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日本のプロレスラー (1967 - ) ウィキペディアから
小橋 建太(こばし けんた、1967年〈昭和42年〉3月27日 - )は、日本の元男性プロレスラー。本名及び旧リングネームは:小橋 健太(読み同じ)。京都府福知山市出身。血液型B型。
全日本プロレス及びプロレスリング・ノアに所属。
全日本プロレスの運営会社・全日本プロ・レスリングの取締役、プロレスリング・ノアの運営会社・株式会社プロレスリング・ノアの取締役、取締役副社長を歴任し、2013年に個人事務所「Fortune KK」を設立して代表取締役となった。
1990年代後半から2000年代を代表するプロレスラーの1人で、東京スポーツ主催のプロレス大賞、日刊スポーツMVPなど、多くの受賞経験を持つ。
リングネームは全日本プロレス所属まで本名の「小橋健太」だったが、2000年にノアが創設されたのを機に、新しい自分と新しい団体を建てるという意味を込めて「小橋建太」に改名。
2006年7月18日の高山善廣復帰戦に際し、小橋と高山がタッグを組むことで話題を集めたが、2006年6月29日、精密検査で腎臓癌が見つかり、手術・治療のため長期欠場。7月に腹腔鏡下手術を行い、無事成功。189日後の12月10日の日本武道館大会に姿を見せ近況を報告。2007年10月27日の日本武道館大会に姿を見せて、復帰戦の対戦カードを自ら発表。そして12月2日の日本武道館大会で、546日ぶりとなるリングに復帰した。2008年の上半期は会場限定で出場を行い、2月26日にデビュー20周年記念試合が行われた。その後、海外遠征やイベント、単発興行にも出場。8月シリーズより全戦出場を果たしたが、9月9日に右腕遅発性尺骨神経麻痺、両肘関節遊離体により再び欠場、手術を行った。欠場中も、サイン会、撮影会、トークショーには参加していた。2009年3月1日の日本武道館大会で176日ぶりに復帰し、復帰戦では勝利を収めた。2010年1月5日に肘部管症候群によりシリーズ欠場を発表した。
2010年6月21日、同年秋に演歌歌手のみずき舞と結婚することを発表。同年10月2日に挙式[3]。
2011年6月13日、三沢光晴メモリアルナイトが行われた、大阪府立体育会館第二競技場大会の前半戦終了後リングに姿を現し、翌月7月23日に大阪府立体育会館で行われる「GREAT VOYAGE 2011 in OSAKA」大会での復帰を発表した。
2012年2月19日、仙台サンプラザホールでの東日本大震災復興支援チャリティープロレス「ALL TOGETHER 〜もう一回、ひとつになろうぜ〜」の試合中、左脛骨骨折と右膝内側側副靭帯損傷ならびに右脛骨挫傷を発症し、欠場に入る[4]。
同年12月9日、現役からの引退を表明した[5]。2013年5月11日、日本武道館で開かれた引退興行「FINAL BURNING」にて、引退試合を行った。
2014年6月8日、自身のプロデュース興行「Fortune Dream 1」を開催。12月10日、後楽園ホールで「Fortune Dream 2」を開催した[6]。以降、「Fortune Dream」を定期開催している。
2014年11月1日、現役時代に培ったプロレス流トレーニングを“日本の健康作り”と題して協栄グループと開発。
一般向けにアレンジしたトレーニングメソッドを「小橋建太監修プロレスエクササイズチャレンジ」(略:K-PEC)と題し横浜市緑区、協栄スポーツクラブ十日市場のスタジオにて開講。プロレス流トレーニングにて人々の健康作りを行っている。
2015年5月11日、プロボクサー兼モデルの高野人母美とともに尚美学園大学総合政策学部ライフマネジメント学科の講師に就任し、6月より2016年3月まで月1回の割合で教壇に立つことが発表された[7][8][9]。同年8月12日、第1子となる女児が誕生した[10]ことを妻の所属事務所を通じて発表した[11]。
この節に雑多な内容が羅列されています。 |
小細工を使わずにひたすら相手の技を受けてチョップ、ラリアット、スープレックスで試合を作る。数ある技の中で、フィニッシュ・ホールドとして使用されたことが多かったものはラリアットである。大一番に限りバーニング・ハンマーがフィニッシュとなることも多かった。
癌闘病からの復帰後はフットワークの衰えが顕著となり、よりチョップを主体とした動きの少ないファイトスタイルとなった。
このプロレスラーの人物像に関する文献や情報源が必要です。 (2008年3月) |
プロレス界における小橋の絶対的な人気は、激しい試合内容だけでなくその人柄に拠る所が大きい。以下、小橋の人柄を表すエピソードを記す。
小橋には昔から数々の通り名があり、小橋の成長・立ち位置の変化に伴って変わっていっている。以下、歴史順に記していく。
ノア以降、ハロウィン興行やクリスマス興行等で普段のハードな試合展開とはかけ離れた楽しく夢のある興行を打つようになる。それに伴い小橋もいくつかのキャラクターをその場限定で演じることがあった。以下それらを記していく。
秋山準は全日本入門より小橋の下でトレーニングを積んでいたが、付き人にはなっていない。
小橋建太引退記念試合『FINAL BURNING』8人タッグマッチ 60分1本勝負 | ||
○小橋建太 武藤敬司 秋山準 佐々木健介 |
39分59秒 ムーンサルトプレス→体固め | KENTA 潮崎豪 金丸義信● マイバッハ谷口 |
第6試合『Four Men GET Together』スペシャルタッグマッチ 60分1本勝負 | ||
●丸藤正道 鈴木みのる |
18分26秒 エベレストジャーマンスープレックスホールド | 高山善廣○ 大森隆男 |
第5試合『NOAH vs NJPW』スペシャル6人タッグマッチ 60分1本勝負 | ||
杉浦貴 モハメド・ヨネ ●齋藤彰俊 |
14分23秒 ハイフライフロー→片エビ固め | 棚橋弘至○ 永田裕志 小島聡 |
第4試合『J's Spirits vs Revolution』スペシャルタッグマッチ 30分1本勝負 | ||
森嶋猛 ●井上雅央 |
8分38秒 横入り式エビ固め | 天龍源一郎 小川良成○ |
第3試合『BURNING vs BURNING』タッグマッチ 30分1本勝負 | ||
本田多聞 ●志賀賢太郎 |
11分29秒 エンドレスワルツ | 鈴木鼓太郎○ 青木篤志 |
小橋建太引退セレモニー | ||
主な花束贈呈来場者:川田利明、蝶野正洋、百田光雄、野田佳彦元内閣総理大臣、伍代夏子、徳光和夫、テリー伊藤、福澤朗、井浦新、倉持明日香(AKB48)、馳浩、力皇猛、田上明 レターメッセージ:ジョン・ロウリネイティス(旧:ジョニー・エース) VTRメッセージ:スタン・ハンセン | ||
第2試合『This is the NOAH Junior』タッグマッチ 30分1本勝負 | ||
●SUWA 平柳玄藩 |
8分45秒 450°スプラッシュ→体固め | 石森太二○ 小峠篤司 |
第1試合『Feel the Dengerzone』15分1本勝負 | ||
○渕正信 | 6分21秒 バックドロップ→体固め | 熊野準● |
開会宣言:ハヤブサ | ||
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