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2018年5月から2020年9月まで存在した日本の政党 ウィキペディアから
国民民主党(こくみんみんしゅとう、英: Democratic Party For the People[27]、略称: DPFP[27])は、かつて存在した日本の政党[2]。
国民民主党 Democratic Party For the People | |
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国民民主党本部が入居していた三宅坂ビル | |
成立年月日 | 2018年5月7日[1] |
前身政党 |
民進党※ [2] 希望の党[注 1][2] 自由党[注 2][9] |
解散年月日 | 2020年9月11日 |
解散理由 | 立憲民主党へ合流。一部は国民民主党を結党[10][11] |
後継政党 |
立憲民主党 (日本 2020)[10][11] 国民民主党 (日本 2020)[10][11] |
本部所在地 |
〒100-0014 東京都千代田区永田町1-11-1[12] 三宅坂ビル北緯35度40分44.2秒 東経139度44分34.7秒 |
政治的思想 |
改革中道[注 3][2][13][14][15][16] 共生主義[13][14][17] 環境主義[18][14] 持続可能な開発[13] 地域主権改革[2][18][13] 政治改革・行政改革[18][13] 立憲主義・議会制民主主義[18][13] 国民主権[13][16] 平和主義[18][13][14] 国際協調主義[5][18][19] 核兵器廃絶[18][13][14] 公益資本主義[18] |
政治的立場 | 中道[20][21][22] - 中道右派[23][24] |
機関紙 | 『国民民主プレス』[25] |
公式カラー |
オレンジ色[26] 青色[26] |
8010005002280 | |
公式サイト | 国民民主党 - つくろう、新しい答え。 |
※ 法規上は1996年結成の民主党、1998年結成の民主党および民進党と同一政党 |
2018年5月、民進党と国民党(希望の党からの分党[注 4])が合流し、結党された[注 5]。
2020年9月、旧・立憲民主党と合流し、立憲民主党が結党された[注 6]。また、合流に反対した一部の議員は新・国民民主党を結党した。
合流協議の始まった2018年4月当初、民進、希望両党の議員から新党の名称に「民主党」を推す声が根強く存在したが[28]、すでに公式略称を「民主党」で届出ている立憲民主党側が不快感を示したことや、また立憲民主党の略称と重複する件について総務省が難色を示したため断念した[29]。4月23日に両党が開いた会合では、「国民党」、「国民民主党」、「改進党」、「共和党」[30]、「中道民主党」、「民生党」[31]、「未来民主党」、「日本民主党」、「平和民主党」、「経済民主党」[32]、「立憲自由党」[33]などの案が出たほか、希望の党の若手議員らが党名として「新党ゼロ」を提案しプロモーションビデオを製作するなどした[34]。翌24日には両党幹部による新党協議会で党名を「国民民主党」とすることが決定された[35]。
英語名は、当初は National Democratic Party(略称:NDP)が検討されたが、党内から「ナチス(略称:NSDAP)を連想させる」「右派政党と誤解される」との批判が出たため、Democratic Party For the People(略称:DPFP)(直訳すると「人民のための民主党」)に落ち着いた[27]。
結党時の略称は国民党(こくみんとう)[5][6][7]で、公職選挙法上でもこちらを用いる[8]こととしていたが、2019年の第25回参議院議員通常選挙では民主党を略称とした。これに伴い党規約からも略称部分が削除された[36][37]。報道時には国民党のほか[38]、国民[39]または国民民主が使用される[注 7]。また参議院では単独会派時代の会派の略称を民主としていた[2][8][47]。
小池百合子東京都知事が、2017年7月に行われた東京都議会議員選挙で自ら率いた地域政党・都民ファーストの会が圧勝したことを受け、衆議院の解散総選挙へ向けての流れに乗り、同年9月に希望の党を結成した。この党には、当時の民進党を離党・除籍となった細野豪志、長島昭久ら保守系議員が結党に参加しており、彼らを中心に9名の国会議員が集まり政党としてスタートを切った。
衆議院解散を前に、当時の民進党代表であった前原誠司は小池代表との会談により、民進党の希望の党への合流が取り沙汰され[48]、解散当日の9月28日、民進党は党として次期総選挙への公認候補を擁立せず、希望の党へ公認を申請、事実上希望の党へ合流することを前原が提案し、了承された。
しかし、その後小池が党の政策と一致しない候補を排除する趣旨の発言を行った[49]ことから、一部の民進党議員が反発。枝野幸男党代表代行はリベラル系議員の新たな受け皿として「立憲民主党」を結成[50]し、岡田克也元党代表、野田佳彦前首相のように無所属で選挙戦を戦う事を選択する候補も出て、民進党内の分裂に至った。
同年10月22日に行われた第48回衆議院議員総選挙では、党代表である小池が「都政に専念する」ことを理由に同選挙へ立候補しなかったことや、小池自身の言動の影響[51]もあってか、公認候補235名のうち小選挙区で18議席、比例代表で32議席の50議席の獲得に留まり、野党第一党は54議席を獲得した立憲民主党となった。
選挙の結果を受けて、小池に対する責任論が噴出し[52]、その後行われた共同代表選挙で玉木雄一郎が党の共同代表に選出された[53]が、小池は程なくして共同代表から退き、党代表は玉木に一本化された[54]。
