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日本の女優 ウィキペディアから
市毛 良枝(いちげ よしえ、1950年〈昭和25年〉9月6日 - )は、日本の俳優、登山家、タレント。NPO法人日本トレッキング協会理事。
立教女学院では松任谷由実の実姉とクラスメートであった。市毛も松任谷は立教女学院当時から校内で目立っていたといい、市毛と姉は仲良しだったと松任谷が自身のインターネットラジオ『ウィークエンドスペシャル 松任谷由実はじめました』で語っている。 立教女学院中学校・高等学校卒業後[2]、文学座や劇団俳優小劇場の養成所に入り、女優人生をスタートさせる[1]。
1971年、『冬の華』でテレビドラマ初出演[3]。この時から文学座出身の関係で其田事務所の所属となる。
1977年から出演したライオン奥様劇場の『小さくとも命の花は』から始まる初井言榮との一連の「嫁姑シリーズ」は、1984年の『喜劇 女の戦争』まで9作を数えた。このシリーズで演じた新妻のイメージから、「理想の花嫁ナンバー1」「お嫁さんにしたい女優ナンバー1」とも呼ばれた[1]。
1980年に男性誌『GORO』(小学館)でフルヌードを披露して話題となる[1]。
1988年9月に弁護士の小川敏夫と結婚して9年後に離婚する。報知新聞が離婚について「小川の市毛への暴力が原因」と報ずると、小川は名誉棄損とプライバシー侵害で損害賠償と謝罪広告掲載を求めて東京地裁に提訴し、東京地裁は報知新聞社に慰謝料の支払いと謝罪広告の掲載を命じた[4]。
40歳直前の時期にひょんなきっかけで登山も行うようになる(後述)。登山開始から3年後の1993年にはキリマンジャロ登頂。 #登山とのかかわり
俳優業の方は、中年以降は母親役を中心に活躍。
医師であった実父[注 1]が献体を言い残して亡くなり、その解剖結果を父の担当医に報告した時に誘われて登山を始める。それまでスポーツ経験は全くなかった市毛だったが、初めての登山、2泊3日の北アルプス燕岳(2763m)・常念岳(2857m)は非常に楽しいものであった。1999年には自らの経験を題材にした『山なんて嫌いだった』も出版し、環境問題にも関心を持つようになった。同年、環境庁(現環境省)の環境カウンセラーに登録され、田部井淳子率いる環境調査隊に参加した。1993年にはキリマンジャロ登頂。
2007年6月から2008年7月までは、登山ブログ『遊歩の楽しみ ~ 街から山へ、山から街へ』も綴っていた。
大竹まことのゴールデンラジオ(2023年12月4日)文化放送
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