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日本の俳優、声優、演出家 ウィキペディアから
壤 晴彦(じょう はるひこ、1948年[4]1月25日[3] - )は、日本の俳優、声優、演出家。京都府京都市出身[2]。ヘリンボーン所属[3]。
京都府京都市出身[2]。実家は料亭を経営していた[5]。京都市立堀川高等学校[6]、同志社大学経済学部卒業[2]。
高校時代に惚れ込んだ狂言大藏流、茂山千五郎(現茂山千作・人間国宝)に弟子入りし師事。だがある時、「毎日お狂言の稽古の声が聞こえてくるような環境に育った者が相手では、もうどうにもならない」と考えたことがきっかけで狂言からは離れる[5]。
狂言を離れてからも「芝居はやりたい」という思いがあり、別の側面から興味を持っていたフランス演劇をしようと劇団四季に入団。初舞台は『イエス・キリスト・スーパースター』のペテロ役[5]。また、入団してからは声優としても活動。
その後はフリーとなり、大沢事務所を経て、現在はヘリンボーンに所属。
蜷川幸雄演出による、シェイクスピア作『テンペスト』(1988年エディンバラ国際演劇祭、1992年ロンドン・バービカンセンター)や、三島由紀夫作・『近代能楽集 卒塔婆小町』(1990年イギリス・エディンバラ国際演劇祭批評家賞を受賞)等に主演。
1992年、演劇研究室『座』(現:演劇倶楽部『座』)を設立。現代版浄瑠璃「詠み芝居」という新ジャンルを創出。定期公演を続けながら後進の指導にあたっている。
1993年演出活動開始。1997年“語りすと平野啓子”「語りの世界“鶴八鶴次郎”」演出で文化庁芸術祭大賞を受賞。2002年ニッセイファミリーフェスティバル・ミュージカル『赤いろうそくと人魚』『りゅうの目のなみだ』、神奈川国際芸術フェスティバル・オペラ『遠い帆』ほか、全国の市民ミュージカルをサポート。
1994年のイギリス・ロイヤル・シェイクスピア・カンパニー(RSC)プロデュース『ペール・ギュント』には、唯一の日本人キャストとして参加。『ザ・ロッキーホラーショウ』などのミュージカル作品出演も多い。
NHKの「大河ドラマ」や「連続テレビ小説」演技コーチ、リアス三陸気仙沼大使、日本朗読文化協会顧問、大阪芸術大学の講師[7] なども務める。
主な出演舞台は、『ハムレット』(2003年、ジョナサン・ケント演出)、カルチュラル・オリンピアード参加作品『オイディプス王』(2004年、蜷川幸雄演出)、ニューヨーク・リンカーン・センターフェスティバル招待作品『近代能楽集 卒塔婆小町』(2005年、蜷川幸雄演出)、『タイタス・アンドロニカス』(2006年、蜷川幸雄演出)など。
ジェフリー・ラッシュやジョン・マルコヴィッチ、J・K・シモンズ、ジェフ・ブリッジスの吹き替え、『ライオン・キング』のスカー、『バグズ・ライフ』のホッパーといったディズニー作品では悪役など様々な役を演じている。活動を始めてしばらくは「絶対にレギュラーは取れない」と言われるほど舞台の仕事が多忙だったため、CMナレーションの仕事が多かったという[5]。好きな作品である『風の谷のナウシカ』のナウシカ役である島本須美と初共演した思い出から、2019年には「遡れるならうんと早く声の仕事始めてて関わりたかった」と綴っている[8]。
子供の頃は歌舞伎の女形役者になりたかったが、2代目中村鴈治郎に背が高いことから立役しかできない可能性を示唆され断念している[5]。
母親の影響で映画好きであり、大学進学まで二浪していた間は1年に250本ほど観ていたという[5]。
声優業で印象深かった役に『コン・エアー』吹替版のジョン・マルコヴィッチを挙げている。また、『ライオン・キング』のスカー役は影響力の大きさに驚いたという[5]。
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