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日本の岐阜県恵那郡にあった町 ウィキペディアから
上矢作町(かみやはぎちょう)は、かつて岐阜県恵那郡にあった町である。2004年(平成16年)10月25日に合併によって(新)恵那市が発足し、同日に自治体としての上矢作町は廃止された。恵那市の町名として上矢作町が設定された。
かみやはぎちょう 上矢作町 | |||||
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達原渓谷の「海」 | |||||
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廃止日 | 2004年10月25日 | ||||
廃止理由 |
新設合併 恵那市、岩村町、山岡町、明智町、串原村、上矢作町 → 恵那市 | ||||
現在の自治体 | 恵那市 | ||||
廃止時点のデータ | |||||
国 | 日本 | ||||
地方 | 中部地方、東海地方 | ||||
都道府県 | 岐阜県 | ||||
郡 | 恵那郡 | ||||
市町村コード | 21571-6 | ||||
面積 | 130.96 km2 | ||||
総人口 |
2,525人 (推計人口、2004年10月1日) | ||||
隣接自治体 | 中津川市、岩村町、山岡町、明智町、串原村、平谷村、根羽村、稲武町 | ||||
町の木 | ヒノキ | ||||
町の花 | ツツジ | ||||
上矢作町役場 | |||||
所在地 |
〒509-75 岐阜県恵那郡上矢作町本郷1805-2 | ||||
座標 | 北緯35度18分02秒 東経137度30分11秒 | ||||
ウィキプロジェクト |
岐阜県の南東端に位置する恵那市の南東部を構成する地区であり、長野県と愛知県に接する。美濃三河高原に属すが、北部の焼山などは木曽山脈の延長部にあたる。面積の95%が山林であり、人工林の割合も高く、かつては林業が基幹産業として成立していたが、現在は衰退しており過疎化が進んでいる。
夏は冷涼であり、冬は乾燥して寒冷である。
地名の由来である矢作川の各支流が町内を流れ、愛知県との県境で本流と合流している。集落はおしなべて谷底の小規模な河成段丘に形成されている。
平安時代から戦国時代末期まで、この地域は恵那郡遠山荘の一部だった。岩村城を本拠地とする地頭の遠山氏の領地。
天文23年(1554年)8月には遠山氏が武田氏に臣従した。武田信玄は伊那の下条信氏に恵那郡上村を与えた。元亀3年(1572年)12月には、甲斐と信濃の武田軍が、遠山氏の本拠地であった岩村城の遠山景任を攻撃するために上村に侵入し、遠山氏と武田氏との間で上村合戦が行われた。
天正13年(1586年)には美濃国を震源とする天正大地震が起こり、達原字荒で大規模な山体崩落が発生し、上村川が堰き止められて天然ダム湖が形成された。現在の上矢作町達原に海と言う地名があるのは、その名残である。
江戸時代のこの地域は岩村藩領だった。享保6年(1721年)、上村川上流の下伊那郡平谷村で大洪水が発生し、達原の天然ダム湖が決壊し失われた。
上矢作町に高等学校は存在しなかった。岐阜県立の高校(普通科は東濃学区)の他、隣接県特例で愛知県立田口高校稲武校舎(2008年3月閉校)への志願も可能だった。
上矢作町には鉄道がなかった。鉄道の最寄駅は明知鉄道明知線岩村駅。
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