一方、参議院議員が残留した民進党では、党所属議員が希望の党公認として選挙戦で戦い惨敗したことや党分裂を招いた責任を取り、前原が党代表を辞任[55](その後、希望の党へ入党)。その後行われた党代表選挙では大塚耕平が無投票で後任の党代表に選出された。
党代表がそれぞれ交代したことで、2017年末に民進党側が立憲民主党・希望の党との統一会派結成を求めたが、衆院選からの一連の経緯で希望の党に不快感を持つとされる立憲側の拒否[56][57]や民進党内からも異論が噴出し、蓮舫元党代表など一部議員の立憲民主党への移籍を招くこととなった[58]。一方、希望の党側は統一会派結成に前向きな構えを見せたが、安全保障や憲法に関する見解の違いから松沢成文参議院議員団代表ら保守系議員の反発を招き、希望の党側も分裂を招きかねない状況で燻り続け[59]、翌2018年に入ると統一会派結成を見送る状況となった[60]。
その後、同年3月に民進党・希望の党の両党が合流したうえで新党を結成する構想が表面化[61]し、4月に入ると新党結成への両党の協議が本格化、同月26日に民進党・大塚代表と希望の党・玉木代表が合流による新党「国民民主党」結成の合意書に署名した。これを受けて、希望の党側は玉木代表ら新党参加組と松沢ら保守系メンバーの分党を決定。松沢ら5名は別の新党を結成して「希望の党」の名称を引き継ぐこととなった[62]。
一方で、両党の一部議員から「立憲民主党を軸とする野党再編を目指す」立場から、2党のみでの性急な新党結成に対する反発が強く、新党結成発表に前後して特に民進党側からは小川敏夫ら複数の参議院議員や、民進党籍を持つ無所属の会の大半が新党への不参加を表明し民進党を離党、一部議員は立憲民主党へ入党した[63]。希望の党側も分党した松沢ら5名のほか、細野、長島ら結党メンバーの多くは新党に参加せず、立憲民主党との連携を重視する大串博志らも不参加となった[64][65]。
新党結成の手続きとしては、まず「希望の党」を解党し、玉木ら新党合流組が「国民党」、松沢らが(新)「希望の党」をそれぞれ結党する形で分党し、このうち玉木らの「国民党」が結党間もなく民進党に合流の上、民進党側が「国民民主党」へ党名を変更する方式を取ることとなった[3]。従って、国民民主党は法規上1996年結成の民主党(いわゆる「(旧)民主党」)、1998年結成の民主党、民進党と同一政党の流れを汲むこととなる。
2018年5月7日、党設立大会を東京都のホテルで開催[66]。党参加国会議員は衆議院39人、参議院23人の計62人で、5月6日時点の民進党53人、希望の党54人の両党合計107人の約58%に留まり、立憲民主党の63人を下回って野党第1党の座には届かなかった[66]。また、民進党代表の大塚耕平、希望の党代表の玉木雄一郎が共同で代表に就任することが承認された[66]。代表任期は9月末までで、9月に代表選挙を実施する予定。幹事長に希望の党幹事長の古川元久が就くなどの役員人事も決定[66]。民進党、希望の党との相違点として総務会の設置が決まり、総務会長は平野博文が務める。
同日、衆参各院事務局に会派変更も届け出た[67]。衆議院では民進党系会派が「無所属の会」、希望の党の会派が「希望の党・無所属クラブ」であったが、「国民民主党・無所属クラブ」に変更。参議院では、民進党会派だった「民進党・新緑風会」から「国民民主党・新緑風会」に改称した。さらに同日、民進党は国民民主党への党名変更を総務大臣に届け出た[1]。原口一博は自党の立場を「自民党に代わる国民政党だ」と述べている。
5月14日、結党後の最初の世論調査(JNN)で支持率が0.8%だったことについて玉木雄一郎は「ゼロでなくてよかった。選挙を経験していない政党だから、本当の意味での信任を得ていないと思う」と述べた[68]。
5月27日、玉木共同代表が党会合で、国民民主党を中心とした政権交代を2022年、2023年をめどに実現したいとの目標を発表した[69]。「5年ほどのスパンで地道に力を付け、政権を担える固まりをつくる」と述べ、同時に「これからの日本を見据えた堂々たる政策集団として、党を育てたい」と強調した。
「対決より解決」を掲げており、政府与党に徹底抗戦の姿勢の立憲民主党と路線対立があると産経新聞に報じられた[70]。
7月18日の党総務会の中で、合流後初の代表選挙を行うことが決められ、8月22日告示、9月4日投開票のスケジュールで行われることや、基本的なルールは旧民主党→民進党のものを踏襲するも新しいルールとして、立候補に必要な推薦人を「所属国会議員20人」から「所属国会議員数の15%にあたる10人+それと同数の地方議員」に改めることも決定[71]。
8月22日、国民民主党代表選挙が告示され、玉木雄一郎共同代表と津村啓介衆議院議員の2名が立候補を届け出た[72]。
同日、柚木道義衆議院議員が「党が掲げる対決より解決路線によって野党の分断がますます加速した」と野党共闘に対する党のスタンスに異議を唱え離党届を提出したが、党執行部は「代表選挙告示、立候補受付開始の直前に行われた行為は党の名誉、信頼を傷つけ、党の結束を乱す背信行為」として離党届を受理せず、柚木を除籍(除名)処分とした[73][74]。同党から除籍(離党)した国会議員は結党以来初となった。
9月11日、新執行部の人事が発表され、焦点となっていた幹事長人事では、玉木新代表の側近である古川元久前幹事長の続投を見送り、平野博文元官房長官を新しい幹事長に起用。古川は代表代行として処遇し、代表選で玉木と争い敗戦した津村啓介元内閣府政務官を副代表に抜擢[77]。
10月9日には、参院議員会長選挙が告示。現職の大塚耕平党代表代行の他に立候補の届け出がなく無投票で再選が決まった[78]。
