している。
一方で、先述の通り2016年度の銀河戦で連採し優勝しているように、近年では復活傾向にある。
2019年9月3日、叡王戦九段予選2回戦にて羽生善治九段と7年ぶりの対戦で、先手で居飛車穴熊の羽生に対し後手番藤井システムを採用、実に19年ぶりに後手番藤井システムで羽生に勝利を収めた。
ただし、七段 - 九段の昇段日は、竜王戦の昇段の旧規定による[注 15]。
は2024年11月現在の在位。登場・連覇の 太字 は歴代最多記録。
他の棋士との比較は、タイトル獲得記録、将棋のタイトル在位者一覧を参照。
タイトル | 獲得年度 | 登場 | 獲得期数 | 連覇 | 永世称号(備考) |
竜王 | 1998-2000 | 4回 | 3期 | 3連覇 | - |
名人 | - | - | - | - | - |
王位 | - | 1回 | - | - | - |
叡王 | - | - | - | - | - |
王座 | - | 2回 | - | - | - |
棋王 | - | - | - | - | - |
王将 | - | - | - | - | - |
棋聖 | - | - | - | - | - |
タイトル獲得 合計 3期 / 登場回数 合計7回 | |||||
(2012年度王位戦終了まで)
開始 年度 |
順位戦 出典[33] |
竜王戦 出典[34] | ||||||||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
期 | 名人 | A級 | B級 | C級 | 期 | 竜王 | 1組 | 2組 | 3組 | 4組 | 5組 | 6組 | 決勝 T |
|||||
1組 | 2組 | 1組 | 2組 | |||||||||||||||
1991 | 50 | C253 | 6-4 | 5 | 6組 | -- | 4-1 | |||||||||||
1992 | 51 | C218 | 7-3 | 6 | 5組 | -- | 5-1 | |||||||||||
1993 | 52 | C208 | 9-1 | 7 | 4組 | -- | 2-2 | |||||||||||
1994 | 53 | C123 | 10-0 | 8 | 4組 | -- | 1-2 | |||||||||||
1995 | 54 | B218 | 7-3 | 9 | 4組 | -- | 4-2 | |||||||||||
1996 | 55 | B204 | 7-3 | 10 | 4組 | -- | 3-2 | |||||||||||
1997 | 56 | B206 | 5-5 | 11 | 4組 | 5-1 | 5-0 | |||||||||||
1998 | 57 | B210 | 8-2 | 12 | 竜王 | -- | -- | |||||||||||
1999 | 58 | B202 | 9-1 | 13 | 竜王 | -- | -- | |||||||||||
2000 | 59 | B112 | 9-3 | 14 | 竜王 | -- | -- | |||||||||||
2001 | 60 | A 09 | 4-5 | 15 | 1組 | 1-1 | 3-1 | |||||||||||
2002 | 61 | A 06 | 6-3 | 16 | 1組 | -- | 2-2 | |||||||||||
2003 | 62 | A 03 | 4-5 | 17 | 1組 | -- | 1-2 | |||||||||||
2004 | 63 | A 07 | 6-3 | 18 | 1組 | -- | 1-2 | |||||||||||
2005 | 64 | A 02 | 3-6 | 19 | 1組 | -- | 2-2 | |||||||||||
2006 | 65 | A 06 | 4-5 | 20 | 1組 | -- | 0-2 | |||||||||||
2007 | 66 | A 06 | 4-5 | 21 | 2組 | -- | 2-2 | |||||||||||
2008 | 67 | A 06 | 4-5 | 22 | 2組 | -- | 1-2 | |||||||||||
2009 | 68 | A 06 | 3-6 | 23 | 2組 | 0-1 | 4-0 | |||||||||||
2010 | 69 | A 08 | 3-6 | 24 | 1組 | -- | 0-2 | |||||||||||
2011 | 70 | B102 | 3-9 | 25 | 2組 | 0-1 | 3-1 | |||||||||||
2012 | 71 | B201 | 9-1 | 26 | 1組 | -- | 1-2 | |||||||||||
2013 | 72 | B112 | 5-7 | 27 | 1組 | -- | 2-2 | |||||||||||
2014 | 73 | B110 | 3-9 | 28 | 1組 | 0-1 | 3-1 | |||||||||||
2015 | 74 | B201 | 7-3 | 29 | 1組 | -- | 1-2 | |||||||||||
2016 | 75 | B204 | 7-3 | 30 | 1組 | -- | 1-2 | |||||||||||
