Loading AI tools
ウィキペディアから
中村 竹弥(なかむら たけや、1918年(大正7年)7月11日 - 1990年(平成2年)5月28日)は、日本の俳優。東京市浅草区(現・東京都台東区)出身。妻は女優の花柳小菊。
父は七代目市川中車門弟の市川百太郎(のちの松本麗三郎)。旧制今戸小学校(現・台東区立桜橋中学校)卒業後、歌舞伎役者の中村竹三郎に弟子入り。昭和8年、15歳のとき浅草宮戸座で初舞台を踏む。
尾上菊五郎劇団、松竹移動国民劇、民衆座で長い下積み生活を送っていたが、1953年のテレビ開局に伴い、テレビ時代劇に進出、KRテレビの専属俳優となり、以後『半七捕物帳』(1956年)、『右門捕物帖』(1957年)、『旗本退屈男』(1959年)、『新選組始末記』(近藤勇役 1961年)、『丹下左膳』(1965年)など同局の人気ドラマに次々と主演し、草創期のテレビ時代劇を代表する俳優となった。歌舞伎出身で、テレビが生んだ時代劇スターの第一号といわれる。
1966年以降はTBSの専属を離れ、時代劇を中心に存在感のある脇役として活動した。日活/東京12チャンネルで1970年にスタートした『大江戸捜査網』の「御前」こと旗本寄合席隠密支配・内藤勘解由はあたり役となり、一般には「内藤のお殿様」と呼ばれるほどの人気を博し、1981年まで演じた。『大岡越前』では鳶職の親方で、町火消の頭伊三郎を長く演じ、『水戸黄門』では家老といった重厚感のある脇役を多く演じていた。
名古屋・御園座の「細川たかし公演」に出演中の1990年1月に体調を崩し、同舞台を降板、その後、体調はさらに悪化し同年5月20日に国立医療センターに入院するが、5月28日午前10時52分に心不全のため帰らぬ人となった(満71歳)[1]。
他
他
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Every time you click a link to Wikipedia, Wiktionary or Wikiquote in your browser's search results, it will show the modern Wikiwand interface.
Wikiwand extension is a five stars, simple, with minimum permission required to keep your browsing private, safe and transparent.