10月11日、立憲民主党と国民民主党、それに両党の支持母体である連合が、来年の参院選に向け、一人区をはじめとする選挙区の候補者について野党間で調整する必要性を確認する覚書を交わしたことが判明[79]。
10月15日に今井雅人衆議院議員が、同19日には長浜博行参議院議員が離党届を提出。党は同22日に長浜の会派退会を承認したことから参議院でも野党第2会派に転落した[80]。なお、両名は11月21日付で除籍処分となった[81]。
同日、フランスの「人民共和連合」党首と国際情勢に纏わる意見交換が行われた[82]。
明けて2019年になると、1月15日に伊藤俊輔衆議院議員が離党届を提出(同月23日付で受理[83])、立憲民主党会派「立憲民主党・無所属フォーラム」への入会を届け出ており[84]、さらに無所属の会から13人中9人が立憲民主党会派に入会したことで、立憲民主党との勢力差が広がりつつある状況となった[85]。
同月22日夕方、玉木代表と自由党の小沢一郎共同代表が東京都内のホテルで会談し、両党の合流へ向けての方針に合意したことが伝えられた[86]。これを受けて、翌23日に行われた総務会では合流に向けての具体的な交渉を玉木に一任した[83]。同月24日、玉木、小沢両代表の会談で衆参両院での統一会派結成に向けて、合意した[87]。一時は参院での第一会派に躍り出るも、同日24日に立憲側が社民党との統一会派結成に合意。これにより、参院での議員数が「国民+自由」「立憲+社民」の両統一会派でそれぞれ27人となるため、慣例により立憲が再び参院第一会派を握ることになる[88]。さらに、同日には藤田幸久参議院議員が国民民主党に離党届を、立憲民主党に入党届をそれぞれ提出した[89]。
2月25日に、アントニオ猪木参議院議員が会派入りし28人となり、一時的に参院第一会派に返り咲く[90]が、3月6日に藤田を除籍し、翌7日に会派の移動を届け出たため再び野党第2会派となった[91]。
4月の第19回統一地方選挙では、前半戦においては立憲民主党が改選前を約3割上回る議席を獲得したのに対し、国民民主党は伸び悩んだ[92]。玉木は4月10日に記者会見を行い、国民民主党の党籍を持つ無所属候補も含めると道府県議選では177人の立候補者に対し135人が当選したと明らかにし、「当選率は2015年の民主党よりも高い比率となった。厳しい中で、なんとか踏ん張ったのかなという気がする」とコメントした一方、立憲、国民両党の合計議席が前回の旧民主党の獲得議席を下回っていることから、「旧民主(系の勢力)で足して減っていることが本質的問題だ」と指摘した[93][94]。
4月26日未明に両院議員総会を開き、採決の結果、賛成多数で自由党との合併を了承した[95]。なお、この採決では階猛・近藤和也・大野元裕・足立信也の4名の衆参両院議員が合併に反対した[96]。自由党が解党し、国民民主党に合流する形をとり、党名や政策は国民民主党のものを継承する[97]。同日、合併手続きを行い、山本太郎を除く6人の自由党衆参両院議員は国民民主党に入党し、自由党は総務省に解散を届け出た[98]。
5月11日、自由党との合流に反対していた階が党岩手県連の会合で離党する意向を表明[99]。同党岩手県連代表の黄川田徹前衆議院議員と県連副幹事長の高橋但馬県議も離党を表明した[100]。その後も離党の動きは続き、同20日には大野が離党の意向を表明[101](なお、大野はその後参院議員を辞職し埼玉県知事選に出馬した)。26日までに岩手県連では階ら3名に加え、新たに5名の地方議員が離党届を提出し、同日受理された[102][103]。29日には党総務会で階の離党届が受理され、また、山井和則国対委員長代行も離党を検討していることが明らかとなった[104][105]。大野、山井はその後離党届を提出。大野の届け出は6月25日に受理された[106][107]が、山井は参院選後の7月24日に除籍処分となった[108]。
7月21日に投開票が行われた第25回参議院議員通常選挙では、公認候補の当選者は改選8議席を2議席下回る6議席の獲得となった。玉木は同月24日に行われた党総務会で、岩手県選挙区から無所属で出馬し当選した横澤高徳の入党を了承したと発表し、国民民主党の党籍を持ちながら無所属で出馬、当選した、森本真治(広島県選挙区)と合わせると現有議席を維持できたとの認識を示した[109]。
同選挙では自公両党に日本維新の会を加えた議席数が憲法改正に必要な国会発議要件を満たす3分の2を割りこみ、国民民主党が憲法改正のキャスティング・ボートを握る形となった[110]。また、参院側では増子輝彦幹事長代行らが「参院で野党第1会派を取りにいく」として、日本維新の会との統一会派を主張した[111]が、次期衆院選に向け立憲民主党との共闘を目指したい衆院側が自重を求める事態となった[112]。8月2日に行われた両院議員懇談会では参院選での立憲民主党への強い不満が示されたほか、吉良州司衆院議員は「いずれ政権を取るという思いで、自民党と連立政権を組んで政権運営のノウハウを勉強させてもらうべきだ」と述べ、野党共闘路線からの脱却を求めたが、玉木は「立民も含めた政権をつくっていきたい。大きな固まりを作るという方針は変わっていない」と述べ、立憲民主党に対し統一会派結成や次期衆院選に向けた「共同選挙対策本部」の設置を提案する考えを示した[113][114]。また、この頃水面下では憲法改正に向けた多数派工作として、安倍政権幹部が玉木に対し、複数のルートで自民、公明両党に国民を加えた「大連立政権」の樹立を打診していた。この(かつての自公民路線的な)大連立構想において、国民側は政権内での埋没を恐れ、野党として活動する方針を決めたことが、立憲との統一会派結成(後述)後の10月に亀井静香らにより明かされている[115][116]。
