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日本の俳優、声優 ウィキペディアから
日下 武史(くさか たけし、1931年〈昭和6年〉2月24日 - 2017年〈平成29年〉5月15日[3])は、日本の俳優、声優である。本名は日下 孟[1]。東京都豊島区出身。劇団四季の創設者のひとり。 身長168cm。体重60kg。愛称は「ギョブツ」[4]。
2年遅れで慶應義塾普通部に入学、老け顔だったため「御仏」(ぎょぶつ)とあだ名された[5]。慶應義塾高等学校在学中に浅利慶太と出会い、当時同校の英語教師だった劇作家の加藤道夫に師事したことが機縁となって演劇の道を志す。実際の演劇活動は慶應義塾大学文学部仏文科在学中からである。1953年、経済的理由もあって慶應大学を2年で中退し[5]、同じ仏文科の浅利慶太、水島弘、藤野節子、井関一らと劇団四季を結成する。旗揚げ公演は、翌1954年1月のジャン・アヌイ作『アルデールまたは聖女』である。これ以後、劇団四季の主要メンバーとして第一線で活躍した。
舞台を中心に映画出演などでもバイプレイヤーとして活躍、とりわけ声優、ナレーターとしても知られた。1961年NET(現在のテレビ朝日)系で放映された『アンタッチャブル』では、ロバート・スタック演ずるエリオット・ネスを演じた。以後、洋画、ナレーションで活躍し、1986年テレビ朝日系『日曜洋画劇場』で放映された『アマデウス』では、F・マーリー・エイブラハム演ずるアントニオ・サリエリの声をあて、トム・ハルス演ずるモーツァルトをあてた三ツ矢雄二と極めて巧妙かつ丁々発止のやり取りを演じ日下が持つ深みある声の演技を披露した。
名古屋で舞台公演中、倒れるが、その後療養し、2003年には13年ぶりに『ひかりごけ』の舞台に立った。
私生活では2009年に前妻が死去したが、2010年末に同劇団所属の女優の木村不時子と再婚した[2]。
前述のように声優としての経験も豊富であり、当初声の仕事を軽く見ていた野沢那智は日下の『アンタッチャブル』の吹替を見て「上手いなぁ 凄い仕事だなぁ」と唖然とし、後に劇団の借金返済のために声の仕事を始めることになるが日下の吹替を見ていなかったら声優の仕事はやらなかったかもしれないと後年のインタビューで語っている[6]。
※太字は、主役・メインキャラクター。
1962年
1963年
1970年
1974年
1975年
1976年
1981年
1985年
1986年
2001年
2003年
1961年
1964年
1975年
1985年
1996年
日下の死後、その持ち役を引き継いだ人物は以下の通り。
後任 | 役名 | 概要作品 | 代役・後任の初担当作品 |
---|---|---|---|
佐々木省三 | クロード・フロロー判事 | 『ノートルダムの鐘』 | 『キングダム ハーツ 3D [ドリーム ドロップ ディスタンス]』 |
水野龍司 | アントニオ・サリエリ | 『アマデウス』 | ディレクターズ・カット版の追加部分 |
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