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日本の俳優・演出家(1922−1983) ウィキペディアから
桑山 正一(くわやま しょういち、本名の読みは「まさかず」、1922年8月16日[1] - 1983年9月4日[2])は、昭和期の俳優・演出家。元劇団民衆舞台所属。2男1女あり、長男は桑山正道(舞台監督・舞台プロデューサー)、次男は桑山和之(映画プロデューサー)。
東京市本所区(現在の東京都墨田区)出身。1943年に日本映画学校演技科を卒業し[1]、戦争中は砲兵隊に所属して終戦時には仏領インドシナ(現ベトナム)で武装解除になり捕虜となる[1]。戦後、帰国後しばらく自由労働者をした[1]後、木下順二が主宰する劇団「ぶどうの会」に参加[1]。劇団の創立メンバーとして、看板女優・山本安英の主演による『夕鶴』の与ひょう役をはじめ数々の舞台に出演した。
ぶどうの会解散後の1965年には自身が代表を務める「民衆舞台」を創設する。主任演出家も兼ねた座長として演劇活動を続ける。主な舞台として「敗戦シリーズ」でメッセージ性の強い作品と「民話の囲炉裏寄席」としてぶどうの会の流れをくむ作品を手がける。また映画やテレビドラマにも数多く出演した。飄々とした善役から憎々しい悪役まで、幅広い役柄を演じる個性派の名バイプレイヤーとして活躍した。1983年9月4日、自宅で急に具合が悪くなり救急車で搬送されたが、心不全のため東京都文京区の日本医科大学付属病院で死去した[3]。『瀬戸内少年野球団』の春のシーンの撮影を残しての急死であったが、篠田正浩監督の意向で残ったシーンの設定を変えて、遺作として残す。61歳だった。
・孤島の太陽(1968年、日活)-田村
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