一方、従来は旧民進党勢力の再結集に否定的な立場を取っていた立憲民主党も、参院選では比例の得票が2017年の衆院選から300万票以上減らすなど伸び悩んだことから方針転換し[117]、8月5日には国民民主党や旧民進系の衆院会派「社会保障を立て直す国民会議」などに対し、立憲民主党のエネルギー政策や選択的夫婦別姓制度などの法案に協力することを条件に衆議院での立憲会派への加入を呼びかけた。これに対し国民民主党は対等な立場での結集を重視し、衆参両院での統一会派結成を要求するなどし、同月20日には立憲・国民両党首間で「それぞれが異なる政党であることを踏まえ、それぞれの立場に配慮しあうことを確認する」などとした上で衆参両院での会派合流に合意した[118][119]。
両党首間での合意後も、会派名や人事、政策などを巡り、「立憲会派に国民が加わる」との認識の立憲側と、対等な合流を主張する国民側で調整が難航した[120]が、9月19日に立憲・国民両党及び「社会保障を立て直す国民会議」の代表間で統一会派結成を合意した。衆院117人、参院61人が参加し、衆院では第2次安倍内閣発足以降最大規模の野党会派となる見通しとなった[121]。会派名は立憲が国民や社保に譲歩する形で衆院は「立憲民主・国民・社保・無所属フォーラム」、参院が「立憲・国民・新緑風会・社民」となり、衆院は現憲法下の1947年以降では最長の会派名となった[122]。一方、会派人事を巡っては衆参両院で立憲が国会対策委員長のポストを確保するなど、立憲主導の陣容となった[123][124]。
9月30日、衆参両院の事務局に新会派の結成が届け出られた。新会派には立憲・国民両勢力と社保のほか、社民党[125]や、馬淵澄夫・階猛両衆議院議員も加わり、衆院120人、参院61人の勢力となった[126]。一方で、同日には桜井充参議院議員が統一会派結成に不満があるとして国民民主党に離党届を提出した[127]。
10月30日には、小沢一郎が立憲民主党の枝野と会談し、将来的な党の合流について意見交換を行った。この会談は枝野から呼び掛けたとされる[128][129]。さらに、国民佐賀県連が11月24日に「年内合流」を党本部に求める決議を採択すると、立憲民主党幹事長の福山哲郎は「立憲民主党を評価し、「一緒にやりたい」と言われたことはありがたい」と述べ、合流への期待感をにじませた[128]。
立憲が水面下で合流への働きかけを強めるのに合わせ、早期の衆院解散を警戒する国民の衆院議員の間では合流に積極的な意見が渦巻くようになり、12月3日の党会合では中堅・若手議員17名が立憲民主党との早期合流に向けた交渉入りを玉木に要請した[130]。一方で参院選でのしこりが残る国民参院側は合流に慎重な議員が多く、玉木は「丁寧な話し合いを積み重ねたい」と述べるにとどめた[131]。
12月6日の野党党首懇談会で立憲民主党の枝野は国民民主党、社民党と野田佳彦ら無所属議員に対し、「立憲民主党と共に行動してほしい。政権を担いうる政党を築き、次期衆院選で政権交代を現実のものにしたい」と述べ、事実上の合流を呼び掛けた。これに対し玉木らは提案を持ち帰り、党内などで検討する考えを示した[132][133]。
12月20日には玉木と平野が日本共産党の志位和夫委員長・穀田恵二国対委員長と会談[134]。次期衆院選で政権交代に向けて協力することで一致し、玉木は会談後「全選挙区で一本化は難しいが、与党に漁夫の利を与えない選挙協力は不可欠だ」と述べた[135]。
国民・立憲両党の幹事長は12月19日から27日までの間7回にわたり合流協議を行い、「衆参両院一体で党合流を目指す」「立憲にない代表選規定を合流後速やかに策定する」「衆院選比例代表での名簿登載順位を(いずれの党出身者も)同一順位とする」とした方針で合意し、党首会談で党名や人事を含めて最終合意を目指すこととなった[136]。玉木・枝野両党首は2020年1月7日から10日にかけて、非公式、公式含め10時間以上会談し詰めの協議を続けたが、立憲民主党の党名を維持したまま人事や政策含めた吸収合併を想定する立憲側と、対等合併を主張する国民側で議論は平行線となり、合意に至らなかった[137][138]。
これを受け国民の津村副代表や小沢一郎に近い議員らで構成される合流推進派議員21名は15日の両院議員懇談会で「合流協議推進」を議題に両院議員総会を開くよう要求[139]し、枝野は翌16日に国民が両院議員総会で合流方針を決めない場合は協議を打ち切る可能性に言及した[140]。20日に両院議員総会が開かれ、津村が「立民と合流について基本合意を行う」ことなどを求める決議案を提出したが、賛成19、反対28、棄権6で反対多数となり、対等な合流を目指す玉木の交渉方針が信任された[141]。翌21日に平野・福山両幹事長が会談し、平野は引き続き合流協議に応じるよう要請したが、福山はこれ以上の譲歩は難しいとの考えを示し、協議は当面見送られることになった[142]。
また、22日には津村が、両院議員総会の際に決議案の提出に先立ち自身のツイッターに決議案を掲載した事が問題視されたことを受け、「議事を混乱させた」などとして進退伺いを提出。29日の総務会で受理され、副代表の職を解かれた[143][144]。
1月30日の参議院本会議での令和元年度補正予算の採択の際、増子輝彦と羽田雄一郎が党の方針に造反して賛成票を投じた。28日の衆議院本会議での採決でも羽田と同じ長野県内選出の篠原孝、下条みつが党の方針に反して棄権している。いずれの議員も令和元年東日本台風の被災地の選出議員であり、予算案に災害からの復旧・復興費が含まれていることを理由に造反した[145][146]。2月5日、党は増子を役職停止、羽田を厳重注意とする処分を決定し、これを受け増子は幹事長代行を辞任した[147]。
