Loading AI tools
日本の女性声優 (1956-) ウィキペディアから
佐々木 るん(ささき るん、1956年[6]3月21日[2][7] - )は、日本の女性声優。東京都杉並区荻窪生まれ、福島県伊達郡梁川町(現:福島県伊達市)出身[2]。
本名・旧芸名は佐々木 由美子(ささき ゆみこ)[1]。
東京都杉並区荻窪に生まれ、3歳の時に父の故郷の福島県伊達郡梁川町(現:福島県伊達市)に育つ[2][8]。酒屋の娘である[2]。
幼少の頃は無口で保育園から無断早退するなど集団生活は苦手だったという[5]。小学校の学芸会で主役に選ばれたことを機に演じることに興味を持ち、放送部のアナウンサーや児童会長を経験し、全校生徒の前で話せるほどになった[5]。
『奥さまは魔女』にて主役を演じていたエリザベス・モンゴメリーの声をあてていた北浜晴子に憧れを抱いていた[5]。後に声優となり、北浜と共演した折に電車で一緒に帰った際にはその地声にも感動した[5]。
ラジオの深夜放送の全盛期であった中学時代から福島県立保原高等学校[2]時代はラジオ・パーソナリティの落合恵子が好きであった[5]。落合がアクセントの違いにとても苦しんでいだ取材記事を読み「え~っ!こんなに完璧に話せる人でもすごい努力をしたんだ。私もがんばろう」と励まされた[5]。
幼い頃に東京から福島に引越したため、アクセントでは苦労していた[5]。大学の放送研究会で先輩から一語一句直され、笑われ、半年以上まったく話せなくなった暗い時期があり、金田一春彦の 『日本語アクセント辞典』 をバイブルのように持ち歩き、人と話をしている時にも「正しい標準語」を確認していた[5]。
大学時代はごく普通の女子大生であったが、アルバイトで映画のスクリプターを始めたあたりから方向が変わっていった[9]。アルバイト先で出会った酒井辰雄に連れられて見に行っていた映画『モロッコ』のワンシーンが、「芝居ってスバラシイ」と思わせるきっかけになった[9]。それ以来、300円の安い映画を学校をサボっては見歩いていた[9]。その時は洋画の魅力に熱中して、「映画を創る仕事もいいな」と思ったこともあったが、専門学校東京アナウンス学院に1年ほど通ううちに声の仕事を少しずつくれるようになった[5]。ウルトラマン・ショーのお姉さん、ヤマハの子供ショー、水族館のショーの司会などを通して、子供たちの前での舞台度胸をたくさんつけてくれたという[5]。
大学2年生の時、ビクターと文化放送主催の「アマチュア DJ コンテスト」に応募[5]。それまではある月の2位で、「1位にどうしてなれなかったんだろう」、「顔のせいかなあ?」、「審査員はどこで1位と2位の差を決めるのかなあ?」と悔しさが残っていたという[5]。
その後は毎月コンテストを見に行き、「しゃべりの『うまさ』だけでなく、しゃべりの内容に人の心をがっちりととらえる『何か』が大事なのだ」と1位に選ばれた人物の共通点に気づいた[5]。1年後、合計24人の中から年間グランプリに選ばれ、その後は、ナレーションの仕事が少しずつ増えて、海外の子供たちのために文部省が作っていた通信教育用テープの教科書朗読と進行役のナレーションの仕事を10年以上させてくれた[5]。自分の声が「地球の裏側にいる日本人の子供たちにとって大事な教材なのだ」と知り、大きな責任とやりがいを感じた仕事で、少しずつ少しずつ、自分の「やりたいこと」が「やれそうなこと」に変わっていきつつあった頃だと語る[5]。
大学4年生の頃はひどい就職難で、受けていた放送局3局すべて2次、3次試験で不合格で、岩手県に重役面接までいった局があったが、出生地の東京都への憧れと執着があった[5]。
