小石川区(こいしかわく、旧字体:小石川區)は、東京府東京市(後に東京都)にかつて存在した区である。1878年(明治11年)から1947年(昭和22年)までの期間(東京15区及び35区の時代)に存在した。現在の文京区の西部。
概要 こいしかわく 小石川区, 廃止日 ...
閉じる
- 小石川諏訪町、小石川新諏訪町(現後楽)
- 西江戸川町、小日向武島町(現水道)
- 小石川江戸川町(現後楽、水道)
- 小日向水道端町一丁目、小日向水道端町二丁目(現水道、小日向)
- 小日向水道町(現水道、小日向、ごく一部は音羽)
- 小石川春日町(現春日、本郷)
- 小石川西富坂町、小石川大門町、小石川金富町(現春日)
- 小石川町(現後楽、春日)
- 小石川大和町(現後楽、春日、ごく一部は水道)
- 小石川水道町(現春日、水道)
- 小石川下富坂町、小石川上富坂町、小石川中富坂町、小石川餌差町、小石川初音町(現小石川)
- 小石川仲町(現春日、ごく一部は小石川)
- 小石川表町(現小石川、ごく一部は春日)
- 小石川柳町(現小石川、西片)
- 小石川指ヶ谷町、小石川白山前町(現白山)
- 小石川掃除町、小石川戸崎町、小石川久堅町(現小石川、白山)
- 小石川林町、小石川大原町、小石川宮下町、小石川丸山町、巣鴨仲町、巣鴨原町一丁目、巣鴨原町二丁目(現千石)
- 小石川原町(現白山、千石)
- 巣鴨駕籠町(現本駒込、ごく一部は千石)
- 小石川大塚町、小石川大塚坂下町、小石川大塚仲町、小石川大塚上町、小石川大塚辻町(現大塚)
- 小石川大塚窪町(現小石川、大塚)
- 小日向茗荷谷町、小日向清水谷町、小日向三軒町、小日向台町一丁目、小日向台町二丁目(現小日向)
- 小石川同心町、小日向第六天町(現春日、小日向)
- 小日向台町三丁目(現小日向、音羽)
- 小石川竹早町(現小石川、ごく一部は小日向)
- 音羽一丁目、音羽二丁目、音羽六丁目、音羽七丁目、音羽八丁目、音羽九丁目(現音羽)
- 音羽三丁目(現音羽、ごく一部は目白台)
- 音羽四丁目、西青柳町(現音羽、目白台)
- 音羽五丁目(現音羽、ごく一部は小日向)
- 桜木町(現音羽、ごく一部は関口、小日向)
- 東青柳町(現大塚、音羽)
- 小日向東古川町、小日向西古川町、小日向松ヶ枝町、小日向町、関口水道町、関口駒井町(現関口)
- 高田老松町、高田豊川町、雑司ヶ谷町(現目白台)
- 関口町、関口台町(現関口、目白台)
- 新小川町一丁目、新小川町二丁目、新小川町三丁目(現新宿区新小川町)
- 巣鴨町一丁目、巣鴨町二丁目、巣鴨町三丁目、巣鴨町四丁目(現豊島区巣鴨)
- 1880年(明治13年)9月 - 新小川町一丁目、新小川町二丁目、新小川町三丁目を牛込区に編入。
- 1889年(明治22年)5月1日 - 市制、町村制の施行に伴う東京市の設置により、以下の再編が行われた。
- 巣鴨町一丁目、巣鴨町二丁目、巣鴨町三丁目、巣鴨町四丁目、小石川大塚辻町飛地を北豊島郡巣鴨町に編入。
- 高田老松町、高田豊川町、雑司ヶ谷町の各一部を北豊島郡北豊島郡高田村に編入。
- 北豊島郡の以下の5村の各一部を編入(カッコ内は残部の編入先)。1891年まで「区」の中に「村」が存在していた。
- 小石川村(高田村)
- 雑司ヶ谷村(高田村)
- 巣鴨村(高田村、巣鴨町、巣鴨村)
- 高田村(高田村、戸塚村)
- 1891年(明治24年)
- 小石川村の一部の区域に小石川氷川下町(現大塚、千石)、小石川村と久堅町のそれぞれ一部の区域に白山御殿町(現白山、小石川)を設置。
- 巣鴨仲町、巣鴨原町、巣鴨駕籠町を、それぞれ小石川西丸町、小石川西原町、小石川駕籠町に改称。
- 1911年(明治44年)
- 小日向台町と小日向水道町を除き、町名の「小石川」「小日向」の冠称を廃止。
- 小石川春日町の全域、小石川町の一部の区域に春日町一丁目、春日町二丁目、春日町三丁目(現春日、後楽、小石川、本郷)を設置。
- 1921年(大正10年)10月 - し尿処理が公営化される。料金は1荷(2樽)で10銭[1]。
- 1925年(大正14年) - 掃除町を八千代町に改称。
- 1931年(昭和6年) - 関東大震災(大正12年)で焼失を逃れたことにより「不良住宅地区」(湿地・窪地・袋地などに貧しい長屋が建ち並ぶ地域)の震災復興事業がなされず、東京で最も不良住宅地区が多い区となる[2]。
- 1940年(昭和15年)
- 小石川町を小石川町一丁目、小石川町二丁目に分割。
- 西富坂町、下富坂町、上富坂町、中富坂町、餌差町の全域と、仲町の一部の区域に富坂一丁目、富坂二丁目を設置。
- 1943年(昭和18年)7月1日 - 東京都制が施行され、東京市と東京府が廃止され、東京都を設置。
- 1947年(昭和22年)3月15日 - 本郷区と合併して文京区を新設。
- 空襲からの被害を免れた小石川区役所庁舎が文京区発足後、文京区役所本庁舎として利用された。その後建て替えられ1959年(昭和34年)2月に、文京区総合庁舎が完成し、湯島の旧本郷区役所にあった分庁舎を統合、さらに1999年(平成11年)に現行の文京シビックセンターが竣工している。
→現文京区の著名な出身者については「
文京区」を参照
出典
下川耿史 『環境史年表 明治・大正編(1868-1926)』p344
『東京大学が文京区になかったら: 「文化のまち」はいかに生まれたか』伊藤毅、 樺山紘一、 初田香成、 橋元貴、 森朋久、 松山恵、 赤松加寿江、 勝田俊輔、NTT出版, 2018, p100