立憲などとの統一会派を巡っては、参議院では会派結成から合同議員総会すら開くことができないなど信頼醸成が進んでおらず、2月下旬から参議院での統一会派解消論が持ち上がった。3月9日の立憲民主党の役員会で参院国民幹部と会派解消を協議していることが報告され、会派解消の動きが公に報じられるようになった[148]。3月25日の国民民主党の参議院議員による会合では大塚参議院議員会長が「いったん会派を解消することも念頭に両党の参議院幹部が信頼の醸成に向けて対等に協議する場を設けることを立憲民主党側と検討している」と報告し、立憲民主党側との調整を引き続き大塚に一任することが確認された[149]。しかし、3月30日には立憲民主党が衆院側で反対論が根強く、両院議員総会で承認される見通しが立たないことから会派解消協議を棚上げすることを発表し、国民民主党側も党内手続きを止めることとなった[150]。
7月15日、半年ぶりとなる国民、立憲両党の合流協議が行われ、両党の幹事長が国会内で会談した。この中で立憲民主党側は従来主張していた「吸収合併」方式から転換し、両党を解党した上で新党を設立し、結党大会で党代表選を実施するなどの提案を行い、国民側に譲歩した内容となった。一方、新党の名称は「立憲民主党(略称・民主党)」とする意向を示した[151][152]。
これに対し国民民主党側は新党名に「民主党」を推す意見が多数を占め、22日の幹事長会談では新党構想におおむね賛同するとしつつ党名については投票などを念頭に「民主的な手続き」での決定を要請する逆提案を行った。また、玉木は「新党を作る以上、(政策の)一致点があるべきだ」と述べ消費税率の時限的な減税や憲法改正に関する方針の一致についても立憲側に賛同を求める意向を示したが、平野は「共通認識の形成を」と口頭で求めるにとどめた[153][154]。党名の扱いを巡っては、立憲民主党内のリベラル系グループである赤松グループが枝野らに対し党名堅持を強く求めていることもあり、協議が膠着していた[155]が、8月6日、小沢一郎が枝野と会談し党名について投票での決着を要請[156]。立憲民主党側は翌8月7日の幹事長会談で同方針を受け入れる考えを示した[157]。
8月11日、合流の賛否を巡り臨時執行役員会が開かれ、党内の意見がまとまらないとして、合流賛成派と反対派で党を分割する「分党」を行う方針を決めた。また、玉木は役員会後の臨時記者会見で同方針を発表したほか、消費税減税など政策の不一致を理由に自身は合流新党に参加しない意向を示した[158][159]。同月19日に両院議員総会が開かれ、立憲民主党と合流し新党を結成する案が賛成57、反対2の多数決で了承された。玉木が主張する「分党」については合流推進派の反対で総会の正式議題にはならず、合流に参加しない議員の扱いは玉木と平野に一任する方針を決定した[160]。
8月24日、国民民主党、立憲民主党と、統一会派内の無所属議員グループ「社会保障を立て直す国民会議」「無所属フォーラム」の各幹事長が国会内で会談し、合流新党結成に向けた基本合意書に署名した[161]。一方、9月1日にはUAゼンセンや、電力総連など国民民主党を支持する6つの産別が、合流新党の綱領案に「原発ゼロ」の文言が入ったことや、「改革中道」の表現が盛り込まれなかったことを理由に組織内議員の合流を見送ると決定し、これを受け9人の組織内国会議員が合流新党への不参加を決めた[162]。
9月3日に合流新党への参加届出が締め切られ、翌4日に国民・立憲両党が合流新党への参加者を発表。国民民主党は所属議員62名中40人が参加し、玉木ら22名が不参加となった[163]。合流新党は9月10日に代表・党名選挙を実施し、9月15日に結党大会を開くこととなり[164][165]、一方で玉木ら合流不参加議員を中心とする新党も9月15日に結党し、代表選を実施することとなった[166]。
9月8日に国民民主党の総務会が行われ、玉木が要求していた合流不参加者の分党を了承。国民民主党は11日に分党に伴う解党を総務省に届け出、15日の合流新党結成までの間の暫定的な新党「民主党」と玉木ら合流不参加者による「国民民主党」に分かれることとなり、総務会では玉木側が引き続き「国民民主党」の名称を使用することも了承した。新「国民民主党」には13人が参加するほか、「民主党」には合流新党参加者40人のほか、いずれの新党にも参加しない9人も暫定的に在籍する見込み[注 8][10][11]。残存資金は議員数に応じて比例配分することとなり、翌9日の両院議員総会で上記方針が正式決定[168]。「民主党」の代表には平野博文が就任した[169]。11日の党大会で解党が正式に決定し、国民民主党としての2年4ヶ月の歴史だけではなく、1996年の(旧)民主党結党以来、法律上24年弱続いてきた政党の歴史にも幕を下ろすこととなった[170]。政党、会派の異動先は以下の表の通り(※は参議院議員)。
(新)立憲民主党 (衆31・参9) |
|
---|---|
(新)国民民主党 (衆7・参7) |
|
無所属 (衆2・参6) |
2018年5月7日の結党大会で制定された[171]。
- 基本理念
私たちは、「自由」「共生」「未来への責任」を基本理念とします。
「公正・公平・透明なルールのもと、多様な価値観や生き方、人権が尊重される自由な社会」「誰もが排除されることなく、互いに認めあえる共生社会」「未来を生きる次世代への責任を果たす社会」を理想とします。
この理念の下、穏健保守からリベラルまでを包摂する国民が主役の改革中道政党を創ります。
私たちは、民主主義を守り、現在と未来の課題を着実に解決し、国民全世代の生活を向上させます。国を守り、国際社会の平和と繁栄に貢献します。
- 私たちの立場
私たちは、「生活者」「納税者」「消費者」「働く者」の立場に立ちます。
私たちは、一人一人がかけがえのない個人として尊重され、多様な価値観や生き方を認め合いながら、共に生きていく国を育んでいきます。
- 私たちのめざすもの
