吉良町
日本の愛知県幡豆郡にあった町 ウィキペディアから
日本の愛知県幡豆郡にあった町 ウィキペディアから
2011年(平成23年)4月1日に西尾市に編入合併された。吉良の名は青鳥山周辺の地質にみられる斑れい岩を貫くペグマタイトの中に白雲母(キララ)があり採取も行われていたことに由来にする[1]。中世には足利氏族の東条吉良氏が領主を務めた。
三河湾に面していた。海上には無人島の梶島がある。
江戸時代、町域は西尾藩、大多喜藩、沼津藩、川越藩、寺社、旗本といった様々な領主の下にあった。江戸時代初期の著名な領主に高家旗本吉良義央がいた。
第一次産業が盛んな町であり、北部横須賀地区の農業、南部吉田地区の漁業に大別される。このうち農業は花卉(かき)園芸や野菜の栽培が盛んであり、漁業は三河湾内の沿岸漁業やアサリ・海苔の養殖が中心である。工業も吉田港で水揚げされる海産物の加工品に関連したものが中心である。矢作古川河口付近には塩田があり製塩業も行われたが、1970年に廃止された。
沿岸部の観光も主要な産業である。幡豆山地がそのまま突き出た宮崎海岸は岩石海岸として風光明媚を誇る。また、温泉が沸くために吉良温泉として保養地となっている。
中心駅は名鉄西尾線と蒲郡線の吉良吉田駅があり、西尾線は北に向かって、蒲郡線は東に向かって伸びている。蒲郡線ではワンマン運転が実施されている。碧南市方面には西に向かって三河線が通じていたが、2004年3月31日に廃止され、現在は沿線だった2市2町から運行委託された名鉄バス東部(名鉄バス)によるふれんどバス(代替バス)が運行されている。道路交通としては、国道247号が町の中心を東西に貫いている。
2011年(平成23年)の合併時点では名鉄西尾線と蒲郡線が通っていた。かつては西尾線上横須賀駅、東富田駅、三河荻原駅、吉良吉田駅、蒲郡線、宮崎口駅の5駅が存在していたが、1969年(昭和44年)には東富田駅が廃止され、1970年(昭和45年)宮崎口駅が廃止され、2006年(平成18年)には三河荻原駅が廃止されたため、2011年(平成23年)時点で残っていたのは上横須賀駅と吉良吉田駅の2駅である。2004年(平成16年)までは吉良吉田駅から一色町や西尾市方面へ行く三河線も存在した。吉良町役場は三河荻原駅の近くに存在し、三河荻原駅が廃止されてからは吉良吉田駅が最寄り駅であった。
昭和30年代の映画黄金期、吉良町には映画館の横映劇場と吉田座があった。なお、1960年(昭和35年)の幡豆郡には、幡豆映画劇場(幡豆町)、朝日座(一色町)、一色映画劇場(一色町)も含めて5館の映画館があった[注 1]。
吉良町ウェブサイトでは下記の3人を「吉良三人衆」として紹介している。
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Every time you click a link to Wikipedia, Wiktionary or Wikiquote in your browser's search results, it will show the modern Wikiwand interface.
Wikiwand extension is a five stars, simple, with minimum permission required to keep your browsing private, safe and transparent.