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事件 ウィキペディアから
政治家の年金未納問題(せいじかのねんきんみのうもんだい)は、2004年(平成16年)に日本において、その時点での公的年金の加入・納付に関する記録から政治家による公的年金保険料の未納が発覚し問題となった事件。
本項では、公的年金に関する記録・手続等が適正であるのにもかかわらず、政治家が公的年金に加入せず、保険料を納付していなかったことについて述べる。公的年金の記録・手続等が不適正であったため発生した未納に関することについては、年金記録問題、国民年金不正免除問題を参照のこと。
年金未納問題がクローズアップされるなか、年金制度改革を中心に議論がなされていた2004年4月の国会の期間中、複数の閣僚に年金の未納期間のあることが判明した。国会議員は国民皆年金制度発足の1961年度から1979年度までは適用除外、1980年度より1985年度までは任意加入で(国会議員の被扶養配偶者は被用者年金制度の被扶養配偶者と同じく1961年度から1985年度まで任意加入)、1986年度以降強制加入となったが、強制加入時期に年金の未納期間があることが判明した。
その後の調査が進むにつれて、追及していた野党議員にも次々と未納期間のある者が発覚し、官房長官の福田康夫や第一野党である民主党代表の菅直人が辞任に追い込まれるなど、政治家の年金未納問題は一大政局に発展した。国民の年金への不信が高まりつつある中で、年金不信をさらに加速しかねない不祥事であった。
議員年金は互助制度であり公的年金ではないのだが、議員年金に加入していれば「公的年金に加入している」と勘違いをしていた議員もいた。また議員年金の受給資格を満たしていれば退職後に年金受給できるが、国民年金よりも受給額が遥かに高いため、未納が法律違反という点を除けば、受給額と言う面で国民年金などの公的年金に加入するメリットが薄く、未納が刑事事件ではなかったことも公的年金未納に繋がったとされる。年金の議論をしている当人までもが、切り替え手続を忘れるという年金制度の複雑さを浮き彫りにするものでもあった。
この問題に先立って注目されたのが、2004年(平成16年)に、社会保険庁の年金CMに起用された女優・江角マキコの年金未納発覚である。江角は、国民年金未納者を厳しく問い詰めるCMで話題になったが、実際には国民年金保険料を納めていなかったにもかかわらず、確定申告において国民年金保険料を払ったかのような申告をしたことも発覚し(後に修正申告)、その後の確定申告において、社会保険料を納付した領収書の添付が義務付けられることとなった。この一連の報道を機に、年金運営たる社会保険庁の納付状況は、日本国民に注目される所となっていた。
そのような中で、国務大臣を含む政治家に未加入や、未納期間があることが判明(小泉内閣の首相を除く閣僚17人のうち7人に未納・未加入の事実が指摘され、その中の一人である福田康夫は内閣官房長官を辞任した)。さらには江角の証人喚問を要求したり、当初の未納・未加入発覚が発覚した三大臣を、当時の流行歌「だんご3兄弟」になぞらえ「未納三兄弟」と呼ぶなど、年金未納問題批判の急先鋒だった民主党代表・菅直人や、野党最左派である日本共産党所属の議員にも未納・未加入が発覚した。
その結果、2002年(平成14年)度の国民の平均年金未納率を、4ポイントも上回ったことが分かった。以上のような事実を踏まえて、マスメディアによって、日本国政府の政策失政を批判する相当量の報道に、国民の多数が賛同し、国民の年金制度不信、政権不信をさらに加速させた。
追及が及んだのは公職関係者ばかりでなく、公人の年金未納問題を強く批判していたニュースキャスターも、年金未納であることが発覚したため、番組出演を見合わせることとなる例も存在した(筑紫哲也など)。
また、前述の通り国会議員や学生が国民年金加入が任意制だった時期が存在するが、公的年金制度への信頼性が問題化されていたこともあり、法律違反でない任意時代の年金未加入が法律違反である強制加入期の年金未納と同じように問題視されうることもあった。
