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日本バプテスト連盟(にほんバプテストれんめい)は、日本のバプテスト教会の連盟である[1]。埼玉県さいたま市南区南浦和に事務所を置く宗教法人である。ただし、加盟教会によって構成される総会において、意思決定がなされる包括宗教法人という側面も併せ持つ。
団体種類 | 包括宗教法人 |
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所在地 | 埼玉県さいたま市南区南浦和1-2-4[1] |
主要人物 | 田口昭典(理事長)[1] |
ウェブサイト | http://www.bapren.jp |
教会・伝道所に関しては日本バプテスト連盟の加盟教会・伝道所一覧を参照
アメリカ合衆国の南部バプテスト連盟が、協力して伝道に取り組むために1947年に結成された教会の協力体。第二次世界大戦以前は、米国の米国南部バプテスト連盟が、北部バプテスト同盟(現米国バプテスト同盟)との間の協定に従って、九州を中心に伝道活動を行っていた。米国南部バプテスト連盟の日本での宣教は、大阪から開始された。加盟教会が九州、特に福岡に集中しているのは、関連学校が福岡県に集中しているからである。
第2次世界大戦後は、全国に開拓伝道を展開している。現在は、東日本においても日本バプテスト同盟(米国北部バプテスト同盟系)を超える加盟教会がある。特に、首都圏を中心に有している。
阪神淡路大震災の際には、阪神間(特に兵庫県内)にある諸教会が甚大な被害を受けた。その後、現地支援委員会を立ち上げ、計7年間にわたる活動が行われた。
日本バプテスト連盟の機関誌としては、『バプテスト』誌(A4判、表紙と裏表紙はフルカラー)がある。1950年から発行されており、現在では毎月発行されている。また、教会教育のための教案誌として『聖書教育』誌を年間4冊発行していて、連盟の教会を初め他教派を含む多くの教会で利用されている。さらに独自の讃美歌集として、2003年に『新生讃美歌』を新たに発行して伴奏CDを発売する等活発に利用を呼びかけている。
2010年10月現在で、日本全国に325の加盟教会(内48が伝道所)が在る。
各個教会の「自立」と「協力」に重点を置き、「協力伝道」の名の下に一致して活動を行っている。日本キリスト教協議会(NCC-J)に加盟しており、キリスト教の教派の中でも伝道活動に熱心な教派の1つである。
米国の南部バプテスト連盟は、1860年に日本伝道を決め、宣教師を派遣するも乗船が遭難し行方不明となった[2]。1889年に再び日本伝道を決め、同年に宣教師を派遣して宣教を始めた[2]。北部バプテスト同盟との申し合わせで、南部バプテスト連盟は神戸以西で活動することとなっていたが、南部バプテスト連盟に先んじて日本伝道を進めていた北部バプテスト同盟宣教師の助言もあり、大阪で伝道していた宣教師が一時帰国で留守の間に、大阪で日本伝道を試行することとなった[3]。翌1891年(明治24年)に大阪浸礼教会が設立され、南部バプテスト連盟が日本で手がけた最初の教会となった[3]。直後に申し合わせが改められ、南部バプテスト連盟の伝道区域が九州のみとなり、宣教師団の拠点は1892年初(明治25年初)に小倉に移った[3]。既に北九州には北部バプテスト同盟が赤間関を拠点に設けた講義所が三つあり、これを南部バプテスト連盟が引き継いだ[3]。1893年(明治26年)には九州で最初となる門司バプテスマ教会が設立された[2]。1901年(明治34年)には福岡浸礼教会、1902年(明治35年)には熊本浸礼教会、佐世保浸礼教会及び長崎浸礼教会が設立された[3]。1903年(明治36年)4月には、九州に在る7教会と北部バプテスト同盟の山口県内に在る2教会とによる「浸礼派西南部会」が組織された[2]。続いて同年6月に宣教師団「在日本「サヲゾルン、バプチスト」宣教師社団」も結成された[3]。1908年(明治41年)に広島以西と四国が南部バプテスト連盟の伝道区域に変更し、域内の北部バプテスト同盟の教会が南部バプテスト連盟に移管された[2]。