- 私たちは、「人への投資」を重視し、公正な再分配によって理不尽な格差をなくし、持続可能な経済を確立します。
- 私たちは、少子高齢化や過疎化を克服し、安心の社会保障を実現します。
- 私たちは、子どもと若者、孤立して生きざるを得ない人々、社会的マイノリティ、障がいのある人々、非正規雇用で働く人々等、声の届きにくい人々に寄り添います。
- 私たちは、地域主権改革を進め、豊かさが実感できる、自立した活力ある地方にします。
- 私たちは、政官財のしがらみをなくし、政治と行財政の改革を誠実に実行します。
- 私たちは、立憲主義と国民主権・基本的人権・平和主義を断固として守り、国民と共に未来志向の憲法を構想します。
- 私たちは、専守防衛を堅持し、現実的な安全保障を築きます。
- 私たちは、開かれた国益と広範な人間の安全保障、恒久平和と核兵器廃絶をめざします。
綱領と同じく結党の2018年5月7日に制定された[172]。
「自由」「共生」「未来への責任」―――、私たちはこの理念を共有し、国民生活の向上と、国際社会の調和と平和をめざし、全力を尽くす。
日本は多くの課題を抱えている。深刻化する少子高齢社会、懸念される社会保障制度や財政の持続可能性、拡大する格差、科学技術の劇的な進歩がもたらす経済社会の変容、激化する経済・産業の国際競争、緊張を増す国際情勢等、枚挙に暇がない。
国内外で大きな変化が私たちを待ち受ける今こそ、歴史や伝統に敬意を払いつつ、未来を先取りして問題を解決することが求められる。最大の課題のひとつは、少子高齢化と人口減少である。特に、地方や地域社会では将来に対する不安が増している。これからの時代に必要なのは、人口が減少しても持続可能な仕組みである。しかし、今の政治は、依然として人口増加が経済成長を促した高度経済成長時代の幻を追っている。私たちは、20世紀型の成功体験と決別し、未来を展望する。
折しも「平成」に続く新しい時代の始まりにあたり、私たちは、古い仕組みや政治を改め、「自由」と「共生」を重んじ、活力と調和に満ちた新たな社会の創造をめざす。それが、私たちが果たすべき「未来への責任」であり、新たな国民政党を始める目的である。
私たちは、思考の多様性こそ問題解決力の源だと信じる。寛容と忍耐を重んじ、多様な声をあたたかく包み込むことで対立や矛盾を乗り越える新たな政治を創造する。国民の良識と判断力を信じ、正直な政治、偏らない政治、現実的な政治を追求していく。また、個人や企業の自助努力や進取の精神を阻害しない効率的で創造的な政府をつくり上げる。
何が「正しい」か、何が「正義」か。価値判断は人によってまちまちである。だからこそ、議論の前提となる事実を公開・共有し、熟議を尽くし、決まったことを遵守し、権力を抑制的に運用する、それが民主主義の基本である。事実を隠ぺいし、熟議を避け、権力を濫用する政権では、民主主義を守れない。私たちは今、民主主義の危機に直面している。
私たちは、生活者の立場と熟議の民主主義を重んじる勢力の中心となる強い決意の下、自分たちの信じる理念とビジョンを示し、ここに、新たな政権を担う核となる「国民民主党」の結党を宣言する。
2018年5月7日の結党大会で採択された[173]。前文は省略して掲載する。
【子育て、仕事、人生を楽しめる共生社会のために・・・】
〇「チルドレンファースト」―すべての子どもと若者たちに夢とチャンスを
- すべての就学前保育・教育を無償化
- 保育士等の質の向上と待遇改善など保育環境整備を行い、待機児童を解消し、利用希望者を「全入化」
- 延長保育や、病児・病後児保育等の充実
- 子ども手当をすべての子どもに給付
- 小中学校の学校給食費無償化
- 所得制限のない高校授業料無償化
- 大学授業料の減免
- 給付型等の奨学金の大幅拡充
- 子どもの貧困対策と児童虐待防止対策の推進
〇多様できめ細かい教育を
- 少人数学級の推進
- インクルーシブ教育の推進
- フリースクール・夜間中学への支援拡充
- 高校の総合学科や専門課程の充実
- 職業教育・職業訓練・就職支援の拡充
- クラウドを活用したデジタル教材などの共同利用や協働教育など、ICT教育の推進
〇働く人に誇りとやりがいを
- 長時間労働をなくす法律の制定、ワークライフバランスの実現
- 育児休業給付の実質100%支給
- パワーハラスメント・セクシャルハラスメント・マタニティハラスメント等の防止、ワークルール教育の推進
- 同一価値労働同一賃金の実現
- 中小零細企業への支援を前提に、全国どこでも誰でも時給1000円以上
- 給付付き税額控除など基礎的所得の保障(日本版ベーシックインカム構想)
- 住宅手当等の創設
- 能力や実績に基づく公務員の人事管理の推進と、労働基本権の回復、労働条件を交渉で決める仕組みの構築
〇100歳時代に安心を
- 予防医療・リハビリテーションの充実
- 介護職員などの給与引き上げ
- 地域包括ケアシステムの全世代支援システムへの進化
- 総合合算制度の創設
- 働きたいシニア世代が働き続けられるようにするための取り組み
- 年金制度改革への取り組み
- 認知症基本法の制定
- がん対策の充実
- 難病対策の拡充
〇多様な価値観と人権の尊重を
- 人種・信条・性別・民族・出身などを理由にした差別、性的指向・性自認(SOGI)による差別の解消
- 実効的な障がい者差別の解消
- 男女共同参画社会の実現
- 選択的夫婦別姓制度の導入
- 国政選挙へのクオータ制の導入
- 自殺対策の推進
- 性暴力等の禁止と被害者支援の推進
〇消費者の権利保障と食の安全・安心を
- 消費者の権利保障と消費者行政の強化
- 地方消費者行政・消費生活相談機能の充実・強化、消費者団体支援の推進
- 消費者教育の推進と高齢者や若年層、障がい者等の被害防止対策の強化
- 遺伝子組み換え・アレルギーなど消費者目線の食品表示制度への見直し