この問題を受けて、改めて年金の「うっかり未納」の深刻さが認識され、未納年金の後納が認められることとなった。
だが、この国民年金未納問題の個人情報漏洩に関与していたのは社会保険庁の職員であり、社会保険庁職員が誰でも閲覧可能な状態であり、情報管理がずさんだった為に「個人情報が全く守られていない」と批判され、これらの情報を故意(職務外に閲覧のこと)に閲覧したり、マスメディアに情報を社会保険庁の許可なく、故意でリークとして納付情報を漏らし、守秘義務違反をした社会保険庁職員300人に対して、一斉に懲戒処分され、この300名に対し、自民党は2005年(平成17年)12月21日の社会保険庁改革協議で、国家公務員法の分限免職を適用する方針を決めた。
その後、国民年金不正免除問題や年金記録問題が発覚したため、2004年(平成16年)の時点で、記録や手続が正確・適正であったかどうか不明であり、当時の納付記録の誤りにより未納扱いとされてしまった者も含まれている可能性があり、そもそも最初から国民年金の免除申請を認可されていた場合は、未納とはならないので、2007年(平成19年)時点でも、不透明な部分は残っていた。
この問題は当初与党自民党の一部閣僚の問題として発覚、野党民主党の批判を受けたことに端を発する。内閣提出をした責任者である閣僚が年金未納であったことから、年金を議論する資格がないと追及。この時点で、与党側は官房長官であった福田康夫から「個人のプライバシーだ」とのコメントを出し強く反発していた。この対応は多くの国民の不興を買うものだった。しかし数日後には福田自身を含めたさらに多数の閣僚に未納の事実が発覚するとともに、批判する側であった民主党の代表菅直人や野党議員にも発覚した。
この時点で、与野党全体を巻き込まれた形になった。それに対して福田は先手を打つ形で官房長官の引責辞任を発表した。こうして福田は潔く進退を決めたイメージを作るとともに、菅に進退を迫る形となった。菅は社会保険庁のミスを主張したが、民主党内で求心力が低下したため、菅は党代表辞任に追い込まれることとなった(もっとも、社会保険庁は未加入と認定した期間も後に加入期間に訂正し、菅に関しては責任は無いことが小泉首相の答弁書により明らかとなった。ただし、この社会保険庁のミスが発生した時の監督官庁は厚生省で、その時の厚生大臣は菅直人であり、菅が自分の政治的責任を自分で追及したことになる)。
福田が辞任した時点では、すでに懸案であった年金改革法案が衆議院を通過したあとであり、「名を捨てて実を取ったのでは」との批判もある。しかし、政治的には決断を迅速に行ったという点に関しては自民党の勝利であった。なお、後任の官房長官である細田博之は就任早々の会見において年金納入問題に関する質問が出たが、自身の年金納入履歴を答え、年金未納時期がないことを回答している。
民主党では、菅の後継として、党内でもその強い政治力から危険視され、自ら「一兵卒として働く」と宣言した小沢一郎が最有力であった。そして、小沢がその立場を活かして党執行部の刷新を条件に代表就任を受諾するという交代劇が繰り広げられた。
その後、首相小泉純一郎の任意加入期間の年金未加入が発覚、続いて小沢にも任意加入期間の年金未加入が発覚する。ともに任意加入の時期であり法律違反ではなかったが、ここで小沢は代表候補の辞退を表明した。福田の辞任のときとは逆に、自民党側に進退を突きつけた形となったが、小泉の進退問題には発展しなかった。
厚生労働大臣をはじめとする厚労関係議員(副大臣、国会委員長)にも年金未納があり、本国会審議の年金改革法案の成立を巡って、未納状況の公表が遅れるなどの状況がみられた。
以下に、未納期間のあったことが判明している議員を挙げる。貧窮によるものや手続き上のミスも含む(所属などは2004年当時、国会議員分は2004年5月14日読売新聞による)。
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