2017 | 76 | B204 | 5-5 | 31 | 1組 | -- | 0-2 | |||||||||||
2018 | 77 | B209 | 6-4 | 32 | 2組 | -- | 2-2 | |||||||||||
2019 | 78 | B210 | 5-5 | 33 | 2組 | -- | 2-2 | |||||||||||
2020 | 79 | B213 | 4-6 | 34 | 2組 | -- | 3-2 | |||||||||||
2021 | 80 | B216x | 2-8 | 35 | 2組 | -- | 1-2 | |||||||||||
2022 | 81 | B225* | 5-5 | 36 | 2組 | -- | 1-2 | |||||||||||
2023 | 82 | B215* | 4-6 | 37 | 2組 | -- | ||||||||||||
2024 | 83 | B219* | 38 | |||||||||||||||
順位戦、竜王戦の 枠表記 は挑戦者。右欄の数字は勝-敗(番勝負/PO含まず)。 順位戦の右数字はクラス内順位 ( x当期降級点 / *累積降級点 / +降級点消去 ) 順位戦の「F編」はフリークラス編入 /「F宣」は宣言によるフリークラス転出。 竜王戦の 太字 はランキング戦優勝、竜王戦の 組(添字) は棋士以外の枠での出場。 |
年度 | 対局数 | 勝数 | 負数 | 勝率 | (出典) |
---|---|---|---|---|---|
1991 | 42 | 31 | 11 | 0.738 | [35] |
1992 | 43 | 25 | 18 | 0.581 | [36] |
1993 | 45 | 32 | 13 | 0.711 | [37] |
1994 | 41 | 29 | 12 | 0.707 | [38] |
1995 | 40 | 27 | 13 | 0.675 | [39] |
1996 | 57 | 34 | 23 | 0.596 | [40] |
1997 | 48 | 30 | 18 | 0.625 | [41] |
1998 | 59 | 43 | 16 | 0.729 | [42] |
1999 | 48 | 33 | 15 | 0.688 | [43] |
2000 | 47 | 28 | 19 | 0.5957 | [44] |
1991-2000 (小計) |
470 | 312 | 158 | ||
年度 | 対局数 | 勝数 | 負数 | 勝率 | (出典) |
2001 | 37 | 16 | 21 | 0.4324 | [45] |
2002 | 51 | 33 | 18 | 0.6470 | [46] |
2003 | 28 | 10 | 18 | 0.3571 | [47] |
2004 | 34 | 20 | 14 | 0.5882 | [48] |
2005 | 43 | 26 | 17 | 0.6046 | [49] |
2006 | 36 | 14 | 22 | 0.3889 | [50] |
2007 | 35 | 14 | 21 | 0.4000 | [51] |
2008 | 34 | 17 | 17 | 0.5000 | [52] |
2009 | 31 | 16 | 15 | 0.5161 | [53] |
2010 | 40 | 20 | 20 | 0.5000 | [54] |
2001-2010 (小計) |
369 | 186 | 183 | ||
年度 | 対局数 | 勝数 | 負数 | 勝率 | (出典) |
2011 | 35 | 15 | 20 | 0.4285 | [55] |
2012 | 48 | 31 | 17 | 0.6458 | [56] |
2013 | 33 | 17 | 16 | 0.5151 | [57] |
2014 | 38 | 17 | 21 | 0.4473 | [58] |
2015 | 45 | 29 | 16 | 0.6444 | [59] |
2016 | 33 | 20 | 13 | 0.6060 | [60] |
2017 | 32 | 16 | 16 | 0.5000 | [61] |
2018 | 28 | 12 | 16 | 0.4285 | [62] |
2019 | 34 | 18 | 16 | 0.5294 | [63] |
2020 | 31 | 14 | 17 | 0.4516 | [64] |
2011-2020 (小計) |
357 | 189 | 168 | ||
年度 | 対局数 | 勝数 | 負数 | 勝率 | (出典) |
2021 | 37 | 18 | 19 | 0.4864 | [65] |
2022 | 34 | 20 | 14 | 0.5882 | [66] |
2023 | 35 | 14 | 21 | 0.4000 | [67] |
2021-2023 (小計) |
106 | 52 | 54 | ||
通算 | 1302 | 739 | 563 | 0.5675 | [68] |
2023年度まで |
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