- 輸入食品の監視体制強化・トレーサビリティの促進で安全・安心な食品の提供体制を確立
- フードロス削減の推進、フードバンク・子ども食堂等の支援
〇みんなの税を暮らしの支えに
- 公平・透明・納得の税制の構築
- 所得税や法人税の抜け道をなくす
- 個人と企業の税負担の見直し
- 金融所得課税の引き上げ
- 消費税率引き上げの際に使途を教育目的にも拡大
- 複数税率導入を前提にした消費税率引き上げは認めない
【豊かで安全で持続可能な未来のために・・・】
〇地域主権改革を進め、自立した活力ある地域を
- 一括交付金の復活・進化
- 地方への権限と財源の移譲及びそのための受け皿づくり
- 交流人口の拡大、U・I・Jターンや二地域居住の促進等による、過疎化の歯止めと対策の強化
- 自動車に関連する税負担の軽減
- 事業承継政策の拡充による地域経済支援
- 地域公共交通の支援
- 空き家対策、中古住宅市場の活性化、リバース・モーゲージの活用
- 観光人材の育成
- 文化・芸術・スポーツの振興
- NPO支援、「新しい公共」等「市民政策」の推進
- ソーシャルビジネス・コミュニティビジネスへの支援
〇次世代につなぐ農林水産業を
- 主要農作物種子法の復活
- 農業者戸別所得補償制度の復活・拡充
- 6次産業化の加速
- 森林の適切な管理・保全による林業の発展
- 適切な資源管理による水産業の活性化
- 鳥獣被害対策の充実
〇世界水準の最先端技術立国を
- 第4次産業革命に対応した投資減税、研究開発支援
- iPS細胞研究を活用した再生医療・創薬の推進と世界をリードする新薬・新治療法開発力の強化
- クリエイティブ人材の育成と蓄積
- 中小企業の生産性向上と新事業創出のための支援
- 規制改革と知的財産権戦略の推進
- IoT、AI、自動運転、ビッグデータ、ブロックチェーン技術、ロボット等の活用
- 宇宙空間を利用した研究・産業の促進
- 公益資本主義に基づく技術・投資立国の推進
- 基礎研究の研究費確保、若手・女性研究者支援を拡充
- 様々な技術・製品分野における世界標準化・プラットフォーム戦略の推進
〇原子力エネルギーに依存しない社会のシナリオを
- 野心的な温室効果ガス削減目標の設定
- 再生可能エネルギーへのシフトによる分散型エネルギー社会の実現
- 省エネルギー社会の実現
- 2030年代原発ゼロに向け、あらゆる政策資源を投入
- 使用済核燃料の最終処分に関する国の責任の明確化
- 廃炉、使用済核燃料の減容化等を担う労働者・技術者の確保と育成
- 廃炉後の原発立地地域における雇用・経済政策を国の責任で推進
- 火力発電の最新鋭化・蓄電池技術開発等の国家プロジェクトとしての推進
〇環境保全の推進を
- 生物多様性の保全
- 環境教育の推進
- 化学物質対策、化学物質過敏症への対応の強化
- PM2.5対策の強化
- ペットの殺処分ゼロをめざす
〇国民の命を守る災害対策を
- 東日本大震災の被災地をはじめとする被災地支援の拡充
- 災害対策と復興支援制度の拡充
- 住宅の耐震化・省エネ化推進、住宅の長寿命化
- 防災士や消防団活動の支援等による地域防災力の強化
- 大規模災害発生前後の初動対応力の確立
- 日本版FEMAの検討
- 地域インフラの老朽化対策の迅速化
- 災害予見技術の向上
〇平和主義を守り、現実的な安全保障を
- 「近くは現実的に、遠くは抑制的に、人道支援は積極的に」の原則の下、日米同盟を軸に、現実的な安全保障を構築
- 現行の安保法制については、現憲法の平和主義を尊重し、「専守防衛を堅持する」との原則に基づき、違憲と指摘される部分を白紙撤回することを含め、必要な見直しを行う
〇開かれた国益と平和創造外交を
- 国際連合をはじめとした多国間協調外交の推進
- アジア太平洋地域をはじめ、世界との共生を促進
- 人間の安全保障の推進、安全保障環境の改善
- 核兵器廃絶、人道支援、経済連携などの推進
- 国家主権と国益を守り、北方領土、竹島の2つの領土問題を解決
- 拉致問題の早期解決
- 日米地位協定の改定を提起し、沖縄の負担を軽減
- 食料安全保障の推進
〇未来志向の憲法を
- 現行憲法の基本的理念と立憲主義を維持しつつ、時代の変化に対応した未来志向の憲法を積極的に議論
- 憲法9条をはじめ現行憲法の条文について、論理的整合性、法的安定性に欠ける恣意的・便宜的な憲法解釈の変更は許さない
- 内閣による衆議院解散権の制約、新しい人権、地方自治等について、国民と共に議論を深める
- 象徴天皇制のもと、皇位の安定的継承と女性宮家の創設を図る
- わが国が自衛権を行使できる限界を曖昧にしたまま、憲法9条に自衛隊を明記することは認めない
- 表現及び報道の自由の確保による「知る権利」の保障
〇大胆な政治・行財政改革を
- プライマリーバランスの黒字化をはじめとする財政の健全化
- 歳入庁創設による税と社会保険料の公正な徴収
- 衆参両議院のあり方を踏まえた国会議員の定数見直しなど身を切る改革の推進
- 政策立案支援充実などの立法府機能の強化
- 参考人出席や文書提出の義務付け、重大問題に関する特別委員会設置など、国会による行政監視機能の強化
- ひも付き補助金の見直し、天下り規制の強化、特別会計等の見直し、官製談合の防止、随意契約の制限による、税金の使い道の厳格な見直し
- 特定秘密保護法の改正と公益通報者保護の強化
- 公文書管理の抜本的な見直しと情報公開の拡充
政党助成法上では民進党が党名変更する形で設立されているため、同党の地方組織を引き継いでいる[174]。旧希望の党で事実上唯一の地方組織であった希望の党愛知県連は、2018年5月12日に国民民主党に合流する方針を決めた[175]。一方で新党への移行を巡り、無所属での活動や立憲民主党への入党を希望する地方議員の離党が相次ぎ[176][177]、一部の県では旧民進党系地方議員の受け皿として「新政あいち」(愛知県)、「三重新政の会」(三重県)、「千葉民主連合」(千葉県)などの地方政治団体が設立された[178][179]。大塚共同代表は7月5日の記者会見で、旧民進党の地方議員約1500人のうち、約半数にあたる約800人が国民民主党に参加したと発表した[180]。
