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日本の政治家 (1935-) ウィキペディアから
平野 貞夫(ひらの さだお、1935年〈昭和10年〉12月1日 ‐ )は、日本の政治家。参議院議員(2期)、参議院財政金融委員長などを務めた。
高知県土佐清水市出身[1]。父は医師。1958年、法政大学法学部法律学科卒業。1960年、法政大学大学院社会科学研究科政治学専攻修士課程修了。衆議院事務局に入局し、園田直の下で副議長秘書、前尾繁三郎の下で議長秘書を務めた後、委員部総務課長、委員部長を経て退職。
1992年7月26日投開票の第16回参議院議員通常選挙に高知県選挙区から無所属(自由民主党、公明党推薦、民社党支援)で立候補し、初当選。国会議員選挙ではそれまでに例のない与党自民党と野党公明党(当時)・民社党(当時)支援の相乗り候補として注目され、小沢一郎と市川雄一によるいわゆる「一・一ライン」の存在が広く知られる契機となる。その後、自民党に入党し、改革フォーラム21の旗揚げに参加。1993年6月22日、小沢一郎に同調する形で自民党を離党し、翌日新生党結成に参加。以後も一貫して小沢と行動を共にし、国会職員出身で国会の実務や運営に通じていることから小沢に重用され、「小沢の知恵袋」と称される[2]。
1994年12月の新進党結党を経て1998年1月、自由党結成に参加。同年7月の第18回参議院議員通常選挙では比例区から自由党公認で立候補し2期目当選。2000年1月より東日本国際大学講師、2003年9月より東日本国際大学客員教授を務めた。2003年9月26日の自由党解散(民由合併)に伴い民主党に合流。2004年7月の第20回参議院議員通常選挙には出馬せず、国会議員生活から勇退し、公職政治家から退いた。
2010年6月には政治団体「日本一新の会」(代表・平野貞夫、顧問・戸田邦司)を結成[3]。2014年、第47回衆議院議員総選挙に生活の党公認で比例東北ブロックに立候補するも落選。その後は旧国民民主党高知県連顧問を務めた[4]。
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