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フランス、イタリアの映画作品 ウィキペディアから
『グラン・ブルー』(Le Grand Bleu)は、1988年に公開されたフランスとイタリアの合作映画。監督はリュック・ベッソン。
フリーダイビングの世界記録に挑む2人のダイバーの友情と軋轢、そして海に生きる男を愛してしまった女性の心の葛藤を描く海洋ロマン。
10代からダイビングに親しんできたベッソン監督が、長年の夢だった“イルカに魅せられた潜水夫の物語”を、実在の天才ダイバー、ジャック・マイヨールの協力を得て映画化。撮影は1987年6月から約9か月に渡り、パリを含むフランス、ニューヨークなどで行われた。
フランスでは公開後、ハイティーンの若者達の絶大な支持を集め、映画館前は長蛇の列。上映前と終わりには、割れんばかりの拍手が映画館を埋めるような狂騒となった。フランス国内の観客動員数は1000万人、パリでは187週連続上映という記録を打ちたてた。彼らは「Grand Bleu Generation」と呼ばれ、社会現象にまでなった。
イタリア人フリーダイバーで無呼吸潜水の世界チャンピオンであるエンゾはある男を捜していた。ギリシアの海辺の町で育ったエンゾは誰よりも素潜りが得意なガキ大将だったが、彼が唯一認めていたのが、潜水夫の息子である一人の気弱そうな少年だった。
ニューヨークで働く保険調査員ジョアンナは、自動車事故の調査でペルー・アンデス山脈の高地にいた。そこで彼女は、氷結した湖に酸素ボンベもなしに潜水していく1人のダイバーに出会う。ジャック・マイヨール。彼こそがエンゾが捜していた少年の成長した姿だった。
シチリアのタオルミーナで開催されるフリーダイビング競技会にジャックを招待するエンゾ。ジャックを追ってジョアンナもやって来た。簡単に新記録を打ち出すエンゾ。翌日に潜ったジャックも初参加ながら準優勝した。
仕事をクビになり、ジャックと暮らし始めるジョアンナ。各地の大会に出場し始めたジャックは、やがてエンゾを上回る120メートルの大記録を打ちたてた。ジャックの記録を超えることは生理学的に危険だとして、次の大会を直前に中止する医師や主催者たち。それを無視して潜ったエンゾは急死した。
その夜、勝手に潜水の機材を動かし、真っ暗な海に潜ろうとするジャック。妊娠したことを告げて引き止めるジョアンナ。だが、海しか見えないジャックの為に、ジョアンナは自ら機材を始動させた。浮上を補佐するロープの最深部まで潜るジャック。ロープを手放したジャックは迎えに来たイルカと共に、暗い海中へと泳ぎ去った。
リュック・べッソンは、小さい頃からスキューバダイビングに没頭していたが、事故で二度と潜れなくなってしまう。その時たまたまジャック・マイヨールの記録フィルムを見て、彼は「海に関する映画を作らなければ」と思ったという[1]。翌年には、彼は本格的に映画製作の道へと進み始める。
「サブウェイ」の撮影中、主演女優のイザベル・アジャーニの友人であるウォーレン・ベイティと食事の席で一緒になったベッソンは、「グラン・ブルー」の冒頭部分について語り、乗り気になったベイティはプロデューサーになりたいと申し出し、さらに彼はベッソンに前金として25000ドルを小切手で渡した。1985年、ベッソンはサブウェイの配給を行ったゴーモンに出資を頼み、またジャン・レノ、エリック・セラ、クリストファー・ランバートを伴いロケハンを開始する。
ベイティにも脱稿したスクリプトを渡し、契約を取り付けようとするが保留との返事が出る。翌年、ベッソンは小切手で渡されたお金を使い切ってしまい、またベイティとも連絡が取りづらくなったため断り文を書いた手紙を送り、25000ドルもなんとか集めて返金する。ベッソンはゴーモンの会長ニコラ・セドゥに脚本を渡す。脚本を見たセドゥは制作を希望し、またワーナーブラザースからも連絡が入るが、同年、ベイティにスクリプトを渡した時に通訳担当のマルジョリー・イスラエルが本作の権利をベイティに渡し、ベイティはフォックスに企画を持ち込んで制作費50万ドルを受け取っていたことが発覚。ベッソンは謝罪し、権利放棄のためにベイティから要求された50万ドルをゴーモンが支払ったことでトラブルは解決した。(20世紀フォックスにはアメリカとイタリア以外での作品の配給権だけが残った。)
ジャック・マイヨールが凍った湖に飛び込むシーンでは、実際のペルーの湖で、スタントなしでジャン=マルク・バール本人が潜った。もともと彼は泳ぎは得意なほうだったが、ベッソンは「彼の瞳の中に、真の恐怖感が見えた」と語っている。また、天井から水が迫ってくるジャックの悪夢のシーンは実写で、天井にベッドを吊るして、プールに浸して撮影した。
初上映は1988年5月10日、第41回カンヌ国際映画祭の栄えあるオープニング作品としてだったが、メディアはこぞって酷評。翌5月11日からフランス国内で公開されるが、当初の数字は惨憺たるものだった。
日本では20世紀フォックスが配給を手がけ、『グレート・ブルー』として1988年8月20日に東宝洋画系にて公開された。公開当時のキャッチ・コピーは「海には、多くの秘密がある。」。しかし同時期公開のヒット作の多くに興行面で苦戦してしまい、メイン上映館であった日劇プラザは2週間、新宿プラザ劇場は1週間で打ち切りとなる。
その後フランスでの盛り上がりが伝わるにつれ、口コミで話題となり、1989年4月にセルビデオが発売されると、六本木WAVEビデオ部門で1位となるなど、折からのカルト映画ブームもあり『グレート・ブルー』人気が熱気を帯びていく。
当時キリン・シーグラムから発売されたウイスキー「HIPS」のCMにはジャン・レノ、マルク・デュレの2人が劇中のエンゾ、ロベルト兄弟のイメージをそのままに起用され、業界での注目度も高かった。
その「HIPS」が冠スポンサーとなり、1992年6月20日には『グラン・ブルー/グレート・ブルー完全版』がシネセゾン渋谷で独占公開。配給は日本ヘラルド映画。ミニシアターでの興行ではあるが、連日立ち見が出るほどの盛況となり、それ以降も全国で順次公開された。
2010年8月7日から『グラン・ブルー完全版 〜デジタル・レストア・バージョン〜』が角川映画配給により角川シネマ新宿などで日本公開され、同年9月24日に同バージョンのBlu-ray Discが発売された。
本作は、実在の世界的フリーダイバー、ジャック・マイヨールとエンゾ・マイオルカをモデルにした以外、ストーリーはほぼフィクションである。
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