党員・サポーター制度は民進党のものをほぼそのまま引き継いでいる[181][182]が、党員の党費は民進党時代の6,000円から4,000円へと値下げされた[183]。2018年7月31日時点での党員・サポーター数は7万6596人であり、旧民進党時代の23万6131人から3分の1の数となった事が報じられた[184]。
党員は18歳以上の日本国民に限定されている[183]。サポーターは18歳以上であれば在留外国人も登録可能であるが、日本国籍を有しないサポーターは国民民主党代表選への投票権は付与されない[183]。
役職 | 氏名 | 衆参別 | 出身政党 |
---|---|---|---|
代表 | 玉木雄一郎 | 衆議院 | 希望の党 |
代表代行 | 大塚耕平 | 参議院 | 民進党 |
古川元久 | 衆議院 | 希望の党 | |
副代表 | 渡辺周 | ||
大島敦 | |||
田名部匡代 | 参議院 | 民進党 | |
幹事長 | 平野博文 | 衆議院 | |
幹事長代理 | 吉良州司 | 希望の党 | |
榛葉賀津也 | 参議院 | 民進党 | |
総務会長 | 小林正夫 | ||
両院議員総会長 | 柳田稔 | ||
国会対策委員長 | 原口一博 | 衆議院 | |
国会対策委員長代行 | 奥野総一郎 | 希望の党 | |
選挙対策委員長 | 岸本周平 | ||
総合選対本部長相談役 | 小沢一郎 | 自由党 | |
組織委員長 | 足立信也 | 参議院 | 民進党 |
政務調査会長 | 泉健太 | 衆議院 | 希望の党 |
政務調査会長代行 | 後藤祐一 | ||
男女共同参画推進本部長 | 徳永エリ | 参議院 | 民進党 |
政治改革推進本部長 | 古川元久 | 衆議院 | 希望の党 |
行政改革推進本部長 | 大島敦 | ||
常任監査 | 森本真治 | 参議院 | 民進党 |
会計監査 | 近藤和也 | 衆議院 | 希望の党 |
役員室長 | 小熊慎司 | ||
代議士会長 | 小宮山泰子 | ||
参議院会長 | 大塚耕平 | 参議院 | 民進党 |
参議院幹事長 | 榛葉賀津也 | ||
参議院国会対策委員長 | 舟山康江 | 無所属 | |
参議院政審会長 | 徳永エリ | 民進党 |
希望の党出身者は一部を除き第48回衆議院議員総選挙に際して、当時の民進党代表前原誠司の方針に従って民進党から希望の党に移籍したメンバーである。原口、平野および篠原孝の3名は民進党籍を有しながら同選挙では「無所属」として候補・当選し、民進党系会派「無所属の会」に所属していた。舟山は会派「国民民主党・新緑風会」所属の無所属議員である。
民社協会(小林グループ)、凌雲会(前原グループ)と自誓会(階グループ)が存在し、前者の小林グループは民進党の流れを汲んでいる。後者の2グループは民進党・旧希望の党の流れを汲んでいる。民社協会は新進党時代から結束を誇り民社党出身議員や同盟系労組出身議員が中心である。前原グループは日本新党や新党さきがけ出身者が中心であり、旧細野グループは人脈的に新進党や旧自由党の流れをくむ議員が多く在籍。
また花斉会(野田グループ)と直諫の会が立憲民主党との超党派グループとして活動している。野田グループは新進党や日本新党などの出身議員を中心とし、直諫の会はみんなの党や維新の党出身の議員が中心である。
旧民進党を支援してきた日本労働組合総連合会(連合)傘下の労働組合のうち、UAゼンセンや自動車総連、電力総連、JAMなど、改憲を容認する旧同盟系の産業別労働組合は改憲に前向きな国民民主党を支持している[187]。
2017年の第48回衆議院議員総選挙を前に民進党が分裂し希望の党への合流を進める中、民進党、日本共産党、社会民主党、自由党と連携していた安保法制の廃止と立憲主義の回復を求める市民連合(以降、市民連合)は、「安保法制を容認する希望の党と共闘することはない」と共闘を否定[188]。
希望の党から分党した「国民党」が民進党とともに国民民主党を結党した3日後に発表した表明「『あたりまえの政治』を求めて」の中でも、自公安倍政権に加え、2017年の民進党の希望の党合流の経緯に対して改めて批判的に言及するとともに、「これからも立憲民主党、日本共産党、社会民主党、自由党とさらに意見交換や政策協議を重ねるとともに(後略)」[189]と、共闘対象の筆頭には立憲民主党の名を挙げる一方で、国民民主党については連携政党から除外していた。
2018年9月13日、国民民主党は、市民連合の新宿街頭演説会に参加し、「国民民主党の平野博文幹事長は、安倍政権が解釈改憲を行い集団的自衛権の限定行使を可能にしたことを取り上げ、「私はこの点は絶対に許すわけにはいかない。憲法とは国民の皆さんの守り神。宝だ」と強く訴えた。」[190]
9月24日、党本部で開かれた新執行部発足後初となる全国幹事会で執行部側は、幅広い野党の結集を目指す考えとして第25回参議院議員通常選挙に向けた日本共産党との選挙協力について市民連合を仲介役とする方針を示した[191]。
11月16日、野党5党1会派と市民連合との意見交換会に平野が出席し、「安倍政権を倒すだけが共通認識ではなく、倒せば次の日本がこう変わるというわくわく感を出さないといけない」として、市民連合との連携をつくるために必要な考えを示した[192]。2019年2月14日の意見交換会も同様に出席した[193]。
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