旧制女子専門学校

日本において学校教育法が施行される前の高等教育機関 ウィキペディアから

旧制女子専門学校(きゅうせいじょしせんもんがっこう)は、学校教育法が施行される前の日本において、中等教育を修了した女子に対して専門教育を行っていた旧制高等教育機関専門学校令に基づく旧制専門学校の一種で、歴史的には多くの私立女子大学女子短期大学、一部の公立大学の源流と位置づけられている。

概要

女子専門学校は、高等女学校(5年制)卒業者を対象に、修業年限3年(本科。医科は4年乃至5年、夜間部は修業年限4年)で設置された[注釈 1]。高等女学校(4年制)卒業者を対象とした予科(修業年限1年)を設けた学校もある。女子専門学校は高等女学校の専攻科をその前身としているところが多い。設立主体は公立(府県市立・道庁立)・私立のみ(それも大半が私立)で、官立学校は存在しない。設置学科は国文・家政関係の学科が大半であるが、医学・薬学・看護関係の学科主体の学校も無視できない。

旧制の学制下の女子に対する教育機関としては、大学令による大学として女子学生を受け入れる女子大学が設置されなかったため、専門学校令による女子専門学校は、女子高等師範学校[注釈 2]とならんで、最も上位の高等教育機関として位置付けられる[注釈 3]

第二次世界大戦後の学制改革に際しては、単独で新制女子大学女子短期大学に昇格するか、他の学校と統合して共学制の総合大学になる道を選んだものがほとんどである[注釈 4]。後者の場合、女医専を除く女専は新たに発足した新制大学の家政学部生活科学部の構成母体となっているケースが多い。また、現存する公立大学のなかでも都道府県立大学は、戦前以来の公立旧制女専の伝統を引き継ぐ大学が多い。

なお女子医専については、戦後の教育改革の一環として医学教育を大学のみに一本化する過程で医学専門学校が大学令によって旧制医科大学に昇格したが、その中に含まれていた東京女子医学専門学校(現・東京女子医科大学)・大阪女子高等医学専門学校(大阪女子医科大学を経て現・関西医科大学)・名古屋女子医学専門学校(名古屋女子医科大学を経て現・名古屋市立大学)の3校は、初めての(そしてこれら3校のみが)大学令に基づく女子大学という性格をも帯びている。なお、「大学」の名称は先に東京女子大学や日本女子大学校が使用していたが、この2校も法令上は専門学校であった。男子の学校でも、例えば早稲田大学は1901年に東京専門学校から早稲田大学に改称するが、法令上は専門学校であり、1920年の大学令の施行により大学に昇格しているが、女子専門学校は、戦後の女子医専を除き大学令による大学への昇格はなかった。 Thumb

公立

医学

私立

要約
視点

第二次世界大戦終結前に大学令によって設置された女子大学は存在しないが、前述の通り女医専が新制医科大学に移行する過程で、大学令による旧制医科大学になった事例がある。日本女子大学校東京女子大学の2校は例外的に創立時から大学(校)を称していたが、この場合も法令的には専門学校令による専門学校として分類される。

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同志社女子専門学校の洋裁の授業風景(昭和5年)

医・歯・薬学

看護

商業

農芸

体育

参考文献

  • 文部省大学学術局技術教育課 編(寺崎昌男・久木幸男 監修)『専門学校資料 上・下』(日本教育史基本文献・史料叢書62) 大空社 1998年12月25日発行。ISBN 487236662X

脚注

関連項目

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