1911年(明治44年)には伝道区域制が撤廃され、日本全国での伝道が可能となり、先ずは東京に講義所を置いた[2]。1918年(大正7年)に「浸礼派西南部会」を改組し「日本バプテスト西部組合」となった[2]。南部バプテスト連盟は日本人伝道者育成のための学校経営も手掛け、1907年(明治40年)に「福岡バプテスト神学校」を、同校が北部バプテスト同盟の「横浜バプテスト神学校」と合併されると、その跡地に語学学校「福岡バプテスト夜学校」を、1916年(大正5年)に男子中学校「西南学院」を開校した[4][5]。1939年(昭和14年)に宗教団体法が公布されると、認可基準を満たすため南部バプテスト連盟所属22教会は北部バプテスト同盟所属教会と合同し「日本バプテスト基督教団」を組織するとともに、外国宣教団からの独立を宣言せざるを得なくなった[6][7]。南部バプテスト連盟は1940年(昭和15年)に、教会の運営を日本人伝道者に任せ、大半の宣教師を帰国させた[8]。更には、1941年(昭和16年)に「日本基督教団」に合流することで、かろうじて信仰は維持された[6]。翌1942年の南部バプテスト連盟定期総会で「戦後」についての検討が開始され、1945年の定期総会では日本に派遣する宣教師7名が選任された[9]。戦後、進駐軍属として入国した南部バプテスト連盟牧師2名は、旧「日本バプテスト西部組合」関係者と接触し、「日本基督教団」からの独立と宣教師の受け入れの意思を確認した[9]。1947年(昭和22年)4月に進駐軍属牧師の陪席のもと、旧「日本バプテスト西部組合」16教会による「日本バプテスト連盟」が結成された[9]。
加盟教会ごとに差があるものの、日本バプテスト連盟全体としては、リベラル的傾向にあり、「世」と「教会」の二元論化や信仰の内面化に対して批判的な立場を採っている。1962年の反ヤスクニ宣言や1988年の罪責告白(戦責告白)に表されるように、現代世界に対するクリスチャンや教会の責任また社会的使命を大切にする方向を目指すとしている。近年には、米国南部バプテスト連盟の保守化の中においてジミー・カーター元米国大統領が名を連ねているCooperative Baptist Fellowship(CBF)との連携を強めていく動きもある。
加盟教会の活動においては、「生の全領域」でイエス・キリストを証しする生活のための「全年齢層の教会学校」を標榜しており、子どもの聖書の学習をはじめ青年・成人による共同学習も重視している。また、福音を宣べ伝える具体的な働きとして特別委員会が、靖国神社問題、部落問題、日韓・在日連帯、公害問題、ホームレス、性差別問題、「障害」者等に対し、支援活動を展開している。2002年総会では「平和に関する信仰的宣言」(平和宣言)を採択する等、平和運動に取り組む姿勢を表明している。
加盟教会員や特定非営利活動法人は、千葉県市川市や(京都府)京都市、兵庫県神戸市、福岡県北九州市等において、野宿を強いられている人への生活支援活動を行なったと報告している。この支援活動には、他教派のキリスト者や一般のボランティアも参加している。 2011年3月11日発生した東北地方太平洋沖地震および東日本大震災では、翌日午前に災害対策本部を立ち上げ、緊急救援物資輸送の準備に取りかかった。3月13日午後、世界バプテスト連盟の緊急救援チーム(BWAid)と共に被災地を訪れた後、緊急救援物資輸送を行った等と公表している。
2014年5月24日、東京都目黒区にある連盟の恵泉バプテスト教会において、「憲法フェスティバル2014」が、開催された。洋光台キリスト教会や花小金井キリスト教会、日本バプテスト教会連合の大野キリスト教会からも会員が参加する等、参加者人数は120人に上ったという[10]。 憲法9条がノーベル平和賞候補にノミネートされた事に関して、きっかけを作った日本バプテスト教会連合大野キリスト教会会員は、「9条の素晴らしさを「輸出」していくことで、この国から世界の平和を手繰り寄せていく。9条は自分たちだけのものにしてはいけない気がしています。」とコメントをしたという[11]。
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