そんな時、ヤマハの子供ショーでゲストに来ていた落語家から「君は声がかわいいんだから、声優さんになればいいじゃない。知り合いに声優さんがいるから紹介してあげるよ」と言われ、青二プロダクションに所属していた大竹宏を紹介された[2][5]。始めて職業としての声優を知り、「声優ですかぁ?え~っ!マンガの声?ん~、あぁ、洋画の吹き替えもあるかぁ!面白いかも!」と、声優の仕事のイメージが「アニメーションの声」ではなく、好きな映画の女優の吹き替えができるとういうイメージに膨らんだ[2][5]。その後、青二プロダクションのメンバーとも親しくなり、特に富田耕生、富山敬らからかわいがられ、色々とアドバイスを受けた[2]。この先輩の勧めで、東京俳優生活協同組合付属養成所に入所し、本格的に勉強していた[2]。その頃、『宇宙戦艦ヤマト』が大ブレイクしていたが、アニメ声優ブームの真っ盛りだったことは無知だった[5]。ただ単純に、「いいかも!私、好きかも!」と、毎日色々なアニメスタジオを見学する声優修行を始める[5]。毎週見学していたスタジオでは石丸博也がヒーローを演じており、「なんて迫力ある声の演技なんだろう」と感銘を受け、舞台出身の俳優が声優の仕事もしていることを知った[5]。後にその相手役を演じる日が来ることは、想像もできなかったという[5]。
法政大学文学部英文科卒業[1][2]。映画の記録係を経て、東京俳優生活協同組合付属養成所に通いながら、小劇団で舞台活動をした[1]。そんなある日、同期生に勧められた[5]1979年に第1回ニッポン放送アマチュア声優コンテスト1位を獲得して[9]、ラジオドラマに出演した。当時は、弟は高校放送コンテスト全国大会に番組制作で入賞するなど編集が得意だったため、ナレーションのいいところだけをつないで仕上げてくれたおかげで決勝10人に残った[5]。男女一人ずつの新人声優として選ばれて、プロの声優としての活動を始める[5]。アニメでのデビュー作は『さるとび佐助』の雪乃姫役になる[1]。
1983年、オーディションを受けて抜擢された役である『クラッシャージョウ』 のヒロイン、アルフィン役を演じてブレイク[5]。その後は20年にわたり多数のアニメ、映画、テレビ番組などに出演していた[5]。
ぷろだくしょんバオバブに所属し[9][7]、大沢事務所[10]へと移籍したが、のちにフリーランスで活動。
艶やかな声を持つ[11]。
学生時代のニックネームは「ユーミン」[注 1]。芸名の名付け親は、当時ニッポン放送のプロデューサーだったドン上野こと上野修で、手塚治虫の漫画のタイトル『るんは風の中』からとられた[1][12]。
中学時代はバレーボール部に所属しており、その後は、50メートルの平泳ぎで4人で泳いでいたが2位になったことがある[1]。高校時代はラジオ・ドラマを作るのが好きで、放送研究会に所属していた[1]。自分でもシナリオを書いたりして、NHKの放送コンクールで入賞したこともあった[1]。
好きな音楽はバーブラ・ストライサンド、宇崎竜童[1]。
1983年時点で車の免許を取り、乗っている車は旧型のファミリアで、「アルフィン号」と名前を付けたという[1]。
声優の職業についていなかったら、シナリオライターのような、何かを書く仕事がしたかったという[1]。
兄と弟がいる[1]。
アメリカ移住後は一部の持ち役を降板している。
後任 | キャラクター名 | 概要作品 | 代役・後任の初担当作品 |
---|---|---|---|
佐久間紅美 | ヴァネッサ・レイアード | 『超時空要塞マクロス』 | PS2版 |
ミムジィ・ラース | 『超時空世紀オーガス』 | 『スーパーロボット大戦Z』 |
太字はメインキャラクター。
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Every time you click a link to Wikipedia, Wiktionary or Wikiquote in your browser's search results, it will show the modern Wikiwand interface.
Wikiwand extension is a five stars, simple, with minimum permission required to keep your browsing private, safe and transparent.